3 ◇ 完璧な妹の正しい過ち(3)
ラルダの生き方が、身内の目にはどう映っていたのか。王家の人物視点の答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
妹は宣言通り、王国最強の剣士となるべく日々鍛錬に力を入れた。
目標を一切ぶらすことなく、16歳になった妹は迷うことなく魔導騎士団に入団した。
王族が魔導騎士団に入団した例は過去にもあったが、王女が──そもそも女性が入団したのは、王国史上初のことであった。
その事実だけでも、王国の民は大いに沸き立った。
剣士として、国民のためにその身を捧げる美しく強い王女様。
兄の私から見ても、ラルダはまるで物語の中から飛び出してきたような、別世界を生きる人間のようだった。
ラルダは魔導騎士団員になることで、国内の王家の評判を高めることにも成功した。しかしラルダ本人は、そんなことではもちろん満足しなかった。
「……ようやく立てた。ここが、私の出発点だ。」
入団初日の朝。
王女らしい華やかな装飾を捨て、団服を身に纏い剣士となったラルダが私の前で言っていたその一言に、ラルダの決意のすべてが集約されていた。
◇◇◇◇◇◇
強い使命感を持って魔導騎士団に入団したラルダだったが、ラルダが思い描いていた理想の日々は、すぐに呆気なく打ち砕かれた。
──ラルダは入団1ヶ月目にして、同期のウェルナガルド出身の平民の男と揉め事を起こし、完全に敗北したのだった。
「ラルダ!!真実を話しなさい!!
そんな見え透いた嘘が通らないことぐらい、貴女は分かっているでしょう!?」
「ですから、先ほどから申し上げている通りです。
『私は魔導騎士団の食堂で、不注意により一人で転倒しました。
その後、同期の一人と自主練習の一環として剣による手合わせをしました。それにより少々怪我は負ってしまいましたが、それは同意の上の、訓練の範囲内でのことです。』
……以上です。これが今日起きたことのすべてであり、真実です。」
「いい加減にして!そんな訳ないでしょう!!報告はすでに上がっているのよ!?」
「では、その報告が間違っているのでしょう。
その者に虚偽の報告をする意図があったとは思いませんが……恐らく第三者の見間違いか、母上へ伝達されるまでの間に何らかの行き違いが起きたのだと思われます。」
「──っ!ラルダ!!」
誰もが分かる嘘をつき続けるラルダに、普段は控えめで寡黙な母上が叫んだ。
母上だけではない。父上ももちろんラルダを何度も問いただした。しかしラルダは頑なに譲らなかった。
そうしてラルダは皆が折れるまで一時間以上も無理しかない主張をただひたすらに繰り返し、その同期の平民の男を庇い切った。
妹は正しく慈悲を与えた。
王女である自分に暴力を振るった愚かな平民の男を、誰もが分かる嘘で守り、彼に反省し更生する機会を与えた。
正しい王女の、国民への等しく深い、正しい慈愛。
父上と母上は正しく娘を案じて憤った。
どんな理由があろうとも、どんな背景があろうとも、娘に手を上げる男など許せない。他人を平然と傷付ける野蛮な人でなしに、更生の余地などあるはずがない。法に則り厳しく罰するべきであると、当然のことを訴えた。
正しい親の、我が子の身を心から案ずる、正しい愛情。
そんな正しい三者の中で、私は一人、考えた。
──「正しさ」は時として人を傷付ける。
ラルダは恐らく、正しいが故に傷付けたのだ。
その平民の男を庇うということは、少なからず男の方にも理性があり、理不尽な暴力を振るう異常者ではなかったということだ。
となれば、ラルダが正しさによって平民の男の傷を深く深く抉ったのだろう。彼が思わず場を弁えず、相手を弁えず、魔導騎士団の者たちの目の前で恐ろしい「過ち」を犯してしまうほどに。
その平民の男は「ウェルナガルドの悲劇」の生き残り。
