幕間 ◇ 人生の一番が変わるとき(後編)
第五部(18話+幕間2話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
おまけの寄り道。
時は少し遡り、歌劇団の主演女優ナナリーとの邂逅の日の出来事です。
「──すごいよマナちゃん!!
何でそんなに綺麗な声で歌えるの?!私、感動しちゃった!
こんなに上手なら絶対に歌手になれるって!もしマナちゃんが有名になったら、私みんなに自慢しちゃう!『マナちゃんは実は私の従姉なの!』って!」
「えぇ〜?そう?そんなにかなぁ〜?」
「うん!本当にすっごく感動した!
マナちゃんの歌を聴いてるはずなのに、目の前にいるのが『マナちゃんだ』ってこと、私いま本当に忘れちゃってたの!本物のお姫様が歌ってるかと思った!マナちゃんが王子様に恋してるお姫様に見えてたの!
やっぱりマナちゃんは天才だと思う!」
「も〜!大袈裟だよナナリー!」
山を三つ越えた先にあるウェルナガルドの町から、1つ下の従妹【ナナリー】が2週間だけ私の家に泊まりにくる。
年にたった2回だけの……あの夏休みと冬休みの2週間が、私の一番好きな時間だった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
王国南部リナドレントの街の大工の娘。
それが私、【マナ】だった。
私に友達はいなかった。……いじめられてたから。
初等部学校の3学年。
私がいじめられるようになったのは、9歳になってすぐの頃だった。
──男子はベイン。女子は、マナ。
クゼーレ王国で多分、一番多くいる名前。
クラスに一人か二人はいる名前。
クゼーレ王国出身の作家が150年くらい前に書いた超大作。今は世界的に有名らしいファンタジー小説。
その主人公の、伝説の勇者と救国の聖女の名前がベインとマナ。それが元ネタ。それで、名前にそういう主人公みたいな「勇敢」とか「正義」とか「慈愛」とか、そんな感じの意味が込められてる。
まあ、要するに「とりあえず子どもの名付けに迷ったらコレを付けておけばいい」っていう鉄板の名前。
私はそんなありふれた名前の【マナ】。
それが原因だった。
私の通っていた初等部学校。
1学年に1クラスしかない、そんなに大きくない学校。
私の学年には、私の他に、同じ名前の「マナ」がもう一人いた。
明るくて人気者のマナ。
そのマナは、1学年上の「学校一のイケメン」って言われてる男子とすごく仲が良かった。そのイケメンといつも一緒に学校から帰ってた。
…………らしい。知らないけど。
それである日、うちの学年で、噂が流れた。
〈例のイケメン男子は、1学年下の【マナ】のことが好きらしい。〉って。
みんな、私じゃない方の「マナ」のことだと思ってた。私もそう思ってた。だって、そのイケメンと話したことは、何回かしかなかったから。
……でも、その噂が流れた数日後。
例のイケメンに告白されたのは、まさかの、私の方だった。
彼は親の仕事の都合で、近々別の街に引っ越すことになっていたらしい。「だから最後に」って、私のことが好きだったって、いきなり伝えてきてくれた。
いつも朝早く来て花壇の花に水をあげてて優しいなと思ったのが最初だったって。それから気になるようになって、見ているうちにどんどん可愛いなと思うようになったって。何回か勇気を出して話し掛けたときに、自分の話で笑ってくれてすごく嬉しかったって。
だから良ければ、これからも僕と文通してくれないか──って。
…………それが、きっかけ。
そのせいで、私はクラスでいじめられるようになった。
最初は私じゃない方の「マナ」と、そのマナと仲のいい女子何人かに無視されたり、ヒソヒソ嫌味を言われるようになった。
それが気が付いたら、休み時間だけじゃなく授業中でも堂々と無視されるようになって、教科書やペンケースが隠されるようになって、ノートが破かれるようになって……
周りの人たちも、だんだん「巻き込まれたくないから私とは関わらないようにしよう」ってなって私を避けるようになって……
私は、先生以外の誰にも「マナ」って呼ばれなくなった。
私は「アイツ」か「ぶりっ子ちゃん」。
向こうだけが「マナ」か「マナちゃん」になった。
だから逆に、私は向こうのことを、一人で心の中で「クソマナ」って呼んでいた。
…………ある人たちを、参考にして。
◇◇◇◇◇◇
「──それでね?
