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婚約者様は非公表  作者: 湯瀬
第二部
37/93

10 ◆ ユンのコソ泥デビュー戦(2)ユン視点

全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。

恋愛系小説にて苦手な要素がある方は、先に投稿済の【第二部 注意書き】をお読みください。


 俺のコソ泥デビュー戦は、ラルダさんから相談を受けた3日後に決定した。研究所の方の出勤日。

 平日じゃないと兄ちゃんの行動が読みきれないし、魔導騎士団の方の出勤日だと俺が不自然に中抜けしているのがバレる可能性があるからだ。


 計画は簡単。


 まず、兄ちゃんが魔導騎士団に出勤した後の時間帯に宿屋に行って、ミリアさんとゼルドーさんに事情を説明して兄ちゃんの部屋の鍵を開けてもらう。

 それで、父ちゃんの形見の銃を拝借して、王城に行って、話を通してある門番と使用人に案内してもらってラルダさんの部屋に行く。そこにいる侍女のハンネエーラさんって人に銃を預ける。

 それから数時間……余裕をもって5時間くらい、王宮絵師の人が銃身の柄を模写する時間を取って、俺がもう一度銃を回収しに王城に行って、最後に兄ちゃんが帰宅する前に宿屋の部屋に銃を戻す。


 こんな感じ。


 ……うん。余裕じゃない?普通にやれば失敗なんてしない、完璧な計画。

 そもそも兄ちゃんが一日中魔導騎士団の敷地内にいることは分かってるしね。やりやすすぎるでしょ。



◆◆◆◆◆◆



 …………って思ってた3日前の自分が愚かだった。


 計画実行日。コソ泥デビュー戦当日。俺は朝からすでに吐きそうだった。

 夜は当然緊張で全然眠れなかったし、寝ない間ぐるぐる考えていたら、不安な点ばっかり出てきてしまった。


 もし兄ちゃんが普段と違う行動をとったら?急に「忘れもんしたわ」とか言って宿屋に帰ってきたら?そもそも「腹痛(はらいて)え」とか言ってその日は騎士団の訓練に行ってなかったら?

 もしミリアさんとゼルドーさんに拒否されたら?……あの二人、本当に仕事と私情はきっちり分けるし……お客様のお部屋には何人(なんぴと)たりとも無断では入れません!って言われたら?

 もし父ちゃんの形見の銃がそこに無かったら?兄ちゃんが気まぐれでその日だけ持ち歩いていたら?変なところにしまっていてうまく見つけられなかったら?

 もし門番や使用人や侍女の人たちにちゃんと話が通っていなかったら?ラルダさんに限ってそんなことはないと思うけど、ラルダさんがうっかり連絡しそびれていたら俺が不審者で捕まる。そうなったら計画どころじゃない。

 もしいきなり王城の近くで兄ちゃんにばったり会ったら?前に所長が「偶然お兄さんに会ったよ」って言っていたのを急に思い出したら胃が痛くなってきた。

 兄ちゃん、お願いだから今日は動かないでずっと訓練場にいて…………。


 研究所に出勤して「おはようございます……所長……」って挨拶したら、所長に「ユン?!顔色が悪いぞ?大丈夫か?無理せず休んだらどうだ?」って心配された。

 適当に「あはは、ご心配ありがとうございます」って言っておいたけど、まあこれはこれで堂々と長時間中抜けしやすくなったからラッキーかもしれない。


 ……さて、不安がっていても仕方がない。

 俺は時計をチラチラ見ながら仕事を始める。


 兄ちゃんとラルダさんの結婚式当日に、兄ちゃんに最高のプレゼントをするための、失敗できない一発本番の大仕事。

 やることはコソ泥だけど、大仕事。


 俺はコンディション最悪のまま無理矢理気合いを入れた。

 


