14 ◇ 「ゼンの慟哭とユンの嘘」(前編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
クゼーレ・ダイン。2階の大部屋。
ひょんな流れで、今日はここで同期会を突発開催することになった訳だが……
「ゼン、まだ部屋から出てこないね。」
クラウスがミリア嬢に持ってきてもらった唐揚げをつまみながら呟く。
それにラルダが相槌を打つ。
「ああ。……心配だ。まさか私がまた戻るまでずっと引きこもっているとは思わなかった。」
1階で宿屋のご主人とミリア嬢、それからユンを交えて話をしたのが午後3時から2時間ほど。
それからユンは寮へと帰り、ラルダは国務のために王宮に一度戻った。
俺とクラウスは一度それぞれ家に行き、宿泊の支度を整えてからここへ来た。そしてミリア嬢に差し入れられるご主人の料理に舌鼓を打ちながら雑談に花を咲かせていたら、国務を終えたラルダが急いで戻ってきたという訳だ。そして時刻は、夜の10時になろうとしているところ。
その間、ゼンは部屋に篭ったきり、出てきていない。
「ゼンに一体何があったんだろうな。」
俺は素直に疑問に思う。
「今日の話の内容に関しては、誰一人として着地点に不満を持っている者はいなかったはずだ。ラルダや俺たち、それに宿屋のお二人に問題があるようには思えないな。」
クラウスも唐揚げを食べながら俺に同意してくる。
「そうだね。まあ、ゼンの様子を見るに原因はユンくんなんだろうけど……ここにいたときの会話に限って言えば、ユンくんは特にゼンを困らせるようなこと言ってなかった気がするなぁ。
ゼンが意外と感極まって泣くタイプっていう可能性もゼロじゃないけど……でも限りなくゼロに近いと思う。
なんなんだろう?」
あの場では誰も口には出さなかったが、ユンが帰ったとき、ゼンは泣いていた。
「ゼンが泣くってよっぽどじゃない?僕見たことないもん。」
「そうだな。俺も泣いているのは見たことがない。ラルダはさすがにあるかもしれないが。」
しかしラルダは俺の言葉に首を振った。
「…………いや。ゼンは私の前であっても、一度たりとも泣いたことはない。それほどの男だ。」
俺たちの間にしばしの沈黙が流れる。
ラルダにすら見せたことのない涙を、酒の一滴すら入っていないあの場で堪えきれず流してしまったのか。
これは……相当重症だな。
沈黙を破ったのはラルダだった。
「様子を見に行ってくる。可能であればこちらに呼んでこよう。」
そう言って出て行こうとするラルダに、俺は「認識阻害魔法を忘れるなよ」と一声かける。よほどゼンが心配なのだろう。私事で外に出る場合は息をするようにかけるはずの認識阻害魔法すらも失念していたようだった。ラルダはハッとしたように慌てて魔法をかけながら部屋を出て行った。
うっかりした王女様だ。ゼンの存在を非公表で貫き通すと宣言したばかりのはずだが、先が思いやられるな。
……さて。
俺も場を整えるための最低限の準備をするか。
俺は重い腰を上げながらクラウスに一言声を掛けた。
「お前も顔が割れていて何かと面倒だろう。俺が下に行って酒を用意してもらってくる。クラウスはここで待っていてくれ。」
◇◇◇◇◇◇
意外にもゼンはあっさり部屋から出てきたようで、俺が「これ、ゼンが一番好きで口を割りやすいやつです!」とミリア嬢に教えてもらった酒をメインに、数種類の酒瓶とグラスと氷を待って部屋に上がったときには、すでに同期が部屋の中に勢揃いしていた。
「おや。出てきたのか。」
「悪い。ちょっと取り乱した。」
俺が声を掛けると、ゼンはやや元気が無さそうではあるが、普通に返事をしてきた。
会話ができるなら何とでもなるか。
一つのテーブルを囲むようにして4つの椅子を寄せ集めてそれぞれが座る。俺は皆に好みを聞きながら適当に酒を渡した。
ゼンは案の定ミリア嬢が教えてくれた通りのものを選んでいた。
そして、ラルダあたりが会話の主導権を握るかと様子を窺ったが、特にそうするつもりもなさそうだったので、俺は先陣を切って話題を提供することにした。
いきなりストレートに「ゼンはどうして泣いていたんだ?」と聞いても絶対に答えないだろうが、変に遠回りしてしまうと本題に辿り着けずゼンも口を割らずに終わる可能性が高い。まあ、もし最後までゼンに口を割らせることができなかったら、そのときは婚約者に丸投げしよう。
