4 ◇ 王立学園講師アスレイ(後編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
闘いが始まってからわずか5分。見ているこちら側としては永遠のように思えるほど恐ろしく濃密な時間だったが、闘いは結末を迎えた。
ラルダ王女は剣を地面に突き立てて支えにしながら片膝をつき、肩で息をしている。これ以上は戦闘不能だ。口の中を切ったのか、口元からは血が一筋流れている。
それをゼンが、少しだけ息を切らしながら無表情で見下ろしていた。
両者無言のままの時間がしばらく続いたが、不意に息で掠れた声でラルダ王女が言った。
「……殺さないのか。」
ゼンがピクリと反応し片眉を上げる。
──さすがにまずいか。
示し合わせたわけではなかったが、俺とクラウス様は同時に飛び出し、それぞれ杖と剣で二人の間に割って入った。
俺は冷静に穏やかな声音になるよう努めながら二人を諭す。
「ラルダ様、そのようなことを言うものではありません。……ゼン。貴方もこのぐらいにしておきませんか。」
するとゼンは、ふっと力を抜いて溜め息をつきながら手に持っていた訓練用の剣を投げ捨てた。
「アホか。本当に殺すわけねえだろうが。…………冷めた。帰る。」
そう言ってゼンは、置いていた自分の二丁の銃を手にしてさっさと宣言通り帰ってしまった。
残された俺たちは、俯いたまま肩で息をするラルダ王女の横で、無言で立ち尽くすしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
恐怖の一日から一夜明けた翌日。
騎士団内では朝から地獄のような空気が流れていた。
まばらに演習場に集まり出した団員たち。その中には、昨日の当事者のうちの一人、ラルダ王女がいた。昨日の今日で難しい心情だろうに、彼女は気丈に振る舞おうとしているようだった。
彼女より少し遅れて演習場に着いた俺とクラウス様は、自然と彼女のところへと向かっていた。
「おはようございます。」
「……ああ、おはよう。」
回復魔法でだいたいの怪我は直したのだろうが、近くで見る彼女の顔にはまだ少し擦り傷と痣が残っていた。
俺は恐る恐る伺う。
「ラルダ様……大丈夫ですか?」
彼女は口をギュッと真一文字に結んで、唇を噛み締めてから答えた。
「ああ。大丈夫だ。」
………………大丈夫そうじゃないな。
するといつの間に来ていたのか、なんとも軽い口調でゼンが3人の輪に突然割り込んできた。
「おい、昨日は悪かった。すまねえ。」
「軽っ?!」
思わずといったようにクラウス様が脊髄反射でツッコミを入れる。
「別に軽くねえよ。ちゃんと謝ってんだろ。」
「うーん、まあ……そうかな?」
ゼンとクラウス様のたった数言で、先ほどの地獄は一気に霧散してしまった。俺もなんだか急に気が抜けてしまい、何もかもがどうでもいいような気分になった。
俺は、昨日の荒れ狂い方が嘘のように平然と振る舞っているゼンに興味のままに質問した。
「貴方、昨日あんなに怒っていたというのに。考えを改めたのですか?」
「まさか。改めるわけねえだろ。どう考えてもコイツが無神経だっつの。」
ゼンは親指でクイクイッとラルダ王女の方を差しながら呆れたように答える。
……全然ダメじゃないか。
「ただまぁ、王女サマってのはそういう生き物なんだろ。知らねえけど。あれはあれで王女サマにとっちゃ正しいんだろ?仕方ねえんじゃねえの。ムカつくけど。クッッッソ無神経で腹立つけど。」
「……本当に謝る気があるんですか?」
「あるから謝ったんだよ。一晩経って頭冷えたし、もういいわ。…………頭に血が上ったとはいえ、女を殴った俺が悪いだろ。」
