6 ◇ 完璧な妹の正しい過ち(6)
ラルダの生き方が、身内の目にはどう映っていたのか。王家の人物視点の答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
ラルダが彼と交際を始めてから約5年半。
そして、二人が結婚してから約半年。
遅すぎる両家顔合わせの食事会が、今日、王城の一室で、ようやく実現する。
食堂ですらない一室。応接室の中でも、どちらかというと小規模な部屋。
庶民であり王城の空間を苦手とするゼン殿に最大限の配慮をしたいという、ラルダたっての強い希望だった。
日中の仕事をいつも以上に早く終えた私は、一番乗りだろうと思いながら食事会の部屋に向かった。
しかしそこには既に、ラルダが一人座って待機していた。
「随分と早いのだな。」
私が笑いながら隣の席に着くと、妹は「兄上こそ。」と笑い返してきた。そして、
「どうにも落ち着かなくてな。今日は仕事にも身が入らないだろうと、昨日のうちに用件を一つ、来週に変更おいたんだが……そうしたら時間が余り過ぎてしまったんだ。」
と、妹らしからぬことを言った。
それからラルダは少しばかり弾んだ声で、半分独り言のような内容を兄である私に話かけてきた。
「ああ……ゼンは大丈夫だろうか。
彼は左利きだからな。テーブルマナーを知らぬ上に左利きとなると、きっと戸惑ってしまうに違いない。私が上手くフォローしなければ。」
ラルダはどうやら、脳内で今日の最終確認をしているらしい。
「服装はさすがに、学園で作法を学んできたユンが事前にゼンと買い物に行くと言っていたから問題はないと思うが。
……ふふっ、ゼンは婚礼式典の日すらも騎士団服だったからな。今日の服装を見るのが楽しみで仕方がないな。」
……感慨深いな。妹がここまで人間らしくなるなんて。
9歳にして、外国へ嫁ぐことを見越して語学に力を入れていたあの頃の妹を思い出す。
12歳にして、私情を殺して国のために命を懸けることを誓ったあの日の妹を思い出す。
そして24歳になった妹は今、テーブルマナーの基礎と場に合わせた最低限の服装という、なんともくだらないことを真剣に心配しつつも胸を踊らせている。
妹が彼と出会って付き合い始めたあの頃のような、周囲の人間が嘆く声はもう聞こえない。
才色兼備でありながら、さらに親しみが湧く可愛らしさまで兼ね備えた妹に、今は王宮の中枢部も皆すっかり絆され心酔してしまったからだ。
24歳になったラルダは、今までで一番完璧だ。
常に正しかった妹は、王族としての完璧をほんの少しだけ欠いた代償に、人として完璧になった。
すべての能力が頭抜けた人間離れした存在である一方で、感情豊かで愛嬌のある等身大の人間らしい存在にもなった。
もはや私は、妹に一生敵わない。王族としても、人としても。
──それでも私は、この完璧な妹の上に立つ。
こんな厳しい環境に耐えられる精神の持ち主は、王国全土を探しても、きっと私しかいないだろう。
私は隣でそわそわとするラルダに話した。
「私も今日がとても待ち遠しかった。ゼン殿は顔を合わせたときに挨拶をしただけで、まだまともに話したことがないからな。
それに、実はずっと男兄弟というものにも憧れていた。義理とはいえ、弟ができるというのは感慨深い。……仲良くできるだろうか。」
するとラルダは、とても嬉しそうにここぞとばかりに惚気てきた。
「もちろんだ。ゼンは人見知りこそするが、一度慣れれば優しく頼もしく、愉快な男だ。話していて飽きないぞ。
しかし……今回だけでは、その魅力が兄上には上手く伝わらないかもしれない。きっと慣れない場に緊張もするだろう。ゼンは心を開けないかもしれないな。
……歯痒いことだ。もっと砕けた形式の場を用意できれば良かったのだが。」
「父上と母上と私とラルダ、そしてフィリア。完全に身内だけの食事の場というのは、我々王家が用意できる一番簡素なものだろう。ラルダは充分よくやったと思うぞ。彼も感謝をしているのではないか?」
