1 ◆ 悪役令嬢と平民男の告白劇(前編)アスレイ視点
全16話(執筆済)+後日談(執筆中)。基本毎日投稿予定です。
恋愛系小説にて苦手な要素がある方は、先に投稿済の【第二部 注意書き】をお読みください。
魔導騎士団員、学園非常勤講師と仕事をしてきている俺だが、本業は「オーネリーダ公爵家の後継ぎ」だ。
当然その仕事には、貴族同士の社交の場に出ることも含まれる。
ラルダたちとゼンの滞在する宿屋「クゼーレ・ダイン」に訪問してから2週間後の週末。俺は同じ公爵家として交流のあるパラバーナ公爵家の、双子の兄妹の誕生日を祝うパーティーに出席していた。
◆◆◆◆◆◆
「さすがパラバーナ家。誕生日パーティーひとつ取っても派手だな。第一王子ご夫妻もお目見えだ。」
俺は会場入りし、辺りを見回しながら感想を漏らした。
真っ先に目につくのは、特別招待の席に既に座って笑顔で会話をしているラルダの兄君……第一王子と、その妻であるフィリア王子妃だろう。
「ええ。私たちが結婚したときのものよりも豪華ですわね。」
妻が俺に同意しながらおっとりと付け足した。
俺たちオーネリーダ家はパラバーナ家と同じ四大公爵家の一角だが、主催のパーティーは質素に済ませる傾向にある。俺たちの結婚パーティーには第一王女のラルダも呼んだが、それはどちらかというと魔導騎士団の友人としてだ。ましてやただの誕生日に王家の人間を呼ぶなど、そんなことは絶対にしない。
……そういえばあのときラルダはゼンをパートナーとして連れて参加できないことを悲しんでいたな。「せっかくの同期の祝いの場なのに」と嘆いていたことを思い出す。
俺も同期として工面してやりたい気持ちも無くはなかったが……さすがに王家に認められていない平民のパートナーを堂々と入場許可させるほどの公私混同はできなかった。それを許すと、オーネリーダ公爵家が王家の意思に反するラルダ個人を支持するという暗黙の表明になってしまうからだ。
魔導騎士団内ではもちろん友としてラルダを支持してゼンとの仲も応援していたが、公爵家としての公の場では話が別だ。
まあ、どちらにしろゼンはパーティーなどに出たがるような奴ではないから、実際はラルダに多少同情する程度でそこまで心は傷まなかったが。俺はパーティーの場ではなくとも、同期会で3人に盛大に祝ってもらえただけで充分だった。
……少しだけ昔の出来事を振り返って、俺はまた意識を現在に戻した。
実は俺は、こういった貴族のパーティーの類は嫌いではない。むしろ嬉々として参加する方だ。
それは何故か。別に豪勢な料理や煌びやかな衣装、優雅なダンスが好きな訳ではない。
俺が好きなのは、貴族たちの腹黒い打算からくる駆け引きと、内に隠したライバル意識と、隠しきれないマウント合戦と──愚かな愛憎劇の観察だ。そしてそれらを一気に満喫できるのが、このパーティーという愉快な場。
だから俺は、よほどの都合がない限り、大抵の招待状に心の底から「はい喜んで」と返事をするのだ。
◆◆◆◆◆◆
今さら隠す気もないが、俺はラルダやクラウスとは違い性格が悪い自覚がある。
ああいった真面目で誠実な貴族ももちろん存在はするが、そういう人間と俺は根本的には合わないだろう。あの二人がたまたま例外的に友人になってくれただけだ。
そして性格が悪い俺に言わせれば、パーティーはまさに愉悦の宝庫だ。
貴族というのは、腹の探り合いも仕事のうちの一つ。
こういった社交の場で有力貴族たちの言動を観察し、俺の中にあるドロドロの相関図を更新する作業はなかなかに面白い。