ゼンの言葉に俺は素直に驚いた。
「なんと!貴方にも『女性を殴ってはいけない』という倫理観があったんですね?!」
「ええ?!あれは『殴った』で済まないレベルですよ?!」
クラウス様は別の角度から驚いていた。
二人からの口撃に、ゼンは拗ねたように口を尖らせた。
「だから謝ってんじゃねえか!悪かったって。」
この男……案外子どもじみた表情をするんだな。
俺は穏やかな声になるよう努めながら、無言のままのラルダ王女に話を振った。
「だそうですよ。いかがですか?仲直りなさいますか?ラルダ様。」
すると、ずっと硬い表情だったラルダ王女が、目を丸くしてこちらの方を向いた。
「……『仲直り』?」
俺は笑みを浮かべながら頷く。
「ええ。仲間と『喧嘩』した後は『仲直り』でしょう?彼を許したければ許せばいいのですよ。もちろん、許したくなければ許さなければいい。」
「『喧嘩』か……そうか。『仲直り』……か。」
ラルダ王女は俺の言葉を咀嚼しているようだった。その間に、俺の横でゼンとクラウス様が小声で話し始める。
「いや、許されなかったら俺やべえだろ。変な選択肢与えんなよなアイツ。王女サマに訴えられたら確実に俺が生首にされんぞ。」
「でしょうね。」
「昨日冷静になってからマジで焦ったわ。」
「その割には今日普通に来ましたね。」
「来ねえと謝れねえだろ。」
「たしかに。……ところで、もしラルダ様に許されなかったらどうするんですか?」
「捕まる前に逃げるしかねえな。」
「昨日見たゼンさんの実力ならいけそうですね。」
「は?テメェら人ひとり捕まえられねえのかよ。雑魚集団か。」
「捕まえて欲しいんですか?」
「見逃せよ。薄情か。」
「そこの二人、漫才はおやめなさい。」
俺が二人のくだらないやりとりを黙らせたのとほぼ同じタイミングで、ラルダ王女は自分の中で結論を出したようだった。
「そうか、そうだな。仲直りをしよう、ゼン。私の方こそ貴方を深く傷つけてしまった。取り返しのつかないことをしてしまったと思っている。申し訳なかった。」
そう言って彼女はゼンへ頭を下げ、それから頭を上げると照れくさそうに言った。
「私は立場柄、誰かと喧嘩をする機会など無かったのだ。なにぶん不慣れなもので合っているか分からないが、これで仲直りできるだろうか?ゼン。」
社交界の高嶺の花と謳われていた王女様でも、こんな顔をするのか。
俺は幼い頃から公爵家の嫡男としてラルダ王女を幾度か見てきたが、目の前にいる彼女は今まで見たどの印象とも違った。
そんな彼女の表情にゼンも不意をつかれたようだった。少し驚いたように目を見開き、それから肩を揺らして笑った。
「合ってるも何もねえだろ。面白え奴だなお前。」
その表情を見てラルダ王女もほっとしたように笑みを浮かべる。今まで見たことがある完璧な王族としてのの微笑みとは違う、何とも可愛らしい笑顔だった。
「そうか。ならば良かった。」
そして本人たちの中で一件落着したのか、まるであの大喧嘩がなかったかのようにゼンとラルダ王女は気さくに話しだした。
もちろん下手に悪い空気を引き摺るのは良くないが、それにしても切り替えが早すぎる。あまりの切り替えの早さに、俺の方がついていけなかった。
「にしてもお前……ラルダっつったっけ?王女サマの割にすげえ強えな。ビビったわ。」
「……っ!そうか!それほどに強いゼンに言われると悪い気はしないな。……しかし私は剣士でありながら戦い方を合わされた上に無様に敗北した。情けない限りだ。精進せねば。」
「お前真面目だなー。充分強えって。」
「そうだ!よければ今日の訓練後に私と手合わせしてくれ。ゼンからは学ぶことが多そうだ。」
「はぁ?昨日の今日でお前、マゾかよ。」