ラルダは「そうだろうか。」と言いながら笑った。
「彼の弟君に会うのも楽しみだ。私はユン殿を一度見たことがあるからな。」
「ん?それはいつの話だ?」
「パラバーナ公爵家のパーティーでのことだ。印象深い出来事だった。」
私の発言に、ラルダが首を傾げる。
「ユンはパーティーの場にはいなかっただろう?」
そんなラルダに、私は笑って答えた。
「『今年は』な。私は去年も招待されて、ひと足先にお披露目してもらっていた。」
「はっはっは!そういうことか。」
そして笑い合って一息つく。
それからラルダは、しばらくして、前を向いたまま静かに口を開いた。
「…………兄上。」
「なんだ?」
「今まで、本当にすまなかった。私は貴方を傷付け続けていただろう?」
「どうしてそう思うんだ?」
私の問いに、ラルダは少しの間黙り込んだ後に、静かに語った。
「私は24年間、兄上にとって最も残酷なことをし続けた。
不自由な貴方の隣で、常に自由に振る舞い続けた。
兄上が義務付けられていた勉学や剣術を……私は兄上に憧れて、ただ一緒にやりたくて真似をした。
私は己の満足のためだけに、生まれた瞬間から将来を定められた兄上を横目に、魔導騎士団へと飛び込んだ。
そして兄上が選ぶことすらできなかった伴侶を……私は……ただ『好き』だというだけで庶民にしてしまった。
最低だろう?私は、敬愛する兄のことを、誰よりも近くにいて、誰よりも深く傷つけ続けてきたのだ。
そのことに、結婚して、望んだものを手に入れて、この上ない幸福を感じて……私は今さら気付いたのだ。
私には分からない。
何故、兄上は私を恨まない?私を遠ざけない?
私がもし兄上だったら……きっと、絶対に耐えられない。私は……私を殺してしまいたいほどに憎むだろう。
それでも兄上は、私を許してくれている。
本心でも、嘘でも偽りでも構わない。兄上が、今もこうして隣で笑ってくれているだけで、私は己の愚かさを噛み締めながらも、厚かましくも救われているのだ。」
「……そうか。」
何をやらせても常人の及ばぬ域に達する、完全無欠の完璧超人である妹ラルダ。
そのラルダの剣すらも届かない王国一の天賦の才を持って生まれ、その才と強き心で王国一の悲劇から弟を守り生き抜いて、王国一の最強魔導騎士となったゼン殿。
兄とともに過酷な日々を駆け抜けて、何一つ恵まれぬ場から、己の力一つだけで王国が誇る知と武の二つの最高峰の場まで至ったユン殿。
私は妹と彼らに比べたら、ただ一人、圧倒的に、凡才だ。
だがしかし、これからの数時間、私は心からの笑みを彼らに向けることができるだろう。
私は妹の正しい謝罪に対し、嘘偽りない本心を口にした。
「ならば良いではないか。
私とラルダの性別が逆でなくて、私とラルダの生まれた順番が逆でなくて良かった。そうだろう?
私は大したことのない凡才でありながら、王になる覚悟を持っている。自ら選ぶ権利なくあてがわれた妻であるフィリアを、心の底から愛している。
……クゼーレ王国の象徴と呼ばれるたった一人の妹を、誰よりも誇らしく思っている。
私は不自由でありながら、その中に幸福と使命を見出して、背負って生きてゆけるのだ。
ラルダすらも耐えられぬ不自由さを受け入れることができるこの性格こそが、私のたった一つ、ラルダにも勝る才なのだ。
私が兄として得たものは、妹の才と自由を守るための『王の器』だ。」
ラルダは前を向いたまま、うっすらと目に涙を浮かべた。
「……兄上。
物心がついたときから、私は兄上の背中を追いかけてばかりだった。兄上は私の道標であり目標だった。
私は兄上には一生敵わない。
幼きあの日々も、今も……兄上はずっと優しく寛大な世界一の兄で、私はずっと我儘で甘えてばかりのどうしようもない妹だ。」
私は思わず笑ってしまった。
「我儘で甘えてばかりのどうしようもない妹など……そんなもの、妹としては『正しい』姿だろう?