もちろんそういったものがオーネリーダ公爵家長男の俺自身に向けられることもある。さすがにいい気はしないが、別に傷付くこともない。その場合は「いざとなれば良心を痛めることなく関係を切れる相手が増えたな」とありがたがるだけだ。妻に以前そう話したら「もともと良心など持ち合わせたことがないのでは?」と突っ込まれてしまった。まったくもってその通りだ。
とまあ、それだけでも有意義な訳だが……やはり一番の楽しみは、そういった汚い貴族社会の中でも愚かな行動を取ってしまう馬鹿な一部貴族の暴走恋愛模様だろう。
俺はこれまでの人生で、かなりの数のパーティーをこなしてきた。その中で5回ほどの「突然の愛の告白ショー」と、3回ほどの「突然の婚約破棄ショー」に遭遇したことがある。
あれはいい。他人事だと思って見ていると本当に笑える。
計8回のうち、円満なハッピーエンドにたどり着いたのは2回だけ。どちらも愛の告白の方だ。当人たちの想いを汲み取った両家が縁談を成立させたというだけ。あとは全滅だ。己の立場を弁えず、感情だけで暴走して破滅していく様はとても趣深い。教訓にもなる。
……というか、いい加減、皆それらを教訓にすべきだろう。
計8回のうち6回は失敗に終わっているのだ。感動的な告白も成功率は40%。なんなら婚約破棄は円満解決率0%だ。何故やってしまうのか。学園で数学を学び直して来い。
ただ一方で、見ている分には本当に愉快なのだ。だからこそ、数学の概念を忘れて行動に移してしまう彼らには感謝しかない。希少な存在だ。未来ある若者たちはこれからも頑張って俺を楽しませて欲しい。
まあ実際、ああいったことをしてしまうのは数学の出来よりも性格によるものだと思うが。必要以上にロマンチストであったり空想家であったり、理想が高かったり思い込みが激しかったり。そちらの問題の方が大きい。
あとは他にも「突然の不倫告発離婚ショー」もあるが、そちらはまた別の味わいがある。いい歳してしょうもない理由で破滅していく人間を見ながら相関図を更新する作業は悪くない。しかしこちらの方は、先の二つとは違い不倫の時点でバッドエンド確定なので、どれだけ道連れで破滅する人間が増えるかを見守るという楽しみ方になる。
……さて。今日は一体どうなるか。
今日の主役、パラバーナ公爵家の双子の兄妹のアルディートとセレンディーナ。
二人とは公爵家同士、幼い頃から面識がある。さらに俺は学園講師として一コマだけだが授業も担当したことがある。それなりに関わりはある方だ。
兄のアルディートの方は正直言ってほとんど期待できない。この期待できないというのは、愉快な愛憎劇場の方だ。公爵家の後継ぎとしては期待しかない有能な人材だ。
アルディートは文武両道、眉目秀麗、品行方正、そして婚約者に一途な人格者。まさに完璧超人。恐らくラルダやクラウスのように深く関わっていけば人間味のある部分も見えてくるのだろうが、それでもそこは愛嬌や個性の範囲だ。彼が完璧であることは揺るがない。
一方で、妹のセレンディーナ。こちらはかなり期待ができる。この期待というのは、愉快な愛憎劇場の方だ。
セレンディーナは兄と同じく成績優秀、容姿端麗だが、品行方正かどうかは疑わしい。自尊心の塊で、兄とは違い「自分に相応しい相手がいない」という理由から未だに婚約者を選んでいない。そして最近はどうか知らないが、中等部の頃の趣味はたしか「恋愛小説を読むこと」。
完璧な自分には、小説に出てくるような完璧な王子様以外相応しくない、あり得ないという強い思想の持ち主だ。双子の片割れである兄のせいで要求水準が上がってしまっているという致し方ない部分も無くはないと思うが。
俺のこれまでの人間観察データから、セレンディーナはかなりの可能性溢れる爆弾だと思っている。こういった理想の高い偏った性格をした人物は、一度恋愛にのめり込むとほぼ確実に周りが見えなくなる。そして数学の概念を忘れ、完全なるエンターテイナーと化すのだ。