◆◆◆◆◆◆



 午前10時。魔導騎士団は午前の訓練真っ最中。


 ……そろそろかな。


 俺は「ちょっと休憩行ってきまーす」と適当に席を立った。

 研究所は意外とこういう休憩を取ることに対して緩くて、本当に「やることさえやっていれば、自分の裁量でご自由にどうぞ」って感じの職場だ。

 ある意味では能力主義。会議や合同研究さえなければ、時間は好きに使っていい。自分の研究をしっかり進めていればそれで充分。

 まあ、仕事ができていないと容赦なくクビになるみたいだけど。でも俺としては、そっちの方が分かりやすくて楽でいい。魔法研究所も魔導騎士団も、本当にいい職場だ。


 俺はそのまま研究所を出て、認識阻害魔法をかけて一気に宿屋まで駆けていった。

 あんまり意味はないのに、今日は妙に「最短ルート」や「目撃されない静かな走り」を意識してしまう。


 ……やましいことがある状態で街を走るのって、こんなに怖いんだ。勉強になった。俺は真っ当に生きよう。今さらだけど。


 無事に宿屋について、緊張しながらそろりと店のドアを開ける。中に兄ちゃんがいたらどうしよう。俺の心臓はその瞬間に停止する。

 …………そう思ってドアを開けたら、兄ちゃんではなく、店内清掃をしていたミリアさんが驚いたような声をあげた。


「ユンさん?!どうしたんですか?平日のこんな時間に。珍しいですね。ゼン今日はもう仕事行っちゃいましたよ?」


 ……第一関門は突破した。


 兄ちゃん、お願いだから「忘れもんしたわ」の突然帰宿だけはやめてね。


 俺はミリアさんに「突然のことで申し訳ないんですけど──」と言いながら早速事情を説明した。

 ラルダさんの発案による、ラルダさんの兄ちゃんへの愛が詰まったサプライズの結婚プレゼント。それに必要な父ちゃんの形見の銃。それを兄ちゃんに内緒で貸して欲しい──……と。


 ミリアさんはそれを聞いて「お゛ぉ王゛女様゛ぁ〜〜〜!!ずでぎずぎま゛ずぅ゛〜〜〜!!!」と感極まって泣いていた。

 ……最後は「素敵すぎます」なのかな?ミリアさんって感動屋さんだな。可愛くて面白い人だと思う。


 俺が「宿屋のお二人にとっても、客本人以外に部屋の鍵を提供するっていう……ちょっと加担させることになっちゃうんですけど……大丈夫ですかね?」と遠慮がちに聞くと、ミリアさんは涙をエプロンで拭いながら笑顔で頷いた。


「大丈夫です!他のお客さんならちょっと……ってなりますけど、ゼンとユンさんのことなので。

 あ、でも一応お父さんにも確認は取ってきますね。少しここで待っていてください!」


 そう言って店の奥に駆けていくミリアさん。

 俺はそわそわしながら隅っこの椅子に座ってミリアさんの戻りを待つ。

 店の奥から「ぞっ、ぞれでぇ〜っ!ラルダ様゛がぁぁ〜!」というミリアさんの声と「いちいち泣いてっからまったくわかんねえぞ!さっさと続きを話せ!」というゼルドーさんの声がする。


 予想外のタイムロス。俺が説明した方が10倍早い。


 ……急に兄ちゃんが戻ってきたらどうしよう。急に兄ちゃんの知り合いが宿屋に訪問してきたらどうしよう。


 お願いミリアさん!ラルダさんの想いに共感してくれたのは分かったから!感動屋さんで可愛いのは分かったから、もうちょっと早く!巻きで説明して!!


 しばらくして、また涙をエプロンで拭っているミリアさんと、鍵束を持ったゼルドーさんが奥から出てきた。


「おう、ユン。話は聞いたぜ。大丈夫だ。一応俺たちも立ち会って見させてもらうが、ゼンの部屋は開けてやるよ。」

「ありがとうございます!ゼルドーさん。ミリアさん。」


 俺は急いで立ち上がる。

 ゼルドーさんとミリアさんのこういうところ、本当に信頼できるよな。普段あれだけ兄ちゃんと気さくにやりとりしてるけど、決して「あ、ユンさんですか?ゼンの部屋くらい全然いいですよー。どうぞどうぞー。」って言って鍵を開けたりしない。ちゃんと客を守ろうとするし、明らかに弟本人の俺が来ていて事情がしっかりあったとしても、こうして見張ろうとしてくれる。