ラルダは私にとって、世界一可愛い妹だ。」
心の中では長々と御託を並べてきたが、私にとってラルダは結局、どんな能力を持っていようと、どんな性格であろうと、ただ一人の大切な妹。それだけなのだ。
「さて。今から涙を流していては、ゼン殿らが来るまでには化粧は直せないだろう。零す前に、引かせることだ。」
ラルダはそっと目にハンカチを押し当てて、一粒分の涙を布に吸わせた。それから一呼吸置いて、上手く気持ちを切り替えた。
ほどなくして、私の妻フィリア、続けて父上と母上がこの場へとやって来た。
「あら。お二人でお話をされていたんですか?
先ほどリレイグ様にお声を掛けようと思ってお部屋を覗いたら、もういらっしゃらなくて。随分と早くこちらに来られていたんですね。」
フィリアが私の側に来て、そう言いながら笑いかけてきた。
父上と母上は、特に何も言わずに席に着く。もともと家族で集う場では寡黙気味な二人ではあるが、今日は特に相当緊張しているようだ。
「ああ。楽しみで仕方がなくてな。つい早く来てしまった。」
私がフィリアにそう返事をしたちょうどそのとき、使用人がゼン殿とユン殿の王城への到着を告げに、ひと足先に現れた。
隣でラルダが身構える気配がした。
「皆が一気に揃ったか。実に楽しみだな、フィリア。」
散々彼を否定し続けてきた頑固な父上と母上。その彼との結婚を無理矢理押し通した我儘娘ラルダ。
その三人とは違いほぼ傍観者であった兄の私は、今も至って気楽なものだ。
私が何も身構えずにフィリアにそう言うと、フィリアは少しばかり呆れたように笑った。
◇◇◇◇◇◇
しばらくして、別の使用人が二人の兄弟を連れて現れた。
軽く眉間に皺を寄せたままの固い表情のゼン殿と、穏やかな笑みを携えている弟のユン殿。
二人の姿はそれぞれ別の場で見たことはあるが、なかなか……並んでいる姿を見ると……似ていない兄弟だな。
私はそんな呑気な感想を抱きつつ、軽くラルダの顔を見た。
ラルダはすぐに立ち上がり、とても嬉しそうに目を輝かせてゼン殿を見ながら「よく来てくれた。さあ、遠慮はいらない。二人とも座ってくれ。」と言いながら向かいの椅子を手で示していた。
ゼン殿は軽く私たちに礼をしながら、言われるがままにラルダの向かいの椅子に静かに腰掛けた。
ユン殿は「お招きいただきありがとうございます。」と笑顔で続けて礼をして──それから、ゼン殿に熱い視線を向けるラルダをチラリと見て、眉を下げて笑いながら腰掛けた。
苦笑……に近いかもしれないが、決して悪い意味ではないだろう。
きっと、普段とは違う服装の珍しい兄を見て密かに喜ぶラルダの姿に、兄が愛されていることを感じて、弟として安心しつつも若干呆れているに違いない。
何はともあれ、ようやく全員揃ったな。
こうして、私にとっても人生で初めての、我ら王族とウェルナガルドの庶民兄弟、家族水入らずの食事会が始まった。
◇◇◇◇◇◇
最初に運ばれてきたのは、マッシュルームとポテトのスープだった。
これは実はラルダが一番好きな料理。王妃である母上が唯一作る得意料理でもある。ラルダは毎回、年に数度の一家水入らずの晩餐会のときには必ずこれを希望してくる。今回も抜け目なく、ラルダは母上に頼んでいたようだ。
……そうして、少しでもゼン殿に自分と家族のことを知ってもらいたいのだろう。何とも健気なことだ。
いつもよりも緊張しながらスープを飲むラルダと母上を横目に、私は向かいに座っているゼン殿の様子をさり気なく窺った。
ゼン殿は目の前に置かれたスープを静かに見ていたが、隣で動いてスプーンを取りスープを飲み始めた弟のユン殿の様子を軽く見て、それから同じようにしてスープをごく自然に口にし始めた。
──ユン殿と同じように、右手にスプーンを持ちながら。
ユン殿は自分に続けて動き出した兄のことを、顔を向けずに目線だけで確認し、その後すぐに目線を外していた。