もちろん、何も起こらずにパーティーが終わる可能性の方が高いが。
……楽しみだな。
俺がそんなことを考えながら会場を眺めていると、ふと、意外な人物が目に入った。
第一王子夫妻とは真逆で、会場の隅に隠れるようにしながらこそこそと辺りを窺っている、圧倒的に挙動不審な人物。
──それはつい2週間前に会った人物。俺の元教え子であり、俺の数少ない大切な友人ゼンの弟でもある、平民のユンだった。
◆◆◆◆◆◆
「ユン。貴方も来ていたんですか。」
俺は妻を連れてユンに声を掛けに行った。
するとユンは俺に気付くや否や、砂漠でオアシスでも見つけたかのような、一縷の希望に縋るような目でこちらに駆け寄ってきた。
「アスレイ先生!助けてください!」
そこは「こんばんは!」じゃないのか。
と思っていたらユンが「間違えました!こんばんは!」と訂正を入れてきた。
「まさか2週間ぶりにこんなところでユンに会うとは。驚きました。あまりにも挙動不審だったので、逃走経路でも確認しているコソ泥かと思いましたよ。」
俺が適当に冗談を言うと「なんで分かったんですか?!」とユンが驚いて目を丸くした。
さすがにコソ泥ではないだろうが、どうやら逃走経路は確認していたようだ。
……一体何から逃走するつもりなんだ。ユン。
俺は丸眼鏡を指で軽く押し上げながら、ユンに妻を紹介した。
「彼女は私の妻のメナーです。
メナー、彼はユン。今年学園を卒業した俺の教え子だ。」
ユンと妻が「はじめまして」とお互いに挨拶を交わす。
俺は早速ユンに質問をした。
「ユンは今日はアルディートに招待されて来たのですか?」
ユンは学生時代、アルディートと仲が良くいつも一緒にいた印象がある。平民だからと見下さず、ユンとも対等に関わり絆を築く、不動の学年1位の公爵令息アルディート。
改めて考えると、本当に嫌味なくらい出来すぎているな。
「ああ……はい。そうです。でも俺、貴族様のパーティーなんて今まで一度も出たことがないし、本当にもう今すぐ帰りたくて仕方がなくて……。
クラスの奴らもみんなパートナーと来てるから、俺の方から声を掛けて一緒にいるわけにもいかないし。もう吐きそうです……。」
いつも笑顔なユンにしては珍しく露骨に嫌そうな表情をしている。俺は至極当然の感想を述べた。
「嫌なら出なければよかったのでは?貴方は私たちと違って、出なければならない理由も特に無いでしょう。」
ユンは平民。こういった貴族の社交の場に出てくる必要は基本的にはない。ただの友達付き合いであるならば尚更だ。どちらかというと招待する方が非常識だろう。
……アルディートがそんなに友への思い遣りに欠ける人物だとは思えないが。妙だな。
ユンはそれを聞いて一層萎びたように目を細め、肩を落とした。
「そうなんですけど……アルディートから招待状と一緒にお下がりの正装まで送られてきて。それで『辛いだろうとは思うが、今日だけでいいからどうか来てくれないか。』って頼まれて……それで仕方なく。」
なるほど。今ユンが着ている服も彼が用意したものだったのか。そこまでアルディートが強引だったとは。
……だが、言葉のニュアンスがどうも引っかかる。まるでアルディート側も乗り気ではないかのような、彼にとっても苦渋の決断であるかのような違和感。
俺がそれについて掘り下げようと口を開きかけた瞬間、パーティー会場に荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
定刻だ。パーティーの始まる合図とともに、俺とユンの会話は強制的に終了した。
◆◆◆◆◆◆
結婚披露宴かと思うくらいに豪華絢爛な青みがかった緑の衣装に身を包んだ双子が、並んで会場に現れる。