ウェルナガルドの悲劇は、心の底から我が国の民を愛するラルダにとって、人生で一番辛かった出来事だ。
だからこそラルダは、正しく彼に謝ったに違いない。
「貴方のご家族が亡くなり故郷が一晩で消えたのは、すべて私の責任だ。
王女であろうと、ウェルナガルドの民であろうと、命の価値は平等だ。亡くなった人々は皆、この上なく尊い存在だった。
私は貴方に償おう。王家は貴方への補償と支援を十二分に行おう。
──だから貴方はその傷を癒して、前を向いて生きるべきだ。亡くなった故郷の者たちの分まで、生きて幸せになるべきだ。」
当たらずしも遠からず、ではないだろうか。
ラルダならばこのような内容を言いそうだ。
私は兄として、父上や母上と同じように妹のラルダの身を案じ、暴力を振るった彼に怒りを覚えたが、それと同時に……いや、それ以上に純粋に驚いた。
私は今までの人生で一度も、ラルダに純粋に「勝てる」人物がいるとは考えたことがなかった。だがその平民の男は、過ちこそ犯したが……完全にラルダを打ちのめしたのだ。
ウェルナガルドのその男は、完膚なきまでにラルダの心を打ち砕き、真正面からラルダの剣を上回った。
いかに王国広しといえど、まさかそのような人物がいようとは。ラルダが完全に敗北をする日が来ようとは。
私は初めて見る満身創痍な妹の姿に、何とも言えない奇妙な予感を抱いた。
これまですべてにおいて完璧であったラルダが、初めて欠けていくような、いよいよラルダが最善ではない選択をし、汚い自我を見せ始めるような予感がした。
それは理屈ではない、ただの兄としての直感だった。
◇◇◇◇◇◇
その私の兄としての直感は見事に当たった。
──ラルダは他でもない、ウェルナガルドの平民の男に恋をした。
そして、想いを秘めたままで終わらせておけば良かったものを、あろうことかラルダの方から真剣交際を彼に申し込み──魔導騎士団入団から3年で、許されぬ恋を目に見える形にしてしまったのだ。
常に完璧であり続けたラルダの、人生で初めての、最悪な「過ち」だった。
ラルダの行動の愚かさは、誰の目から見ても明らかだった。
王宮側はその頃、裏でラルダの政略結婚の相手をほぼ二択に絞っていた。
隣国エゼル王国の第二王子か、東方のリーベンヌ王国の第一王子。
前者であれば婿としてこちらに迎え入れるのが理想だが……そう上手くは行かないだろう。前者であっても後者であっても、恐らくラルダはその国に嫁ぎ、我がクゼーレ王国を離れることになるだろうと考えられていた。
そこまで絞っていながら、具体的な話を進められていなかった理由はただ一つ。「第一王女ラルダの予想以上の国民支持の高さ」だった。
第一王女と魔導騎士団員の二つの顔を持ち、圧倒的カリスマ性を放つラルダは、国民から熱狂的な支持をすでに得ていた。そんなラルダを外国に嫁がせるとなると、理屈ではない反発が起きる可能性がある。であれば、ほぼ政治的な旨みはないが、国内貴族との婚姻も視野に入れるべきなのか──。その消極的な選択肢が排除しきれず、議論がなされていたのだった。
ただ「ラルダが20歳を迎えるまでには方針を決定し、該当国へ打診する。」という予定では動いていた。
……その「20歳」を、ラルダは待たなかったのだ。
ラルダは王宮側の計画を知りながら、19歳のうちにそれを裏切った。
王族の「王国のために生きる」という最大の責務を放棄したのだった。
ラルダが平民の男との交際を開始したという衝撃の事実を聞いた父上と母上は、まず最初に己の耳を疑った。まさかラルダに限ってそんなことをするはずがないと、何度も繰り返し確認をした。
それからその事実が本当なのだと突きつけられて、次に二人は絶句した。……信じられない。信じたくない。何が起きているのかと、脳が理解を拒んでいたようだった。
そして最後に、父上と母上は当然、激怒した。
「一体何の血の迷いか!今すぐ別れろ!!目を覚ませ!!
