7 ◆ 平凡令息と平民男の7年間(1)
本編開始までの間に起きた、ユンの奮闘と崩壊。そして今、ユンはセレンディーナのどこに惹かれているのか。とある同級生視点からの答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
貧乏……とまではいかないけど、王都から馬車で2時間くらいの距離にある、これといった特徴も長所もないパッとしない子爵家。これが僕の実家。
僕はその子爵家の跡取り。弟が二人の三人兄弟の長男。でも、なんなら弟二人の方が優秀で、お父様は「なんでお前が一番最初に産まれてきてしまったんだ」って本気で嘆いている。お母様が毎回「そんなことを言わないで!」と僕を庇って険悪になるのが日課。
お父様からは嘆かれて、それを見ている弟たちからは馬鹿にされて、ただお母様だけが「あなたはダメな子なんかじゃない」と言い聞かせてくる。
僕はそんな存在だった。
そんな僕は、11歳のときに王都の王立魔法学園中央校に入学した。
別に西部校でもよかったと思う。でも、お父様の見栄と意地によって僕は中央校を受験させられた。
「中央校には一番の有力貴族たちが集まる。絶対に中央校に入って、少しでも多くの人脈を確保してこい。」
それが僕に期待されていることだった。
最初から僕自体には期待されていなかった。それでも僕はなんとか合格点を叩き出し、晴れて中央校の中等部に入学をした。
そのときだけは、お父様は僕を褒めてくれた。
◆◆◆◆◆◆
僕が一番楽しみにしていたのは、授業でもクラスメイトでも学食でもない。寮生活だ。
何故ならあの家を離れられるから。
僕に失望し続けるお父様も、僕を見下し続ける弟たちも、僕に謝り続けるお母様もいない。それだけで呼吸がしやすくなる気がした。
でも残念ながら、僕は一人部屋を確保できる「上級組」じゃない。「下級組」として二人部屋になるしかなかった。
通称「上級組」と「下級組」。正式には「第一種入学金納付者」と「第二種入学金納付者」だったかな。要するに入学時に支払った金額の違いで、寮が一人部屋か二人部屋に決まる。たしか、5倍くらいの差があったと思う。それを中等部と高等部の最初に払う。
公爵家や侯爵家……あとは、僕と同じ子爵家でも資産が潤沢な家の子女たちは「上級組」として一人部屋になれる。
でも僕の家みたいに平凡な子爵家なんかは、到底そんな入学金は払えない。だから「下級組」として二人部屋になるしかない。
まあ、一人じゃないのは残念だけど、二人でもいいや。実家じゃないから。
そう思って楽しみにしながら、そしてほんの少し緊張しながら……僕は入学式の3日前の入寮日当日、割り当てられた寮の部屋へと足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆◆
……僕の部屋に女子がいた。
「あ、初めまして!同室の方ですか?」
長髪の女の子が、僕ににっこりと笑って問いかけてきた。
僕は慌ててドアを閉めた。
間違えた!間違えた!!間違えて女子寮の方に来ちゃった!!
僕は走って外へ出て……門のところにある文字を読んだ。
……「男子寮」って書いてあった。
僕は首を傾げながら部屋に戻った。……幻覚だったのかな?
そう思いながらもう一度部屋のドアを開けたら、やっぱりそこには女子がいた。
子爵家の僕のものよりも安そうな、まるで庶民のようなシンプルなシャツとズボン。シャツは肘上まで捲ってあり、ズボンも七分丈になるように裾を捲ってあった。腰まで届きそうな長い金髪は、雑に一つに括られていた。
完全に見栄えを捨て去り、引っ越しに特化している格好。
……のはずなのに、今まで見た女子の中で断トツに一番可愛かった。
焦げ茶色の瞳の大きな垂れ目、化粧ではない天然の長くくるっとしたまつ毛。綺麗に通った鼻筋に控えめな小鼻。そしてにっこり笑う口元と、その笑顔に合わせてふわっと角度を変えた眉。ほんわかした柔らかい雰囲気を醸し出されて、思わずこちらまでつられてしまいそうになった。
自然で素朴な印象なのに、徹底的に美を追求した着飾ったご令嬢たちを一瞬で全員薙ぎ倒してしまうくらいの破壊力のある愛らしさ。
信じられない生き物が、そこにいた。
その圧倒的な歴代最強に可愛い女子は、僕に向かって元気に挨拶をしてきた。
「あ、おかえりなさい!同室の方ですよね?