「あ、じゃあ今日はラルダ様はお休みしていただいて。僕が手合わせしたいです。」
しれっと手を挙げながら会話に割り込むクラウス様。そんなクラウス様を見てゼンは「お前もマゾかよ。どいつもこいつも狂ってんな。」と失礼な返しをする。
ラルダ王女はというと、何か楽しくて仕方がないというようにほんのり頬を赤らめながらニコニコとしている。
……何だこれは。ついていけていないのは俺だけか。
俺は和やかな空気に水を差すようで気が引けつつも、少し気になっていたことを口にする。
「ところで……先ほどからゼンはラルダ様をお前呼ばわりしているのですが、よろしいのですか?」
するとラルダ王女は勢いよく俺の方を振り返り、笑顔で答えた。
「何を言うか!良いに決まっているだろう!」
「……は?」
彼女は嬉しそうに熱弁する。
「私はむしろずっと憧れていたのだ!身分に囚われずに対等に接し合えることを。こうして話しているだけで、私はここでは王女ではなく一人の新入団員なのだと実感できる。本当に、夢のようだ。」
「だとよ。本人がいいっつってるぞ。」
ゼンがまた親指で適当にクイッとラルダ王女の方を示す。
「アスレイもクラウスも、敬語など使わないでくれ。敬称もいらぬ。騎士団の規則では『身分は関係ない』と書かれていた。私たちは第27期の新人仲間として対等であるべきだ。そうだろう?」
目を輝かせて期待の目でこちらを見てくるラルダ王女。
これは、期待に応えないわけにはいかないな。
俺は思っていたよりもだいぶ可愛らしい素の王女様の望む通りに、彼らの前では公爵家嫡男としての振る舞いを辞めることにした。
「貴女がそう言うのであれば、そうしよう。
──改めて、よろしく。ラルダ、ゼン、クラウス。」
そうして、俺たち第27期生は「仲間」になった。
◇◇◇◇◇◇
「そういえば……団員規則では『団員同士の暴力行為を禁ずる。破った場合、速やかに暴力を振るった者を除籍し、法に則った刑罰を課す。』とあったが、それはどうするんだ?ゼンはいずれにしろ終わったんじゃないか?」
俺はふと気になったことを訊いてみた。クラウスも横で頷きながら「ラルダに許されても、いずれにしろダメじゃない?」と便乗してくる。
それを聞いたゼンは「は?まじで?」と言いながら顔を顰めた。
「ゼンは団員規則を読んでこなかったのか?」
俺がそう尋ねると、ゼンは悪びれもせずに首を振った。
「読んでねえ。つか俺、字読めねえもん。」
……あっ。
そういえば、この男は平民だった。
平民であっても、王都や教育環境が整っている領に住んでいる者は読み書きができる。
……しかし。
ウェルナガルドはもともとあまり豊かなところではなく、さらに例の魔物災害で全滅した。それから彼がどう食い繋いでここに辿り着いたか知らないが、恐らく学校に通う暇も金もなかっただろう。
「名前くれえは書けるけどな。」
貴族教育を受けてきた俺たちはその言葉を聞いて同情し気を遣いかけたが、ゼン本人は特に気にしていないようで飄々と答えた。
どうやら話を続けても良さそうだと判断したクラウスが、首を傾げながら質問する。
「じゃあ、ゼンはどうやって受験書類記入したの?」
「弟に書かせた。アイツは普通に読み書きできるしな。」
「「「弟?!?!」」」
「んだよ。弟いておかしいかよ。」
「いや、おかしくはないけど……」
──弟も大災害から生き残っていたのか。
その言葉は口に出さずに飲み込む。ラルダもクラウスも、どうやら同じことを思っているようだった。ぐっと堪えるようにして黙っている。
それに気付いているのかいないのか、ゼンは乱暴にガシガシと頭を掻いた。