本当に見た目は整った双子だ。顔の各パーツをお手本のように男用と女用に分けただけのそっくりな二人。
……そのまま王都の職人が手掛ける人形店で売られていそうだな。
アルディートには婚約者がいるが、双子が並んでいるのを邪魔しないようにするためだろう。今日はアルディートの隣ではなく、パラバーナ公爵夫妻とともに別のところに控えていた。
双子を代表して、完璧超人の兄アルディートが口を開く。
「『本日は、皆様ようこそお越しくださいました。僕たち兄妹の誕生日を祝うパーティーに、これほど多くの方々にお越しいただけたことを──……』」
……さて。完璧超人の隙がないお手本のような挨拶を要約すると、こういうことだ。
「僕たちの誕生日パーティーにわざわざ来てくれてありがとう。僕たちは今年学園を卒業して大人の貴族の仲間入りをしました。これからはクゼーレ王国の繁栄のために、公爵家の人間として頑張ります。」以上。終わり。
隙がない分、意外性も無い。せっかくだからもう少し個性を出してほしいところだな。聴く側としては退屈だ。
まあ、俺も挨拶をする側になったら絶対にありふれた定型文しか言わないが。
そしてアルディートは、無事につまらない冒頭の挨拶を終え、ようやく自由時間の合図を口にした。
「『それでは、しばしの間ご歓談ください。
本日は皆様、どうぞお楽しみください!』」
──しかし、そのアルディートの言葉で歓談に移る者は一人もいなかった。
何故なら挨拶の締めの「どうぞお楽しみくだ──」のあたりで、突然隣に立っていたもう一人の主役セレンディーナが、颯爽と髪を靡かせながら階段を降りはじめたからだ。
挨拶が言い終わるのを待ちきれずに早まってしまったとでもいう風に。
当然周りは何事かとセレンディーナに注目をする。
アルディートが「おい!セレナ!?」と慌てて声を掛けたが、それは何の意味もなさなかった。
セレンディーナは迷いなく階段を降り、そのまま何故か真っ直ぐにこちらへと向かってきた。
俺と妻が首を傾げるよりも早く、ユンがビクッと身体を震わせる。そしてささっと3歩ほど動いて、セレンディーナから俺を盾にするようにして後ろに隠れた。
……ユン。まさか、セレンディーナの目的はお前か?
俺がユンに「何か思い当たることでもあるのか?」と問いかける間もなく、俺と妻とユン、3人の前にセレンディーナがやってきた。
◆◆◆◆◆◆
「ユン。」
セレンディーナが透き通った綺麗な声で名前を呼ぶ。
俺は気を利かせて、妻とともにそっと横にずれてやった。
俺の背中に隠れられなくなったユンが、まさに絶望といった見捨てられた子犬のような表情で俺を見る。
……残念だったな、ユン。お前が見た砂漠のオアシスはどうやら蜃気楼だったようだ。
俺がずれたことによって一人晒されたユンをしっかり見つめて、セレンディーナは真顔のまま口を開いた。
「来てくれたのね。」
「アッ、ハイ……どうも。」
ユンはびくりとしながら両手を胸の前で握り締め、身体を縮こめた。怯えている乙女のようなポーズだったが、顔つきが女寄りなせいかまったく違和感がなく、むしろとてもしっくりきていた。
そのポーズが似合う男性もなかなか珍しいぞ、ユン。
「ねえ、ユン。わたくし3ヶ月待ったわ。
そろそろ返事を聞かせてくれないかしら。」
「……っ!」
ユンが過剰に肩を揺らす。
そんなユンにお構いなしに、セレンディーナは会場内によく響く澄み切った声でこう言った。
「わたくしは貴方が好きなの。
貴方はどうなの?ユン。わたくしのことを振るの?振らないの?教えてちょうだい。」
◆◆◆◆◆◆
まさかの展開だった。
いや、セレンディーナの愛憎劇場は予想もしていたし正直期待もしていたが……相手がよりによってユンとは。
