13 ◇ 宿屋の娘ミリア再び(後編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
※庶民勢がくだらない会話をしているので、貴族の方々は少々お気をつけください。
夜といえば。
さっき、ラルダ様、ゼンはずっと宿屋にいていいって言ったんだよね。
ゼンの不眠も心配だけど、それだけでいいのかな。
……ラルダ様はラルダ様で、寂しくないのかな。
私がそう思っていると、ユンさんがちょうど同じようなことを思ったのか、ラルダ様に少し遠回り気味に質問をしてきた。
「ところで、ラルダさんは兄ちゃんにさっき『ずっと宿屋にいていい』って言ってましたけど……一応兄ちゃんも王宮の部屋もらえたりするんですか?一部屋くらい。」
するとラルダ様は頷いた。
「ああ。婚約者が決まる前……なんなら私が生まれた時点で、すでに私の配偶者のための部屋は確保されている。そこにゼンが入ることになるだろうな。
一通りの生活ができる状態にはなっている。使用人もつくが……ゼンが望むのであれば使用人はつけないようにしよう。」
「使用人とかいらねえにも程があるわ。」
「……昨日の野宿との差がすごいね、兄ちゃん。」
「調度品もゼンに合わせて選ぶことができる。好みの食器や、棚や机……眠りやすい布団などがあれば、それも調整可能だ。」
「そんな空間だったらどんな布団使おうが変わんねえよ。寝れねえっつの。」
うーん、なんだかすごい。
ゼンだけじゃなく、庶民という生き物はそんな豪華なお部屋じゃ眠れないよ。
私はそんな風に思いつつも、ゼンに訊いてみた。
「ゼンは、その王宮のお部屋にも慣れてみようって気は……今のところは無いの?ウチみたいにさ。」
「んー、別に。慣れる必要ねえだろ。とりあえず今ここにいられんなら。っつーか、百年経っても慣れる気しねえよ。王宮の建物自体。」
ゼンにとってはここにいて、ここで寝るのが一番いい。それはさっき分かった。
でも……それだと、ラルダ様が王宮で独りぼっちになっちゃうじゃない。
「えぇー……まあ、ウチにはいくらでもいてくれていいんだけどさ。お金さえちゃんと払ってくれれば。
でも、だんだん王宮でも……っていうより、ラルダ様の隣でも眠る練習をちょっとずつしてみてもいいんじゃない?少しでも長い時間一緒にいられる方がいいでしょ?せっかくの新婚さんなんだから。」
ゼンの不眠が意外と繊細な問題で、他人が簡単に口出ししていいことじゃないってことは分かってるけど。
それでも私は私なりに一生懸命ゼンに提案してみた。
……だって、やっぱり寂しいじゃん。
そんな悲しい理由で、一緒に夜眠れないのって。
そう思って、私にしては珍しくゼンに真剣に語りかけた。
それなのに。ゼンときたら、テーブルに肘をつき私を横目で見ながら鼻で笑った。
「ハッ!んなもん今から真面目に練習したって意味ねえよ。ラルダと夜いたところで、どうせ眠れねえっつの。新婚だから。」
………………ちょ、
「ぎゃー!ちょっとなんてこと言うの!最悪っ!!」
「兄ちゃん最低ーーー!!」
ゼンの発言の「真意」に気付いたのは私とユンさんがまず同時だった。
悲しいかな、これが庶民の力だ。貴族の人たちに庶民が頭の回転で勝るのは「この分野」しかない。
続けて、私たち庶民の反応をヒントにして、アスレイ様とクラウス様が少し遅れて気付いた。
「ゼン……お前という奴は。まったく。」
「ゼンからたまーにこういう発言聞くと、僕たち貴族ってなんやかんやお行儀いいんだなーって思うよ。」
残るはラルダ様だけだった。ラルダ様の表情はまだどちらかというと……表と裏でいうと、表の意味の方しか分かっていないようだった。
「そうか。……いや、分かっている。私の隣ではまだゼンは落ち着いて眠れないか。……こればかりは仕方のないことだ。」
「そうそう。落ち着かねえから仕方ねえよ。」
「ゼンはもう黙れぇーーッ!!」
「兄ちゃん最っ低ーーー!!」
ラルダ様の真剣な言葉にまで重ねてくるんじゃない!
馬鹿ゼン!!
私はゼンの頭を引っ叩いて止めようとしたが、なんでもなさそうにヒョイっと避けられた。
ラルダ様はというと、その表の意味だけを捉えて少し寂しそうにしながらも、ゼンを含む周りの反応との差に戸惑っているようだった。
ああーっ!ほら!ラルダ様可哀想に困ってるじゃん!