兄が利き手を使っていないことに気付きながら流しているのか、それとも、そのこと自体に気付いていないのか。私からは分からなかったが、ユン殿は少なくとも「問題ない」と判断したようだった。
実際、ゼン殿の動きに不自然なところはない。
そもそも、食事の場に限らず、世の中の多くの環境や道具は右利きに合わせて作られている。そのため、右利きに合わせて右手を使える左利きは多い。
さらに、ゼン殿は二丁拳銃のスタイルで闘う狙撃手だとラルダから聞いている。
普段から両手を駆使しているならば、問題なく右手でカトラリー程度は扱えるのかもしれない。
私はそう思っていたが、ラルダは違ったようだった。
もちろん顔にも声にも出していないが、ラルダが微かに戸惑い、動きが止まる気配がした。
……なるほど。
普段は──少なくともラルダの前では、ゼン殿は左手でカトラリーを持って食事をしているのか。
そしてラルダは、ゼン殿がこの場でいつも以上に気を遣っていることを心苦しく思って、一人で焦ってしまっているのか。
先ほどラルダと話していなければ、兄である私でも気付けなかっただろう。現に私以外の誰も、ラルダの動揺には気が付いていないようだった。
……我が妹ながら、何とも健気なことだ。
私個人としては、本人がそこまで困っていないのであれば、ラルダほどの気遣いは不要に思う。
弟のユン殿くらいで問題ないように思うが……まあ、ラルダにとっては、そういうことではないのだろうな。
今回のこの食事会。ラルダは並々ならぬ思いで臨んでいる。
庶民であるゼン殿に、少しでも自然に楽しんでもらいたい。自分の家族を知ってもらいたい。
そして我々には、少しでもゼン殿の魅力を伝えたい。彼が素晴らしい人物だと理解してもらいたい。
ラルダは常々そう願っていた。
そしてようやく整った貴重な場。だからこそ、ラルダは意地でも今日のこの食事会を成功させたいのだ。こんな些細なことに動揺を見せているのも、その強い思い故だろう。
妹の心情は察したが、私からできることは特に無い。
何とか平静を保ってスープの説明をするラルダに軽く相槌を打つ程度の手助けはしたが、あとは皆、静かなものだった。
不慣れな場に呼ばれたゼン殿とユン殿はもちろん、父上もフィリアも、スープを作った張本人であるはずの母上も、緊張からか一言も発することはなかった。
そうして、そのままスープの時間は過ぎていった。
◇◇◇◇◇◇
次に運ばれてきた前菜の皿を見つめながら、ラルダは「今度こそは上手くやらねば」と気合いを入れたようだった。
先ほどよりもゼン殿に視線をしっかり向けて、自分の方を見てもらえるように静かに念を送っていた。
そしてゼン殿と目が合った瞬間。ラルダはその隙を逃さずに、すぐにさり気なく目配せをして次に使うべきフォークを指し示した。
笑顔のまま、さり気なく、テーブルマナーに疎い左利きのゼン殿に手本を見せて、自分を真似ればそれで済むように誘導をしていた。
……若きフィリアを傷付けたあの頃のように、ラルダの思いやりは完璧だった。
私はこのとき、ふと不安になった。
ゼン殿はこのラルダの気遣いを受けて、己の無知さを恥じてしまわないだろうか。
妻であるラルダに、まるで赤子のように見守られて、王族である我々の目の前で惨めな思いをしてしまわないだろうか。
そう思って彼の方を見ると──
──ゼン殿はそんなラルダの気遣いに気付いて、俯いて「ングッ!」と小さくくぐもった声を出しながら肩を揺らした。
………………笑いを堪えているのか。
そして何がおかしいのか、ゼン殿は笑いを堪えることに必死になって、俯いたまままったく手元を見ずに、ラルダが笑顔でそっと示していた正しいフォーク……とは違うフォークを適当に手に取った。
彼はラルダの完璧なフォローを無碍にした。
ラルダがそれを見てまた静かに焦りだす。妹は焦りながらも決して動作を乱すことなく、笑顔を貼り付けたまま先ほどよりも一回り大袈裟に手を動かした。
(私が持っているフォークはこれだ。ゼン。お願いだ、どうか気付いてくれ!)
