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婚約者様は非公表  作者: 湯瀬
第二部
38/93

11 ◆ ユンのコソ泥デビュー戦(3)ユン視点

全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。

恋愛系小説にて苦手な要素がある方は、先に投稿済の【第二部 注意書き】をお読みください。


 ………………キッツイなぁー。



 俺は言葉にし難い不快感とともに目を開けた。

 普通に気持ち悪いし、なんならちょっと嫌な汗もかいた。


 俺の長年の経験からすると、この感覚はけっこう休息失敗の部類だ。ほんのちょっとしか回復できなかったやつ。


 まあ、もともと今はほんのちょっとしか休む気なかったからいいけど──……って、



「は?!?!」



 俺は思わず腕時計を見て飛び起きた。



「嘘でしょ?!まじで?!」



 時計の針は、()()4()()4()2()()を示していた。



「──やばいやばいやばいやばい!」


 俺は口に出して焦りだす。


 やばいやばい!休み過ぎた!

 少しだけ休むつもりだったのに、ちょっと意識飛ばしちゃった!……っ、最近寝れてなかったせいだ!!



 いや、落ち着け。急いで考えるんだ!


 今から秒で王城に行って……ハンネエーラさんから速攻で銃を受け取ったとしても、王城内の往復で40分。

 それから爆速で走って宿屋に行って銃を返せば、ギリギリ5時半までには収まる。

 ──それでいくか?!


 いやいや、でも午前中も結局想定よりもだいぶ時間がかかっちゃったんだ。今からそんなスムーズに行くとは限らない。……ってか、行かない可能性の方が高い。

 それに何より、5時半っていうのがそもそもリスキーすぎる!兄ちゃんなら帰ってきちゃっても全然おかしくない!


 っ……!ああー!ラルダさんに「今日は兄ちゃんとそのまま訓練後に手合わせデートして時間稼いでおいてください!」ってお願いして保険かけておくべきだった!

 まじやっちゃった!!俺の馬鹿!!



 俺は慌てながら、ラルダさんの部屋がある王城の塔を見る。

 この研究所の屋上からはラルダさんの部屋の窓が見えてるっていうのに、あそこまで20分もかかるっていうのが絶望的──……



 ………………あ、ちょっと待って。



 俺が今取れる選択肢は二つ。


 一つは、急いで王城の正門に行って、正規ルートで銃を返しに行くこと。

 兄ちゃんが早めに帰ってこないことをひたすら祈るルートだ。

 一応案内係リレーの人に「急いでるんです!走ってください!」って図々しく訴えることで多少は時間を巻けるかもしれないけど、そこで案内係の人が逆に立ち止まって「しかし──」とか言って困惑したり無理なことを説明し始めたりしたら詰む。


 もう一つは──……


 ……絶対やっちゃいけない。第一王女ラルダさん公認のコソ泥計画から外れた、普通の犯罪。


 でも、こっちの方が絶対に早い。4時半はもう過ぎちゃってるけど、魔導騎士団訓練終了の5時には確実に間に合う。


 問題点としては、王城の見張りの人にバレたり、ハンネエーラさんに訴えられたりしたら俺が即逮捕されるってこと。

 あとはまあ……多分、ハンネエーラさんが腰を抜かしたりせずに対応してくれればいけるはず。


 幸い長々と休んでしまったことで、ほんの少しは回復できた。今の体調ならこのくらいの距離はギリいける。


 だいたい普通の渓谷の3倍くらいの距離。これを飛び越えれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 迷っている暇はない。


 どっちのリスクを取るかだけだ。



 俺は数秒だけ迷って、そして()()()()()()()



 自分に認識阻害魔法と強化魔法ををしっかり掛けて、念のために屋上の端に下がって一旦距離をとって──


 ──それから思いっきり助走をつけて、一気に王城の塔の窓に向かってジャンプした。



◆◆◆◆◆◆



 ──ボゴォッ!


 すみません!今ちょっと城の壁を掴むために、指で穴を開けちゃいました!