俺、ユンっていいます。これからよろしくお願いします!」
…………………………え?「俺」?
「…………ここ、男子寮だよな?男子寮の104号室だよな?」
「ハイ。そうですね。」
「……君、ここで合ってる?」
すると、可愛さ圧倒的歴代最強女子【ユン】は、目をくりっとさせてキョトンとして、コテンと首を傾げ、それから数秒して、声を上げて笑った。
「あ、そういうこと!?あはは!ごめんごめん!
そうそう!めっちゃ間違えられるんだけど──
俺、男だから!」
おっ──?!
「男ーーーーーーっ?!?!」
僕は今までの人生で一番大きな声を出して叫んだ。
そんな僕を見てけらけらと笑うユン。
「いや、さすがに大袈裟でしょ!面白い人だなぁ!」
全然大袈裟じゃない!全然大袈裟じゃないって!!
……僕の同室はまさかの、可愛さ圧倒的歴代最強の──男子だった。
◆◆◆◆◆◆
僕とユンは互いに自己紹介をし合った。
男だと聞いてからも、僕は妙にドキドキしてしまった。緊張でどもる僕に、ユンは「あ、もしかして俺、声小さい?もう少し大きく喋る?」と斜め上の気遣いをしていた。ユンの声が聞き取りづらくてこっちが困ってると勘違いしているようだった。
ユンは珍しい平民の魔力持ちだった。
この学園の、しかも中央校なんて貴族の中でも特に金持ちが集う場所だから、僕がほぼ最底辺だと思っていた。だからこれには驚いた。
僕が「平民が通うなんて、魔力や学力があっても金銭的に無理があるんじゃない?どうやってユンは入ってきたの?」と聞いたら、ユンはいろいろ教えてくれた。
お兄さんがユンのためにお金を貯めてくれたこと。さらにお兄さんは王都で就職して仕送りをしてくれるつもりでいること。それでも足りない分は自分でも稼ぐとお兄さんに伝えてあること。
僕は「そんなこと、できるわけがない。」と言ってしまった。だって、普通に考えて不可能だから。ユンが足りない分は稼ぐと言ったって、学園生活を送っていたら働きに出る時間なんて無いはずだ。
そうしたら、ユンは笑って「単発でギルドの依頼受ければけっこうお金貰えるし。食費くらいは俺でもなんとかできると思う。」と返してきた。
平民の魔力持ちが王都の学園?両親じゃなくてお兄さん?ギルドの依頼?
何から何までさっぱり分からなくて、僕はついユンを質問攻めにしてしまった。疑問の方が大きすぎて、しばらくしたらもうドキドキや緊張なんてどこかへ行ってしまっていた。
ユンが気さくで、意外と話し方や言葉遣いが僕よりも荒っぽくて男前な感じだったからかもしれない。
ユンは僕の質問に笑顔でどんどん答えてくれた。
そして結局、僕は入寮初日にしてユンの背景をいろいろと知ってしまうことになった。
ユンは、約4年前の「ウェルナガルドの悲劇」の生き残りだった。そこからお兄さんと二人きりで生き延びて、魔物狩りなどのギルド依頼受注を生業とする冒険者として生きてきたそうだ。
ユンのお兄さんはそんな中でも「お前は勉強ができるから、金が貯まったら学校に行け。」と言い続けて、放浪生活中でもユンに本を買い与えたり、勉強する時間を確保してくれたりしたらしい。
ユンはお兄さんのことを「兄ちゃんは本当に強くて優しくてかっこいいんだ。俺が世界で一番尊敬してる人。」と言っていた。
ユンの生い立ちは壮絶だったけど、ユンは「兄ちゃんがいたから全然平気だった。」と笑っていた。本心からそう思っているようだった。
……僕たち兄弟とは大違いだった。
ユンの送ってきた人生と、自分のこれまでの人生。どっちがいいかなんて、僕の方がいいに決まってる。僕がもしユンだったら、耐えられなくてとっくに死んでる。
でも、そのとき僕は、兄弟仲のいいユンのことをちょっとだけ羨ましく思った。
◆◆◆◆◆◆
………………「羨ましく思った」。
それは僕の想像力が足りないだけの、浅はかで馬鹿な平和ボケした考えだったということに、入学式までのたった3日間で気付いた。
ユンが毎晩、魘されていたから。
1日目は「何か言ってるな」と思ったけど、一生懸命聞かないようにして布団に潜って寝た。
2日目に「またか……」と思って文句を言おうとユンのところに行ったら、ユンは目に涙を浮かべて、汗をかきながら呻いていた。
怖い……嫌だ、いやだ、父ちゃん、母ちゃん……!サラ姉っ……!みんなが……!