と、ラルダの心の声が聞こえてきた気がした。
しかしゼン殿は、一瞬顔を上げて、そんな焦っているラルダと一瞬目を合わせて──……サッと顔を横に向けて「ブフッ!」と小さく吹き出した。
………………笑いを堪えきれなかったのか。
フォークを間違えた上に笑い吹き出すという……完全なるマナー違反をいきなり犯したゼン殿にラルダがいよいよ目に見える形で動揺した瞬間、静かに声を発した人物がいた。
「……兄ちゃん、それじゃないよ。笑ってないでちゃんとしなよ。ラルダさん困ってるじゃん。」
ゼン殿の隣で呆れ返った目をしたユン殿が、小声で兄に指摘をした。
ゼン殿はそんな弟のユン殿の指摘を受けて「悪い」と軽く言いながら、肩を揺らして笑いを堪えつつ、正しいフォークを取り直した。
それから、皆に合わせて右手で待つべきか、それとも自分の利き手である左手で待つべきかを判断すべく、皆をそっと見回し──今度はユン殿ではなく、ラルダの方を無言で見た。
そしてラルダの表情を窺いながら静かにフォークを左手に持ち替えた。
再び彼と目が合ったラルダは嬉しそうにして、ほんの少し、微かに顔を動かして頷いた。
(ああ、大丈夫だ。左手で持っても問題ないぞ、ゼン。その調子で私に存分に頼ってくれ。)
そんな頼もしいラルダの顔を見たゼン殿は、また面白くて仕方がないと言ったように視線を外して横を向いて笑いを堪えた。
その隣でユン殿が完全に半目になりながら「……兄ちゃん。」と呟いて圧をかける。
ユン殿は「大切な場なのだからいちゃついていないで真面目にやれ」と言いたいのだろう。
私はそんな彼らを見て、思わず笑ってしまった。
マナー違反であると分かってはいるが、私は敢えて笑い声を出した。
「ははは、実に愉快だな。面白い。」
「……兄上?!」
ラルダが慌ててこちらを向く。フィリアも、緊張で固くなっていた父上も母上も、もちろんゼン殿とユン殿も、皆が私に注目をした。
……そうか。
ゼン殿の手に掛かれば、ラルダの高貴な心遣いも、ただの滑稽な空回りになってしまうのか。
ゼン殿はそんなラルダの仰々しさに傷付くことなく、ただ愛しさだけを感じて、面白がって笑ってくれるのか。
なるほどな。私の性格はラルダの兄に相応しいが、彼の性格はラルダの夫に相応しい。
あそこまで周囲に否定され続けようと、ラルダがゼン殿を諦められなかった訳だ。
完璧な妹に気後れせずに並び立てるのは、ゼン殿をおいて他にいない。
今のように、ラルダの完璧さを笑い飛ばし、己の無知さと感性を恥じずに貫き通す。それは単なる「庶民の無作法」というだけではないだろう。
……こんなことができるのは、偏に彼が、ラルダに勝るものを持っているからだ。
ラルダすらも及ばぬ剣と銃。紛うことなき王国最強の称号。
そしてもう一つ。ユン殿と共に生き抜いた、壮絶なこれまでの日々の軌跡。
……そもそも、ゼン殿は微塵も恥じる必要などないのだ。己が学ぶ機会を犠牲にしてでも、弟を一人で守り育てたのだから。ウェルナガルドという僻地の庶民文化の中に生まれ、それ以降は弟と二人だけで全力で生きてきたのだから。
ゼン殿自身がどう思っているかは分からないが、恐らくゼン殿にとって、己の無知さは「兄の誇り」、己の感性は「人生の結晶」、……そして、己の強さは「当然の事実」なのだろう。
私はそのようなことを感じながら、声をあげて笑った意図を説明した。
「『テーブルマナー』など所詮、貴族内のみで定められた規律に過ぎぬ。ゼン殿とユン殿がこちらに合わせる必要はない。
むしろ、声に出して笑い合いながら食卓を囲むのが庶民の『テーブルマナー』であるならば、ここまで静かに息を詰まらせている我々の方が『マナー違反』で『非常識』なのではないか?