彼女は他国の見目麗しい王子様を差し出しても「完璧なわたくしには相応しくないわ」と言いながらバッサリ切るような性格の持ち主だ。
そんな彼女が、兄のお下がりの正装に着られ、乙女のような姿勢で怯える、よりによって平民のユンにいきなり愛の告白をして返事を求めている。
俺が過去に見てきた5回の「突然の愛の告白ショー」と比べても圧倒的1位の身分格差。セレンディーナの性格も相まって、完全に予想外な組み合わせだった。
てっきり彼女は、ショーを開催したとしても、それこそ他国の王子様やすでにパートナーのいる完璧令息、もしくはクラウスのような歳上の完璧令息に突撃するタイプだと思っていた。
俺が驚いている間にも、彼女の言葉は続いていく。
「わたくし、貴方の返事を待つ間ずっと考えていたの。
……きっとわたくしは貴方以上に誰かを好きになることはないわ。貴方以外を好きになれる気がしない。」
これはまた……随分と熱烈だな。
俺がいっそ感心までしていたら、続けてセレンディーナは恐ろしいことを口にした。
「だから、わたくしは貴方に振られたら修道院に入ろうと思うの。貴方以外と結婚するくらいなら、一生独りでいたいもの。」
ヒュッ!とユンの喉が鳴る音がした。
……こ、これはさすがにキツイ。キツすぎる。
「わたくしは本気よ。だから答えて。
ねえ、ユン。貴方はわたくしをどう思っているの?わたくしと付き合ってくれるかしら?」
◆◆◆◆◆◆
会場は静寂に包まれていた。会場内にいる全員が、セレンディーナとユンに注目している。
この場で取れるであろう選択肢は二つ。
一つはユンが彼女に告白の返事をすること。もう一つはこの場でパラバーナ公爵家の誰かが動いて、セレンディーナを止めて話を中断させること。
しかし後者はどうやら期待できそうになかった。
俺は目線だけ動かして確認したが、パラバーナ公爵夫妻は口をあんぐり開けて貴族にあるまじき表情をして固まっていた。どうやらこの告白の話も、修道院に入る気でいる話も初耳だったらしい。
兄のアルディートの方が辛うじて動けるかと思って見てみたが、彼も顔面蒼白になって固まっていた。双子の妹と学園時代の親友の恐ろしい告白劇。完璧超人のアルディートでもどうしていいか分からなくなってしまっているのだろう。
なるほど。今ようやく俺は理解した。
この事態に至るまでの経緯はこうだろう。
まず3ヶ月前……ちょうど学園の卒業式のあたりでユンはセレンディーナに告白されていた。しかしユンはそこでは返事を誤魔化したか先延ばしにした。
その事実を知っていたのは本人たち以外にアルディートのみ。それからセレンディーナの様子を見ていたアルディートは、何らかの理由で「いい加減ユンから返事をもらう必要がある」と判断したに違いない。両親に隠しきれなくなってきたか、セレンディーナの暴走の予感がしたか……そんなところだろうな。
そしてアルディートは迷惑を承知でユンを呼び出すことにした。恐らくこのパーティーのどこかのタイミングで隙を見て、もしくは終わった後にユンを捕まえて、裏で二人で話をさせようという意図で。必要によっては間に入り、妹がユンに迷惑をかけないように兄としてフォローするつもりだったに違いない。
……だが、それが今この瞬間に完全な裏目となってしまったんだろうな。
ついでにチラリと第一王子の方も見てみたが……ものすごく気まずそうな顔をしていた。当たり前だ。
となると、ユンが彼女にここで返事をするしかなくなる訳だが……。
当然俺も、ユンも、周りも全員気付いていた。ユンの回答の選択肢は一つしかない。
──「わたくしは貴方に振られたら修道院に入ろうと思うの。貴方以外と結婚するくらいなら、一生独りでいたいもの。」
これが意味すること。