痛い、怖い、死にたくない……!怖いよ、兄ちゃん……嫌だ、助けて、兄ちゃん……、兄ちゃん……!
って。
僕が心配になってユンを揺すって起こしたら、ユンはハッとして目を開いて、それから数秒荒く呼吸をしながらここがどこかを思い出して、そして僕と目を合わせて……申し訳なさそうに笑った。
「あ、ごめん。もしかして俺、なんかうるさかった?」
……って。
僕が「だいぶ呻いてたから大丈夫かなって思って。」って言ったら、ユンは「えぇー……うっそぉー?俺、そんなに魘されてた?全然気付いてなかった。」って苦笑いしながら起きた。
………………自覚、無かったんだ。
それからユンは「ごめん、俺うるさかったら言って。気をつけるから。」と僕に言ってきた。
……気をつけるなんてできるわけないじゃん。
でも僕は、とりあえずそのまま頷いた。「わかった。あまりにも酷かったら文句言うわ。」って。
勉強も剣も魔法も家柄も性格も容姿も、何もかもパッとしない僕には、ろくに友達もいない。弟たちとも仲良くない。だからこれが正解なのかは分からない。
ただそのときは、なんとなく「友達として」そう言うべきだと思った。まだ会って2日だけど。
ユンが魘されてるのは、十中八九、悲劇のあの日のせいだ。魔物に襲われて、両親を亡くして、故郷を失った日。
そんな恐ろしい記憶に対して、出会って2日の僕がユンに何か話してすんなり解決……なんてできるわけがない。
かと言って、同情して一緒に悲しがっても、心配して寄り添おうとしても、きっとそれはユンを追い詰めるだけだ。
じゃあ放置すればいいのか?
………………。
こんなにも魘されてるのに、ユン本人に魘されてる自覚すらないなら…………ユンはそのうち、狂っちゃうのかもしれない。
だから僕は決めた。
──ある程度うるさいのは僕が我慢すればいい。でも、あまりにも酷いようなら、ユンのために教えてあげよう。
って。
ユンはそんな僕を見て、救われたようなほっとした顔をして、少し掠れた声で僕に礼を言ってきた。
「ありがとう。助かる。」
……って。
そして3日目、僕は割と図太く眠れる自分の性格に感謝しながら、魘されるユンの声をバックに普通に寝た。
◆◆◆◆◆◆
入学式当日。
真新しい制服に着られて、お互いに「似合わないなー」なんて笑いながら、ユンと僕は一緒に寮を出た。
僕たちの姿を見た周りがざわつく。
ユンは相変わらず雑に髪を一つに括っているだけだった。何も凝ったことはしていない。
でも、側から見たら素材の良さをそのまま生かした可愛さ圧倒的歴代最強女子が、何故か男用の制服を着て、パッとしない子爵家の僕と並んで笑って話しながら歩いてるようにしか見えないだろう。
肝心のユンは「うわー!同年代の人たちがたくさんいるところって緊張するなぁ。入試本番以来かも!」と呑気にキョロキョロ周りを見回して物珍しそうにしていた。
自分が注目を集めてるなんて、思ってないんだろうな。
僕はこの3日間だけの付き合いでも、ユンのことは少し分かるようになっていた。
ユンが髪の毛を伸ばしているのは「こまめに切るのが面倒だったってのが一番の理由だけど、どうせならどこまで伸ばせるかやってみようって思い立ったんだよね。」っていう、ズボラさと好奇心から。
ユンが自分がどう見られているのか理解できていないのは、恐らく同年代の人と関わる機会がここ4年くらい無かったから。
ユンは見た目が超絶美少女の、中身はとんだ野生児だ。
その法則が分かっているだけでも大きかった。
「俺たち同じクラスになれるかなぁ?」
