15 ◇ 「ゼンの慟哭とユンの嘘」(中編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
※ 少しですが流血・死亡の表現があります。苦手な方はご注意ください。
この男が静かに抱え続けてきた、地獄の中を覗き見るのが恐ろしい。
しかし、その地獄の先に、今日のゼンの涙があるのだろう。
俺たちは、もう一言も発することができないまま、ゼンの独白を聞くことしかできなかった。
「俺たちはあの日、夜は普通に家にいた。
そしたら、いきなり町中騒がしくなって……お袋がそれを気にして、親父が窓の方へ様子を見に行った。
そしたら……いきなり窓が割れて、いきなりでけえ魔物が二体入ってきて、そのまま親父とお袋はいきなり頭食いちぎられて倒れたんだ。」
「そんで、そいつらが……口の端から親父の肩とお袋の髪をはみ出させて、次に俺の方を見たから……俺は目の前のテーブルにあった親父の銃を咄嗟に掴んで、魔力込めながらぶっ放したんだ。
そしたら口からはみ出てた親父とお袋ごと、そいつらの顔が吹っ飛んだ。
それで、俺は、急いで2階に行って……具合悪いっつって寝てたユンを俺の身体に縛り付けて、親父の銃を手に取って逃げようとして外に出たんだ。」
「でも……もう外はすでに魔物だらけだった。
俺ん家は町のど真ん中だったから、もう、どうしようもなかった。
俺は死ぬ、と思った。絶対無理だ。助からないと思った。
でも背中でユンが震えて俺を呼んでたから、アイツを落ち着かせるために俺はできもしねえ適当なこと言ったんだ。
『ユン。何でもいい。俺に強化魔法と回復魔法をかけ続けろ。』
『ユンは俺の背中だけ見てろ。周りは見るな。』
『──大丈夫だ。兄ちゃんが必ず守ってやる。』って。」
◇◇◇◇◇◇
ゼンはそこまで話して、一度その口を止めた。
語られた光景はまさに地獄だった。
地獄の中に立ち尽くす二人の子どもの兄弟。しかしゼンとユンは、そこから生還したのだ。
ゼンはしばらく止まった後、また口を開いて話し始めた。
しかしその口調は、先ほどまでの淡々としたものからだんだんと変わっていった。
「アイツは俺に言われた通り、俺の背中を見ながら滅茶苦茶に魔法をかけたっつってる。
……ただ……そんなわけねえだろ。……っ、そんなんで俺が、あの日初めて銃を握ったガキの俺が!魔物に勝てたわけねえだろうが!」
俺の脳裏にユンの顔が浮かんだ。
学生服に身を包み、笑顔で授業を受けにきたユンの顔が。
実戦魔法学などという、平和な授業を。
「っ、アイツの魔法はあの日から『完璧』だった!俺の腕が折れたら回復魔法かけて、俺が足を噛みつかれそうになったら強化魔法かけて、俺たちに向かって炎が吐かれたら目の前には氷の障壁が貼られたんだ!……っ、背中しか見てねえわけがねえだろ!アイツは、俺と一緒に全部見てた……!」
「ユンは!飛竜に気付いて悲鳴をあげてた!
親父とお袋の頭の無い死体を見て叫んでた!
好きだった女の死体を見つけて震えてた!
町の奴らが目の前で喰われて引き裂かれてく瞬間も!禍蛇が俺の腹の肉を喰い千切ったのも!俺らに向かってでけえ雷王麒が稲妻吐いたのも!俺が脳天ぶち抜いたはずの黒袁獣が口だけでアイツに噛み付いたのも!燃えてる家ん中に二人で吹っ飛ばされて火傷しながら逃げ出したのも!
──アイツは全部全部、ちゃんと俺と一緒に見て戦ってたんだ!!」
「俺は背中からずっと聞こえるアイツの魔法詠唱の声があったから戦えたんだ!なのに……
……なのに、ユンは……アイツは……っ!」
「……アイツはあるときから、『俺の背中しか見てない』って言うようになった。夢に魘されてるくせに『魘されてない』って言うようになった。
……しかもそれが変なことに、……っ、アイツ自身が気付いてねえんだ!」
「ユンの記憶は『嘘』でできてる。
アイツは……アイツは、自分でやったことを、見たことを、全部記憶ごと誤魔化しちまったんだ!」
◇◇◇◇◇◇
ゼンの叫びは、もはや悲鳴のようだった。
パタパタと涙が床に落ちる音がする。
ゼンはさらに項垂れていき、俺たちからはもう彼の表情が見えなくなってしまった。
「…………俺はずっと、ユンがあの日の記憶に耐えられなくなって、自分を守るためにそうなっちまったんだと思ってた。……でも、それでいいと思ってた。それでユンが明るくなるなら。
だから、11年間……ユンにはずっと黙ってた。お前の記憶は間違ってるって。言う必要もなかった。
それでユンが守れるなら……って。」
「でもそれは俺の勘違いだったんだ。
……昨日、ユンが言ったんだ。
『兄ちゃんの方がもっと辛そうで死にそうだったから、泣くのをやめた。』って。
『そもそも、泣く必要がないことに気付いた。だって、自分が見てたのは兄ちゃんの背中だけだったから。兄ちゃんの夢に比べたら俺の夢は怖くない。そのことに気付いたんだ。』って。」
「……ウェルナガルドから山一つ越えた池のほとりで、俺が泣いてた日だ。
