6 ◇ 王女付き侍女ハンネエーラ(後編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
また月日は流れ、ラルダ様は宣言通り16歳という若さで魔導騎士団へご入団した。
「よくお似合いです。ラルダ様。」
「ありがとう、ハンネエーラ。団服を身に纏うと一層気が引き締まるな。」
真新しい騎士団の制服に身を包み、綺麗なお髪を一つに括ったラルダ様は、とても凛々しかった。
「ようやく、この日が来た。これからは私の手で、一人でも多くの民を守ることができるのだ。」
「ええ、ラルダ様ならきっとそのお力で皆を幸せにできますわ。ご入団、おめでとうございます。」
私は必死に醜い本音を悟られまいと、お仕えする主人の新たな門出を祝った。
本当は、ラルダ様には危険に身を晒してほしくない。
あの日「兄上とフィリア様が羨ましい」と言っていた可愛らしい乙女心を、国民のために殺してほしくなかった。
飾り気のない髪型も、お美しいけれど少し寂しい。
……しかし、そんなことは口が裂けても言えない。
私は毎日、ラルダ様が無事にお帰りになられるのを祈ることしかできなかった。
◇◇◇◇◇◇
ラルダ様がご入団した当初は、私は「やはりラルダ様は魔導騎士団などに入るべきではなかったのだ」と思っていた。入団初日の訓練が終わってから毎日ずっと何か思い詰めておられるようで、私が声を掛けても上の空。
挙げ句の果てには、身体中にお怪我をされ、回復魔法もかけないまま放心状態でお戻りになった。
「っ!ラルダ様!!」
私はその痛ましいお姿を見て、思わず悲鳴をあげた。慌てて王宮の医療班に連絡を取ろうとすると、ラルダ様が私の腕を掴んで引き留めた。
「……よい。自分で治せる。……私が転んでしまっただけなのだ。」
「何をおっしゃいますか!転んだだけでこのようなお怪我をされる訳がありません!はやく治療を──」
「いらぬと言っているだろう!」
「し、しかし……!」
「父上らには私から直接報告をする。決して騒ぎ立てるなと他の者にも伝えよ。」
「……はい。かしこまりました。」
しかし人の口に戸は立てられない。
ラルダ様が去った後、使用人仲間から伝え聞きすぐに怪我の理由は判明した。
どうやらラルダ様は同期と揉め事を起こしたらしい。
話を聞きながら「我が国の第一王女に誰が一体そんな恐ろしいことを!」と声を荒げてしまったが、その相手を聞き今度は愕然とした。
──相手はどうやら、同期で平民の、ウェルナガルドの生き残りらしい。
私はもはや運命を呪った。
その「生き残り」の行き場のない恨みを、怒りを、ラルダ様は一身に引き受けたのだろう。そしてラルダ様は今この瞬間もご自身を強く責めているに違いない。
私は次こそは必ず、たとえラルダ様に止められようとも、力尽くにでも、クビになろうとも、彼女をお守りするために然るべきところへ報告しようと誓った。
だが、その翌日からラルダ様は徐々にお変わりになられていったのだ。
私の懸念とはまったく逆の方向に。
◇◇◇◇◇◇
「聞いてくれ、ハンネエーラ。今日は模擬戦でクラウスに一本取られてしまったんだ。今でも悔しくて仕方がない。」
「まあ!そうだったのですか。」
「だが、互いに切磋琢磨できる関係というのは良いものだな。次こそは絶対に負けない。明日、彼とまた剣を交えるのが楽しみだ。」
「ハンネエーラ。実は今度、騎士団の仲間と『同期会』をやることになったんだ。一度、鍛錬や勉強を抜きにして、ただ親睦を深めるために食事をしようということになった。」
「あら!楽しそうですね。」
「そうだろう?いつもの騎士団の食堂では変わり映えもなく大して長居もできぬ。しかし街に出るには私の身分もあって何かと面倒だ……という訳で、アスレイの実家であるオーネリーダ公爵家で集まることになったのだ。」
「それはそれは。素敵ですわ。」
「ふふっ、同期会が待ち遠しくて仕方がないな。……ああ、そうだ。当日は皆が喜ぶような手土産を持っていきたいのだが、何がいいだろうか。ハンネエーラ、相談に乗ってくれないだろうか?」