魔導騎士団内は兎に角、他の貴族たちに知られる前に──すぐに無かったことにしろ!!」
見たこともない形相で必死に怒鳴る父上と、その横で今にも泣きそうな顔をしながら怒りに震える母上。
動揺する両親の顔を、妹は真剣な表情を崩さずに真っ直ぐに見続けた。
まったく考えを改める気配のないラルダに、ついに父上と母上は限界を迎え、
「──何があっても認めるものか!!」
という怒声を最後に、二人は話を強制終了させ、怒りに任せて立ち去った。
国王と王妃がいなくなった玉座の間で、空の玉座を前にラルダは一人で立ち尽くした。
周りにいる臣下たちも静まり返り、その場はまるで時が止まったかのように凍りついていた。
しばらくの静止の後。ラルダは、無言のまま顔を少し動かして、玉座から一段下がった席に座っている私と目を合わせた。
ラルダが私に何を望んでいるかはすぐに分かった。
妹は、この私に──……兄に、理解を求めていた。
初めて、妹に頼られた瞬間だった。
私はまるで凡人のような振る舞いをする愚かな妹に向かって、静寂の中、口を開いた。
「…………ラルダ。
私であれば味方になると、……そう期待しているのか?
であるとすれば、とんだ見当違いだな。
残念だが、今の状況だけを見て諸手を挙げて妹の交際を喜べるほど、私は愚かではない。
勘違いをするな。私はラルダの兄であるが、同時に、クゼーレ王国の第一王子でもあるのだ。この二つを切り離すことはできない。
切り離して考えた結果『兄として、妹の恋を応援するぞ』と一つ言ったところで、それが一体何になる?何にもならないだろう?
ただもう一つ『第一王子として、第一王女の愚行を許す訳にはいかないな』という真逆の言葉が並んで、結局双方が打ち消されるだけだ。
私情にまみれて見境をなくす未来の国王など、国民は誰も望まないだろう。そんなことでは、国は傾き、我ら王家は即座に失脚させられるだろう。
……いかに恋に溺れていようと、そのくらいは当然理解できるな?ラルダ。」
私の言葉を聞き、ラルダは唇を噛み締めて俯いた。
そんな妹を見ながら、私は続けた。
「『兄として』私が今できることは、『第一王子として』の判断を打ち消すことだけだ。
……今はただ、私は静観するとしよう。
兄として、第一王子として……私の立場からは『まだ判断を急ぐときではない』と言うことならできる。」
それを聞いたラルダは、ハッとしたように顔を上げて私の目を見た。
私は思わずそんな妹の姿に苦笑する。
……もっともらしく説教をしつつも何だかんだと「兄」に大いに偏っている、この愚かな私に気付いたか。
「お前がすべきことは一つだ。
私が判断を下すときまでに、示すことだ。
私は兄と王子、二つの立場から見極める。
ラルダが今進もうとしている道が『正しい』と信じているのならば、それを私に理解させるのだな。
その才をもって、全力で考え、行動することだ。」
……普通ならば到底、無理だろうが。
真っ当に示せるわけがない。屁理屈で押し切れるものでもない。
第一王女ラルダの、「政略結婚」と「平民との恋愛結婚」。二つを比べて後者の方が王国の繁栄に繋がる訳がない。後者の方が勝る点など、ラルダ本人の幸福以外、何もない。
そんな中で私が機会を与えた理由はただ一つ。
──その無茶な主張をしているのが、他でもないラルダだからだ。
もとより妹の才能と人望は誰よりも強力で、完璧だ。そしてその完璧さは暴力的だ。「黒」という色を「白」だと言い張って、実際に「白」に塗り替えてしまう力すら持っている。
であれば、ラルダが今後この状況を「正しい」ものに塗り替えることも十分あり得る。
判断を下すのは、それを確認してからでも遅くないだろう。
私の説教とその裏にある真意を受け取ったラルダは、私の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く宣言した。
「ありがとう兄上。
私はこれから、兄上の言う通り、必ずやこの選択が『正しい』のだと示して見せる。だから……見ていてくれ。」
