12 ◇ 宿屋の娘ミリア再び(中編)
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
このクゼーレ・ダインは、大衆食堂部分が3階まで吹き抜けになっていて、この1階の私たちのテーブルからは、2階と3階の客室の扉がよく見える。
食堂の仕事をしていても、チェックアウトするお客さんが部屋から出てきたらすぐに気付ける。
つまり何が言いたいかっていうと。
ちょうどタイミングよく扉を開けて、ラルダ様の発言を聞いてしまったゼンが、呆然としながら固まっているのが私からはよく見えた。ってことだ。
「……は?」
「ゼン、ちょうどいいところに出てきてくれたな。すまないが、せっかくだから降りてきてくれないか。」
ラルダ様も当然気付いたらしい。清々しい顔をしながらゼンヘと声を投げかけた。
濡れたままの髪に、肩に掛けたタオル。ラフな格好をした風呂上がりのゼンが、戸惑いながらも降りてきた。
一番階段に近い席に座っていたユンさんが「兄ちゃん」と声をかけながら、隣の空き椅子をポンポンと叩く。ゼンはユンさんに勧められるがままに、いつもより静かに腰掛けた。
「ラルダ、お前いま……何の話してたんだ?」
ゼンの質問に、ラルダ様が堂々と答える。
「聞いていただろう。先ほど言った通りだ。
私は婚約者の『非公表』をこのまま貫く。結婚しても変わらない。配偶者は一生『非公表』だ。
そしてゼン、お前は王宮に来る必要はない。明日からも、これからもずっと、ゼンが好きな場所で、好きに過ごせ。」
ゼンは珍しく困惑しきったような、焦ったような顔をした。
「何言ってんだお前。そんなことできんのかよ。……無茶苦茶じゃねえか。」
私はただの庶民だから事情も何も分からない。でも、直感だけどそれが無茶苦茶なことだっていうのは同意できた。
しかしラルダ様はゼンを笑顔で見つめながら、はっきりと答えた。
「できる。いや、やる。私がやると決めたからやるのだ。
私が相手を伏せ続ければ、好奇や追及の目はすべて私に向くだろう。内政や外交でも不満の声が上がるだろう。不審がり私に疑念を持つ者も出てくるだろう。
だが、私がそれをすべて引き受ける。
それでも沈黙を貫き、国務を全うし、私の行いをもって信頼を勝ち取るのだ。
そしてゼン、お前に夜は会えずとも、王宮で横に並べずとも、私はそれを受け入れる。
そうすれば、ゼンの心は守られる。お前の居場所も守られる。ゼンを幸せにできるのだ。」
ラルダ様は毅然と言い切って、そして、ゼンのことを……とっても愛おしそうに、優しく見つめながら笑った。まるで花が咲くように。
「これが、妻として愛する夫を守るために、私が出した結論だ。」
◇◇◇◇◇◇
「ゔぇぇ〜ん!えぇ〜ん!がっ、がっごい゛い゛よぉ〜ラルダ様ぁ〜っ!」
私はなぜか涙が溢れてきて号泣していた。ラルダ様の格好良さと、高潔さと、愛の深さに感極まってしまっていた。
そんな私をゼンは完全にスルーしながらラルダ様と話している。
ゼン!あんなに格好良くて高潔で愛が深いラルダ様の言葉とあの超絶な笑顔を真正面から受け止めることができるなんて、アンタの心臓は鋼鉄か?!?!
しかもあれで泣かないなんて感受性はどこへやった?!?!
