5 ◇ 王女付き侍女ハンネエーラ(前編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
王宮に勤めて20年。
最初は右も左も分からない小娘だった私も、大人になり、結婚をし、働きながら二人の娘を産み育てた。
娘たちが大きくなり、私のように王宮で働き始めるようになった頃、縁あって私はクゼーレ王国第一王女ラルダ様お付きの侍女となった。
当時、私ハンネエーラは46歳、ラルダ様は10歳であった。
それからさらに13年。私の王宮勤めは30年以上になり、ラルダ様は全国民に愛され慕われる「クゼーレ王国の象徴」と呼ばれるほどになられた。
侍女としてラルダ様のお側に仕えてきた身としては、ラルダ様には一時たりともお辛い顔をさせたくない。
だというのに。
私は、暗く沈んだ顔を取り繕うこともできていないラルダ様のお髪を緩やかに編みまとめ上げ、宝石を飾りつけながら心を込めて声を掛ける。
「ラルダ様。本日のドレスも大変お似合いです。エゼル王国の皆様方も、きっとラルダ様の美しい御姿に感動なさいますわ。」
「……ありがとう。」
「お待たせいたしました。お髪はこのような形でいかがでしょうか。」
「……ああ、よくできている。ありがとう。…………では、行ってくる。」
私の立場では何もすることができないのが歯痒い。
部屋を整え、彼女の好きな香りの紅茶を用意しながら帰りを待つことしかできない。
私は魔導騎士団の公開訓練でお疲れの中、隣国エゼル王国のご来賓の方々をもてなすために夜会へと向かうご多忙なラルダ様を笑顔でお見送りした。
◇◇◇◇◇◇
時刻は現在午後6時半。夜会は7時から3時間ほどを予定している。ラルダ様は10時頃、早ければ途中で抜けられて9時頃にお戻りになられるだろう。
若い侍女たちには休憩に入るよう伝え、私は今一度ラルダ様の自室を念入りに掃除する。普段から塵一つ残らないよう気をつけているが、今日は家具を磨く手につい必要以上に力が入ってしまう。
正直なところ、私はここ数日腹が立っているのだ。
王宮の者たちにも、王都の国民たちにも。ラルダ様の周りの者たちすべてに。
たしかに、ラルダ様は今や「国民の象徴」とまで言われるほどの存在。第一王女としても魔導騎士団長としても申し分のない、美しく聡明で勇敢な御方だ。
しかし忘れてはいけない。
いかに皆の前では完璧な王女であろうと、ラルダ様とて一人の女性。彼女にも同じお年頃のご令嬢たちと同じような、健気で可愛らしい理想があるというのに。
恋した相手に愛されて、周りの皆から祝福されて、花嫁として可憐に着飾って、そうして世界で一番幸せな結婚をする。
ずっと我が国にその身を捧げてきた彼女を祝う気持ちがあるのならば、王宮の者たちも国民たちも、そのくらいのことは簡単に叶えてやればいいのではないか。
私は今までのラルダ様との日々を思い出しながら、ひたすらに悶々とするのであった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
ラルダ様は昔から、侍女相手であっても敬意を持って接してくださるお優しい方だった。ただ同時に、たとえ自室であろうと私たち侍女がいる間は決して気を抜かない御方だった。
最初の頃は「10歳とまだお若いのに私の娘たちよりもだいぶ大人びていらっしゃる」と思っていたが、徐々に「常に気を張り詰めて王女として模範的であろうとしているのだ」と気付いた。私は侍女として、そして僭越ながら娘を持つ母親として、少しでも自分たちの前でくらいは気を抜くことができるようにして差し上げたいと思うようになったのだった。
ラルダ様は大変お優しく、侍女が何か失敗をしても決して怒らなかった。そのことに気付いた私は、その優しさに甘えて少しずつ、ちょっとした雑談や小話をして彼女の気をほぐしていこうと試みた。