 後でハンネエーラさんかラルダさんに謝って修理しておいてもらおう。


 俺は狙い通り、王城の左側の塔の、ラルダさんの部屋の窓の下あたりに飛びついた。

 ……いや、正直に言うと、完全な狙い通りではない。本当は窓の上あたりに着地したかった。……やっぱりちょっと体調悪いな。


 俺はさっと窓枠に飛び乗って、認識阻害魔法を一旦解除する。それから軽く、でもちゃんと気付いてもらえるようにしっかりと窓を叩いた。

 するとちょうど部屋の窓の近くにいたハンネエーラさんが、俺の不審な窓のノック音に気付いて振り返った。


「っ!きゃ……っ、………!ユン様?!」


 ハンネエーラさんの驚いた声が、窓を隔てているせいでくぐもって聞こえた。


 ……ここで咄嗟に悲鳴を我慢できるハンネエーラさん、まじで優秀すぎる。


 俺は今さらだけど想定していなかったリスクに気付いて肝を冷やした。


 ってか、そうじゃん。これでハンネエーラさんが悲鳴でもあげたら、警備の人や他の使用人たちがすっ飛んできて俺が即逮捕されるじゃん。

 ハンネエーラさん以外の侍女に先に見つかった場合も、叫び声を上げられて絶対終わってた。


 ……あっぶなー。


 俺はこの一瞬の強運とハンネエーラさんの強心臓に感謝した。


 ハンネエーラさんが戸惑いながらも窓を開ける。


「ユン様!こんなところから!一体どうやって……!」


 俺は「あはは、本当にすみません。ちょっと時間が遅くなっちゃったので、飛んできました。」と正直に言いながら恐縮しつつ部屋の中に降り立った。


「それで、早速なんですが、銃はもういただいちゃっても大丈夫でしょうか?模写は終わりましたか?」


 俺の登場方法についてこれ以上語り合っている暇はない。それにいろいろ突っ込まれたくない。

 俺は早速本題をハンネエーラさんに振った。

 するとハンネエーラさんは驚いていた顔を一瞬だけ曇らせて、でもそれをすぐに優しい笑顔で取り繕った。


「ええ。できる限りのことはこちらでさせていただきましたわ。ありがとうございました。」


 そう言って、また丁寧に白い布で銃を持って俺の方に差し出してきた。


 …………多分、やっぱり錆が酷くて思うように描ききれなかったんだろうな。絵師の人。


 俺は長く語っている時間はないから、とりあえず安心だけしてもらえるように軽くハンネエーラさんに伝えた。


「あの、この錆びた銃だけじゃちょっと柄の再現は厳しかったんじゃないかと思うので、明日あたりに俺が補足を紙に描いてラルダさんにお渡ししますね!」


 俺はハンネエーラさんの返事を聞かずに急いで父ちゃんの二丁の銃を鞄にしまう。


「じゃあ、いきなりすみませんでした!失礼します!」


 そう言って俺は一気に窓から飛び降りる。

 ハンネエーラさんに「窓からは行かないでください」って言われたら、王城の帰り道案内で20分ロスしちゃうから。何か言われる前に逃げちゃおう。


 さすがに直接この高さから地面に着地するのは、強化魔法を使っていたとしても骨が折れる可能性がある。

 まあ折れたら回復魔法をかければいいんだけど。


 だから俺は近くの王城の別の屋根を2回くらい経由して高さを調整して、最後は城壁に飛び移って、そこから無事に王城の敷地外に着地した。


 俺は急いで腕時計を確認する。


 ──時刻は午後4時46分。


 よし!相当時間を巻けた!これなら5時前に余裕で宿屋に銃を戻せる!



 そう思って俺は立ち上がり、さっと周りを見渡して──……少し離れたところにいる王城の入り口の門番たちと目が合った。



 あっ、やべっ。



 俺、今ラルダさんの部屋から降りてくるとき、認識阻害魔法忘れてた?