──ユンがここで告白を断れば、セレンディーナは出家する。クゼーレ王国の四大公爵家の一角パラバーナ家が、実の娘を事実上失うということだ。
ユン…………終わったな。
俺はそっと心の中で呟く。
ユンはもはや死人のような土気色で、両手の拳に顔を隠すように俯きながら、蚊の鳴くような小さな声で返事をした。
「おっ……、お受けします。……よろしくお願いします。」
◆◆◆◆◆◆
ユンの返事の数秒後、空気が圧倒的に読めるかもしくは圧倒的に読めないパーティー参加者の貴族の一人が「おめでとうございます!」と声を上げながら盛大に拍手を始めた。続けて空気を読んだ周りも連動するように拍手を始める。
まあ、そうするしかないよな。
明らかにユンの回答は言わされたものだったが、一応今日はパラバーナ公爵家主催のパーティーで、パーティーの主役の一人であるセレンディーナの告白は成功したのだから。
周りの人間は「ハッピーエンドの告白劇」を見たとして処理しておくのが正着だろう。
皆の拍手と歓声にハッとしたようにして、セレンディーナが慌てて周囲を見回した。
恐らくこの瞬間まで、ユン以外が目に入っていなくて、ここがどういう場なのかを失念していたのだろう。遅れて羞恥からなのか、顔を赤らめていた。
そして──
「………………ユン?」
セレンディーナが目線をまたユンの方へと戻したとき。
ユンはもうそこにいなかった。
セレンディーナがまた慌てて周囲を見回してユンの姿を探すが、ユンはどこにも見当たらない。
……俺も近くにいたのにまったく気が付かなかったな。
どうやらユンはこの会場から逃げだしたらしい。ゼンの弟らしく、見事な気配の消し方に見事な速足だ。
皮肉にも、逃走経路を確認しておいたのが役に立ったようだ。……些か手遅れではあったが。
俺の横にいた妻が遠慮がちに「貴方、ユン様ってもしかして……」と尋ねてきた。
ゼンとラルダの関係は非公表。当然貴族たちはゼンの存在を知らない。その弟のユンのことも然り。
だが妻はさすがにゼンのことは知っている。毎回我がオーネリーダ公爵家で同期会をしていれば、妻も顔見知りくらいにはなる。それにラルダは俺の妻のことを信用しているらしく、ゼンのことを「恋人」だと以前打ち明けていた。
ゼンとユンという名前。ゼンとユンの髪と目の色。それと俺とユンの先ほどの会話から妻なりに正しく察したのだろう。
俺は周囲には悟られず妻だけに伝わるように返事をする。
「まあ……さすが兄弟といったところだな。」
王女様の婚約者になったゼンに、たった今、公爵令嬢の恋人になったユン。
架空の恋愛小説でも収めきれないほどの、設定てんこ盛りの辺境の地出身の平民兄弟。
こんな兄弟の数奇な人生、一体誰が予想できただろうか。
2週間前、クゼーレ・ダインでクラウスに向かって「貴族様って大変ですね」と他人事のようにコメントしていたユンを思い出す。
お前の方がよっぽど大変なことになっているじゃないか。
というか、よくこんな爆弾を抱えながら皆の前で普通に別の話をけらけらと笑いながらしていたな。
俺はユンの底知れなさに慄いた。
兄と違って何でもよく喋る弟だと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ。
本当はゼンと同じように、ユンもかなりの秘密主義者なのかもしれない。隠し方が違うだけで。
……それにしても。
俺は今回の告白劇ばかりは、素直に腹黒く楽しみ尽くす気にはなれなかった。
面白さ半分、心配半分といったところか。
……いや、さすがに心配の方が勝つな。これは。
完全に血の気を失っていた悪友の弟。
俺は彼のことが気掛かりで仕方なかったが、俺には彼を追いかける術もあてもなかった。