違うんです!ラルダ様が悲しむ必要はないんです!
むしろラルダ様を褒めてるっていうか……って、ダメだ!そうやって誤解を解いたらラルダ様の純粋な御心を穢してしまうーっ!!
「ちょっとー!ラルダ様が困ってるじゃない!責任取ってよゼン!!」
「だから責任取るっつってんだろ。」
「貴様!もう黙れぇーーーッ!!!」
「お前が黙れよ。」
「うるさぁーーい!ゼンの馬鹿ーーーッ!!」
ああ言えばこう言うゼンに私が憤慨しているのを見て、ラルダ様は困惑してとうとう助けを求めた。
「……すまない。私は何か勘違いをしているのだろうか?」
するとアスレイ様が「やれやれ」と言ったように丸眼鏡をクイッと押し上げながら、溜め息混じりにラルダ様に説明する役を買って出てくれた。
「まあ……つまりゼンは今、不眠というネガティブな話をしている訳ではない。『貴女が魅力的だから隣で眠っている場合ではない』と言っているだけだ。
……このくらいヒントを出せば流石にラルダでも分かるだろう。ヒントというより、ほぼ答えのようなものだが。」
そしてラルダ様は、そのほぼ答えのようなヒントを軽く咀嚼した後、ようやく裏の意味に気付いたようで、一気に耳まで真っ赤になった。
可愛いッ…………けど、馬鹿ゼンっ!!!
「ちょっとゼン!ラルダ様に手出したら許さないからね!」
私が念を押すように睨むと、ゼンはまた悪びれもせず言った。
「なんでだよ。」
「なんでって……!だってラルダ様は王女様だよ?!
貴族の人っていうのは婚前は清く正しいお付き合いするもんなんだから!ゼンで穢さないで!!」
「俺庶民だから関係ねえしー。」
はっ?!?!
「まっ、まままままさかゼンもう………?!」
「まあでもラルダは王女だからなー。」
「ほっ……まあ、そりゃそうだよね。」
「俺は庶民だけどな。」
「どっち?!?!」
「言うわけねえだろバーーーカ。」
ぐっ!コイツ!おちょくりやがって!!
でも、これは私が引くべきだろう。
ここで今のゼンとラルダ様がどっちの状態なのかを判明させるのは、何よりラルダ様に無礼すぎて失礼すぎて不敬すぎる。
……しかも結果によっては首が飛ぶよ。ゼンと私の。
私が引き際を弁えて大人しくなったのをニヤニヤと眺めていたゼンが、ふと何かを思い出したようにハッとし、珍しく慌ててユンさんの顔を窺った。
ユンさんはというと、にっこりしながらそんなゼンの様子をただ見ていた。しかし無言の不思議な圧がある。
……あれ?もしかして。ユンさん、今のやりとりでどっちの状態か分かっちゃった?
兄弟にしか分からない何か重大な失言をゼンがしたのかもしれない。それか、経験則か。
「………………おい、ユン。」
「なぁに?兄ちゃん。俺まだ何も言ってないけど。」
「絶っっっ対に言うなよ。」
「……どれのこと?」
「ユン!!」
「ハイハイ、分かってるって。」
庶民の嗜みであるこの手の話は、引き際を間違えると本当に危険だからね。
私は善良な庶民なので、ゼンとユンさんのやりとりから、二人が言っている何かは分からないが、踏み込んじゃいけない領域だと察した。
……ラルダ様の純粋な御心をこれ以上穢さないために。
◇◇◇◇◇◇
「ねえ。そういえば、兄ちゃんはラルダさんのどこに惚れたの?」
ユンさんナイスーーーッ!!!
私は心の中で叫びながら拍手をした。
そうだよ!それ!絶対聞かなきゃいけないやつじゃん!
さすがは弟さん。話題のぶっ込みかたが強い。そしてちゃんと健全な方向に話を戻してくれた。ありがとう!
「あ゛?言う訳ねえだろ。」
ゼンは当然のように威圧付きで回答を拒否した。でもユンさんは、そんなゼンには全然怯まずに言い返す。
「えぇー?兄ちゃん。言っちゃいなよ。今ここで言っとくのが一番傷が浅いよ?今言っとかないと、これから一生聞かれる度にはぐらかし続けなきゃいけないんだよ?