 門番の人たちがめっちゃ困惑しながら警戒した目でこっちを見ている。午前中にいた門番とはまた別の人たちだ。午前午後で交代制なのかな。


 …………うん。そうだよね。

 城壁から飛び降りてきた怪しい男。怪しいよな。分かる。捕まえるべきだよね。普通はね。


 見つめ合うこと数秒。

 俺は向こうが正常な判断を下して俺に襲いかかる前に、勢いで俺の方から話しかけに行った。


「すみません!ちょっと諸事情で別の道を経由しちゃいました!ラルダ様からのお使いで来ました。ユンです!」


 俺は鞄の中から研究所の職員証を取り出す。

 お使いを頼まれた研究所の職員なら城壁から飛び降りていいわけじゃないけど、無いよりはマシだろう。


「あ、ああ……ユン様ですか。お話は伺っております。」


 門番の人たちは完全に困惑しているけど、俺はにっこり笑って滅茶苦茶勢いで誤魔化した。


「はい!ですが、用件は済んだのでもう大丈夫です!ありがとうございました!お世話になりました!」


 何も大丈夫じゃない。何もありがたくない上に、この門番たちにはまだ何もお世話になってない。

 でも大丈夫じゃないことに気付かれて、この人たちに今からお世話になる……というか、お縄になるわけにはいかない。


 俺は全力で「にこっ!」と笑って、門番から無理矢理「あ、ああ、お疲れ様です。」という言葉を引き出した。

 それを聞いた俺は「では!失礼します!」と元気に挨拶をして速攻で……でも慌てないようにあえてのんびり歩いて王城の門の前から去る。

 ここでまた強化魔法を使っていきなり走り出したら、それこそやましいことした不審者確定になっちゃうから。「逃走したぞ!」って言って追いかけられたらまじで笑えない。


 俺はもう冷や汗でだらだらになりながら、何とか曲がり角を曲がって門番たちの死角に入った。



◆◆◆◆◆◆



 ……死ぬかと思った。あれは100%アウトだった。


 でも今はそんなことを振り返っている暇はない。

 時刻は午後4時51分。

 俺は反省を生かして今度はしっかり認識阻害魔法を掛けて、また宿屋「クゼーレ・ダイン」に向かって一気に駆けていった。


 カランカラン……。


 ベルがついた入り口のドアをそっと開けて中の様子を窺う。

 すでに鍵束を持ったミリアさんが、食堂の隅のテーブルのところでお茶を飲みながら休憩していた。


「あ、ユンさん!お帰りなさい!待ってました!鍵はもう用意してありますよ!」


「っ、ミリアさん!!聖女!!」


 俺は思わず叫びながら拝む。

 まじでありがとうミリアさん!!最高です!!


 そこからは超スムーズだった。ミリアさんが兄ちゃんの部屋の鍵を開けて、いつもの清掃終わりにやっているように、自然に父ちゃんの二丁の銃を部屋の机の上に並べて置いて、最後にそっと鍵を閉めた。


 俺が戻すとなったら、ここで「あれ?どうやって置くんだっけ?向きは?どっちの銃が左だっけ?」ってまた異様に焦ってただろうから本当に本当にありがたい。


 ミリアさん……まじで本当にありがとう。好きです。


 いや、ミリアさんに彼氏いるの知ってますし、俺も彼女いるんで、もちろん「人として」だけど。

 ……でも、もし彼女がいなかったら吊り橋効果もあって確実に一発で惚れてた。そのくらい俺の胸は今、必要以上に高鳴ってる。


 あとは俺が兄ちゃんに遭遇する前にさっさと宿屋を出てお終いだ。

 俺はミリアさんにお礼を言って、一応何か俺が痕跡……落とし物とかしちゃってないかを確認して、それから宿屋を後にした。


 時刻は午後4時59分。


 いろいろと計画は狂っちゃったけど、何とかなったんじゃないかな。俺のコソ泥デビュー戦。


 ……が、職員寮に帰るまでは油断しない。


 王都の家々の屋根の上を走っていて兄ちゃんとすれ違ったらおかしいし、道を歩いていて兄ちゃんとすれ違うのもまたおかしい。

 俺は兄ちゃんが絶対に歩きそうにない、中途半端に離れた通りに出て、滅茶苦茶遠回りをしながら職員寮に向かって歩き出した。


 …………体調が悪い。


 後半ずっと焦り過ぎてて忘れてたけど、そういえば俺は今日けっこう体調がやばかったんだった。


 俺は普段は来ない通りをとぼとぼと歩きながら、途中で適当にパン屋の売れ残りで値引きされているパンを買った。


 今日の晩飯はこれでいいや。何も胃に入る気しないし。


 そうして俺は無事に、職員寮へと辿り着いた。


 時刻は午後6時13分。


 ………………1時間以上歩いてたんだ。俺。



◆◆◆◆◆◆



 ……どうしよう。滅茶苦茶不安になってきた。


 今日の反省点はいろいろあるけど、一番やばいのは多分あれだ。ラルダさんの部屋から飛び降りたときの認識阻害魔法忘れ。

 今頃になって王城で「アイツ逮捕しろ!」ってなってたらどうしよう。ラルダさんに事情を話してアフターフォロー頼んでおくべきだったかな?