俺が馬鹿みてえな泣き方してるのを、ユンが見ちまったんだ。……そのせいなんだ。
アイツの記憶が『嘘』になったのは、アイツ自身を守るためじゃねえ。
俺を守るためだったんだ。
俺は昨日アイツに言われるまで、11年間ずっと、ずっとそのことに気付いてなかった……!」
「俺とユンで……俺の方が苦しんでたから、俺の方が死にそうだったから、ユンは自分の方を誤魔化した。俺が弱かっただけなのに……ユンは、俺を守るために『自分の方が弱い』ことにしちまったんだ。
アイツは今でも自分の『嘘』を信じてる。今でもその『嘘』を通して、俺のことを見てるんだ。」
◇◇◇◇◇◇
ゼンはそう言って、頭をほんの少しだけ起こした。
そしてまたゼンの顔が俺たちから見えるようになる。
その顔はまるで泣きじゃくる幼子のように歪みきっていて、涙でぐちゃぐちゃだった。
「ユンが昨日、俺に言ったんだ。
『今まで俺を一番にしてくれてありがとう。もう俺のことは守らなくても大丈夫。』って。
今度は自分の代わりに新しい家族を守れ。幸せになれ。おめでとう……って。
俺は、ユンにずっと俺を守らせて、ユンに『兄ちゃんは強くて自分は弱い』って『嘘』をつかせてた。
それなのに、俺だけ勝手に……未だに夢に魘されてるユンを残して、幸せになるのを許されたんだ。」
「アイツは言ってた。『ウェルナガルドのあの日より兄ちゃんが死んじゃう夢の方が怖い』って。
……俺が弱くて、すぐ死にてえと思うような人間だってこと、ユンは俺よりも先に気付いてたんだ。俺が自覚するより先に。」
彼から以前何か聞いたことがあったのだろうか。ゼンのその言葉に、ラルダが静かに息を呑む気配がした。
「俺は……昨日ユンと話してて、初めてユンが俺よりも先に死ぬかもしれねえって思った。
いつも、ユンよりも先に自分が死ぬ想像しかしてなかったから。気付かなかった。
アイツの言う通りだった。……あの日なんかより、ユンが死ぬことの方が、よっぽど──」
ゼンの両目に、また涙がぶわっと溢れ出すのが見えた。
「そう思ったら寝られなくなった。人生で一回でも、そんな夢は見たくなかった。だから……ユンを巻き添いにして、一晩ただひたすら暴れてたんだ。
アイツは逆に、俺が死ぬ夢を11年も見続けてたっていうのに……!
アイツは何万回とそれに耐えてきたのに!
俺は……っ、いっ、一回も耐えられねえんだ!!」
ゼンの悲痛な声は、聞いている俺たちの身まで切り裂くようだった。
そして、また項垂れたゼンは、今度は弱々しく声を振り絞った。彼のその震える声は、不安と恐怖に満ちていた。
「俺は……っ、俺はどうしたらいい?どうしたらいいんだ……もう、わかんねえ。
どうすれば許される?どうしたらユンを救えるんだ?
アイツは『兄離れ』っつってたけど……アイツに置いていかれたのは俺の方だ。アイツは俺を置いていこうとしてるんだ。
……それで、初めて……今、俺たち兄弟で、ユンの方が先に死にそうになってんだ。」
ゼンの話はまったくまとまっていない。俺にはすべてを正しく推察することはできなかった。
だが、分かったこともある。
ゼンは昨日、ユンの嘘が自分への献身だと知った。
自分がずっとユンの真実を犠牲にして守られていたと知った。
そして、自分より幸せでいてほしい、自分より長く生きていてほしいと願い続けたユンを……恐らく、今のゼンが超えてしまったのだ。
自分の方が幸せで、自分の方が生き残ると初めて思えてしまったのだ。
◇◇◇◇◇◇
ゼンの頭はまたどんどん俯いていき、再びその顔は見えなくなってしまった。
俺は初めて、ゼンが頼りなく弱い存在に感じた。
11年前の辺境の町。
たった13歳の兄が、たった9歳の弟を生かすために被った最強の殻。
それはたった9歳の弟が、たった13歳の兄のために作った鎧だった。
今まではその鎧があったからこそ、俺たちの前で、ゼンはゼンでいられたのだろう。
部屋の中に沈黙とゼンの啜り泣く声だけがあった。
それはたったの数分だったかもしれないが、途方もなく長い時間のように感じた。
──そのとき。
誰かが階段を駆け上がり、2階の奥のこちらの部屋に真っ直ぐ向かってくる音がした。
俯いたままのゼンの肩が大袈裟にビクッと動く。
まるで、その足音が誰であるのかを知っているかのように。
そして部屋の前にたどり着いた足音は止まり、代わりに部屋のドアを叩く音がした。
俺はこの重い空気の中をなんとか立ち上がり、ドアの方へと歩いていく。
そして俺が移動しているわずかな間に、扉の向こうから焦ったような声がした。
「あのー、すみません!……っ、ユンです!またいきなりすみません!
兄ちゃんにちょっと用があって……兄ちゃんいますか?」
この状況を変える唯一の人物。
俺は躊躇わずにドアを引いて開ける。
そこには夕方に去っていったはずのユンが、息を切らしながら立っていた。
「アスレイ先生!お邪魔してすみません。ちょっと野暮用を思い出して──
──って、あれ?兄ちゃん?」