弟の俺がいてフォロー体制はばっちりで、変に言いふらす余計な人はいない。絶好のチャンスじゃん。」
「さすがユンさん!もっと言ってやって!」
「オイ、ここにいんじゃねえか。ぜってー言いふらす余計な奴。」
「あっ、やば、声に出ちゃった。」
私は興奮のあまりうっかり声に出してユンさんの応援をしてしまった。
ユンさんは笑って続ける。
「何よりさ、兄ちゃんが言わないと、ラルダさんが不安になるかもよ?あ、別に二人のときにちゃんと言ってればいいけど。どうせ言ってないでしょ。『きっかけ』とか『好きなところ』とか。」
「そうだな。私は今のところ不安にはなっていないが……そういえば聞いたことがないな。」
「……チッ。」
「はい、兄ちゃん。そこで舌打ちしなーい。」
ユンさん、強い!
私はもうスタンディングオベーションを通り越してユンさんを拝んでいた。
ラルダ様もユンさんに乗せられて、興味あり気にそわそわしだしている。可愛い。
おいゼン!ここで言わなかったら男じゃないぞ!一発かませ!!ラルダ様を喜ばせてやれ!!
私がそう念を送っていると、ゼンはさすがに折れたようで口を尖らせて言った。
「……ユンに似て、なんか勝てねえなって思った。あと、顔。」
「さっ、最低ーーーッ!?!?
『ユンに似て』って何なのこのブラコン!!『顔』って何なのこの面食い!!」
私が思わずツッコむと、ゼンは「だからうっせーんだよテメェ!余計なお世話だっつの!」とヤケになってキレてきた。
ラルダ様はというと、頭に疑問符が浮かんだような顔をしている。
すると、ユンさんが声を上げて笑いながら華麗にフォローに入ってきた。
「あはは!兄ちゃん、さすがに言葉足りてないって。
あのですね、ラルダさん。兄ちゃんは多分、ラルダさんの『表情』が好きなんだと思います。」
「……表情?」
ユンさんは頷く。
「俺、実はちょっと今日まで不思議に思ってたんですよね。ラルダさんのことは遠目で見かけたことしかなかったから。なんか兄ちゃんにしては……えーっと、珍しいなって。」
ユンさんが咄嗟に言葉を選ぶ。
……要は「歴代のゼンの好みと傾向が違う」って言いたいんだろうな。
「でも、今日こうして会って話してみてすごく納得しました。ラルダさんって、普段は意外とこんな感じなんですね。兄ちゃん、昔っからこういう雰囲気の人が好きなんですよ。笑うとお「ドガッ!!」ぃ痛ッ?!」
「…………ユン。」
ゼンが長い足で思いっきりユンさんの座っている椅子を下から蹴り上げた。今、ユンさん完全に宙に浮いてた気がする。
「いってえなー!兄ちゃん!ハイハイ、分かったよ。
……まあ、要はラルダさんの笑った表情が兄ちゃん好みってことです。」
「そ、そうか。そうなのか。……ありがとう。」
「あ!そうそう!まさにそれです!そういう感じの。」
ゼンがもう一度ユンさんの椅子を蹴ろうとしたけど、今度はユンさんがゼンの足をパシッと手で止める。
ラルダ様はというと、ぽっと頬を赤らめながら、嬉しそうに、そして恥ずかしそうに口をもにょもにょさせていた。
え、すっっっごく可愛い。
……ごめん、ゼン。分かったわ。こういうのがツボだったんだね。そういうことでしょ?ユンさん。
私は一人で「理解」していた。
そしてユンさんは、首を傾げながらゼンに問いかける。
「うーん……でも『俺に似てる』は分かんないや。どゆこと?兄ちゃん。」
「…………。」
ゼンが口を尖らせたまま黙秘していると、アスレイ様が突然参戦してきた。
「まあ、それに関しては俺は少し分かる気がするな。」
「え?アスレイ先生、どういうことですか?」
ユンさんがアスレイ様に質問する。そういえばユンさんはアスレイ様を「先生」って言うけど、先生と生徒の関係なのかな。なんだか授業みたい。
「言語化するのは難しいが……そうだな。ラルダもユンも、ゼンの方に合わせるというより、ゼンを自分の方に引っ張っていく感じがするだろう?今のように。まあ、時と場合によるが。」
「んー、そういうこと?兄ちゃん。」
「ハイハイ、それでいい。」
投げやりになっているゼンをスルーして、アスレイ様は思いのほか優しく笑った。
「俺は最上級の褒め言葉だと思う。
何よりも大切にしてきた唯一無二の家族と重なるくらい、ラルダの力強い在り方に安心するんだろう?ゼン。立ち止まるお前の背中を押して、前へと進ませることができる人間は……俺が知る限りではラルダとユンの二人だけだ。」