「ええ、もちろんでございます。お決めになったものを当日私がご用意しておきます。」
「ありがとう。」
例の揉め事を解決されて以来、ラルダ様は徐々に、しかし確実に明るくなられていった。
私との雑談も徐々にまた増えていき、半年後にはほぼ毎日のようにその日の出来事をラルダ様からお話されるようになった。
中でも、同期の御三方のお名前は頻出だった。
アスレイ様、クラウス様、そしてゼン様。
「……なあ、ハンネエーラ。私は今回が初の第1部隊との合同討伐だったのだ。」
「お疲れ様でございました。ラルダ様が無事にお戻りになられて本当に良かったですわ。」
「ありがとう。……それでな、私は昨日初めて、実戦でのゼンを見たのだ。日頃の訓練のときから桁外れに強い男だとは思っていたが、私がまだ甘かった。」
「と、言いますと?」
「ゼンの銃は、魔物たちの前ではさらに強烈であった。あまりの鮮やかさに、戦場だというのに思わず見惚れてしまった。」
「……ラルダ様にそれほどまで言わしめるとは。」
「ああ。同部隊の中衛アスレイとの連携もとても見事だった。アスレイがいつもゼンに補助魔法を試すのを楽しみにしている理由が分かった。日常でも戦闘でも、あの二人は揃うと本当に手が付けられないな。」
私はラルダ様が同期をはじめとする騎士団の面々と絆を深めていくのを嬉しく感じていた。
魔導騎士団に所属しているのは魔法を使える優秀な貴族の血を引く方々ばかり。
その中には、第一王女であるラルダ様の伴侶に相応しい御方がいるのではないか。そして、あの日に夢見ていたような相思相愛の幸せを手に入れられるのではないか。
私は老婆心ながらそのようなことまで勝手に考えていた。もちろん、決して口になど出せなかったが。
ただ私には、たった一人だけ、どうしてもラルダ様との関わりを素直に喜べない者がいた。
──同期の一人、ゼン様。
ウェルナガルドの生き残りにして、入団してすぐにラルダ様を痛めつけた人物。
ラルダ様は今でこそ彼のことも楽しそうに話されているが、私はあまり納得ができていなかった。
6年間ラルダ様のお側にいたからこそ、ラルダ様にとっていかに「ウェルナガルドの悲劇」が重い存在であるかを知っている。いつかまたその存在が、ラルダ様の足枷となって、ラルダ様を苦しめるのではないかと思ってしまうのだ。
ウェルナガルドが、彼女の幸せを許さない「呪い」なのではないか。
ゼン様にはウェルナガルドという背景があるからこそ、私はどうしても彼を快く思うことができなかった。
◇◇◇◇◇◇
ラルダ様が魔導騎士団に入られて1年が過ぎた頃から、ほんの少しずつ、また変化が訪れた。
ラルダ様が明るくなられたこと、よく私に話をしてくださるようになったこととはまた別の変化だ。
毎朝ほんの10秒ほど、いつもよりも鏡で身嗜みを確認する時間が増えた。
紅茶を飲みながら読書をなさるとき、不意に本から意識を外して物思いに耽り、ページをめくる手を止めてしまうことが多くなった。
私は気遣いが仕事のようなものなので、すぐに勘付くことができた。
──ついに、好きな御方ができたのだろう。
一度気付いてしまえば、お相手も簡単に把握できた。
お話をしてくださるラルダ様のご様子は普段と変わらず、登場する人物もいつも通りなのだが、聞いていれば分かるものだ。
ラルダ様が敢えて平静に、均等に、意識せずに話そうとすることで生じてしまう、ちょっとした違和感や不自然さ。ラルダ様ご本人が自覚しておられるかはまだ分からないが、そのお相手の話題の瞬間にだけ、無意識のうちに小さな歪みが出ていた。
なんとなく予感はしていたが、そのお相手はやはり「ゼン様」だった。
その事実を確信したとき、私は複雑だった。
ラルダ様の御心を否定するつもりは毛頭ない。ただ、どうしてよりによって彼なのだろうか。
彼は「平民」で、「ウェルナガルド」で、ラルダ様を傷付けた人物だ。
彼といる限り、ラルダ様は「王女」としてのご自身のお立場を嘆き、「王家」としてのご自身を責め続け、苦しむことになるのではないか。