ユンが超絶美少女のような破壊力抜群の微笑みを僕に惜しみなく向けてくる。
僕はこの3日間で理解した法則のお陰で、微塵もドキッとすることなく、あっさり返すことができた。
「そうだな。どうせなら一緒がいいよな。」
クラス表が張り出されているところに行って、自分たちのクラスを確認する。
平民で姓の無いユンは、一人だけ名前の文字列が異様に短くて探すのが簡単だった。ユンの名前を真っ先に見つけて、その前後を見ていくと、僕もあっさり見つかった。
ユンが隣で「あ!クラス一緒だ!やったぁ!」って喜んでいたから、僕は嬉しかった。
僕と一緒で喜んでくれる人なんて、今までいたことなかったから。
◆◆◆◆◆◆
「オイ!平民!お前のせいで教室の空気が腐るだろ!どっか行けよ!」
入学式を終えて、各教室で初めてのホームルームが行われた。
今はそのホームルームが終わった昼時間。初の自由時間に入って早々、ユンは思いっきり貴族子息の三人組に囲まれて絡まれていた。
特に真ん中でユンに酷いことを言っているリーダーっぽい奴は、たしかけっこうな金持ちの伯爵家の長男だった気がする。パーティーで何回か見かけたことがある。
それなりに顔も整っているのに……こんな言動をする奴だったのか。勿体無いな。台無しじゃないか。
「しかも男のくせに女みてえ!気持ち悪いな!なんだよその髪!」
ユンはいきなり絡まれて、怯えるというよりも驚いたようにキョトンと目を丸くしていた。
その表情もまた客観的に見たら超絶可愛い。……まあ、中身は野生児だけどな。
そんなユンを見て、ユンに絡んでいたその伯爵家の奴は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「っ!なんとか言えよ!この平民!!」
………………。
僕は察した。
彼は純粋な怒りで顔を赤くしたんじゃない。
……多分、ユンに一目惚れしたのにそれが男で、性癖を一瞬で狂わされてしまったんだ。そのやり場のない感情が、彼の顔を赤くしているんだ。
……可哀想に。
可哀想な彼の名前は伏せて……今後は「X」としよう。その可哀想なXに向かって、ユンは困ったような顔をしながらも謝った。
「えっと……ごめんなさい。」
平民なのも、女顔なのも仕方ない。存在を否定されたらどうしようもない。
僕も家で生まれた順番に文句を言われ続けてきたからちょっと分かる。自分ではどうしようもないことに文句を言われても、何も言えないよな。
僕は地味で、子爵家だ。助けに入ったところで自分も巻き込まれて虐められるだけだって分かっていたけど、それでも勇気をだしてユンを助けようと立ち上がった。
「ユン。昼ご飯、食べに行かない?」
突然の僕の声に、ユンも、Xもその連れも、周りで怯えながら見ていた他のクラスメイトも、みんな一斉にこちらを振り向いた。
僕がこんなに注目を浴びるなんて。
怖かったけど、僕はユンのために頑張った。
「購買とか学食とか、見に行ってみようよ。」
それを聞いたユンは、今までで一番嬉しそうに、超絶可愛い笑みを浮かべて頷いた。
「うん!行く行く!」
Xはショックとときめきと絶望と羨望と……なんかいろいろさらに狂わされたような顔をしていた。
……可哀想に。あらかじめユンの中身が野生児だって予習しておけば、こんなことにはならなかっただろうに。
今のも、ぱあっと花が咲くような笑顔だったけど、この3日間で僕は予習済みだ。
ユンは普通にガッツリ肉系が好きな、純然たる健康男児だ。多分ユンは今、けっこうお腹が減ってるんだと思う。