そしてその日から、長い長い、ラルダの孤独な闘いが始まった。
せめて国内貴族や一般市民にラルダの愚行が知られぬよう、この許されない交際の事実が王宮外に漏れぬよう……国王から直々に、即座に王宮内の事情を知る者と魔導騎士団内には箝口令が敷かれた。
ラルダの個人的な交際の事実は口外禁止。漏らした場合は処罰の対象になる。
特に現役の魔導騎士団員たちからすれば理不尽にも程があっただろうが──……意外にも、それは彼らにあっさりと受け入れられていた。
……それだけ、ラルダとその平民の男の人望が厚い証拠だった。まったく皮肉なことだった。
しかし、魔導騎士団とは違い、王宮ではラルダは完全に独りになった。
両親から、王宮の者たちから感じる冷ややかな視線。
今まで一度も向けられたことのない失望の眼差し。落胆。呆れ。怒り。
ラルダは人生で初めて、それらを一気に浴びることとなった。
王宮で誰よりも讃えられていたラルダは、その日を境に立場が一転した。
妹は、王宮で誰よりも痛々しい哀れな存在となった。
平民のゼン殿との交際を認めさせるための、健気で、辛い日々。
王宮全体とラルダ一人の根比べ。その数には無慈悲なほどに、圧倒的な差があった。
……だが当然、王宮全体が束になっても、ラルダに勝てる訳などなかったのだ。
ラルダはすべてが規格外な、王国史上で一番の、紛うことなき天才なのだから。
◇◇◇◇◇◇
ラルダがゼン殿と交際を始めてから4年近くの月日が経った。
その間、ラルダは恐ろしいほどに真っ当に、王宮の者たちと闘った。
何ということはない。ただひたすら辛抱強く、誠意を示し続けたのだ。
──ゼン殿以外との交際の意思はない。
それを示した上で、ラルダはこれまで以上に完璧であり続けた。
まず、ラルダは入団4年目……ゼン殿と交際を始めてから僅か1年で、魔導騎士団の団長に完全に実力で就任した。魔導騎士団内で満場一致の指名だった。
そして魔導騎士団の大改革を行った。
ラルダが「ウェルナガルドの悲劇」以来、ずっと考え続けていた組織構造の改善。地方領主との連携。団員の能力向上。国民と団員、双方の命を守るためにすべてを実行した。
そして団長就任1年目で、見事に王国全体の魔物被害による死亡者数を前年度から半減させ、魔導騎士団員の死者0人を達成した。
それでもラルダはその年度に国内で死亡者が発生したこと、団員にも重傷者が出たことを強く反省し、さらなる改善を日々試みていった。
ラルダは公務も一切手を抜かなかった。
魔導騎士団団長として多忙な日々を送りながら、第一王女としての仕事を完璧にこなし続けた。
諸外国からの来賓には、その語学力の高さと博識さと細やかな気遣いを遺憾無く発揮した。
国内の権力者たちにも、謙虚な姿勢で接しながらも、同時に華やかさをもって王女の威厳を示した。
一般市民の前に立つときは、常に一人一人を慈しみ、対等な目線を持ち続けた。
何より、ラルダは魔導騎士団団長として身体を張って国民を守り続けた。第一王女として凛とした微笑みを国民に見せ続けた。
言葉だけではなく、その行動をもって、王国への献身と国民への愛を証明し続けた。
──誰よりも強く、優しく、美しい王女様。
その力強い在り方に、ラルダは出会う人すべてに自然と尊敬されていった。
魔導騎士団は、ラルダが先頭に立つようになってすぐに、国民の希望となった。
クゼーレ王国の王族は、国王である父上よりも、王妃である母上よりも、第一王子である私よりも、第一王女のラルダが圧倒的な支持を集めた。
いつしかラルダは国民から「クゼーレ王国の象徴」とまで呼ばれるようになっていた。
そして、当初はラルダに反対していた王宮の者たちも、時間をかけて、一人また一人と、ゆっくりと確実に絆されていったのだ。
──「クゼーレ王国の象徴」ラルダ。
──「象徴の幸せこそが、王国の幸せである」と。
そこまで思わせてしまうほどだった。
孤独な闘いを続けたラルダは、4年近くかけて、多くの味方を得ていった。
◇◇◇◇◇◇
しかし、純粋な誠意のみで押し切れるほど、王宮の中枢は甘くなかった。