「……お前はそれでいいのかよ。」
「いい。」
「……んなこと、やり切れる訳ねえだろうが。」
「そうだな。どこかで必ず綻びは出るだろう。」
「だったら──」
「撤回は無しだ。私はこれが今私にできる最善だと結論付けたのだから。
先一昨日お前と話して……それから一昨日、昨日と、二日かけて考えて出した答えだ。受け取って、私に守られてくれないか。
そして私の力が足りず綻びが出たときは……今までのように、ゼンが私を守ってくれ。」
「おぉお゛王女様ぁ〜〜っ!!」
私は感情が爆発して咽び泣く。
お父さんが無言で私の頭に拳を乗せてぐりぐりしてくる。
「…………それでもダメになったらどうすんだよ。」
「そうしたら、そうだな。そのときは諦めて二人で手を取って逃げてしまおうか。野良の冒険者になるのも悪くない。」
そう言ってさっぱりと笑うラルダ様をじっと見つめて、ゼンはやがて溜め息を吐きながら濡れたままの頭を掻いた。
「……分かったよ。…………ありがとな、ラルダ。」
ゼンの言葉に嬉しそうに頷いたラルダ様は、私を拳骨ぐりぐりしているお父さんとハンカチで涙を拭いている私に向かって言った。
「話が紆余曲折してしまったが、改めて……ご主人。そしてミリア嬢。
私たちの婚約によって、あなた方には少なからずご迷惑をかけてしまうこともあるだろう。だが、ゼンにとってはこの宿屋は、何物にも変え難い安息の場所なのだ。
私はできる限りの力を尽くしてこの宿屋を守ると誓う。だからどうか、これからもゼンを変わらず置いていただきたい。」
そう言ってラルダ様は、今日で一番、深々と頭を下げた。
「…………兄ちゃん。ほら、兄ちゃんも。」
ユンさんが静かにゼンに圧をかける。
ゼンはユンさんの方を見て口を尖らせてから、ぐっと一瞬顔を顰めて、そして私たちに向けてラルダ様の半分以下くらいの角度で頭を下げた。
…………コイツ。複雑そうな表情しやがって。
「いいってことよ、王女様。顔を上げてくれ。」
ずっと黙って話を聞いていたお父さんが、ラルダ様に笑いかけた。
「王女様はすでにでっけえ国と魔導騎士団を背負って立派にやってるじゃないか。立派すぎて同じ人間とは思えねえくらいさ。
……心配いらねえ。ゼンだろうが王女様だろうが、いつでも好きに食堂で飯食って好きに泊まっていけ。この宿屋くれえは、俺とミリアでも守れるさ。」
「お父さん……!」
お父さん、格好いい……っ!
私はようやく落ち着いてきた涙の残りを目元に溜めて瞳をうるうるさせながら、しっかりと威厳を見せるお父さんに尊敬の眼差しを向けた。
「ミリアも。いいよな?これからもゼンの奴を今まで通り叩き起こしてやれ。」
私はお父さんにそう言われて、全力で頷いた。
「うん、分かった!もちろん任せて!これからもゼンのシーツ引っ張って床に落っことして起こします!」
「あ゛?オイ、なんで急にテメェだけそんなアホな話になってんだよ。」
「アホな寝方してんのはゼンじゃん。みんなでさっきその話してたんですぅ〜!」
「ハァ?っつーかアレいい加減やめろ!まじで痛えんだからな。普通に起こすか、起こさねえでさっさと出てけよ。」
「宿屋を清潔に保つためにシーツ交換は毎日やんなきゃいけないんで。それに普通に起こしても起きないゼンが悪い!」
「まず普通に起こすことをやってねえだろ。いっつもいきなり床に落としやがって。違うやり方で起こせよ。」
「他にもやってますー。この前丸出しにしてたお腹をはたきで掃除してあげたじゃん。」
「アレもまじでやめろ!常識の範囲内にしろや!」
ゼンと流れるようにくだらないやり取りを始めていたら、ラルダ様がそんな私たちを面白そうに、でもちょっとだけ複雑そうな顔をして見ているのに気付いた。
「ハッ!ちょっとゼン!ラルダ様が見てるじゃんやめてよ!」
「あ゛?テメェにやめろっつってんだよ。」
「起こし方の話じゃない!」
「二人とも、仲が良いんだな。私はゼンとそのようなやりとりはしたことがないから……ミリア嬢が羨ましいな。」
……えっ?もしかして、ラルダ様ちょっと嫉妬してる?