僕の方にぴょんぴょん跳ねるようにしてきたユンに、周りのクラスメイトたちはほっこりとしたようで頬を緩ませていた。
たしかに、飼い主に駆け寄る子犬みたいだったもんな。今のユン。
「どこ行く?俺、今日は学食行ってみたい!」
「「「「俺?!?!」」」」
クラスメイトたちが声を揃えて驚く。ユンはそれにビクッとして「えっ?!ごっ、ごめんなさい!」と反射的に謝った。
「……ユン、行こう。」
僕はこれ以上教室にいても注目を浴び続けるだけだと思ったから歩き出した。
ユンは戸惑ったようにこそこそと僕についてきて、教室から離れたあたりで僕にこっそり聞いてきた。
「ねえ、貴族の人たちって、自分のこと『俺』って言わないの?失礼になるの?俺も『僕』に直した方がいいのかな?」
不安がるユンに僕は思わず笑ってしまった。
ユン、そういうことじゃない。
「大丈夫だよ。貴族でも『俺』って言う人けっこういるよ。いいんじゃない?ユンはそのままで。」
ユンはほっとしたように「あ、そう?ならいいや。」と笑った。
それから僕たちは学食に行って、王都の学園ならではの豪華なメニューに驚きながら、楽しく一緒に昼ご飯を食べた。
「こんなに豪華な美味い料理がこんなに安く食べられるなんて、本当にやばいね!入学してよかったー!」
にこにこしながら料理を堪能するユン。
僕はユンに対して、また一つ情報を更新した。
ユンはお腹が減っていれば、肉もご飯も大盛りにして、サイドメニューもついでに付ける。
◆◆◆◆◆◆
野生児ユンは、貴族だらけの学園の中でも逞しく過ごしていた。僕なんかよりもずっと早く、クラスメイトたちとあっという間に仲良くなっていった。
僕は別にユンと終始ベッタリつるんでいたい訳でもなかったから、ユンと一緒に行動するときもあれば、ユンが他の人たちと楽しそうにしているのを横目に一人で過ごすこともあった。
それで充分だった。というか、そのくらいが一番居心地が良かった。
Xは相変わらずユンに絡んでいたけど、ユンは一週間もしたらすっかり慣れたらしく、誰が見ても分かるくらいの適当さで「あっ、ハイ。」「そうですね。」「すみませんでした。」をランダムに発してあしらっていた。
ユンは見た目だけなら庇護欲をそそる素朴な超絶美少女だけど、中身は割と図太かった。
さすがに長引いて厄介になりそうなときは、僕はなるべくユンに助け舟を出すようにした。入学式の日にやったみたいに。
僕も最初は怖がっていたけど、ユンと同じですっかり慣れてしまって、なんなら毎回ユンが僕にばっかり笑顔を向けてくるからXの方に同情してしまうまであった。
ただ一度だけ、クラスがピリついた事件があった。
入学してから2ヶ月くらい経ったある日、ユンにどんどん構ってもらえなくなっていったXが、ついに授業前にユンの教科書を隠してしまった。
ユンは最初、机の中やロッカーの中を必死に漁りながら「あれ?どこいっちゃったんだろう?寮に置いてきちゃったかな?」と焦っていたけど、そんなユンを見てニヤニヤしているXに気付いた瞬間、一気に目を据わらせて教室中に聞こえるくらいの大きさで「チッ!」と舌打ちをした。
いつも笑顔のユンの初めてみる一面にクラス中がしんと静まり返った。
ユンはそんな周りの変化をまったく気にせず、無表情のままXの方に真っ直ぐ歩いていって、いつもよりも低い声で言った。
「俺の教科書、返して。」
Xは完全に動揺しながらも、いつもみたいに優位に立とうと言い返そうとした。