当然だ。その程度で認められる交際であれば、最初から認めている。
冷静に考えれば、まだまだラルダは政略結婚をした方が王国にとって有益なのだから。
……否、むしろ、ここまでの唯一無二の王女となったからこそ、より一層「平民の男」一人に消費してしまって良い存在ではなくなった。
ラルダの奮闘は今、捉えようによってはどちらにもなるのだ。
──ラルダだからこそ、許される。
ラルダが平民と結婚すれば、魅せ方次第で、国民は狂信の域に至るだろう。そうなれば我ら王家の地位は盤石だ。
歴代最強の王女が、権力にも靡かず慣例にも囚われず、一人のただの名もなき男に愛を誓う。なんて美しい夢物語だろうか。
庶民が皆酔いしれる、ラルダにしか紡げない最高の物語が完成するだろう。
──ラルダだからこそ、許されない。
ラルダが平民と結婚すれば、国内貴族の反感を買うことは免れない。
ここまで才能に満ち溢れた王女が、責務を放棄し平民に傾倒する。私情を犠牲にし王国の発展に寄与してきた他の貴族たちへの最悪な裏切りだ。
ラルダという完璧な王女一人の結婚によって、国内でも魔導騎士団のみに収まらない発展を望める。国外にも新たな親交の道が拓ける。
それを捨てるなど、愚の骨頂。後世に語り継がれるほどの馬鹿話になるだろう。
国民感情を取るか。貴族や他国の実情を見るか。
ここで「国民感情」を取れる国は、世界中を見てもそう多くはないだろう。
どちらにもメリットとデメリットがあるが、冷静に判断するならば、
〈国民からの支持は現時点で十二分にある。要らぬ冒険をして貴族らの反感を買ったり国益を見逃したりする必要はない。〉
これに尽きる。
父上も母上も、王宮の中枢部の者たちも、残念ながらその判断を揺るがせることはなかった。
◇◇◇◇◇◇
……だが、私の側には一人だけ、王宮の他の者たちのようにラルダに絆され味方になった者がいた。
この約4年の月日の間に、私と結婚し第一王子妃となった──最愛の妻、フィリアだった。
4年というのは、長いものだ。
フィリアは私と結婚しただけでなく、1年前には第一子を出産し、一児の母となっていた。
フィリアは私を「夫」にし、さらには「父」にもしてくれた。私にこの上ない幸せをもたらしてくれていた。
そんな幸せに溢れた私たち一家は、逆に王族の中では浮いていた。
私たちとは真逆で、まともな会話一つない、冷え切った私の両親と妹の関係。それを目の当たりにし続けたフィリアは、ただ純粋に心を痛めていた。
何とか少しでも場を和ませようと、フィリアだけは変わらずに、日々ラルダに笑顔で接し続けた。
中立を保ち続ける私の意図を汲んだ上で、フィリアは第一王子である私よりも第一王子妃である自分の立場が軽いことを利用した。敢えて空気を読まず、敢えて愚鈍に──ただ穏やかに、義妹のラルダに話しかけ続けた。
ラルダにとってそれが心の支えになっていたかどうかは分からない。しかし少なくとも私はラルダの兄として、フィリアに深く感謝をしていた。
フィリアの振る舞いによって、外見上だけでも、ラルダは何とか私たち王族の輪から爪弾きにされずに済んでいたからだ。
そして、ある日。
クゼーレ王国の貴族令嬢の結婚適齢期が過ぎてしまったラルダがついに、父上と母上に向かって「ゼンとの婚姻を認められないのであれば、私が一般市民に降嫁する」と主張した。
──ラルダが、4年近くに及んだ闘いに決着をつけようと、動き出したのだ。
たった一人で始めたラルダの闘いは、4年間で大きく変わった。
国王と王妃と王宮の中枢、対するは、ラルダと王宮の多くの者たち。
権力ならば前者が強く、数ならば後者が多い。
ラルダは何一つ汚い手を使わずに、正々堂々と、辛抱強く、歳月をかけてここまでやってきた。
これ以上の時間をかけても、ここから先はどちらも進むことはない。現在の膠着状態は変わらない。……そう思ってのことだったのだろう。
そんなラルダに、父上は国王として声を荒げた。
「…………ラルダ。今、お前は何と言ったのか。
クゼーレの第一王女が『平民に降嫁』……だと?