ある日「同情を恋慕と履き違えた」と冷めることはないだろうか。騎士団内の他の若者に心移りすることはないだろうか。いっそ──……
私は自分の中に湧き出る汚らしい考えを、首を振って追い払った。
まるで子の人生の選択にあれやこれやと口出しをする嫌な母親のようではないか。
そういえば未だに二人の娘に対しても、必死に「大丈夫なの?」「そちらを選ぶと後が大変よ」「こちらの方があなたに合うわ」と言いたくなる自分を抑えることがたまにある。
私は自嘲した。
ラルダ様にずっと「年相応の少女のように恋をして幸せになってほしい」と願っていたのは他でもない私自身ではないか。
私の人生は私のもの。娘の人生は娘のもの。ラルダ様の人生はラルダ様ご自身のもの。何も知らない私が、私だけの物差しで測って線を引こうとするのがそもそも間違いなのだ。
だから私は心を入れ替えることにした。
私のやるべきことは、これまでと変わらずラルダ様にお仕えし、日々を快適に過ごせるように尽くすこと。そしてただラルダ様を信じて、静かに応援すること。
──ゼン様の存在が、ラルダ様の「呪い」ではなく「幸福」であることを願って。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
あれからまたさらに月日を重ね、今に至る。
私はこれまで数え切れないほどのお話をラルダ様から聞いてきた。
今の私には、もう彼を疑う気持ちなど微塵もない。ラルダ様のお顔を見ていればわかる。彼はラルダ様の「幸福」だと確信できる。
◇◇◇◇◇◇
いつだったか、はっきり恋心を自覚し、すっかり開き直られたラルダ様の恋愛相談に乗っていたときに聞いたことがある。
「ラルダ様は、何をきっかけにゼン様に惹かれるようになったのですか?」
するとラルダ様は「きっかけか……難しいな」と腕を組みながらしばしの長考をした後に、私に照れくさそうに語ってくれた。
「今ならもう時効だろうか。ハンネエーラは私が入団初期にゼンと喧嘩をしたことを知っているだろう。」
「ええ、よく覚えております。」
「私はあのとき、ゼンの心を酷く傷つけてしまった。彼に金銭支援を申し出た上で『ゼンが幸せな人生を歩むことがご両親の望みだろう』……と言ってしまったんだ。」
「……そうでしたか。」
「だが、ゼンは私の愚かさを許してくれた。そして同時に、私がまだまだ弱いことを教えてくれた。」
私が「ゼン様のその優しさと剣の強さに惚れたのですね」と頷こうとすると、ラルダ様は笑って首を振った。
「いや、少し違うな。今思えばそのときからすでに魅力は感じていたかもしれないが……この話には、私の中では続きがあるんだ。」
「続き、ですか?」
「ああ。その件からしばらくして……あれは初めての『同期会』のときだったな。話題が『入団動機』になったんだ。」
私は思わず息を呑んだ。それに気付いたラルダ様が頷く。
「私はその場で『自らの手で国民を守りたいと思ったからだ』と答えた。その言葉に嘘偽りはなかったが、きっかけが『ウェルナガルドの悲劇』だとは言えずに伏せたのだ。」
私が神妙そうな顔をすると、ラルダ様はまた笑った。
「そうしたらな、なんとゼン本人が私に指摘してきたのだ。何か言いにくそうにしていたがウェルナガルドが関係あるのか、と。だから私はすべて話してしまった。同期たちの前で。本当の入団動機は、自己満足の罪滅ぼしだと。」
「ラルダ様……。」
「私はまたゼンを傷付けてしまった。そう思った。だがゼンは、私にこう言ってくれたのだ。
『お前は何も悪くない。俺の親父もお袋も、町の奴らも全員そう言うに決まってる。』と。
そうして笑って、私に『俺の故郷をそこまで悼んでくれてありがとな』と礼を言って軽く頭を撫でてくれたんだ。あの頃はまだ無自覚だったが……私がゼンに惚れたのは、きっとあの日が最初だ。」
そのとき私はようやく理解した。ラルダ様の心の枷を、ウェルナガルドの「呪い」を解いてくれたのは、他でもないゼン様だったのだと。
それからというもの、私はラルダ様の恋の成就に陰ながら全力を尽くした。