「は?何のことだかさっぱり。お前、勘違いで伯爵家の俺に言い掛かりつけて、後でどうなっても──」
するといきなりユンが「ガタンッ!!」と派手な音を鳴らしながらXが座っている席の机を蹴った。
クラスのご令嬢の何人かが怯えて「キャアッ!」と声を上げる。
ユンはそれにもお構いなしに、Xにもう一度、さっきとまったく同じテンションで淡々と言った。
「兄ちゃんが買ってくれた大事な教科書、早く返して。」
………………。
Xはビビってしまったのか「な、なんだよ。暴力はいけないんだぞ。」と絞り出すようにして言っていたが、ユンはそんなXを無言で見下ろしていた。
……右手を不自然に動かしながら。
いきなり見たこともない庶民的なキレ方をしだした上に、片手で不審な動きをするユン。
周りのクラスメイトたちはこの状況にすっかり怯えてしまっていたけど、寮で同部屋の僕はユンが何をしているかすぐに分かった。
ユンは今、右手で双剣を回している。実際は持ってないけど。
入寮初日に僕は荷物の中にある双剣に気付いて「それ、狩りのときに使う剣なの?」って聞いて見せてもらった。そのときユンは、僕に見せつけるでもなく、両手でくるくるっと回しながら器用に扱っていた。完全に手癖のようだった。
……多分、今もその手癖。キレてて双剣を振り回したい気分なんだろうな。ユン。
「………………『返せ』って言ってるんだけど。」
完全にキレたユンに見下ろされて言葉を失って固まってしまったX。
静まり返った教室。授業開始のチャイムまではあと少し。そろそろ先生が来てもおかしくない。
僕は嫌がらせをされているユンを可哀想だとは思ったけど、何よりこのままだとユンがXの胸ぐらを掴んで頭突きでもしそうな気がしたから、どちらかというとユンの暴行を止めるために教科書を探すことにした。
さっきXにまだ余裕があったときにXがチラチラと目線をやっていた先。
僕は教室の前の教壇の方に歩いて行って、教壇の内側を覗いてみた。
……あった。
なるほど。一度授業が始まってしまったら、たしかにここには取りにいけなくなる。「灯台下暗し」ならぬ「先生下暗し」ってやつ。全然上手くないけど。
僕がユンに「ユン。あったよ、ユンの教科書。」と言って教壇のところから教科書を掲げて見せると、ユンはパッと表情を切り替えて、へにゃっと眉を下げて僕に笑いながらお礼を言ってきた。
「あ、本当?!よかったー!ありがとう見つけてくれて!」
そんなユンにクラスのみんなはホッとする……というより、ユンの切り替えが早すぎることにゾッとしていた。
僕はすでに夜魘されているユンと日中の笑顔のユンの温度差に最初の一ヶ月で何回も驚かされていたから、今更このくらいの切り替えではゾッとしなかった。
ちょうどその直後、チャイムが鳴って先生がドアを開けて入ってきた。
クラス中が慌てて自分の席につく。
僕は普段と変わらずにこにこしながら教科書とノートを広げ、ペンをクルッと右手で回すユンを横目に、いつも通りに授業を受けた。
◆◆◆◆◆◆
ユンとXの最終章は、1学年の終わりに訪れた。
ユンが突然髪の毛をバッサリ切ったからだ。
正確には、襟足だけ長く伸ばしたまま一つに括って、あとの他の部分をさっぱり短髪にしてしまった。
それまで見た目だけは純度100%の可愛さ圧倒的歴代最強女子だったユンが、髪型の変化で「男子」っぽくなってしまった。
……それでもまだ客観的に見たら充分可愛かったけど。
朝から教室中がざわつく。
でもその中で一番ざわついていたのは、やっぱりXだった。
「は?!おっ、おお、お前……!!その髪型っ!