お前は一体、どこまで堕ちれば気が済むのか!
どこまで自らの使命を軽んじれば気が済むのか!
どこまで王国を、国民を愚弄すれば気が済むのか!
寝言を言うのも大概にしろ!!ふざけるな!!」
玉座の間に響き渡る父上の怒声に、その場にいたすべての者が震え上がった。
その日の夜。
自室に戻ったフィリアは私に、静かに、そして唐突に話を切り出してきた。
「リレイグ様。
……かれこれ、もう10年以上前でしょうか。
わたくしがラルダ様との向き合い方に悩んでいた、あの頃のこと……リレイグ様は覚えていらっしゃるでしょう?
あれから、だいぶ時間がかかってしまいましたが……わたくしは最近、やっと……ようやく分かったんです。
わたくしはずっと、ラルダ様から目を逸らしていただけだと気が付いたんです。」
「どういう意味だろうか?」
私がそう尋ねると、フィリアは一息ついて、自分の手元を見つめながら話し始めた。
「ラルダ様は昔、わたくしと二人で初めてお茶をしたとき、わたくしがリレイグ様をお慕いしていると話したら『兄上は愛されているのですね。お二人が羨ましいです。』とおっしゃっていたんです。」
私は黙ったまま、当時のラルダやフィリアのことを思い出しながら、フィリアの話に耳を傾けた。
フィリアは自分のペースで、ぽつりぽつりと話を続けた。
「わたくしがラルダ様の前でリレイグ様のお話をする度に、ラルダ様は『兄上が羨ましい』『私もフィリア様のようになりたい』『相思相愛とはこんなにも素敵なものなのですね』とおっしゃっていました。
でも、あの頃のわたくしはそのラルダ様のお言葉を受け取らずに、ずっとラルダ様の才能ばかりに目を向けていました。
……ラルダ様はわたくしよりも教養があって、手先も器用で、剣の腕もあって、容姿も端麗で、人望も厚くて……だから、だから……『ラルダ様がわたくしのようになりたいわけがない』『わたくしなんかに憧れるわけがない』と、わたくしは勝手に思い込んでいたんです。
ラルダ様はわたくしに気を遣っているだけ。わたくしが惨めにならないように、相槌を打ってくれているだけ。
……『ラルダ様は、わたくしと違って、すべて持っているのだから』と。」
そう言ってフィリアは、涙を目から零した。
「……今ならわたくしが間違っていたと分かります。
恵まれていたのは、わたくしの方でした。
恵まれた立場にありながら、恵まれないラルダ様を『貴女は恵まれているじゃない』と決めつけて、見上げている振りをして、無自覚に見下していました。
ラルダ様は、ただずっと、ずっと心の底からわたくしを羨ましがっていただけなのに。
愛する人と結ばれて、ありのままの自分を受け入れてもらえたわたくしに、ずっと……ずっと憧れていただけなのに。
……ラルダ様はずっとそのことを、嘘偽りなくわたくしに伝えてくれていたのに。
ラルダ様はわたくしが羨ましくて、わたくしに憧れて……でも、それをどうすれば手に入れられるかの答えが無かったから、できる限りのことをしていただけだったんです。
語学を熱心に学ばれていたのも、外国に嫁いだ先のことを考えて……そこで愛されるためだった。
お花の種類にお詳しいことも、細やかな心配りができることも……すべて、ラルダ様はどんなお相手にも喜んでもらえるよう、努力し続けていただけだった。
だというのに、わたくしはそれらを、まるで教養のないわたくしへの当てつけのように感じて、勝手に劣等感を感じてしまっていた。
才能の塊であるラルダ様には劣等感がないなどと、勝手に決めつけていたの。」
フィリアはそう言って、ハンカチで顔を覆った。
「……ああ。振り返れば、どんどん出てきてしまうわ。
昔、ラルダ様が『フィリア様のような可愛げのある女性になりたい』とおっしゃってくださったんです。
わたくし、そのときこう返してしまったの。
『お美しく才能溢れるラルダ様と違って、わたくしは何も取り柄がないものですから』……と。
