2 ◆ 悪役令嬢と平民男の告白劇(後編)アスレイ視点
全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。
恋愛系小説にて苦手な要素がある方は、先に投稿済の【第二部 注意書き】をお読みください。
例のパラバーナ公爵家のパーティーから数日経ったある平日。俺は普段通りに出勤し、仕事をし、普段通りに帰宅した。
しかし、家に帰ると普段とは違う珍しい来客がいた。
「おかえりなさいませ、貴方。ゼン様がお見えになっているので、応接間でお待ちいただいていますわ。」
帰宅早々、妻にそう告げられる。
「ゼンが?一人でか?」
「ええ、お一人で。」
ゼンと俺は、俺が魔導騎士団を退団する2年前までは一対一飲みをすることも多かった。同期の4人の中でもさらに俺たちは同じ部隊ということもあり、一番つるみやすかったからだ。
だが、そのときもゼンが予告なく約束もなく、いきなり我が家にやってくることはなかった。こんなことは初めてだ。
「……まあ、ユンの話だろうな。十中八九。どこかから話を聞いたんだろう。俺がその場に居合わせたことも含めて。」
妻も横で「お兄様であるゼン様が心配なさるのは当然ですわ。」と頷く。
「ゆっくりお二人でお話してきてくださいな。ゼン様のご夕食も必要でしたらまた声を掛けてくださいね。」
妻がそう言って微笑む。理解のあり過ぎるいい妻だ。
「ああ、ありがとう。」
俺は妻に礼を告げ、外套と鞄を使用人に預け、直接応接間へと向かった。
応接間ではゼンが足を組んで座って待っていた。
俺の姿を見たゼンは立ち上がることなく、顔だけ俺の方に向けてきた。
「お疲れ。いきなり悪いな。」
「いや、問題ない。どうする?外に出るか?家でいいか?」
「んー……どっちでもいいわ。迷惑じゃねえならここでいっかな。」
「そうか。それならば来客用の個室にでも行くか。ついてきてくれ。」
特に大した前置きなどいらない俺たちは、そのまま早速、久しぶりの一対一飲みを開始した。
◆◆◆◆◆◆
「お前、ユンに何かあったの見てたんだろ?何を見たんだ?」
ゼンは何の前振りもなくいきなり本題に入った。
当然、予想通りの内容だった。俺はゼンに質問を返す。
「ゼン。お前はどのくらいのことを知っているんだ?ユン本人から聞いたのか?」
「ユンから聞いたっつーか……でも聞いたっつーほど聞けてねえ。
なんかアイツがいきなり夜に宿屋に来て、いきなり酒飲んでべしょべしょに泣いて俺の部屋で吐いてったからよく分かんなかった。
とりあえず『その場の流れで公爵令嬢からの告白を受けちゃった。王子様もクラスメイトもアスレイ先生もみんな見てて、無理すぎて逃げてきた。俺はもう無理だ。どうしよう。兄ちゃんはラルダさんと上手くできたかもしれないけど俺には無理だ。』って繰り返してた。そんだけ。」
…………ユン。さすがに少々気の毒だな。
俺はゼンに、先日のパラバーナ公爵家のパーティーで起きたことを一通り説明した。
ゼンは俺の話を聞き、思いっきり顔を歪めて「うーわキッツ」と喉を締めたような声を出した。
「俺がラルダに公開告白されたときも吐くかと思ったけど、そっちの方がまだマシだったわ。一応騎士団員は顔見知りばっかだしな。
……やべえな弟。もっと同情してやりゃよかった。」
ゼンはそう言って酒を一口飲んでから俺に質問してきた。
「その公爵令嬢ってどんな奴?」
俺はなるべく客観的な評価になるよう意識しながら話した。
「そうだな……学園での成績は双子の兄と揃って不動の男女1位。容姿も端麗だと貴族の間では評判だ。系統は違うが、お前やクラウスのように隙のない整い方をしている。所作も当然公爵家に相応しい。
まあ、『完璧な令嬢』と言えるだろう。性格以外は。」
ゼンはその言葉を聞いて眉を顰める。
「『性格以外は。』が不穏すぎんだろ。どんだけやべーんだよ。……いきなりユンにパーティーでそんなこと言ってくる時点で相当やべーんだろうけど。」
俺は今度は少し主観を交えながら話を続けた。
「ラルダは『完璧な王女』だが、意外と頑固で我儘なところがあるだろう?それに真面目すぎて逆に空気を読めず他人を傷付けることもある。入団当初のお前との喧嘩のときのように。
ただ、一方で謙虚さもあって、常に身分を超えて他人と自分を対等な存在として捉えている。それがここまでの人望を集める理由だろう。」