 兄ちゃん個人への情と、仕事の線引きがきっちりできてる。


 兄ちゃんが安心して寝れるはずだ。


 ラルダさんに、宿屋のお二人。兄ちゃんは本当に素敵な人たちを見つけたよなぁ。


 きっと、それは兄ちゃんがいい人だからだ。兄ちゃん自身がいい人だから、ちゃんといい人を見極められるし、いい人たちからも好かれるんだ。


 俺はしみじみしながら、二人の後をついて階段を上がった。



◆◆◆◆◆◆



 兄ちゃんの部屋に入ったら、銃はあっさり見つかった。

 ミリアさんに「最近は清掃したら机の上の手鏡の横に置いておくようにしてます。」って言われたから、壁際の机を見たら、ミリアさんの言っていた通りのところに二丁とも綺麗に並べて置いてあった。

 多分、兄ちゃんが動かしてないだけだな。

 兄ちゃんが今日気まぐれで持ち出したり変なところにしまったりしてなくて良かった。


 俺は安心しながら父ちゃんの形見の銃を手に取る。

 宿屋の兄ちゃんの部屋にはたまにお邪魔してるし、そのときにチラッと視界に入ることもあるから、ものすごく久しぶりってわけじゃないけど。

 でも、意識して手に取るのは本当に久しぶりだった。何年振りだろう?それこそ、学園に入る前……8年近く前かな。そのくらい振りじゃないかな。


「久しぶりに持つと、なんか……けっこう軽いな。父ちゃんの銃。」


 俺はそのまま思ったことをぽつりと呟いた。


 銃って、俺の双剣より軽いんだ。

 昔から……何なら今でも、父ちゃんのこと、ずっと大きくて強い存在だって思っていたけど……なんだかこの銃、思ったより軽くて……儚くて頼りないな。


 後ろの入り口のところにいるミリアさんとゼルドーさんから、温かくて悲しい視線を向けられた気配がしたけど、二人の顔を見たわけじゃないから分からなかった。


 ……あれ?俺、今もしかしてけっこうしんみりした発言しちゃった?ただ感想を言っただけだったんだけど、気を遣わせちゃったかな。


 ……まあいいや。



 俺は久しぶりに手に取った銃を眺める。


 ……こうやって見ると、けっこう(さび)が酷くて柄があんまり見えない部分けっこうあるな。

 ラルダさん、大丈夫かな。これだけじゃ多分、完成できないだろうな。


 ウェルナガルドの伝統工芸の柄は、6つの柄のパターンがあって、それが繋がっている。繋ぎ部分はそれぞれの柄同士の組み合わせで、全15通り。

 要はその21のパターンを把握できていれば、いくらでも延々と柄を繋げて描き続けられる。


 そして……実は俺はその柄を一応全パターン絵に描ける。故郷が全滅しちゃった今となっては、地味な秘技だ。

 まあ俺の絵はけっこう下手だから、この実物の銃と照らし合わせないと、俺の絵だけではちゃんとした感じにならないと思うけど。


 俺はちょっとお節介かなと思いつつも、今晩か明日あたりに柄を紙に描いてラルダさんに追加で渡そうと心に決めた。その補足と解説があった方が、絶対やりやすいだろうし。あるに越したことはない。


 ちなみに描ける理由は超不純。

 あの伝統工芸は、伝統工芸っていうか……お隣のサラ(ねえ)の家系が代々継いでやっていた、あの一家の伝統のものだったからだ。所謂、家族経営ってやつ。その家族経営の工芸品を、町のみんなが伝統工芸として認めてたんだ。おじさんが金属に彫刻するのを担当して、おばさんが焼き物や看板に描き入れるのを担当してた。サラ姉はおばあさんに習いながら刺繍の練習してたな。懐かしい。