好きな食べ物のこと、最近読んだ本の内容、庭園に咲いた季節の花、ラルダ様がご訪問した各地の景色……1年かけて様々な話題に触れていったが、そのたびに私はラルダ様の10歳らしからぬ博識さに脱帽した。
そうしてだんだんとラルダ様のお人柄を知っていくうちに、気付いたことがあった。
ラルダ様は、様々な話題の中でも特に、しがない侍女である私の身の回りの話を聞くのがお好きなようだった。意外な発見だった。
ある日、私は自室で朝食後の紅茶を楽しむラルダ様のお世話をしながら、ほんの少しだけいつもよりも気恥ずかしい話をしていた。
「──そういえば、完全に私事なのですが、実は今日は私の結婚記念日なのです。」
「ほう!それはめでたいな。」
「ありがとうございます。ええ、それで……もう私はこんな歳ですから、今さら何もいらないんですけれどね。今朝、私の夫が自分で摘んだ野草で花束を作ってくれたんです。」
そう言って私は、もらった花束の一部から抜き取ってきた霞草をラルダ様にお見せした。
「ああ、ハンネエーラの夫君は王宮庭師であったな。なるほど、可愛らしい。」
柔らかな表情をされるラルダ様に、私は烏滸がましくも提案させていただく。
「大きな花束だったもので、私の部屋には飾りきれなかったのです。ですので大変厚かましいお願いなのですが、この花束の一部をラルダ様のお部屋に飾らせていただいてもよろしいですか?」
ありふれた野草ではありますが、と言いながら様子を伺うと、ラルダ王女は嬉しそうに頷いた。
「もちろんだ。ありがとう、ハンネエーラ。」
すでに花が生けてある花瓶にそっと霞草を差し込み、軽く位置を整える。
もともとあった淡い黄色の数種類の花に、夫がくれた霞草はとても良く合った。今朝花束を持って私の前に照れくさそうに立っていた夫の姿を思い出して、思わず笑みが溢れる。
すると、そんな私を見ていたラルダ様が珍しく彼女の方から話を振ってきた。
「その花たちを見ていると、なんだかむず痒くなってくるな。……ああ、悪い意味ではない。」
そう一言断って、ラルダ様は続ける。
「その黄色い花々は、昨日フィリア様からいただいたと言っただろう?」
「ええ。そうお聞きしました。」
フィリア様というのは、ラルダ様の3つ上の兄君である第一王子のご婚約者で、由緒あるコーリンベル侯爵家のご令嬢である。昨日は第一王子とラルダ様、そしてフィリア様の御三方でお茶会をされていた。
「実はそのときに、少し驚いたことがあったんだ。」
そのお茶会のときは別の者が控えていたため、私はそこで起きたことを知らない。純粋な興味から、私は続きをそっと催促した。
「そのお話、伺っても?」
ラルダ様は「ああ、もちろんだ。」と頷き、少しだけ表現に迷い言葉を選ぶようにしながら話し始めた。
「……その。私は今までフィリア様と良好な関係を築けていると思っていたのだが、昨日、話の流れで感情的になったフィリア様に言われてしまったのだ。未来の王族として……私と比べられるのが辛い、完璧な私のことがずっと嫌いだった、と。」
「……なんということ。」
それを聞いた瞬間、ひどく胸が痛んだ。
ラルダ様がいかに厳しく己を律して日々を過ごされているかを知っているからこそ、理不尽な言い掛かりに思えて仕方がない。しかし一方で、もし私がフィリア様と同じ立場であったら、確実に同じことを感じていただろうとも思う。
いずれ国母となる未来の第一王子妃と、現国王の血を引く第一王女。否が応でも常に比較され続けているのだろう。
私が複雑な心境でいると、ラルダ様は私を気遣うように首を振った。
「心配はいらない。すぐに確執はその場で解決したのだ。兄上によって。」
そして「むしろ驚いたのはここからなんだ。」と言って笑うラルダ様。その表情がいつもよりも明るかったので、私はほっとした。
「私への溜まった感情を吐露して泣き出してしまったフィリア様に、兄上が言ったのだ。『今までフィリアを守ってやれなくてすまなかった。不甲斐ない私だが、フィリアを心から愛している。私は今のままのフィリアが好きなのだ。妹と比べる周りの声など聞く必要はない。』と。