ゼンは「まあな」と軽く相槌を打ってくる。
「対して、彼女……セレンディーナ嬢の場合は、思い込みが激しく我儘なタイプだ。そして自分に厳しく『完璧な令嬢』であるが故に、素で他人を見下してしまう。才色兼備な公爵令嬢の自分と周りとでは格が違う……と、本気で思っている。
庶民からも人望があるラルダとは真逆の、庶民が考える『鼻持ちならないお貴族様』を見事に体現したようなご令嬢だな。
俺個人としては、彼女は決して悪い人間ではないと思うが……悪気や自覚がない分、なかなか厄介だとは思うな。」
俺がそう言い終わると、ゼンはまた顔を歪めながら「うーわ」と呟いた。
「何でそんな奴が平民のユンに惚れてんだよ。盛大に事故ってんじゃねえか。」
ゼンの言う通りだ。俺も首を傾げる。
「だから俺も驚いたな。そんなご令嬢があんな大衆の面前で、あろうことか平民のユンに向かって自分から好意を伝えて返事を求めるなど。
今までのプライドの高い彼女なら絶対にやらなかったと思う。
……それほどまで、ユンに惚れ込んでいるということなんだろうが。意外だったな。」
ゼンが「ユン……何やらかしたんだよ。」と呆れたように言う。
ユンは学園では別に、俺の見た限りでは普通に過ごしていたように思う。変にご令嬢たちに取り入るようなことをしていた気配はない。
「セレンディーナ嬢は思い込みが激しいタイプとさっき言ったが……恐らく、ユンの何かが嵌ってしまったんだろうな。彼女の中で。
思い込みが激しいというのも、捉えようによっては『一途』ということだ。
ユンに振られたら修道院に入って一生独身でいると脅すくらいだからな。本人には脅しているつもりはなかったようだが。」
「重い重い重い重い。」
ゼンがまだ酒を半分も飲んでいないのに吐きそうな顔色になっている。今さら遅れて弟に同情しているのだろう。
「ゼンはユンにどう声を掛けたんだ?」
俺が尋ねると、ゼンは複雑そうな顔をしながら言った。
「いや……よく分かんなかったから、普通に『返事しちまったなら腹括って付き合えよ。』っつった気がする。」
「………………。」
「あと、俺とラルダは大丈夫みたいなこと言ってたから『婚約者非公表永続のどこが大丈夫なんだよ。現在進行形で大丈夫じゃねえよ。俺だって無理だわ。お前も諦めろ。』っつった。」
「………………。」
「で、まあ、そんなやべー状況で言われてると思ってなかったから『向こうの方が覚悟決まってんじゃねーか。振られねえように頑張れ。』って応援しといた。」
「……………それに対して、ユンは?」
「『振られねえように頑張れ』の時点で吐いてた。」
…………ユン。気の毒すぎるな。
俺は心からユンに同情し始めたが、ゼンは複雑そうにしながらも特に後悔はしていないようだった。
「ま、何とかすんだろ。ユンなら。知らねえけど。」
「お前……哀れな弟に対して随分と薄情だな。」
俺は思わずツッコミを入れた。
それに対してゼンは、今度は少し真面目そうな表情で言った。
「さすがにどう考えてもやばくなったら結婚せずに逃げるだろ。アイツならそんくらいの判断はできる。普通に合わねえ奴と永遠に付き合い続けるほどアホじゃねえよ。
それに特定の相手がいるに越したことはねえしな。」
俺はゼンの最後の言葉が引っかかったので、それを拾うことにした。
「特定の相手?どういう意味だ。」
するとゼンは、意識せずうっかり零してしまっていたのか、ハッとしたような顔をした。それから少し口を尖らせて何かをぐっと堪えるように溜めた後、俺にぼそっと「ラルダや他の奴に絶対に言うなよ。ここだけの話にしろよ。」と前置きをしてきた。
ゼンはこうして俺だけにたまに情報を落とすことがある。
俺は自分の性格が悪い自覚はあるが、大切な友人の秘密を守ることに関しては徹底している。ラルダにもクラウスにも、ゼンが関わることのないであろう俺の妻にであっても、決して言うことはない。ゼンは恐らくそんな俺の線引きを信用しているのだろう。
俺は「もちろんだ。」と言って、いつものように頷いた。
それを聞いたゼンは、眉を顰めて、口を少し曲げて……泣きそうというよりは、どちらかというと口にするのが嫌そうな、苦々しい顔をして話し始めた。
「ユンは……アイツはあんな見た目であんな調子だからな。気付いてる奴はほとんどいねえと思うが。
なんっつーか……まあ、女に関しては多分、けっこう俺より拗らせてる。」