 それで、俺は当時サラ姉が好きだったから、その柄が描けるようになりたかっただけ。それだけだ。

 別に話題作りって訳でもないし、婿入りして一緒に継ぐ気があった訳でもないけど。なんか一時期必死になって習得してた。


 ……普通に綺麗だったし、難しくてパズルみたいで面白かったし。

 描けるようになったときはサラ姉関係なく、素直に嬉しかったな。



「よし!じゃあ、ありがとうございました!また今日の午後に、銃を戻しにきますね。」


 俺はそう言いながら二丁の銃を鞄にしまう。うっかり落っことさないように、厳重に、奥の方に。

 ……鞄の底に急に穴なんて空かないよね?まさかね。走ってる間に抜け落ちたりしたら笑えないんだけど。


 ……鞄にしまうだけでもこんなに怖いなんて。コソ泥って難しい職業だな。


 そして俺はまた認識阻害魔法を忘れずに掛けて、急いで王城へと向かった。無駄に鞄に手を軽く添えながら。



◆◆◆◆◆◆



 王城の入り口に立つ。

 俺は王宮の敷地内に勤めているし住んでもいるけど、もちろん王城には入ったことなんてない。


 一生に一度でも、お城に入ることがあるなんて。そんな人生、全然想像してなかったな。しかもそれが、盗品のお届けだなんて。


 兄ちゃんが王女様(ラルダさん)と結婚しなければ、こんな人生にはならなかった。

 本当に兄ちゃんは予想外で規格外なすごい人だ。


 ラルダさんはやっぱりしっかりしていたから、俺が「ユンです。ラルダ様のお使いで来ました。」と言いながら研究所の職員証を見せると、門番の人は頷いて「お話は伺っております。こちらへ。」と案内してくれた。


 ……でも王城ってデカすぎる。


 門番の一人に「こちらへ」って言われてから、ちょっとずつちょっとずつ使用人や衛兵の人たちにバトンタッチされていって、今俺を案内して前を歩いてくれている人はもうすでに5人目だ。

 しかもみんな歩きが遅い。「俺、ドレス着たお姫様じゃないんで、もう少し早く歩いても大丈夫ですよ。」って声を掛けたくなるくらいもどかしい。


 30分……は言い過ぎかもしれないけど、確実に20分はかかってた。そのくらいかけて、俺はようやくラルダさんの部屋に辿り着いた。


 王城の正面左側、研究所に近い方の高い塔。その一番上のところだった。


 ……研究所の屋上からいつもなんとなく眺めてたあそこ、ラルダさんの部屋だったんだ。知らなかった。


 案内係8人目の使用人さんが部屋の前で声を掛ける。そうして中から出てきた侍女の人が、ラルダさんの言う「ハンネエーラさん」だった。


「ユン様ですね。お待ちしておりました。今日はお忙しいところありがとうございます。」


 そう言って穏やかに微笑むハンネエーラさんは、なんとなく想像していたよりも歳上だった。俺たちの親世代よりもちょっと上かな?でもおばあさんまではいかないな。そのくらい。


 この人がラルダさんの信頼している筆頭侍女さんか。


 俺は使用人に囲まれた生活がどんなものなのかよく分からないけど、もしかしたらラルダさんは、実のお母さんの王妃様よりも、ハンネエーラさんとの方が毎日長く一緒にいるのかもしれない。育てのお母さんみたいな人なのかも。


 俺はまさかラルダさん本人が不在の部屋に勝手に上がってお茶でも一杯優雅にいただく──なんて図々しいことができるとは最初から思っていないし、もちろん期待もしていない。