もうサラとゼンが怒っちゃって。すっごく大変だったの。
『ジュードぉ!ユンに土下座しろー!』『いい加減にしろテメェ!』って言って大暴れ。
サラはジュードのことを思いっきり殴って……ゼンなんて本当にすごかったんだから!
『テメェ!今ユンのこと鍬で殺すっつったか?!あ゛?!』って言って、ジュードが持ってた鍬を奪って、その鍬の柄を素手でバキッ!って折っちゃったの!」
「素手で?!」
「そうなの!ゼンって本っ当ーに力が強いから!
それで、ジュードはサラとゼンが怖すぎて泣いちゃって、それまでジュードに追いかけられてたユンの方がサラとゼンに驚いて泣き止んじゃったの。
私、慌てて『みんなやりすぎだよ!』って、思わず止めに入っちゃった。」
「えぇ〜?!止めなくていいのに!そんな奴、そのサラちゃんとゼンさんに一回本気でボコボコにされて痛い目見た方がいいって!」
私がそう言うと、ナナリーはギョッとして「マナちゃんもそんなこと言うの?!もー!みんな暴力的なんだから!」って言ってた。
ナナリーが住んでいた町「ウェルナガルド」のみんなの、ドタバタした日常の話。
学校なんてなくて、毎日みんなで町中や野山を駆け回ってギャーギャー騒いで喧嘩して。いじめもあるけど、その分、仕返しする側も容赦ない。
私はナナリーから、そんな町の人たちの話を聞くのが好きだった。
その中でも特に、ナナリーが大好きだった親友の【サラ】ちゃんと、片思いの相手の【ゼン】さん。
私にとって、その二人は「ヒーロー」だった。
町の男子たちにいじめられてた、サラちゃんのお隣さんでゼンさんの弟の【ユン】くん。
そのユンくんをいじめる人のことは、誰であろうと絶っっっ対に許さない。病弱なユンくんを守るために、どんなに相手が歳上でも、どんなに多勢に無勢でも「ユンに謝れー!」って言って立ち向かっていく。
サラちゃんとゼンさんは、そういう強い人だった。
……私も、いじめられてたから。
だから私はユンくんに自分を重ねて、いじめっ子をやっつけるサラちゃんとゼンさんの武勇伝を聞くたびにスカッとしてた。
ナナリーが
「ユンはいじめっ子のことを全員『クソ』呼ばわりしちゃうの。ユン、意外と気が強いから。
わんわん泣きながら『やめて!やめてよクソジュード!』『ロウのクソ!クソロウ!バカバカー!』って。それでいじめっ子たちも『ユン!お前、今クソっつったな?!』って余計怒っちゃって。
……はぁ。もう、どうしたらいいんだろう?どうしてみんな仲良くできないのかなぁ?」
って言っていたのを聞いて、私はあのムカつくマナのことを心の中で「クソマナ」って呼ぶことにした。
そう呼ぶようにした途端、何だか自分が強くなれた気がした。それだけでクソマナのことが少しだけ気にならなくなった。……ユンくんのように、本人の前でそう呼ぶ勇気はなかったけど。
ナナリーには、学校でいじめられてることは隠してた。
だから、ナナリーの前でだけだった。
いじめっ子の話を聞いて「そんな奴ボコボコにしちゃえ!痛い目見ればいいんだ!」なんて過激なことを言って意気がってたのも。
大好きな歌を大声で踊りながら披露して「私は将来、歌手になるのが夢なんだ!」なんて、人気者の職業を口に出せたのも。
……本当の私は、いじめっ子に大人しくいじめられるだけの弱虫だった。
人気者どころか友達の一人もいなくって、人前で歌を歌うどころか喋るのも怖くてできなくなってた臆病者だった。
でも私は、本当の私の姿を知らないナナリーの前では、そのサラちゃんやゼンさんと同じようなタイプの強い人を気取ってた。
ナナリーの前でだけ、理想の格好いい自分になりきって、それで日頃のストレスから解放されてたんだ。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「──私は今、こうして歌手として食べていけるようになっていますけど……別に、何かが劇的に変わったわけじゃないんです。