◆◆◆◆◆◆
ゼンの躊躇うような遠回りの表現では、いまいち正確に話が捉えられない。俺が素直に「どういうことだ?」と問うと、ゼンは大きく一度溜め息をついてから諦めたように口を開いた。
「俺は騎士団に入る前……今の宿屋を見つける前に、ユンと二人で放浪してたとき……寝れねえのを何とか解消しようと思って、いろいろ試した。
まあ、その中に当然『女と寝る』っつーのも入ってた。適当に引っかけた奴と。
……ラルダに絶対言うなっつったのはそういうこと。」
俺はそれを決して咎める気にはなれなかった。敢えて俺の心情を言葉にするなら……そこまで追い詰められていたゼンを哀れに思った、といったところか。
俺が今さら咎めずとも、本人が一番分かっていたはずだ。そして本人が一番嫌悪感を持って苦しんでいたはずだ。そんな自分に。
「で、そんときはまだユンはガキだったけどな。ただ、そういう俺を見てたから……学園に入ってある程度の歳になった頃から、その選択肢も普通に取ってた。」
そしてまたゼンは苦々しい顔をした。
「俺は結局、騎士団に入って、あの宿屋見つけて、ある程度寝れるようになった。
……でもユンは違う。アイツにはまだ寝る場所も方法もねえ。
二週間前の……ユンと二人で徹夜で飛竜を狩った……あんときにアイツは言ってた。『兄ちゃんとラルダさんが付き合ってた4年間、兄ちゃんが死ぬ夢をまた見るようになって、寝れなかった』って。
俺は馬鹿だから、定期的に会ってたのに全然気付いてやれなかった。
……ずっとユンは苦しんで裏では荒れてたんだと思う。俺の予想だけどな。この間、話聞いててそう思った。
アイツは『同室の奴に呻いててうるさいって言われた』しか言ってなかったけど、その程度で済んでるわけがねえ。
アイツはアイツで全部一人で抱えて何とかしようとする奴だから……多分予想は合ってる。
4年間ずっと俺に相談しねえで隠してたってことは、つまり裏で適当にそういうことして誤魔化しながら乗り切ってたってことだろ。
ユンは何でもベラベラ喋ってるように見せかけて、肝心な……一番の悩みは絶対言わねえからな。周りにも、俺にも。」
学園の頃の、二週間ほど前の、そして数日前のユンを思い浮かべる。
……正直言って、まったく想像がつかない。
だが、兄であるゼンが言うのだからそうなのだろう。例え普段のユンの印象から、信じられないほどかけ離れていたとしても。
ゼンが少し躊躇うように言葉を詰まらせながら続ける。
「それに……俺がお前らの前で泣いちまったときに言った、アイツの『嘘』。
そのせいで、そもそもアイツの不眠はタチが悪いんだ。
本人はうまく寝れてねえ自分に気付けねえ。……魘されてる自覚がたいしてねえから。
でも寝れてねえと身体は当然キツイ。それはさすがにユン自身も感じてる。
ただ、なんでそんなことになってるかがアイツは自分でも分からねえんだ。……自分の『嘘』を信じちまってるから。
だからアイツは、何で苦しいのか、何が悪いのか、何も分かんねえままただずっと足掻いてる。
でもだからって、今さら……言えるわけがねえ。
今、アイツが自分の『嘘』に気付いちまったら……多分アイツは壊れちまう。
もう、どうしようもねえんだ。そこは。」
ゼンもユンも、一生「悪夢」とは付き合っていくしかない。
実際、ゼン自身も宿屋が「寝やすい」だけで、根本的解決になっているとは言えないのだから。例えるならば「傷が完治したわけではない。ただ、処方された薬がよく効いている。」というだけだ。
あれだけの大きな傷だ。「すべて綺麗に解決して、もう夢に見ることはなくなった。」などあり得ないのは分かっている。
だからこそ、ユンにも何か、せめて「よく効く薬」があれば……。
ゼンはそう思っているんだろう。
ただ、その薬がそんなユン自身を傷付けるものであっていいはずがない。
……ゼンはそう思っているんだろう。
◆◆◆◆◆◆
ユンの『嘘』に、ユンの不眠への『足掻き』。
あの常に笑顔で明るいユンの裏側は、継ぎ接ぎだらけでボロボロだということか。
──ここまできてしまうと、もう……ただ生きているだけで満身創痍じゃないか。辛すぎるな。
俺は学園講師としての感想を口にした。
「俺は非常勤講師だから生徒との関わりは大してないが……ゼンの予想が当たっていたとして、その事実に周りの生徒や教師が気付いていたとは思えないな。