「そっ、そんなことないです!全然羨ましくないです!!」
「こんなんが羨ましいとか、終わってんぞ。変なのに感化されてんじゃねえよラルダ。」
「こんなんって何よ!そんなこと言ったら、ゼンに感化されてる時点でもっと終わってるじゃん!」
「……私は終わっているのか?」
「はい不敬ー。ミリアお前、終わってんな。」
「きゃー!?いや!違う!違うんです!ってかゼンが一番不敬じゃん!ラルダ様を奪った不敬者ーっ!犯人はお前だぁーっ!!」
「お褒めの言葉どーも。」
「褒めてないーっ!」
ゴチッ!ゴチンッ!「イッテ!」「痛ぁっ!」
「お前ら!いい加減にしろ!みっともねえやり取りを皆さんに見せてんじゃねえ!」
私とゼンの頭の上に、お父さんのキツめの拳骨が降ってきた。
ラルダ様はもはや異文化見学をしているかのように好奇心旺盛な目で私たちを見ていた。
……うん、そうなんです。庶民同士のやりとりなんて、みんなこんなもんです。王女様。
すると拳骨ついでに立ち上がったお父さんが時計を見遣った。
その動作に気付いたラルダ様が、すかさず声を掛ける。
「ああ、ご主人。本当に長い時間滞在してしまってすまない。そろそろ私たちは帰るとしよう。」
お父さんは腰を上げかけたラルダ様に首を振った。
「いや、そんなんじゃねえよ。まだいてもらって構わねえ。どうせ6時の晩飯時まで誰も来ねえんだ。そんときまでここにいていい。
なんなら、上の客室の大部屋も空いてるから一晩好きに使いな。なかなかこんな機会は無いんだろう?積もる話もあるだろうしな。」
「お父さん!」
最高な提案じゃん!!え!ラルダ様たち、もしかしてお泊まりしてくれちゃうの?!
私はキラキラとした目でお父さんを見上げる。するとお父さんは満更でもなさそうな顔で言った。
「時間の許す限り寛いでいきな。
俺は晩飯時のための仕込みがあるからそろそろ行くが……ミリア。お前は6時までにはここを片付けて戻ってこいよ。」
「はーい!ありがとうお父さん!」
時刻はまだ午後の4時半。お店を開店させるのが6時なら、まだまだ全然時間がある。
「そうか。ではせっかくだからお言葉に甘えよう。私は今日は夜まで予定が無いからな。夜は残念ながら、またエゼル王国の来賓との予定があるのだ。」
「じゃあラルダは夜中また戻ってくれば?僕たち大部屋で待っててもいいよ?」
「その手があったか!ではそうしよう。」
「アスレイはどうする?せっかくだから居れそうなら居ようよ。ゼンがお世話になってる宿屋で僕たちが一晩過ごすなんて貴重な機会そうはないだろうからね。」
「そうだな……まあ、妻に一報入れておけば大丈夫だろう。」
私はワクワクしながらラルダ様たちのやりとりを聞いていた。私の中での盛り上がりは最高潮だった。
我がクゼーレ・ダインにこんなすごい方々が泊まる日が来るなんて……!
見てる?!天国のお母さん!お父さんと私と、ついでにゼンがついにやったよ!