『ウェルナガルドの悲劇』で従妹のナナリーとおじさんおばさんを亡くしたのをきっかけに『私はナナリーの分まで頑張って生きよう』って思って生まれ変われたー……なんてこともないんです。
当時は悲しくて悲しくて、実際にそう思いました。
理想の自分に生まれ変わることを亡くなったナナリーに誓いました。『ナナリー、天国から見ててね。私、頑張るから!』って。そんな風に思いました。
……でも、そんな決意みたいなことをしたって、私はもともと臆病者で弱かったので。現実では劇の主人公みたいには上手くいきませんでした。急に強くなんてなれませんでした。
いじめも、結局克服したわけではありません。
ただ、私は無視されたり仲間外れにされることに慣れて、だんだん気にならなくなって……周りもそんな無反応な私をいじめるのにだんだん飽きて……それでおしまいです。
最後はクラスで何となく浮いたまま、友達も作らずに一人で卒業しました。
クソマナたちは初等部学校を卒業して、それから隣街の中等部学校にいきました。でも私は進学せずにお父さんのもとで大工の仕事を手伝いながら、歌を独学で練習する道を選びました。……だからいじめが終わっただけです。
人前で歌えるようになったのも、臆病な自分と決別したとかじゃなくって……ただ、何年も経って、だんだんいじめられていた頃の記憶が『過去』に切り替わっていっただけです。
私は15歳のときに歌劇団の本拠地の街に行って、それで歌劇団の人にお願いして歌を聴いてもらいました。
それで、『私は女性ですけど、大工仕事もできます!舞台の大道具係としても使えます!』って自分を売り込んで、歌手 兼 大道具係として雇ってもらいました。
そうやってクソマナたちが絶対に来ないところに自分の居場所が変わって、それでいい具合に仕切り直しができたってだけです。
……あとはもう、とにかく訓練ですね。ただの慣れです。最初はもう酷い失敗をたくさんしてましたけど、何年も歌劇団で歌い続けてきたから、大勢の人に注目されるのに慣れてすっかり感覚が麻痺しちゃいました。
そうして今に至ります。下積みを経て、4年前あたりから少しずつ主役を任されるようになりました。
……地味ですよね。そんなもんなんです。」
私はそう言って、チーズをつまみながらビールを煽った。
「私の芸名【ナナリー】。
由来こそ、亡くなった大切な従妹ですけど……でも、別に私は『未来を生きられなかったナナリーの分まで生きる〜』とか、『いつまでも二人で一緒に〜』なんて思いで芸名を名乗ってるわけじゃないんです。
以前、名前の由来を知った歌劇団の広報がパンフレットにそう書いていいかって聞いてきたんですけど、やめてもらいました。だって、私にはそんな壮大な覚悟なんてないので。
ナナリーの名前を『悲劇のヒロイン』の名前にしてほしくない。勝手に『感動の裏話』にされたくないんです。
ただ、私の本名の【マナ】がありふれすぎていて使えなかったから、自分が可愛いと思う名前をいくつか挙げて……それで座長に相談したら、これが一番いいんじゃないかって言ってもらったんです。
『この【ナナリー】は清楚で優しい響きがして、歌手の芸名にぴったりだ。お客様にも覚えてもらいやすいだろう。』って。
だから今、あの子の名前を借りてるんです。ついでに清楚で優しいイメージも。……ナナリーって名乗ると、私も何だか気が引き締まるんです。『この名前に恥じないように、みんなに愛される人間になろう』って。
実際の私は、こんな酒好きの自堕落な人間ですけどね。
……座長に怒られちゃうかな。『喉を大切にしろー!公演中は酒を控えろって言っただろー!』って。私としては、お酒は飲まないよりもちょっと飲んだ方が調子が良くなる気がするんですけど。」
そこまで言って、私は目の前のお二人に、ずっとずっと思っていたことを伝えた。