最低限の計算はするが、駆け引きは面倒臭い。
俺は先ほどのゼンの涙の鍵になっていそうな人物の名前だけいきなり上げて、あとは流れに任せることにした。
「ところで、ラルダとクラウスはユンに会うのは初めてだったんだな。」
クラウスの顔には「雑にぶっ込んできたなー」と書いてあり、ラルダの顔には「作戦了解、心得た」と書いてあった。
「そうだね。僕にとっては、ユンくんは同期の弟ってことになるから、会ったことがなくても全然おかしくないけど。ラルダは一回くらいは会ったことあるかと思ってた。」
「そうなのだ。交際相手の家族であるユンには一度正式に顔を合わせておくのが最低限の礼というものなのだが、王宮側は未だにその場を整える気がないようでな。……ふん、腹立たしい。
それでせめて、私個人だけでも挨拶しておきたくてな、ゼンにここ一年ほど話を通してもらおうとしていたのだが、私の予定の不確定さもあり、なかなか実現できぬまま今日に至ってしまっていたのだ。」
「いや、お前の予定の不確定さっつーより、普通にユン側が躱してたからな。」
元気は無さげなものの、普通にしれっと入り込んできたゼンに、クラウスが素直に感想を述べた。
「なんだ。話せるなら良かった。」
その言葉にゼンは反応しなかったが、クラウスは構わず話の流れにまた戻っていった。
「何でユンくんはラルダに会おうとしなかったの?」
「『正式に婚約してから会えばいいと思ってた』っつってたな。で、2ヶ月前に婚約内定してからは、婚約した割に自分には声掛かって来ねえなーとは思ってたらしい。今朝聞いた。」
「…………それは完全に私のせいだな。私に余裕がなかったばかりに、ユンに会う機会を設けられないままになってしまっていた。」
ラルダが少し落ち込みかける気配がしたが、クラウスが俺の方へと切り返してきた。
「アスレイは学園で教えてたんだっけ?ユンくんのこと。」
「教えていたといっても、実戦魔法学を一コマ担当しただけだがな。」
「へえ。どんな感じだった?」
俺は当時を思い起こす。
「初回授業のときにゼンに似てる奴がいるなと思って、名簿を確認したら『ユン』という平民だったから確信したな。そして俺の方から声を掛けた。」
俺は初回授業の後、ユンの方へ行き「勘違いかもしれませんが……もしかして君は、ゼンの弟ですか?」と声を掛けた。
するとユンは「え?!ゼン?あ、はい、そうですけど…………あ!そういえば、新任講師紹介のとき、アスレイ先生『元魔導騎士団』って紹介されてましたもんね。そっか。もしかして兄ちゃんから話聞いてましたか?」と一気に喋ってきた。
俺が「いいえ。ゼンから特に話は聞いていませんが、ゼンによく似ていたので。」と言ったら、ユンは大袈裟に驚きながら言った。
「『兄ちゃんに似てる』って初対面で言ってきたの、アスレイ先生が初めてです!……と言われたな。」
俺の発言にゼンも驚いたようにこちらを見たが、俺の発言を先に拾ったのはクラウスだった。
「え、すごいねアスレイ。見た目で分かったの?僕は正直、今のところ『似てない兄弟だな』って印象だけど。」
ラルダもどちらかというとクラウス側の感想を抱いたようだった。クラウスに同意するように軽く頷きながら聞いている。
「見た目ではないな。さすがに俺も並んでいる生徒の姿の中から見つけたわけではない。似ていると思ったのは『魔法』だ。
ラルダとクラウスも実際に見れば分かるぞ。ユンの魔法はゼンの使い方とかなり似ている。」
実戦魔法とはいっても、所詮は学園の中の授業。ほとんどの生徒は演習でしか魔法を扱ったことのない貴族の子女ばかりだ。稀に魔導騎士団を目指し、個人的に実戦経験を積んでいる者がいるくらいで。
「俺は新任で講師としての勝手もよく分からなかったからな。初回はとりあえず、生徒の実力や傾向を見るために自由にやらせてみたんだ。
そうしたら、ほとんどの生徒が連撃魔法の型の中から得意なものを披露したのに対し、ユンだけがやたらと実戦的だった。しかもその魔法の使い方がゼンにそっくりだった。」
「具体的には?」
「自由想定の魔物に一対一で対面したときの動きをやらせてみたんだ。
結果、ユンだけがまず息をするように『とりあえず足に強化魔法』をかけて、『逃げる前提の腰の落とし方』をして、それから『とりあえず様子見で小さめの無属性魔法を2発』放っていた。」