「っつーか、それより俺除籍されんのかよ!しかも刑罰っつったらどうせ生首にされんだろ!まじで逃げるしかねえじゃん。」
このゼンという男、掘り下げるとまだ他にも出てきそうではあるが、たしかに目下の問題はそれである。
俺は丸眼鏡を押し上げながら無知なゼンに知識を提供した。
「我が国の刑法では『国王本人または王配、および国王の二親等以内に該当する王族への暴行は、国外追放または処刑』だ。」
「……は?」
「つまり、王女様を食堂で投げた時点でアウト。国から追い出されるか、最悪処刑ということだ。」
「やっぱ生首の刑じゃねえか!チッ、仕方ねえな。弟連れて逃げるか。お前ら捕まえんなよ。」
すると話を聞いていたラルダが、ふふんと得意気にゼンに向かって胸を張った。
「心配は無用だ。私が昨日、すでに話をつけたからな。」
「は?」
「王宮の者たちには『私が食堂で一人で転んだ後、ゼンとは合意の上で手合わせをしただけだ』と伝えてある。それに、多少の負傷は魔導騎士団へ入隊した時点で覚悟の上だ。何の問題もない。」
「いや……お前殴った俺が言うのもなんだが、さすがに無理あんだろ。何だよ『食堂で転んだ』って。」
「無理ではないぞ。当事者であり第一王女のこの私がそう言っているのだ。覆せる者がいるか?もし今後帰還した団長ら幹部が何かまだ言ってきたとしたら、ゼンを除籍することがいかに団の損失であるかをとくと語ろう。最終手段としては私が退団をチラつかせてごねる。」
「さっき『身分は関係ない』っつってたのどこのどいつだよ。振り翳しまくってんじゃねえか。」
「それとこれとは話が別だ。」
「都合のいい奴だな。ま、それで俺が助かんなら何でもいいけどな。」
「そう思っておけ。」
そう言って笑ったラルダは「ああ、そういえば」と話を切り替えた。
「ゼンは先程『読み書きができない』と言っていたな。今後何かと不便だろう?私でよければ教えるぞ。」
「はぁあ?」
ラルダが言い出した提案に、俺はすかさず便乗する。
「ああ、それならば俺もゼンに教えたい。今まで文字が読めなかったということは、詠唱を必要とする魔法は習得していなかったのだろう?」
「あー……まぁ、弟も魔法使えっから、弟が本読んで覚えた詠唱を口で教わったやつはいくつか使える。」
「魔導書を読めるようになれば魔法の種類だけでなく魔力循環効率も高められる。ゼンの戦闘スタイルに合う魔法を選び抜く作業も面白そうだ。魔導術士としての血が騒ぐな。
クックック……ゼンの強さに今以上の魔法を加えれば『最強の化け物』が爆誕するぞ!」
「テメェは俺を何だと思ってんだよ。実験動物か。」
「そうしたら僕も一緒に勉強しようかな!ラルダやアスレイから座学で得られるものも多そうだし。実験中のゼンと手合わせするのも面白そうだし。」
「『実験中のゼン』ってなんだよ。お前ら馬鹿にしてんだろ。」
「馬鹿になどしていない。単に特定の知識がない人物を『馬鹿』と見下すのは愚かな行為だ。知識がないことと頭が悪いことは同義ではない。傷つく必要はないぞ、ゼン。」
「テメェは真面目にフォローしてくんな。別に何も傷ついてねえよ。」
4人が揃えば話は尽きず、次から次へとやりたいことが溢れてくる。
こうして俺たちは、時間が合えば常に共に過ごすようになった。
そして蓋を開けてみると、皆第一印象とはまったく違う人間だということが分かった。
ラルダは、第一王女の仮面を外してしまえば、4人の中で一番頑固で、知識はあるものの世間知らずで、少し我儘なところがある妹気質の可愛らしい女性だった。
クラウスはその見た目から何でも器用にこなすクールな男かと思っていたが、実際はそんなことはなく、素直で努力家で、謙虚な男だった。意外と抜けたところも多く、すぐに爽やかな印象よりも面白い奴だという印象の方が強くなった。