「……悲劇を実際に体験したお二人にこう言うと、失礼になってしまうかもしれませんが。
でも、私にとっての【ウェルナガルド】は、無くなってしまった『悲劇の町』というだけじゃないんです。
この【ナナリー】っていう芸名を名乗っているのも、別に『悲しみを背負っている』つもりはないんです。
──ウェルナガルドは、ずっといつか行ってみたいと思っていた、明るく元気で楽しそうな、私の憧れの町でした。
──私の記憶の中のナナリーは、『名前を貸して』ってお願いしたら『え〜?!やだぁ!恥ずかしいからやめてよ〜!』って言いながらも笑ってくれるような、本当に優しい従妹です。
──ナナリーがいつも話してくれていた『サラゼン』とユンさんは、当時の私にとっては憧れの有名人で、一番の心の支えでした。
だから、こうして今日ゼンさんとユンさんにお会いできて、お話ができて……私、本当に感動してるんです。
もしかしたら、ナナリーの話振りに……13年振りに、ウェルナガルドの楽しい思い出のお話や、ゼンさんとユンさんの愉快で怖いお話も聞けちゃうんじゃないかなーって。」
私は「ですので、私いま、本当に芸能人にお会いしているような気分で……ちょっと緊張しちゃってます。……公演期間中なので、今日はお酒は2杯までって決めてきたんですけど。さっきから緊張するたびにお酒に頼っちゃって。ダメですね。」と言いながら、またビールに口をつけてしまった。
「──って芸能人に言われてるよ、兄ちゃん。やったね。」
「憧れの理由が不名誉すぎんだろ。」
「そう?兄ちゃんは格好いいじゃん。不名誉なのは俺の方だよ。」
「あっ!ごめんなさい!その……」
「あはは!いえいえ。全然いいですよ。そもそも『ウェルナガルドにいた頃は男子たちにいじめられてた』って話をし始めたの、俺ですし。
むしろ今こうやってマナさんにいい風に言ってもらえたんで、一連の思い出を完全に笑い話に昇華することができました。クソジュード以外は全員許すことにしました。」
「『完全に昇華』できてねえじゃん。」
「え?だってジュードは流石に無理じゃない?アレを許す方が無理あるって。アイツいっつも俺の髪引っ張ってきたんだよ?全然笑えないよ。」
流れるようにやりとりする、目の前の二人の兄弟。
ウェルナガルドの【ゼン】さんと【ユン】さんは、ナナリーが言っていた通りの人たちだった。
本当に背が高くて整った容姿で、ちょっと怖い表情をしているけど実は恥ずかしがり屋なゼンさん。くりっとした垂れ目が印象的で女子顔負けの可愛さと愛嬌がある、賢くてお話が上手なユンさん。
そんな少年時代の名残りはそのままに、今はすっかり格好いい大人になっているお二人。
私はそんなゼンさんとユンさんの兄弟と、劇場近くの酒場の一番奥の席で、一緒にお酒を飲んでいた。
一応、帽子と眼鏡で申し訳程度の変装をして。……この酒場にいる人たちは劇場に観劇しにくるタイプの人たちじゃなさそうだから、大丈夫だとは思うけど。仮にバレたとしても何も悪いことはしてないし。
私の思い切った話を聞いてくださったお二人。
弟のユンさんはにっこり笑って、私の語った内容に全面的に賛同してくれた。
「俺、マナさんに言語化してもらえて、ちょっと腑に落ちた気がします。今まで自分が感じてきたモヤモヤについて。
……兄ちゃんは思い出話自体があんまり好きじゃない人ですけど。俺はけっこう、常々思ってたんですよね。
『なんか腫れ物扱いされてる感じがして嫌だな〜』『思い出話くらい気楽にさせてもらいたいな〜』って。
俺自身は普通に話してるつもりでも、みんなすぐに出身地や両親の話になると『嫌なこと思い出させちゃってごめんなさい』『辛かったでしょう?』『言いたくなければ言わなくていいんだよ』って言ってきて、それで話が続けられなくなっちゃうんですよ。
その『ウェルナガルドの悲劇』で最後にみんな死んじゃったーっていう、終わりこそ悲しいですけど。