 でもそれ、ラルダさんに「さっき認識阻害魔法忘れて王城の屋根飛び回っちゃいました」って言うために魔導騎士団の方に行かなきゃいけなかったってことだし。そこで兄ちゃんにバッタリ会って「何で今日お前が魔導騎士団(こっち)来てんだよ。」って言われる可能性はめっちゃあった。

 だからそんなアフターフォローなんて、もともと無理な話だな。


 ……っていうか、兄ちゃんが俺の姿見てたらどうしよう。

 兄ちゃんはそんなタイプじゃないけど、訓練中にふと物思いに耽りながら婚約者(ラルダさん)の王城の部屋を見つめる……なんてことしてたかもしれない。今日一日だけ、急にそんな繊細な気分になってたかもしれない。

 そうでなくてもただ単に視界に入って「……?何だアイツ。……は?ユン?」ってなってる可能性はある。ってか、そっちの可能性の方が高い。


 そもそも、午後3時に休んだ俺が悪い。あのまま素直に行っとくか、我慢して仕事をすべきだった。


 あ、そういえば仕事。

 今日の俺、研究所からちゃんと退勤してない。中抜けするって言ったまま消えた人じゃん。就職一年目の新人にしてこの大胆さ。やっば。……まあいいや。鞄持って出たし。今さらだよな。体調悪くて戻れないまま早退したってことにしよう。そうしよう。実際そうだし。


 うわー……もう振り返ると滅茶苦茶じゃん。

 俺、全然ちゃんとできてない。


 学園の中等部の頃、一時期推理小説にハマってたけど、今ここに小説の名探偵たちがいたら秒で俺の犯行は暴かれただろう。

 ガバガバすぎる。証拠しかない。研究所の人たちと門番の人たちと、あとは街の人たち。聞き取り調査でもされたら一発でバレる。今日一日、俺は王都で一番の不審者だった。不名誉過ぎる。



 ………………寝れない。



 俺は目を閉じるのを諦めてベッドから起き上がった。


 代わりに暗い部屋の中で卓上電気だけをつけて、机に向かう。

 そして紙とペンを取り出した。


 ──どうせ寝れないなら、描くか。アレを。


 そう思って俺は無心で描き始めた。


 ほぼ12年振りだけど頭と手はしっかり覚えてる。

 当時あれだけ観察して、教わるでもなく自力で規則性を見出して、それでひたすら練習したから。


 ──サラ(ねえ)の家の伝統工芸。俺たちの母ちゃんが大好きだった、ウェルナガルドのあの(がら)を。



◆◆◆◆◆◆



 めっちゃくちゃな犯行翌日。

 今日は魔導騎士団の方の出勤日。


 さすがに魔導騎士団の方で体調不良だと訓練に支障が出ちゃうから、俺は例の柄の補足を描き終えた今朝の4時くらいから3時間ほど、無理矢理目を瞑って身体を休ませた。

 相変わらずうまく休めなくて、あんまり回復はしなかったけど、例の危険信号レベルの体調からはギリギリ脱した感はある。

 兄ちゃんも同じような不眠の症状を抱えているお陰で、ラルダさんやクラウス隊長は俺がわざわざ口にしなくてもけっこう気を遣ってくれる。

 今日も午前中は専門ごと、午後は部隊ごとの訓練だったはず。キツくなったらクラウス隊長に言って小一時間くらい休ませてもらおう。それで多分大丈夫だ。


 朝の全体集合からの、ドルグス副団長の連絡事項とラルダさんの号令。

 俺は第2部隊を挟んだ向こうにいる第1部隊の兄ちゃんの表情がどうなっているのか気になって仕方なくて、でも確認なんてできなくて、何も頭に入ってこなかった。


 そういえば今日はまだ「おはよう!兄ちゃん!」って言ってない。


 別に毎日言ってるわけじゃないし、会わないときは普通に言わないまま一日を終えるけど、今日兄ちゃん俺の近くに来たっけ?そもそも俺が無意識に避けてたかも?