 そもそも、あんまり部屋の中をじろじろ覗くのも失礼だよな。


 そう思って、俺は部屋の中はあまり見ないようにしながら手早く用件だけ済ませる。


「ラルダ様が言っていた、ゼンの父親の形見の銃はこの二つです。もう弾も入っていないですし、そもそも壊れているので、どこを持っても大丈夫です。」


 俺が鞄の底から二丁の銃を取り出すと、ハンネエーラさんはわざわざ綺麗な白いハンカチだかナプキンだか、ちょうどいいサイズの布を両手の上に広げて受け取った。


「ありがとうございます。

 ──ユン様のお父様の大事な銃、大切に扱わせていただきますね。」


 そう言ってハンネエーラさんは俺の顔を見て優しく笑った。

 そっと「ゼン様の」じゃなくて「ユン様の」って訂正されただけで……なんだか、それだけで俺はほんの少しだけ泣きたくなった。


 ハンネエーラさんが俺たちの何をどこまで知っているのかは知らないけど、もしかしたら、ラルダさんからいろいろ兄ちゃんの生い立ちとか聞いているのかも。まあ、さすがにある程度は聞いてるんだろうな。少なくとも「ウェルナガルドの生き残りです」くらいは。


 ハンネエーラさんは、近所の優しいおばさんって感じだった。

 事情を知っていて、顔を見かけたときに「貴方たち、大変だったのね。よく頑張ったわね。」って言ってくれるおばさん。

 俺はこれまでの人生で初めて、この母親くらいの年齢の女の人にそうやって労わるような目線を向けられた気がする。


 俺はそのまま「じゃあ、また夕方あたりに取りにきます。」と頭を下げて、またのろのろと20分かけて王城を出た。



◆◆◆◆◆◆



 王城を出て、いきなり偶然兄ちゃんや魔導騎士団の人たちに遭遇しないかヒヤヒヤしながら研究所に戻る。

 30分程度の中抜けの予定だったけど、気付いたら1時間半も経っていた。主に王城の案内係リレーのせい……あとはミリアさんかな。


 自由な職場とはいえ、さすがに悪目立ちしそうなので間食用に引き出しにストックしてあったドライフルーツとビスケットを昼飯代わりにささっと腹に突っ込む。それで「さっきの1時間半の休憩の間に昼飯も食ってきちゃいました」っていう設定にしよう。

 実際、それから10分後くらいに先輩に「僕たちこれから昼ご飯食べにちょっと街に出るんだけど、ユンも行く?」って誘われたからそう答えた。


 ……っていうか、もう緊張で胃にそんなに物を入れられない。

 それに、こんなコソ泥作戦決行中に他人と和気藹々と雑談ができるような鋼の心臓は持ち合わせていない。

 犯罪者が挙動不審になるって、こういうことなんだな。


 俺は身をもって実感していた。



◆◆◆◆◆◆



 ………………やばい。けっこう体調がキツイ。


 最近うまく寝れてない自覚はあったけど、それが過度の緊張と混ざって今になって響いてきた。


 ここまでしんどいのはいつ振りだろう?学園卒業したとき以来かな?兄ちゃんの婚約の話を聞いちゃったあたり。

 うーん……でも別に最近は「兄ちゃんが死ぬ夢」はほとんど見てないから、どっちかっていうと日頃の地味な寝不足が蓄積してってるパターンだよな。今の()()は。そうなると……学園の中等部のとき以来かな?中等部の3学年あたり。

 あの頃は地味にただただしんどかったな。うん。それに近いな、今の俺。


 ……って、今は呑気に分析してる場合じゃない。これからのことを考えなきゃ。


 長年の不眠とのお付き合いの経験から、自分の不眠のやばいラインはけっこう分かってるつもり。その経験からいくと、今はかなりの危険信号だ。

 具体的に言うと、実際に身体の動作に影響が出てくるレベル。さすがにいきなり倒れはしないけど、いつもより少し走りが遅くなるとか、反応が鈍くなるとか……そのくらい。日常生活を送る分には支障はないけど、足の速い魔物に追いかけられたらけっこうやばいって感じ。


 壁に掛けられている時計を見る。時刻は現在午後3時。


 ………………迷うな。


 俺の体調からすると、もう今すぐ王城に銃を取りに行っちゃってさっさと宿屋に返しに走って、それで終わりにしちゃいたいけど……。

 ただ、そうすると王宮絵師の人が柄を描き写す時間がちょっと少な過ぎるかも。


 あの柄はけっこう凝ってて細かいからパターンを知らないで模写しようとすると超絶面倒臭いし、錆びていて見辛いから余計にやり辛いと思う。

 それに、銃は二丁あるから、絵師の人はきっと二丁分を丁寧に観察して描き写そうとしているはずだ。

 王宮絵師っていう絵の専門家がどのくらい速く描けるのか知らないけど、なるべく時間は取ってあげた方がいいよな。普通に昼休憩を挟みながらのんびり描いているかもしれないし。