だからって『全部触れちゃ駄目』にする必要なくない?って思うんですよね。
俺、別に父ちゃんと母ちゃんに『嫌な思い出』なんてないですし。……まあ、毎日のように怒られてたとかはありますけど。でも全然、それも含めていい思い出ですし。
ウェルナガルドの町の人たちはもちろん……ウェルナガルドから離れて、兄ちゃんと二人で暮らしてたときも。何度も二人で死にかけたことだって、俺にとっては今では全部『いい思い出』なんですけどね。
マナさんが言うように、『悲劇の町』とか『悲しみを背負ってる』って必要以上に同情されると、けっこう居心地悪いというか。
出身地の名前すらも禁句になっちゃう感じがかえってやり辛いんだよな〜って、今思いました。」
それからユンさんは軽く苦笑して「まあ、相手からしたらどこまで触れていいか分からないんだろうなってのも、理解はしてるんですけどね。」と付け足しながら美味しそうなフルーツワインを飲んだ。
それを聞いたゼンさんは「……まあ、面倒くせえ場面はあるな。」って小さく呟くようにして同意してウィスキーのロックを口にしていた。
お二人ともお酒が弱いから、こういう飲みの場では「とりあえずビール」じゃなくって、一杯目から好きなものを飲むようにしている……とのことだった。
「私、この職業をやっているせいか、そう思う場面が多々あるんですよね。
何でも昔話が『深い話』にされちゃうというか、『美談』っぽく扱われるというか。
地方紙の記者の方や他の劇団の役者さんたちにそう言われるたびに、嫌になっちゃうこともあるんです。
褒めてもらっているのにケチつけるのは良くないって、分かってはいるんですけど。過去を変に絡められると、あまり素直に喜べないというか……。
私からしたら昔経験したいじめなんて、ただの思い出以外の何物でもないんです。
今はもう、身近にクソマナもいませんし、いじめられてもいませんから。だから『過去のそうした辛い経験が、今の【歌姫ナナリー】の歌声を形作っている。』なんてことは、全然ないと思うんです。歌や踊りで何かを表現するときに、自分がいじめられてた頃の具体的な記憶を重ねることなんてないので。
でも、勝手に脚色されちゃうんですよね。『昔から歌が上手で人気者だったんでしょー?』って話を振られたから『いえいえ、全然。昔はいじめられっ子でしたよ。』って笑って答えただけでそれですよ。だから最近は迂闊に言わないようにしています。
ナナリーっていう芸名もそう。
『どこか影のある【女優ナナリー】の演技は、その従妹との悲しい別れがあったからこそ身に付いた。』って。
……私、そんな毎日ナナリーのことを想って泣いてるわけじゃないのに。ナナリーのことを思い出すと、むしろ明るい気分になれるのに。……ただ私が根暗だってだけなのに。
名前の由来を聞かれると、十中八九『亡き従妹への想いを胸に〜』って言われちゃうんです。むしろ私は『従妹の本名を勝手に名乗っている痛々しい女』なのに。なんか、妙にいい感じにされちゃうんですよね。」
「あはは!『痛々しく』はないと思いますよ。ナナリー姉ちゃんの従姉なだけあって、めっちゃ似合ってると思います。芸名。……兄ちゃんもそう思わない?」
ユンさんがゼンさんに少し悪戯っぽい笑顔でそう振る。
それを受けたゼンさんは、横目で睨むようにしてユンさんを見て、それから少し口を尖らせて答えた。
「…………まあ。合ってるんじゃないスか。
最初握手会で素の声を聞いたとき、ナナリーと似過ぎててまじでビビりましたし。
勝手に名乗ってんのも本人にバレなきゃ全然問題ないっスよ。」
私はそれを聞いて笑ってしまった。
今日、初手でいきなりユンさんに「あ、今日は当時の恋話は無しで。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。俺たちの精神衛生上の問題です。」って言われたときも笑っちゃったけど。