 俺の挙動不審っぷりは今日も継続中かもしれない。


 そんな中でいつも通りに午前の訓練が始まった。


 演習場から後衛の兄ちゃんたちが出ていくのを見送って、それから一応5分くらい追加で時間をとって……そして俺はそそくさと自分の鞄から、少し厚みのある封筒を取り出した。


 そしてそそくさとラルダさんの方へ小走りで駆けていく。


「ラルダさん。これ、どうぞ。」


 そう言って俺は特に前置きもなく、ラルダさんにささっと両手で封筒を渡す。

 近くにいた前衛の団員の何人かが「何してんだ?」って顔でこっちを見ている。

 嫌だけど、この程度の数の目撃者はもう仕方がない。王女で団長で兄ちゃんの婚約者のラルダさんが一人でいるタイミングを見計らって俺から声を掛けるなんて、普通にほぼ不可能だからだ。


「ユン?……っ、これは──……」


 ラルダさんが少しだけ目を見開く。

 もしかしたらハンネエーラさんから話を聞いているかもしれないけど、聞いていないかもしれない。だから俺は簡単に、周りにバレない程度にラルダさんに封筒の中身を説明した。


「詳しいことは1枚目に文章で説明として書いてあるので読んでおいてください。

 我ながら下手でお恥ずかしいんですけど……昨日のやつの補足です。アレだけじゃ不十分だったと思うんですけど……これがあれば多分ラルダさんならうまくできると思います。」


 ラルダさんがハッと息を呑む。


 ──よかった。だいたいちゃんと伝わったようだ。


 これで一応すべての用は終わった。まだまだ不安は残っているけど、一旦スッキリした俺は、笑顔でラルダさんに「では!失礼します!」と礼をしてまた小走りで訓練に戻った。


 チラッと振り返ってラルダさんの様子を確認したら、ラルダさんはじっと封筒を見つめ、それから髪を靡かせてさっと建物の中へと入って行っていた。


 執務室にでも置きに行ったかな?


 そこら辺にポーンって置かれたりしなくてよかった。どうか、あの封筒とその中身が兄ちゃんに見つかりませんように。



◆◆◆◆◆◆



 コソ泥が一番緊張するのはいつだろうか。


 犯行を決意する瞬間?実行に移す第一歩を踏み出す瞬間?まさに盗む物を手に取る瞬間?走って逃げている瞬間?それとも翌日、普段通りに振る舞っている瞬間?


 ──俺は今だ。


 今まさに俺は一番緊張していた。


 そう、それは…………盗んだ相手に声を掛けられた瞬間だ。


「おい、ユン。」


 午後の訓練が終わってすぐ。さっさと帰ろうといつもよりもそわそわしながら演習場を後にしようとしていたら、いきなり後ろから声を掛けられた。

 いつもなら余裕で気配を感じられるから、何事もなく普通に振り返れるんだけど。今日は何故か全然気付けなかった。


 いつの間に後ろにいたの?!兄ちゃん。


 そのせいで俺は軽くビクッと身体を反応させてしまっていた。

 ……まずい。兄ちゃん、今の俺の反応を不自然に感じたかな?


「何?兄ちゃん。」


 俺はなるべくいつも通りになるように笑顔を貼り付けて振り返る。

 そこには俺のことを真顔……よりは微妙に怒ってるっぽい顔で見下ろす、あまり機嫌のよろしくない兄ちゃんの姿があった。


「……お前、今日この後、宿屋来い。」


「えっ?」


 なんで?


 っていう言葉を、俺はすんでのところで飲み込んだ。

 そして代わりに


「いいけど……。」


 と続けた。


 ──あっっっぶな!


 ここで「え?なんで?」って言ったら、この場で犯行がバラされる気がした。魔導騎士団のみんなの前で「お前、何親父の銃勝手に盗んでんだよ。」ってあっさり聞かれそうな気がした。危ない危ない。勢いで聞き返さなくてよかった。


 ……ん?でもよく考えたら、普段の俺なら「え?なんで?」だよな。


 今の「え?いいけど……。」って、もしかして、けっこう不自然だった?


 やばい、もう正解が分からない。


 犯行自体はもう終わったけど、それから疑われないように日常生活を送るのもコソ泥の仕事なんだな。難しすぎる。誰か助けて。


 俺のそんな内心を知ってか知らずか、兄ちゃんは俺の顔をじっと睨むように見た後で「さっさと来いよ」と言いながら俺を抜かして先に行ってしまった。


 ………………っ、スゥー…………ッ。


 俺は静かに息を吐く。……いや、息を吸ったのかもしれない。もうそれすらもどっちか分からない。


 …………やばい、怖いぞ。怖い怖い怖い。


 俺は今までの人生で一番、兄ちゃんの存在を怖いと思った。


 でも、返事をしちゃった以上、行くしかない。


 そして俺は今までの人生で一番、兄ちゃんに怯えながら、恐る恐る宿屋へと向かった。

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