ゼン殿とユン殿には、すでに場所も服装も、こちらに合わせて『常識』を譲ってきてもらっているのだ。
ならばこの食卓くらいは、我々が譲る番だろう。ゼン殿とユン殿のやり易いよう、肩の力を抜き、声に出して笑い、会話を楽しもうではないか。」
◇◇◇◇◇◇
ラルダが私の提案に嬉しそうにする気配を感じながら、私は二人の兄弟の反応を待った。
ゼン殿は意表を突かれたように少し目を見開いただけで、何かを言うことはなかった。
恐らく王子である私を相手に、どう反応して良いのか咄嗟には分からなかったのだろう。
代わりに反応したのは、ユン殿の方だった。
静かに固まるゼン殿の方をチラリと横目で見て「兄ちゃんがいきなり吹き出したりするからだよ。まったくもー。」と小言を言ってから、鮮やかに表情を切り替えて、私の方へと人好きのする笑顔を惜しみなく向けてきた。
「兄が申し訳ございませんでした。お気遣いありがとうございます。
僕たち兄弟は何分作法に疎いもので……お目溢しいただき感謝します。」
ユン殿の言葉に、今度はラルダが声をあげて笑った。
「ユン、よいのだ。兄上の言う通りだ。気張らずに肩の力を抜いてくれ。言葉遣いも普段通りで構わない。」
ラルダにそう言われたユン殿は、瞬時に何かを考え、それからそっと眉を下げて笑った。
「すみません、ラルダさん。本当にありがとうございます。
……俺たち兄弟じゃこの辺りが限界でした。正直、粗相をせずに今日を乗り切れる気がしなかったので、そう言っていただけて助かります。」
そして苦笑しながら隣の兄のゼン殿を見た。
「……ってことで、兄ちゃん。
黙ってやり過ごそうとしないで、兄ちゃんもちゃんと喋りなよ。結婚したのは兄ちゃんなんだから。」
弟に先手を打たれたゼン殿は、図星を突かれた子どものように、目を逸らして口を軽く尖らせた。
「はっはっは。弟妹の方がしっかりしているのは、どこでも共通なのだな。同じ兄として、気持ちは分かる。
──私も、他でもないこのラルダの兄だからな。」
私がゼン殿にそう言うと、ゼン殿は私と目を合わせて……そしてユン殿と同じように眉を下げて、
「……そうっすね。参ります。」
と言って笑った。
◇◇◇◇◇◇
そうして徐々に互いに緊張を解しながら進んでいった家族水入らずの食事会。
私もラルダも、フィリアも、そして父上も、だんだんと会話ができるようになっていき──……
ようやく最後に母上が、固く閉ざしていた口を開き「……娘が魔導騎士団に入団した当初、『娘を殴った男がいる』と聞いたときにはどうなることかと思いましたが……私は長く、貴方のことを誤解していたようです。」とゼン殿に話しかけた瞬間、ユン殿が物凄い勢いで窓と扉の位置を即座に確認し、それから物凄い形相でゼン殿の顔を見た。
サッと視線を外すゼン殿に、ユン殿が無言で蹴りを入れ──そこから二人が上半身を全く動かさずに卓の下で凄まじい蹴りの応酬を繰り広げ始めたものだから、私はついに腹を抱えて笑ってしまった。
……もはや作法も礼儀も何もないな。
完璧な妹が自由に選んだ唯一の男は、完璧からは程遠い、無礼で人見知りで暴力的で……とても愉快な、弟と仲の良い兄だった。
打ち解けるまでに多少時間は掛かるだろうが、彼となら私は、義兄弟として仲良くやっていけるだろう。