さっきからユンさんに話を振られて強制的に喋らされているゼンさんは、たしかに、何回か会って仲良くなってきたら面白いことをたくさん言ってくれるタイプの人だろうなーっていう感じがした。
本人にバレる日なんて、もう一生、来ないのに。
ユンさんとゼンさんにお墨付きをもらえたから、これからは心置きなく【ナナリー】の名前を名乗れそう。
私は優しい二人の兄弟に甘えて、ウェルナガルドのあれこれや、王国南部の田舎民あるある、それからお互いの現在の仕事や生活、もはやただの日常の愚痴まで──……普段だったら人には絶対に言えないような踏み込んだ内容も、たくさん笑いながら話した。
初対面の遠い他人にはできない……じゃなくって、むしろ、初対面の遠い他人だからこそできる話。
私はこの王都でずっと掲げていた歌劇団の主演女優【ナナリー】の看板を降ろしてただの【マナ】に戻って、気付けば3時間もお酒を飲みながら盛り上がってしまった。
◇◇◇◇◇◇
「あぁぁ〜……もう11時過ぎですか。さすがにお開きにしないといけませんね。」
「うわ本当だ!気付かなかった!もうこんな時間だったんですね。ごめんなさい。ついうっかり話に夢中になっちゃってました。
というか……マナさん、こんな時間まで大丈夫でしたか?本当にすみませんでした。明日も公演あるんですよね?」
酒場のお客さんたちの騒ぎ方の質がいい感じに……というより、悪い感じに……お父さんの大工仲間の飲み会の中盤みたいな感じに変わってきた。
この空気が嫌いなわけじゃないけど、でも、
「あ、私は全然、大丈夫です。日付が変わったらさすがに座長にお説教されそうなので、そろそろ帰りますけど。
それより、ゼンさんとユンさんの方こそ大丈夫ですか?明日は普通にお仕事ありますよね?」
名残惜しい気持ちを抑えて締めに入る。
ついでに私は、グラスに残っていたお酒をそこで一気に飲み干した。
「何よりゼンさん、すみませんでした。いきなりお誘いして、それでこんな時間まで。
さすがに奥様にご心配をおかけしてしまっている気が……」
私はゼンさんに申し訳なく思ってそう言ったけど、ゼンさんはどんなテンションなのか、片眉を上げて呆れるような仕草をした。
「いや、いっすよ。全然。
ユンも連れてきてるんで、何も心配されてねえっつーか。なんなら向こうは最初っから『今晩は戻って来ない』くらいの想定はしてると思うんで。」
「そうなんですか。それなら良かったです。安心しました。……肝が据わっていらっしゃる奥様なんですね。」
「あはは!ねー。ほんと、大物だよねー「ガンッ!!」ぁ痛ッ!」
ユンさんが笑顔で付け足してきた一言に、ゼンさんが椅子を蹴って無言のツッコミを入れる。
私はその地方の田舎民丸出しな乱暴なやりとりに、今日何度目か分からない居心地の良さを感じて笑ってしまった。
だから……ってわけじゃないけど。
今日は「当時の恋話は無し」って言われていたけど。
私は最後にゼンさんに、どうしてもこれだけは伝えようって思った。
「ゼンさん。あの……最後に、これだけは伝えさせてください。」
締めらしく「最後に」と私が言い出した一言に、ゼンさんとユンさんが揃って私に注目する。
私は憧れのヒーローと心の支えだったお二人に、今日一番、あの子の従姉として踏み込んだことを喋った。
「私たちは、今日が完全に初対面でしたけど。
ですが今日、ゼンさんに『奥様がいらっしゃる』って聞いたとき……正直なことを言うと、私、本当に安心したんです。」
もしこれが歌劇団の劇だったら、こういう場面では、こんな台詞が続きに入ってくると思う。
〈私、ちょっと考えてみたんです。『こんなとき本物のナナリーだったら、ゼンさんに何て言うだろう?』って。
きっと、あの子なら……ナナリーなら、ゼンさんにこう言いますよね。
『ゼンが素敵な人に出会えていて良かった!本当におめでとう!幸せになってね!』って。