ゼンは口こそ悪く態度こそ横柄だが、面倒見が良く、頼れる男だった。何より、同期として付き合っていく中で彼の背景を知っていくうちに、彼が誰よりも強い男だと知った。それは戦闘の面だけではない。重く、辛く、耐え難いものが彼の一身にのしかかっていても、決して折れずに立ち続け、さらにそれを悟られずに振る舞う力。彼の芯の強さには、俺も、そして他の団員たちも皆惚れていった。
いつだったか、ラルダが「これが『青春』というやつだな!」と言ってゼンに笑われていたが、まさしくあの日々は俺の青春だったのだ。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
──懐かしい記憶だ。
コーヒーの香りとともに新聞を開いたまま思い出に耽っていると、隣のツィー先生がしみじみと「やっぱり……アスレイ先生もあんなこと言いながら、記事は熟読するんですね。」などと筋違いなことを言ってきた。
「いえ。魔導騎士団時代のことを振り返っていただけですよ。懐かしいですね。」
するとツィー先生は目を輝かせてこちらに質問をしてきた。
「え!ということは、王女様との思い出もあるんですか?!お話されたことあるんですか?!」
「ええ、まあ。」
「す、すごいですねアスレイ先生……!」
「ええ、まあ。」
話したことがあるどころか彼女は同期で、なんならあの同期たちは現役の頃も退団した今も「同期会」と称して数ヶ月に一度は我がオーネリーダ公爵家に集まってくるのだが、それを言うと根掘り葉掘り聞かれそうなので適当な相槌で受け流す。
「どんな話をされたんですか?」
「…………。」
「ハッ!もしかして……!王女様のご婚約相手もご存じだったり……?」
「…………。」
ツィー先生が俺のことを探り出したが、反応しても面倒なことになるので笑顔のまま黙秘をすることにした。
「もー無視しないでくださいよー!」
「…………。」
俺が沈黙を続けていると、にわかに職員室の外が騒がしくなり、続けて事務室のスタッフが慌てて職員室へと入ってきた。
「アスレイ先生!ご来客です!」
「おや。どなたですか?」
横でツィー先生も「珍しいですね?」と不思議そうにしていたが、次のスタッフからの一言で職員室は騒然となった。
「ク、クラウス・サーリ様が……!」
そういうことか。
待ち合わせはもう少し後だというのに、わざわざ学園まで来るとは珍しいな。
「わかりました。すぐに向かいます。」
ツィー先生を含む周りの先生方が驚きの声を上げるのを聞こえないふりをして、残ったコーヒーを飲み干して手早く机上を片付ける。そして鞄の中身を確認し、退勤の支度を整えた。
席を立ち職員室を去ろうとする俺に、穏やかにメイバル先生が声を掛ける。
「良い友人を得たんですね、アスレイ先生。」
学生時代の俺は友人らしい友人を持っておらず、周囲から浮いていた。メイバル先生はそれを教師として見てきたから知っているのだ。
浮いていたのは、公爵家長男という高い身分のせいだろうか。学年1位という頭ひとつ抜けた成績のせいだろうか。……いや、そのどちらでもない。
俺はメイバル先生の嫌味のような優しさに、笑って軽く答えた。
「ええ。こんな捻くれた腹黒い性格の俺を受け入れてくれた、気のいい奴らです。」
◇◇◇◇◇◇
「やあ、お疲れ様。アスレイ。」
分かりやすく生徒たちに囲まれていたクラウスが、笑顔で手を振ってくる。なるほど、客観的に見れば完璧に爽やかな理想的な男だ。女生徒たちが黄色い悲鳴を上げたくなるのも理解できる。