そして兄上はフィリア様を庭園に連れ出し、フィリア様のお好きな黄色の花々を摘み冠にして贈ったのだ。」
「まあ!」
「フィリア様は兄上にいたく感動したらしくてな。『わたくしも初めてお会いしたときから、ずっとお慕いしております。』と涙ながらに喜んでいた。」
今度は先ほどとは違う意味で胸が痛くなった。
なんと初々しい純愛なのだろうか。
「そこの花瓶の花は、フィリア様からの謝罪の際にもらったのだ。『わたくしの心の弱さから、ラルダ様に理不尽に汚い感情を向けてしまいました。本当にごめんなさい。これから未来の姉妹として、また改めて関係を築いてくださいませんか?』と。」
「分かって反省したならば良いのです。」
「ん?」
「失礼いたしました。何でもありません。」
つい本音が口から出てしまったので慌てて誤魔化す。
何にせよ、ラルダ様がフィリア様に傷付けられたまま終わってしまわなくて良かった。
そう思っていると、ラルダ様が頬を赤らめながら先ほどまでよりも一回り小さい声でぼそぼそと言った。
「それで……そのときは二人を見ていてただただ気恥ずかしかったのだが、今になって思うのだ。あんなにも想い合っている兄上とフィリア様が羨ましい、と。
それに先ほどのハンネエーラの花束の話を聞いて……な。」
ラルダ様のこんな表情はお仕えしてきて初めてだったので驚いた。だが既視感はあった。初めて母である私に恋話をしてきたときの娘たちだ。
……ああ、よく考えれば当然だわ。ラルダ様だってまだ11歳の少女ですもの。普通ならば恋に夢見るお年頃よね。
私は心からの願いを込めて、ラルダ様に伝えた。
「ラルダ様にも、きっと唯一無二の素敵な御方が現れますよ。」
私たち庶民とは違い、ラルダ様はいずれ政略結婚をなさるのだろう。そこには庶民のような惚れた腫れたの恋愛模様は無いのかもしれない。
しかし、今の第一王子とフィリア様のお話にあったように、決められた相手を互いに愛し、手を取り共に歩んでいくことはできるはずだ。どうか、ラルダ様とお相手もそうあってほしい。
ラルダ様はそんな私の言葉に、自信無さげに微笑んだ。
「……だといいが。兄上がこのまま順調に結婚すれば、王家から見た貴族の勢力均衡はほぼ完璧なものになる。そうなったら私は……恐らく他国へ嫁ぐことになりそうだな。
私はフィリア様やハンネエーラと違い可愛げのない女だが、少しでも良い関係を築きたいものだ。」
そんなことはございません!と思わず叫びたくなる衝動をぎりぎりで抑えつつも、私は力強く否定した。
「『可愛げがない』など、そんなことはございません。今こうしてお話しされているラルダ様は、誰よりもお可愛くていらっしゃいます。」
「……そ、そうか?」
「ええ。私は今反省しているのです。ラルダ様がこんなにも可憐な一面もお持ちだというのに、私はそれを今まで引き出せていなかったのだと。侍女失格ですわ。」
「…………可憐か。」
「ええ。ですから決してご自分を卑下なさらないでください。今日はその黄色い花々と霞草が似合うような、柔らかな印象になる髪型にいたしましょう。」
そう言うとラルダ様は年相応の少女のように目を輝かせながら、花の咲くような笑顔で頷いたのだ。
「ありがとう!ハンネエーラ。よろしく頼む。」
◇◇◇◇◇◇
私がラルダ様のお付きの侍女となって2年が経ったある日。
あの歴史に残る未曾有の魔物災害「ウェルナガルドの悲劇」が起こった。
王国南部のウェルナガルドの領主が治めていた町が、魔物の大群の襲撃により一晩にして壊滅した。
死者は数千人。遺体の損壊が激しく身元が判別できない者も多数。あちらこちらで火事も発生していたのか、焼け落ちた家屋も少なくなかったようだ。
そして魔導騎士団が現場に到着したときには何故か生きている魔物は一匹もおらず、死体が約百体転がっていたらしい。