ラルダ様がユンさんにも質問する。
「ユンはどうするのだ?できれば私は、貴方とも話せれば嬉しいのだが。」
するとユンさんは、チラッとゼンの顔を見て、それから床に投げてある巨大な二つの謎の袋を見て、少しだけ残念そうな顔をつくった。
「そうですね……俺もみなさんとお話ししたい気持ちは山々なんですが、今日はあと少ししたらお暇します。」
そうしてユンさんはにっこり笑った。
「あの袋の中身の処理は今日中にやんなきゃいけないし。それに、俺は昨日、兄ちゃんともたくさん話せたので。」
◇◇◇◇◇◇
……そっかぁ。残念。
ユンさん、話もノリがいいし明るいから、真っ先にこういうところには乗ってくるのかなーなんて思ってたんだけど。
意外とこう、慣れるまで周りに一線引いてくる感じは、ゼンに似てるかもしれない。兄弟だなぁ。
私がそんな風に思っていると、クラウス様がユンさんの言葉を拾ってきた。
「そういえばずっと気になってたんだよね。何が入ってるのかな?あの袋。」
するとユンさんは私の方をそっと見ながら言った。
「まあ……ミリアさんもいるのでここでは開けないようにしておきますが……んー、飛竜種の首ですね。二体分の。」
要は、おっきい竜の生首二つ分ってことか。
たしかにそれはちょっと怖いかも。
私はどちらかというと、豚や牛の捌く前の状態なんかは苦手な方だ。だからその気遣いは素直にありがたかった。
クラウスさんは少しだけ驚きながら、ちょっと呆れたように笑った。
「なるほど。さっきの返り血はこれか。この大きさだと相当じゃない?ゼンはともかく、ユンくんもよく無事だったね。
昨日と今日はユンくんの素材集めに付き合うって聞いてたけど、これも?」
するとユンさんは今日あったことを思い出しているのか、ゼンの方を軽く非難するような目で見た。
「ああ、これは完全にただのおまけです。俺が欲しかったものは昨日すでに入手し終わっていたんですけど。
……昨日の夜、また兄ちゃんが『寝れない』って言い出すもんだから、結局夜通しでストレス発散という名のボランティア討伐をしていたんです。兄ちゃんの気が収まるような獲物をわざわざ探しに行って。
こいつらはけっこう奥地にいたんで、放っておいても人的被害は無かったと思いますけどね。……やりすぎだよ兄ちゃん。」
「うっせ。」
ゼンはというと、なんかちょっとさっきから不貞腐れているというか、拗ねているみたいな顔をしている。
「そうしていたらいつの間にか朝もけっこういい時間になっていたので、そのまま飯だけ街で食って馬車で直帰してきた……という次第です。疲れちゃったし。
さっきこちらに戻ってきたときに兄ちゃんが機嫌悪かったのも、単にまだ気が立っていたからっていうのもあるんです。すみません。」
ユンさんは申し訳なさそうにしたが、ラルダ様はそんなユンさんを気遣った。
「よい。もう気にするな。
それよりも……ユンも昨日はゼンに付き合っていて結局眠らなかったということなのだろう?その上わざわざ山奥まで行き大型飛竜を狩るとなると、危険も大きかったはずだ。見たところ怪我は無さそうだが、貴方は大丈夫か?」
ユンさんは笑いながら答える。
「はは、お気遣いありがとうございます。大丈夫です。
まあ、俺もなんだかんだで不眠には慣れていますし。危ないといっても、俺も兄ちゃんもさすがに自分たちの実力は弁えて無茶はしないようにしているので。
でも……そうですね。『今日はあと少ししたらお暇します』って言いましたが、その理由の一つに、昨日寝ていないからというのは正直あります。大人しく今日は寮に帰って休みます。……兄ちゃんも調子に乗りすぎないでちゃんと休むんだよ。明日は普通に平日なんだから。」
「………………。」
ゼンは完全に拗ねているというか、下唇を出してユンさんからも誰からも目を逸らして壁を睨んでいる。
そういえば、ゼンは「ウェルナガルドの悲劇」以来、不眠に悩まされてきたって聞いたけど、ユンさんは大丈夫なのかな。
多分、大丈夫じゃないんだろうな。今あっさり「慣れてる」って言ってたし。ユンさんもゼンと同じ地獄を見てきた人なんだろうから。
ゼンはこの宿屋っていう場所を見つけたみたいだけど、ユンさんにはそういう場所はあるのかな。
私も、ラルダ様たちも、なんとなく察してそこは踏み込まなかった。
私は心の中で、ユンさんが今晩少しでもゆっくり寝れるといいなと思った。