「それはたしかに、ただのゼンだな。」
「思いっきりゼンじゃん。」
「似ているだろう?」
ゼンは何かを考えているのか、それとも思い出しているのかは分からないが、無言で酒を飲んでいた。
……いつもよりもペースが早めだな。ゼンにしては。
今日は夜通し飛竜狩りをしていたせいで寝ていないと言っていたし、気も沈んでいる。加えてこの飲み方。
ゼンに酔いが回って口を割り出すのは案外早いかもしれないな。
「腕前もとても良かった。学園内の型に則った評価基準の中では、ユンの持ち味が評価しきれなかったのが歯痒かったな。魔導騎士団員視点では満点だったが、講師視点では多少減点せざるを得なかった。
魔法の規模のコントロールが、指定より弱いことは絶対にないが、指定より大きすぎるんだ。恐らくそれも、癖だろうな。自分の想定よりも、無意識に気持ち一回り大きく打ってしまう。……なんとも実戦的な癖だ。」
実際、魔物の力が自分の想定よりも少し上回っていた場合、その一瞬の「想定外」が仇となり、一気に窮地に陥ってしまうことはままある。
オーバーキル、というのは、自分がまず生き残るためには必要な考え方の一つだ。もちろん、そればかりやってしまうと今度は魔力残量や魔法発動の瞬発力に影響してしまうのだが。
「それで、なんといってもこの『ゼン』の弟だからな。実際の戦場での実力がどんなものか気になって、他の実技系の授業成績も確認してみた。」
クラウスとラルダも気になったようで、俺に話の続きを促してきた。
「たしかに気になる。」
「それで?どうだったんだ?」
生徒の個人成績を言いふらすなど講師失格だが、まあこの場の面子とユンに関しては例外だろうと勝手に心の中で言い訳をしておく。
しかし、一応軽くぼかしてはおく。
「純粋な身体能力は他の追随を許さない。しかし、剣術は意外と上の中くらいだったな。
俺の授業のように、成績表に残らない強さはあったかもしれないが、そこまでは剣術の授業担当ではないから分からなかった。」
すると、ゼンがぼそりと呟く。
「アイツ双剣使うからな。長剣は使い辛えだろ。」
──きたか?
俺は直感的に、ここをきっかけにゼンが口を割り出すような気がした。
ここからはゼンに話の主導権を譲るのが良いだろう。もちろんユンの戦闘力への純粋な興味もある。
軽く視線を動かしラルダとクラウスの表情も確認したが、どうやら二人も同じように思っているようだった。
ゼンのグラスの酒は、すでに7割ほど減っている。
俺たち三人はゼンの話に乗っていくことにした。
そしてその判断によって、俺たちは初めて「最強の男」という硬い殻の中に存在する「一人の男」の慟哭に辿り着くことになるのだった。
◇◇◇◇◇◇
「双剣か。珍しいな。貴族出身の騎士では滅多にいない。少なくとも私は見たことがないな。」
ラルダはそう呟いて、ゼンに質問する。
「私たちのような者は、まず皆基本として長剣を習得する。そしてさらなる武術の追求をする場合は、自分の適正に合わせて師に判断を仰ぎながら専用武器を見定めていくことが多いのだ。ゼンたちはどうだったんだ?」
ゼンは酒をまた一口飲みながら答える。
「別に。適当。
俺は、初めて魔物を殺したあの日、猟師だった親父の銃を咄嗟に使ってたってだけ。その一日で慣れたっつーか、その一日から惰性で使い続けてる。」
あの日、というのは「ウェルナガルド」の悲劇のことで間違いないだろう。
ゼンはあの日の詳細を一度も俺たちの前で語ったことはない。今まで同期で散々話してきたときも、ゼンはそれぞれの過去の話になると決まって静かになり、聞き役に徹するようになっていた。
そして俺たち三人は、そこには触れるべきではないとずっと思っていた。
だから俺たちは、恋人のラルダが尋ねたとはいえ「別に。適当。」の続きが語られたことに驚きを隠せなかった。
そしてやはり……あの日魔物を殺していたのは、ゼンだったのか。
魔導騎士団が到着したときの、数千人の死者と約百体の魔物の死体。話によると、魔物のほとんどは上級の個体、さらにその中には超上級個体も紛れていたという。
それが、ゼンが初めて殺した魔物たちだったのか。
慣れた。惰性。
そんな言葉で片付けて良いものではないだろう。だが、ゼンはそれで片付けてしまった。