わたくし……あのとき、内心恥ずかしくなってしまったんです。それで、少し憤ってしまったんです。
──『可愛げ』って何よ。『何もできない』『才能がない』って言えばいいじゃない。そんな言い換えをされたところで、わたくしが惨めになるだけじゃない。
──なんて嫌味な王女様なの。
そう思ってしまって、うっかりそれを返す言葉の中に滲ませてしまったんです。
……今なら分かるわ。
わたくしは我が身可愛さに、先に傷付けられた被害者を気取っていただけだった。
わたくしは、ただ本気でわたくしに憧れてくれていたラルダ様を、嫌味ったらしく傷付けた加害者だった。」
「……フィリア。」
泣きながら懺悔のように己の心の内を告白するフィリアに私は声を掛けたが、フィリアは止まらなかった。
「ラルダ様はどうしていいか、きっと本気で分からなかったんだわ。
ただ才能があるだけで、皆が言うような可愛げがなくなってしまう。
でも、持って生まれた才能を、必死に磨いてきた才能を隠すことなどできない。
──どうしたらこんな完璧な自分に、可愛げができるのだろう。
……って。嫌味でも何でもなく、きっと本気で悩んでいたんだわ。
わたくしはリレイグ様に『可愛い』と言っていただける度に、この上なく嬉しく思うの。『私がフィリアを守る』と言っていただける度に、心から幸せな気持ちになれるの。
なのにわたくしは、どうしてラルダ様はそうではないと、勝手に決めつけていたのかしら。
ラルダ様がお美しいから?才能に溢れているから?男性も敵わぬほどにお強いから?
……だからといって、ラルダ様が『可愛げなど欲しくない』『誰かに守られる必要などない』と思うことにはならないわ。どうしてその考えに今まで至れなかったのかしら。
才能があることと、望みがあることは別。
ラルダ様が完璧なことと、ラルダ様が幸せなことは別。
──わたくしは、才能がなくても幸せを手に入れている。
わたくしはこのたった一つの簡単な真実に気付いて、自分が幸福であることを認めるだけで良かったの。
それなのにわたくしは、わたくしの幸福をずっと羨ましがってくれていたラルダ様の前で、『貴女の方が幸せでしょう?』『貴女の方が羨ましい』『貴女よりも私は不幸よ』と、筋違いな振る舞いをしていたの。
ラルダ様の前で『才能ある義妹に傷付けられた自分』に酔いしれて、当てつけのようにラルダ様の前でリレイグ様に泣きついて慰められて……それで愛されている実感を得て満足していただけ。
それがどれだけラルダ様の御心を抉っていたかも考えずに。」
フィリアはそう言って、さめざめと泣き続けた。
「……フィリア。そこまで己を卑下することはない。
今ラルダに寄り添ってくれているのはありがたいが、劣等感を感じた幼き頃の己の感情まで否定をする必要はないだろう。
『ラルダの言葉は嘘ではなかった。だが、当時の自分には荷が重く、素直に受け取るには辛かった。』
……それだけで充分だ。
私は、それを耐えてここまで共にきてくれたフィリアに感謝している。そして、そんなフィリアに向き合い続けてくれた妹にも感謝している。」
フィリアは私の言葉を聞いて、さらに声を上げて泣いた。
そうしてしばらく経ってから、震える声で、私に今の思いを伝えてくれた。
「……これはわたくしの……ただの、義姉としての、大切な義妹への願いです。
──ラルダ様には、愛する御方と幸せになってほしい。
ただ、それだけです。
だって……だって、あんなにも優しいいい子は、他にいないもの。
だから、幸せになってほしいのよ。」
優しい、いい子。
そう表現すると、すべてにおいて秀逸した存在である妹が急に、ただの人間に思えてくるな。言葉とは不思議なものだ。
私はそんなことを感じながら、フィリアの言葉に頷いた。
「私も今のラルダは心配だ。
私も、兄として、王子として……いい加減、動かねばな。」
ラルダに「己の道が正しいと示せ」と伝え、先延ばしにした私の判断。
その結論を出すときがきたのだった。