一体どうしたんだよ!!」
Xが驚愕と絶望の叫びをあげる。ユンはそんなXに「おはよー。」とだけ言ってスルーしていた。もはやユンとXの関係はそんな感じだった。
そんなユンに、Xはショックを受けながら恐る恐る問いかけた。
「……ま、まさか……俺がお前の髪型を馬鹿にしたせい……なのか?」
するとユンは「うん。そう。」と即答した。
Xはその返答に完全に打ちのめされてよろけていた。
…………でも同室の僕は知っていた。ユンが今、超適当に嘘をついたことを。
ユンは休日の昨日のうちに髪の毛を切っていた。僕はその姿をすでに見ていたし、切った本当の理由も聞いていた。
一昨日昨日と、ユンは週末泊まりがけで出掛けていた。「兄ちゃんと久しぶりに遊んでくる!」と嬉しそうに双剣を持って出て行ったユン。
でも、昨日の夜帰ってきたユンは髪型をさっぱり変えていて、なんだかとってもくたびれていた。
「え?ユンおかえり。どうしたのその髪型。っていうか、なんか疲れてない?」
僕が素直にそう聞くと、ユンはべちょーっと溶けたように「うん。ちょっと……いろいろあってね。疲れたぁ〜。」と言いながら苦笑いした。
僕が「なんかよく分かんないけど、お茶でも淹れよっか?昨日買ってきたお菓子一緒に食べる?」と聞いたら、ユンは「食べるぅ〜ありがと〜!」と言いながら椅子に座ってきた。
それで僕はユンから事情を聞くことができた。
どうやらユンは、週末はちゃんと予定通り楽しくお兄さんと魔物狩りをして息抜き自体はできたらしい。
ただその後……ギルドで納品してご飯を食べた後、お兄さんが武器装備屋の方を見に行こうと先に席を立った。それでちょうどお兄さんがユンから離れたタイミングで、新たにギルドにやってきた男の集団にいきなり目をつけられて絡まれた……というか、少女と勘違いされて襲われそうになったらしい。
本当にいきなり、その男たちはギルドに入ってくるや否や、食堂コーナーに一人でポツンと座っているユンと目があって、速攻で向かってきたらしい。
「それでさぁ……いや、なんていうか、まあ……多分普通に俺一人でも逃げられたとは思うんだけど。
俺が逃げるよりも前に兄ちゃんがそれに気付いてブチ切れてこっちに来ちゃってさ……。」
ユンが困ったように言うから、僕は素直な感想を言った。
「へえ。弟思いの、頼りになるいいお兄さんじゃん。」
するとユンは「うん。それはそうなんだけど……」と言い淀んでから続けた。
「兄ちゃんがいきなりそいつらの顔面殴って全員の前歯折って、それから全員床に投げつけて、そのうちの一人……俺に最初に手を出そうとした奴の手を掴んで爪を剥ぎ始めようとしたんだよね。」
「怖っ!」
ユンが庶民で、僕たち貴族よりもだいぶ荒っぽい部分があることは知っていた。Xにキレたときもそうだったから。
でも、ユンのお兄さんは格が違った。
「俺、兄ちゃんがそのままそいつらを拷問した挙句に殺しちゃうんじゃないかと思って焦ってさ、急いで『テメェら全員殺す!!殺す!!!』ってキレて叫ぶ兄ちゃん抱えて逃げ出したんだよね。」
「……うん。懸命な判断だね。」
「それで、もうさすがに女子に間違われるのはマズイなって思って、髪切った。」
「…………なるほどね。」
僕は複雑な気分になった。
ユンのお兄さん、怖すぎる。たった一人の血が繋がった弟が下卑た輩に襲われそうになってたらそりゃ激昂するのは当たり前かもしれないけど……それでもそんな暴力的な人は僕の身の回りにはいない。絶対に近付きたくない。
でもやっぱり……弟思いなのはすごくいいことだと思う。
僕は自分の弟たちを守るために、そんな集団の男たちにそこまで果敢に立ち向かっていけないと思う。
「ユンは本当に大切にされてるんだね。お兄さんに。」
するとユンは、くたびれて困ったようにしながらも、嬉しそうに……幸せそうに笑った。
「うん。兄ちゃんはいつも俺を一番に守ってくれるんだ。
……さすがに今回はやりすぎだったけど。」
ちなみに、襟足だけ長く残した理由は「ずっと髪の毛長かったから、背中になんかないと落ち着かなくて。自分の動きが鈍るような気がしちゃうんだよね。」とのことだった。
僕が「尻尾?」って聞いたらユンは「あ、そうかも!尻尾みたいな感じ!」と言って笑っていた。
これが真相だ。
でもXはユンの適当な嘘を信じてショックを受けていたようだった。
そしてなんと、1学年の最後、終業式の日にXはユンに衝撃的な別れを告げた。