「ユンは、最初は……短剣が一番安くて包丁代わりにもなるからとりあえずそれ持たせてた。んで、しばらくして金溜まったときにアイツが『兄ちゃんが両手使ってるから俺も』っつって双剣に変えてた。」
……包丁、か。
なんでもないように語られる思い出。
俺たち三人とゼンではあまりにも歩んできた人生が違うことを感じさせられた。
ラルダはもうこの二つだけで、辛く込み上げてくるものがあったようだった。
質問したラルダの方がすでに耐え切れなさそうに顔を歪ませ口を結んでしまい、一瞬そこで会話の流れが途切れた。
「強いの?ユンくん。」
クラウスが静かに穏やかに、ごく普通に尋ねた。それにゼンも普通に答える。
「さあ。お前やラルダと手合わせしてもどうせ勝てねえだろアイツは。」
「そっか。」
そしてゼンは、またグラスに口をつけてから付け足した。
「つっても、アイツはお前たちじゃ倒せねえな。ユンは勝つのは下手クソな割に負けねえのは上手えから。逃げ足はまあまあ速えし。」
クラウスが「それ、十分すごいって。」と感想を述べる。それに対しゼンは、苦々しい表情になった。
「もともとアイツは病弱なヤツだったから。家ではずっと部屋に篭って寝てばっかだった。それなのに……だいぶ無理させてきちまった。
俺が使い物になんなくなって、アイツが俺を抱えて魔物から逃げることもザラにあった。」
俄には信じられないな。使い物にならず誰かに抱えられて逃げるゼンなど。
ただ、長く二人で暮らしていれば、そうなる瞬間もあるだろう。
俺は学生時代のユンと会話したことを思い出しながらゼンに伝える。
「ユンは俺に言っていたぞ。『俺は兄ちゃんに助けられっぱなしだった』と。」
俺の言葉に、グラスを持つゼンの指がピクリと動く。
そして、一瞬浮いた指をまたグラスに添え直し、ゼンは残った酒を煽った。
この場にいるラルダとクラウスは知らない事実だが、実はゼンは一杯程度で吐くほどに酒に弱い。
ラルダとクラウスは「ゼンは酒が進むと普段よりも素直な態度を取るようになる」程度に考えているだろうが、実際は、この男の酒の弱さはまず身体に出るのだ。
俺とゼンは二人よりも歳上で酒の解禁も早く、同じ部隊でつるみやすかったこともあり、一対一で飲む機会が多かった。それで、俺は過去に二度ほど、ゼンの失態を目撃しているのだ。
以降、同期会ではさりげなく俺が気を遣ってゼンをセーブするようにしている。しかし今のゼンはもはや止める間もなかった。
俺は思わず声を掛ける。
「おいゼン、お前大丈夫か?」
酒を飲み干したゼンはグラスを置き、その長い足の膝に肘をつき、手を組んで俯いた。
下を向いて自分の手を見つめたままのゼンが俺に問い掛ける。
「……ユンは、何っつってた。お前に、俺のこと。」
俺は素直にそのまま伝えた。
ユンが嬉しそうな笑顔で俺に言っていたことを。
「詳しいことまで聞いているわけではないが。
兄ちゃんはあの日、弟の俺を背負って逃げてくれた。それからずっと弱い俺を守り続けてくれている。と。
……強くて自慢の兄だと言って笑っていた。」
するとゼンは、いきなり声を上げることもなく涙を流し始めた。
俺たち三人は愕然とした。
同期として7年間、ラルダに至ってはさらに恋人として4年間、俺たちにはただの一度も涙を見せなかった男が、酒が入っているとはいえいきなり隠すこともせずに泣き出したのだ。
そんなにも取り繕えないほどなのか。
「ゼン。」
ラルダが思わず彼に呼びかける。ラルダは彼を案ずるがあまり、今にももらい泣きしそうな顔をしていた。
ゼンはラルダの声が聞こえているのかいないのか、それには反応せずに肩を震わせながら振り絞るようにして呟いた。
まるで、己の過ちを悔いる罪人のように。
「…………違う。違う。アイツはそんなんじゃない。
アイツは、ずっと自分に『嘘』をついてる。」
「……『嘘』?」
俺はゼンに問いかける。
ユンが兄を誇り慕う気持ちに、何一つ嘘はないだろう。
それでは、何が「嘘」なのか。この男が泣くほどの。
ゼンは泣きながら口を開く。
「ユンは俺にいつも言ってた。
『あの日、俺は兄ちゃんの背中を見てただけ。兄ちゃんが全部怖いものを見てくれたから、俺は見なくて済んだ。』って。」
「ああ、俺もそう聞いているな。」
「………………そんなん、嘘だ。
ユンだって、あの日のことは全部見てた。」