噂話もなければ、周囲から浮いている様子もなければ……本人がそれを悟られるような振る舞いをすることも俺の知る限りではなかった。
ユンは完全に、ただ明るく健全な生徒だった。」
ただ明るく健全な生徒を……見事に演じ切っていた。
ゼンは今日は泣くことはなかった。代わりに声に出しながら大きな溜め息をついて、長い足を前に放り出して両脚を伸ばし、ソファーの背もたれに両腕を乗せた。
「ま、そのやべー公爵令嬢が合うかどうかは知らねえけど、もしソイツでユンが落ち着けんならその方がいいだろ。
ソイツがさらにストレスになったら、いよいよユンが危ねえけどな。……そこまでは俺には分かんねえし。」
俺はてっきり、後者の「ユンが危ない」をもっとゼンが警戒して焦るかと思っていた。だからこのゼンの反応は意外だった。
「ユンが心配じゃないのか?恐らく相当参っているぞ。」
俺が思わずそう訊くと、ゼンはまた複雑そうな顔をして俺の方を見た。
「そりゃ心配はしてっけど……あとは合う合わねえも、続く続かねえも、ユン次第だろ。俺は黙って見てることしかできねえよ。」
「複雑な親心……いや、『育ての兄心』というやつか?」
俺の言葉にゼンは失笑した。
「全然違えよ。
アイツは俺とラルダが付き合ってた4年間、俺らの関係に口を出さねえように必死に一人で耐え続けてたんだ。ユンにそんなことまでさせちまってた俺自身が、今さらアイツの女関係に口出しして……アイツを助けられるわけがねえだろ。
見守るなんて綺麗なもんじゃねえ。ただ何もやってやれねえだけだ。情けねえよ。……俺は酷え兄だ。まったく。」
俺はそんなゼンに、本心から声をかける。
「酷くないだろう。あまり自分を責めるな、ゼン。
お前は何も悪くない。少なくとも俺はそう思う。」
幼いユンにそういう自分の姿を見せて学ばせてしまったことも、ラルダと付き合うと決めたことも、それによってユンが想像以上に追い詰められていたのに気付けなかったことも、今ユンを助けてやれないことも……何もお前は悪くない。
ユンが使っていた言葉を借りるのであれば──ゼンが過去に不眠に悩んで情事に逃げたことも、そのときはそれが「正解」だったのだろう。
精神を壊さずに弟を守りながら生きていくために、致し方なかったこと。
そしてもしユンが直近の4年間、昔のゼンのように情事に頼っていたとしても……それはきっとユン本人も「正解」だと思っているに違いない。
兄が彼女と幸せになる過程を守るためなら、ユン自身は何をしたって構わなかったのだろう。それに後悔もしていないはずだ。
何故なら、ユンにとっては──兄が一番だから。
──己を粗末に扱った結果、兄が守れたならばそれでいい。
二週間前の宿屋で俺は理解した。ユンはそういう人間だ。
……難儀な兄弟だな。
そこにあるのは疑いようもない、お互いへの深い愛だ。ただ、その二人が抱えるものがあまりにも辛過ぎる。二人の人生があまりにも過酷すぎる。
そのお互いの深い愛がなければ、一瞬で崩壊してしまうほどの残酷な人生だ。だからこそ──
「それにゼン。必要以上に難しく考えるな。
変に分別をつけてユンから距離を取ろうとするな。
ただお前はこれからも今まで通り弟に接してやればいいじゃないか。気になったときはちゃんと口出ししてやれ。お前が近くにいてやって、ユンが参っていそうなら心配して、楽しそうなら安心してやればいい。
お前がユンの側にいてやることが、ユンにとって唯一にして絶対の救いになるはずなんだ。それだけは忘れるな。
つい二週間前……お前もそうだったじゃないか。
俺でもクラウスでもラルダでもない。他の誰でもなく、隣に戻ってきてくれたユンに救われたばかりじゃないか。」
するとゼンは、しばらく俺の顔を見ながら俺の言葉を咀嚼した後──、少し眉を下げながら笑って礼を言ってきた。
「お前に話して良かったわ。ありがとな悪友。」
ゼンがごく稀にやるこの表情。それはまったく違う顔つきの兄弟がほんの少しだけ似る、珍しい瞬間だった。
◆◆◆◆◆◆
そして俺たちは真面目な話からくだらない話まで、久々に二人の会話に花を咲かせ、夕飯も晩酌も楽しんだ。
明日の授業に若干響いてしまう程度には羽目を外してしまったが、まあいいだろう。
たまにはこういうのも悪くない。これが青春の名残りというやつだ。
俺は自室のベッドに倒れ撃沈しながら、己の頭痛を正当化した。