長い片思い期間の果てに「お付き合いをしてほしいと告白しようと思うが、どうすればいいか」と可愛らしい相談をされたときには、「魔導騎士団のお仲間に協力していただいて、場を整えると良いですよ」という助言をした。
成功率を上げるために少しでも囲い込んでしまえという腹黒い打算からのアドバイスだったが、どうやらそれは効果覿面だったらしい。
ラルダ様は嬉しそうに「皆が力を貸してくれたお陰で上手くいった」と言っていたが、その詳細を聞いたとき私はそっと彼に同情した。騎士団全員に圧を掛けられながら第一王女様の告白を聞かされる。相当なプレッシャーだったに違いない。
ただ実際は、周りに気圧され流されて付き合うよりも、周りの期待を裏切って断る方が楽なはずなのだ。何せ相手は王女様で、自分は平民なのだから。それでも彼がラルダ様の告白を受け入れたというのはつまり、彼にも茨の道を進む覚悟があるということなのだろう。相手が王女様だからと、身分差に怖気付いて身を引こうとするような軟弱者でなくて本当に良かった。
◇◇◇◇◇◇
そして、お二人の仲は今日まで続いてきた。
ラルダ様が「ゼンはあまり自分や私たち二人のことを他人に話すのが好きではないらしいんだ。すまないな。」と言って、お付き合いが始まってからは騎士団仲間としての彼の話しかされなくなったのは寂しかったが、たまにうっかり漏れる惚気話に、私はいつも幸せな気持ちになっていた。
……せっかくここまできたというのに。ラルダ様が悲しむことになるなんて。
私は壁の時計を見遣りながら考える。
時刻は夜の9時5分。早ければラルダ様がお戻りになる頃合いだ。
先日の不本意な婚約発表。
ラルダ様の御心を無視して挙げられる見栄えだけの提案。
挙げ句、誤解のもとに浴びせられる悪気のない祝いの言葉。
ラルダ様には、そのどれもがお辛くて仕方がないようだった。一つひとつの出来事に、まるでゼン様を否定されているような気持ちになるのだろう。
ラルダ様には、彼ではいけない。彼では足りない。クラウス様が正解なのだ。……と。
外野は黙っていなさいよ!といい加減腹を立てて興奮していたら昨日、夫に宥められてしまった。
ああ、ラルダ様には今慰めてくれるゼン様もいないというのに、私が夫に宥められていてどうするのだ。
私が勝手に腹を立てている場合ではない。
気持ちを切り替えて、ラルダ様のお帰りを待つ。
ほどなくして、やはり晩餐会に最後まで出る気力も無かったのか、早めに切り上げたらしいラルダ様がお戻りになられた。
「お疲れ様でした、ラルダ様。」
「……ああ。」
変わらずお疲れのご様子のラルダ様を出迎えるのとほぼ同時に、使用人の一人が扉の開いたラルダ様のお部屋の前へとやってきた。
「失礼いたします。」
ラルダ様と私が何事かと振り返ると、その者はラルダ様の方を真っ直ぐ向いてはきはきと伝えた。
「魔導騎士団のドルグス・モンド副団長よりご連絡です。『つい先ほど討伐隊先行隊が帰還しました。任務報告があるので至急騎士団本部へお越しください。』とのことです。」
私は思わず「まあ!」と小さく声を上げる。討伐遠征の帰還報告は必ずしも団長が直接受ける必要はない。この時間帯ともならば尚更だ。
ラルダ様にゼン様のお戻りを一刻も早く伝え、理由をつけて今日中に会わせてあげようということか。ドルグス副団長、粋なことをするではないか。
私は「良かったですわね」と言いながら、そっとラルダ様の表情を窺う。
ラルダ様は、今まで我慢してきたものが溢れ出そうになっているのか、今にも泣き出しそうになるのを必死に堪えるような顔をしていた。
「分かった。すぐに向かおう。報告ご苦労。」
そう言ってラルダ様は私が引き止める間もなく、晩餐会の格好のまま向かってしまった。
せめてコルセットをお外しになり、楽なお洋服に着替えてから……と思ったのだが、これはこれで良いだろう。
団服とは違う華やかでお美しいラルダ様のドレス姿を見て、ゼン様も騎士団の方々も驚くに違いない。
私はもう一度、時計を見ながら考える。
時刻は夜の9時9分。
ラルダ様がお戻りになる時刻は何時だろう。