「なあ、ユン。俺、来年度から東部校に編入することにしたんだ。」
「え?そうなの?」
珍しくユンがXの言葉に普通に反応を示した。Xはそんなユンを見て自嘲するように笑って、ユンに初めて謝った。
「……ユン。今まで意地悪ばっかしてごめんな。
俺、ちゃんと自分の気持ちに向き合って、自分を見つめ直してくるよ。」
「え?気持ち?見つめ直す?……何?」
ユンが素で「意味がわからない」と言ったように首を傾げる。でも僕をはじめとしたクラスメイトたちは、みんなXが何を言っているか分かった。
これはユンに性癖を捻じ曲げられたXによる、遠回しの「俺はお前のことが好きだったよ」発言だった。
「俺さ、東部校で自分磨き頑張るよ。
もう……好きな奴をいじめたりしない。自分の気持ちに嘘はつかない。自分にちゃんと正直になって、堂々とできるように力もつける。」
……思いっきり「好きな奴」って言っちゃってるじゃん。
クラス全員が察する中、ユンだけが「いきなり俺に何の宣言してんの?」って他人事のような顔をしていた。
Xはそんなユンに、捻れた恋心と決別するかのようにぐっと力を込めて言った。
「ユン。俺がちゃんと、強くて優しい人間になれたらさ、今までのことを許して……俺と……『友達』になってくれるか?」
……恋を友情に昇華しようとしてるんだな。
なんとなく僕を含めたクラス全員がXのことを応援しだしていた。
まあ、入学式当日の暴言も酷かったし、教科書隠したのはやりすぎだったし。被害に遭ってたユン本人からしたらたまったもんじゃなかったと思うけど。
なんやかんや、嫌がらせのレパートリーが本当に好きな子をいじめる初等部男子って感じで、陰湿ってわけではなかったんだよな。いや、擁護は全然できないけど。
ユンはいまいち話の本筋が掴めないといったようにもう一度首を傾げた。
「うーん。……なんかよくわかんないけど、要は今日で最後だから俺に謝ってくれてるってことだよね?
それで、俺と友達になろうって言ってるってこと?」
ユンはXの分かりづらい告白も、「好きな奴」発言も、渾身の決別も、全部カットしていた。
……いじめられていた本人からしたら本気で意味がよく分からないんだろうな。
ユンはど田舎で育って、それから学園に入るまでの4年間はずっとお兄さんと二人で放浪生活をしていた訳だし。今まで「好きな子をいじめる」タイプの人間に遭遇したことがなかったのかもしれない。
「………………。」
Xが黙ったまま頷く。それを見たユンは、大きな垂れ目をくりっとさせたまま、平然と言った。
「謝られたところで許すわけないじゃん。俺、一年間ずっと嫌な思いしたもん。」
Xが息を呑み、それから泣きそうな顔をした。
見守っていたクラスメイトたちの空気も一瞬で一気に重くなった。
でもユンは、そんな空気はお構いなしに、お得意の切り替えの早さでにこっと笑った。
「だけどまあ、これから仲良くする分にはいいよ。もう嫌がらせしないんでしょ?なら問題ないし。」
それからユンは「あ、」と言って軽く口を尖らせた。
「でも、もう転校しちゃうんだっけ?
せっかくこれからは普通に話せるようになったのに……ちょっと残念だなぁ。」
Xは転校の判断を誤ったと思ったらしく、ショックを受けた顔をした。
そして最後にユンは、これもまたお得意の友達に向ける屈託のない明るい笑顔でこう言った。
「っていうか『自分磨き』なんて言わなくてもさ、もともと格好いいし、頭もいいし、俺以外の奴には最初から優しかったじゃん。
だからそんなに張り切らなくても、東部校でもすぐ友達たくさんできるよ。あっちでも頑張ってね!」
髪の毛を襟足だけを残してバッサリ切ったユン。
だけどその笑顔は、男子だろうと女子だろうと関係なく、やっぱり「圧倒的歴代最強の可愛さ」だった。
初めてユンに真っ直ぐ笑顔を向けられて、さらにおまけに「格好いい、頭いい、優しい」の超絶思わせぶりな褒め言葉三連発まで喰らったXは、最後の最後でもう一度強烈に……いろいろと歪んでしまったらしく、男泣きをしながら「ユ゛ン゛ーッ!!」と嘆いていた。
ユンは「えっ?今日なんかおかしくない?本当にどうしちゃったの?」と若干引いていた。
ユンは無自覚なままに、Xのことを最後の最後まで狂わせた。
……僕は初めて、ユンを残酷な奴だと思った。
こうして中等部最初の1年間は幕を閉じた。