王宮のラルダ様のお部屋から見える王都の景色は、普段と何一つ変わらず美しい。それなのに、同じ国内でそんなにも恐ろしいことが起きているというのか。伝え聞く話の凄惨さと眼前の日常のちぐはぐさに、私にはなかなか実感が湧かなかった。
しかし、ラルダ様は違ったようだった。一介の侍女には聞かされていない詳細も知らされているのだろう。
今までにないほどに、暗いお気持ちになられているようだった。クゼーレの民に御心を寄り添われているからこそ、身を切られるほどに辛いお気持ちなのだろう。
事件から一週間近く経ってもまだ立ち直れないラルダ様を見かねて、私は筋違いかもしれなかったが励ますためにお声を掛けた。
「ラルダ様。あまりお気を病まれませんよう。……悲しい事件ではありましたが、魔物災害は人間の力ではどうすることもできないものです。」
すると、ラルダ様は唇を噛み締めながら首を振った。
「……あれは、防げた災害だった。ウェルナガルドのあれは……人災だ。私たち王家が愚かであったばかりに、数千もの民の罪なき命が奪われてしまった。」
私は思わず顔を顰める。
「そのようなことは……!」
「いいや、実際そうなのだ。魔導騎士団の記録によると、災害が起こる二週間前にまず一度、ウェルナガルドから連絡が入っていたそうだ。『気のせいかもしれないが、畑の近くで魔物の声がしたという住民がいる。』と。」
「……そうだったのですか。」
「さらに災害の一週間前、もう一度『やはり複数の住民から魔物の気配がすると言われている。騎士団を派遣してくれないか。』と連絡が入っていたらしい。」
「………………。」
「だというのに、魔導騎士団は魔物の目撃情報があった北東部の街への遠征を優先し、ウェルナガルドの領主へは『次に出向く予定だから、それまで経過観察をするように。』と返答をした。……その結果がこれだ。」
「そんな……!」
私は思わず両手で口を覆う。
ラルダ様は目に涙を滲ませながら声を荒げた。
「魔導騎士団が愚かであったことは言うまでもない。だが、王家も他人事ではない。遠征には国王が許可を出している。通報の把握もできたかもしれない。
……いや、日頃からすべきだったのだ!
民の命に関わる判断を、他人に任せ事務処理で済ませるなど許されるはずがない!だというのに、私は王女であるのにも関わらず、そのようなことにすら気付いていなかった!」
「ラルダ様……。」
まだ12歳の王女ラルダ様に、責任などある訳が無い。
通報のことも、魔導騎士団の遠征の判断のことも、ラルダ様は知らなかったのだから。
私はそう思ったが、ラルダ様はご自身を強く責め続けた。
「私にも気付く機会があったのだ!私は兄上と共に王家の国務や、王宮が抱える魔導騎士団の職務内容を学んできた。ただ知識を入れて満足していたこれまでの私を殴ってやりたい。システムの欠陥ひとつ見抜くことすらできなかった!
国の地理も、魔物の生態も学んでおきながら、魔物の大量発生の予測すらしようとしなかった!
兄上を真似て剣技を磨いておきながら、ウェルナガルドの民が助けを求めていたとき私は一体何をしていた?!救えぬ剣など何の意味もないではないか!
…………私は馬鹿だ!大馬鹿者だ!!」
「っ、ラルダ様……!」
「血税で暮らし胡座をかいて、挙句の果てに大勢の民を見殺しにするなど……何が『王家』か!何が『王女』か!!」
私はラルダ様の血が滲むほど固く握られた拳にそっと自分の手を添えながら、ただ涙を流すことしかできなかった。
この「ウェルナガルドの悲劇」以来、ラルダ様はこれまで以上に己に厳しく、己を殺して過ごされるようになった。特に剣術へ充てる時間を増やし、毎日隙あらば身体を鍛えるようになった。
そして、私の娘たちよりも幼いたった12歳の王女様は、規定年齢に達したら魔導騎士団へ入団し、己の命を国民に捧げるという意志を宣言なさったのだった。