明日からは生徒たちにクラウスのことを質問攻めにされるだろうと思うとげんなりするが、今さら仕方がない。諦めて俺がクラウスの方へと歩いて行くと、生徒たちが好奇の目を向けながら俺に道を譲ってくれた。
「ここでは皆の迷惑になるだろう。行くぞクラウス。」
「そうだね。移動しようか。」
周りの生徒たちは名残惜しそうな顔をしていたが、俺はさっさと歩き出した。クラウスはというと、生徒たちに律儀にひとこと礼を伝えてから小走りで俺を追いかけてきた。そういうところがまた騒がれる原因なのだ、この男は。
「……やれやれ。待ち合わせは別の場所だろう。それにまだ1時間以上もある。あえて学園に来て騒がれるとは、嫌がらせか?学園ではお前たちとの関係は話していなかったんだ。」
「ああ、そうだったんだ?ごめんごめん。待ち合わせまで時間が余っちゃったから来てみただけ。アスレイの職場もどんな感じなのかずっと気になっていたし。
何より二人だけで会うのは久しぶりだから楽しみでさ。いろいろと聞いてほしい話があるんだ。主にここ数日の話だけど。」
クラウスのこういうところが憎めないのだ。これまでの付き合いで、今の言葉がお世辞ではないと分かる。
俺は文句を言うのは終わりにして、話を聞いてやることにした。
「世間全体が例の婚約発表で盛り上がっているからな。騎士団の方は何かと大変だろう?」
「そうなんだよ!特に今日は公開訓練だったんだけどさ、さすがに僕も疲れちゃったよ。」
公開訓練か。……察しはつくな。いろいろと。
大方、クラウスを婚約相手だと思い込んだ観覧客が騒いでラルダが不貞腐れたといったところだろう。
そう言うや否や、彼は早速今日の公開訓練でいかにラルダが機嫌が悪かったか、自分の部下が巻き込まれて大変だったかを語った。
「──だからさ、さっきラルダに部隊長として文句言っておいた。ラルダも可哀想だけど、僕だって困ってるんだし、他の団員たちには関係ないから。」
公私混同など滅多にしないラルダがそこまでになっていたと聞き、俺はそっと同情する。
「ゼンは?アイツは何をしているんだ?」
「それがさ、例の発表の次の日に、第1部隊は緊急の討伐遠征に行っちゃったんだよ。ラルダは公開訓練だけじゃなく、隣国からの来賓をもてなす夜会の予定もあるってことで、お留守番。」
「なるほどな。団長に王女に、相変わらず多忙だな、ラルダは。よくやっているよ。」
「ゼンは順調にいけば今日中に帰ってくるんじゃないかとは思うんだけどね。ドルグス副団長も参っていたし、切実に早く戻ってきて欲しいよ。ラルダのフォロー係。」
「まったくだな。」
あの大喧嘩の一件でもそうだったが、いつだってラルダに足りないものを気付かせるのはゼンで、その分落ち込むラルダを立て直すのもまたゼンだった。
──最初からきっと、こうなる運命だったのだろうな。
さて。
雑談に花を咲かせる前に「本題」も忘れないようにせねば。
「ところで。レストランの予約まで時間があるが、どうする?」
「うーん、早めに行って入れてもらえるか聞いてみようか。ダメだったら近くの店を見て回って時間を潰しながら、何かいいものがないか探してみよう。」
「そうだな。」
クラウスも本題は当然忘れていないようだった。
今日、クラウスと二人で会う約束をした理由は一つ。
俺はツィー先生とメイバル先生との会話を思い出しながら、丸眼鏡を指で軽く押し上げつつ口にする。
「渾身のサプライズプレゼントで、大切な同期を『心から祝福』してやらないとな。何が良いか真剣に考えようではないか。」
クラウスはそれを聞いて、悪戯っぽく笑いながら頷いた。
「もしこの後プレゼントをすぐ買えちゃったら、せっかくだから夕ご飯を食べながら、渡すときのサプライズ演出も考えてみようか。大切な同期のために。」