 魔導騎士団の訓練の終わりは午後5時。そこから帰り支度をして帰るから、まあ普通なら直帰するとしても団員の人たちが建物を出るのはだいたい5時半くらい。

 で、兄ちゃんがもし普通に歩いて宿屋に帰ったらそこからまた15分くらいはかかるかもしれないけど、さっさと俺みたいに走って帰ってきたら秒で着いちゃう。


 俺はこれからの時間を軽く計算した。


 兄ちゃんが速攻で直帰したとして、それが午後5時半。

 ……いや、訓練が早めに終わったり、兄ちゃんが帰り支度をろくにせずに謎に超速で帰ってくることも想定したら5時には遅くともすべてを終わらせておきたい。

 宿屋に行くのを余裕を持って午後4時半としておこう。

 午前中の王城内の移動の感じからすると、また王城では受け取りに行くまでに片道20分はかかる。



 だから、この研究所を出るのを『3時45分』くらいにして、王城を歩いてラルダさんの部屋まで行って、『4時過ぎ』にハンネエーラさんから銃を受け取る。そこから20分くらいかけて王城を出て、それからさっさと宿屋に走って『4時半』前に銃を返す。



 ……よし。これでいこう。


 これなら王宮絵師の人にも模写の時間をもう少し確保してあげられるし、兄ちゃんや魔導騎士団の人たちにばったり会うのも極力避けられる。


 となると、あとは俺の体調だな。

 まあこのまま普通に3時45分まで仕事しててもいいんだけど──……万が一具合が悪くなったりして動けなくなったらやばい。

 このくらいの寝不足()()ならまだギリギリいけるって判断するけど、今回はそうじゃない。人生で初めての緊張感がある。この緊張感が今の俺の体調にどう作用するかは未知数だ。


 ──失敗はできない。兄ちゃんにバレる訳にはいかない。


 だからこそ、無理は禁物だろう。


 寝不足でしんどいときの応急処置は「とりあえず目を瞑って横になって身体だけでも休める」こと。これに尽きる。

 脳はあんまり休まらないけど、とりあえず身体だけはちょい回復する。


 俺はもう研究所内で不自然に見えるのは仕方ないと割り切って、また午前中と同じように「ちょっと休憩行ってきます」と席を立った。

 所長が「大丈夫か?具合が悪いようなら早退してもいいぞ?」と朝と同じように優しく声をかけてくれたから、俺はありがたいとばかりにそれに素直に甘えて「そうですね。もし少し休んでも厳しいようなら、今日は早めに帰らせていただきます。」と言っておいた。


 うん。ちょうどいい感じに……アリバイ?言い訳?と証人もできた。今日の研究所内での俺の不自然な2回の中抜け。これは俺が今日体調が悪かったからです。決して王城に行ったり宿屋に行ったり兄ちゃんから銃を盗んだりはしていません。


 ……体調悪いのは事実だしね。「嘘をつくときには真実を混ぜるといい」ってどっかで聞いたことがある。その方が信憑性が増して疑い辛くなるって。


 そう思いながら、俺は研究所の屋上へと上がってベンチに横になった。

 一応鞄から腕時計を取り出して腕につける。

 俺は手首に何かついてるのがあんまり好きじゃない……っていうか、双剣が引っかかる感じがして嫌だから腕時計やブレスレットの(たぐい)はつけたくない派だ。

 だから時計も普段は鞄に入れてあるだけだけど、今日はつける。時間を気にしなきゃいけないから。


 あと45分。3時45分まで。


 この45分で回復しよう。


 そう思って俺は、寝不足特有の頭の重さと不快感に耐えるために眉間に皺を寄せながら、無理矢理自分の目を閉じた。

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