アスレイ様の言葉に、ラルダ様は何だか驚いたように目を見開いたが、ユンさんは逆に何かを受け入れるように微笑みながら目を伏せた。
「ああ、そっか。うん、それなら良かったです。」
ゼンは、そんなユンさんに今度は少し寂しそうな目を向けて、でもすぐに視線を逸らした。
……ゼンの今のは、どういう感情なのかな。
一瞬気にしかけたところで、ユンさんの明るい声が私の思考に被ってきた。
「そんだけ兄ちゃんがラルダさんにベタ惚れなら、それが何よりだよ。素敵な人に出会えて良かったね。
俺、もう兄ちゃんには何も心配することはないや。これからはちゃんと守るんだよ?ラルダさんのこと。」
「…………ユン。」
ゼンは、さっき椅子を蹴ったときの低いドスの効いた言い方じゃなく、今度は静かにユンさんの名前を呼んだ。
……上手く例えられないけど、やっぱりどこか寂しそうな声色で。
ユンさんはそれに気付いているのかいないのか、にこにこしながら立ち上がった。
「じゃあ俺、そろそろ行こうかな。
卵と三色草も劣化しだす前に保管庫に移さないといけないし。食堂に竜の首を転がしておくわけにはいかないし。何より、これ以上皆さんの前で調子に乗ると、兄ちゃんに本気で怒られちゃうから。
……ということで皆さん、お邪魔しました。ありがとうございました。俺はこれで失礼します。」
私たちの座るテーブル全体に軽く礼をしてから、ユンさんはラルダ様の方へ身体ごとしっかりと向けて、真っ直ぐ立って……そして、とても温かい笑みを浮かべて言った。
「ラルダさん、兄ちゃんを幸せにしてくれてありがとうございます。こんな至らないところばっかの兄ちゃんですが、これからよろしくお願いしますね。
──ご婚約、おめでとうございます。」
ラルダ様はその言葉を感慨深げに受け取り、今度は凛とした、でもとっても柔らかな大人な笑顔でユンさんにお礼を言った。
「ありがとう。またいずれ近いうちに、ゆっくり話をさせてくれ。」
「ええ、楽しみにしてます。いろいろ兄ちゃんの話聞かせてください。」
ユンさんはそう言って、出口の扉のところまで両手で大きな袋を持って歩いていった。そして最後に振り返ってもう一度礼をした。
「じゃ、皆さんありがとうございました!
……兄ちゃんも、ありがとね!またね!」
◇◇◇◇◇◇
カランカラン……と扉についたベルの音が鳴って、扉が閉まってユンさんの姿が見えなくなった。
ゼンはいつも「バタン!!」って蹴って開けるからベルの音が掻き消されちゃうんだよな。なんて、ふとどうでもいいことを思った。
「……ユンさんに『勝てない』って、なんか分かる気がするなぁ。」
閉まった扉を眺めながら、私は無意識に思ったことをそのまま呟いた。
今になって思う。
さっきユンさんが「兄ちゃんはラルダさんのどこに惚れたの?」って質問してゼンに無理矢理言わせたこと。
あれは絶対、嫌がらせとか、ただの興味とかじゃなかった。
アスレイ様が言っていたように、ユンさんはゼンの背中を押したんだ。そっと自然に、とっても優しく。
ゼンが、ちゃんとラルダ様と幸せになるための、最後の一押し。
「いい弟さんだね、ゼン。」
私がそうやって言いながらゼンの方を見ると──
ゼンはテーブルに突っ伏して、顔を完全に隠したまま微動だにしてなかった。
……いや、動いてるぞ。
肩っていうより……横隔膜のあたりが。
私だけじゃなく、そこにいる一同全員がゼンのことを無言で見ていた。
多分、みんなゼンに同じことを思っていると思う。口には出さないだけで。ゼン、アンタもしかして……
「じゃあ、とりあえずゼンはここに置いておいて、僕たちは先に上の大部屋に上がらせてもらおうかな。
案内お願いできますか?ミリアさん。」
ずっと静かにやりとりを見守っていたクラウス様が、すごく自然に、そして爽やかに立ち上がりながら私にお願いをしてきた。
「あ、はい!どうぞ、こちらです!」
私は慌てて立ち上がり、ラルダ様とクラウス様とアスレイ様を2階の奥の大部屋にご案内する。
そして「お茶をお持ちしますね!」と言って急いで1階に降りてきたら……そこにはもうゼンの姿は無かった。
きっと今の隙に、自分の部屋に上がったんだろうな。
私はゼンのいる3階の客室の方を見ながら、そっと一人で呟いた。
「ゼンってば本当、幸せ者だなぁ。」