あの子は、そういう優しい子でしたから。〉
みたいな。
それで私がナナリーの代弁者になって、ゼンさんを祝福してあげる──みたいな。
……そういういい感じの台本。
それでゼンさんは、ナナリーの「初恋」の呪縛から、ようやく解放されるんだ。
でも、私にはそんないい感じのことは言えなかった。
……別に、私に深い考えがあるとか、そんなんじゃなくって。
…………単純に。
ただ単純に、もし本物のナナリーが今ここにいたら──……あの子はきっとショックで泣いちゃうだろうなって思ったから。
大好きだったゼンさんが、もう他の人と結婚しちゃってる──って知ったら。
多分、今の大人のゼンさんの前で、あの子は大泣きしちゃうと思う。
「ごめんね……っ、私、ちゃんと『おめでとう』って、言わなきゃいけないって分かってるのに……!」って。そうやってゼンさんに謝りながら。
「でも……でも私、やっぱり嫌だよぅ……うわぁぁーん!」って、幼すぎる我儘を駄々っ子のように喚いて。大人のゼンさんを困らせて苦しめていたと思う。
だって、あの子は優しかったけど、すっごくいい子だったけど──……まだたった11歳の、普通の女の子だったから。
まだ11歳だったあの子には、今の20代の私たちの「大人の感覚」なんて、理解できなくて当然だもん。
頭では言うべき台詞が分かっているのに、どうしても私は、劇みたいな綺麗事を言う「ナナリーの代弁者」にはなれなかった。
だから私は、ゼンさんにとっては何の足しにもならないかもしれないけど、代わりにただの「ナナリーの従姉」としての感想を伝えた。
「今日お話の割と序盤に『ゼンさんがもうご結婚されている』っていう話を聞いたとき、私、『本当に良かった』って思いました。
それで今も、その奥様とゼンさんの仲の良さを垣間見れた気がして……
私は、ずっと憧れのヒーローだったゼンさんが、今とても幸せそうで嬉しいなって。そう思いました。
実際にお会いしてみて、ますます憧れちゃいました。やっぱりゼンさんは格好いいなぁって。」
…………そうやって、今の奥様と信頼関係を築けているゼンさんの生き方が。すごく格好いいと思いました。
私は心の中で、その一文だけを付け足した。
ゼンさんの人生が、ナナリーの「悲劇の思い出」のままずっと止まってしまっていなくて、本当に良かった。
……ゼンさんはナナリーがずっと一番好きだった人だけど。
でも、ナナリーのせいでゼンさんが今も幸せになれていないなんて、もしそんなことがあったら嫌だから。
上手く言えた気がしないけど……私はゼンさんに、綺麗事の代わりにそれだけを伝えた。
「……だってよ、兄ちゃん。…………良かったね。」
しばらくの沈黙の後。
私の短い喋りを聞いたユンさんが、そう言いながらゼンさんの方を見て笑った。
…………やっぱり。やっぱり知ってましたよね。
お二人とも。ナナリーの当時の恋心のことくらい。
初手で「恋話は無しで」って言うくらいでしたもんね。
私はユンさんの柔らかな兄思いの笑みを見て、そっとその確信を深めた。
だから今も、ちゃんとお二人に伝えられた気がする。
私が最後にどうしても、ゼンさんに伝えたかったことが。
ユンさんに優しく笑いかけられたゼンさんは、眉を下げて泣き笑いのような切ない笑顔を作って──私に深々と頭を下げて、一言だけに全部を込めて、ゼンさんの今の想いをしっかりと伝えてくださった。
「…………ありがとうございます。」
って。
◇◇◇◇◇◇
そんな不思議な日の夜の11時半過ぎ。
私はその日の日付が変わる少し前に、今までの自分の考えを、一つだけ改めた。
私は今まで、今日の飲みの場でも語ったように「過去の経験が今の自分を形作っている」なんて大袈裟なことはないーって、ずっとそう思っていた。
…………でも、そんなことはないんだろうな。
今は全然違う場所で、全然関係ない人生を送っているつもりでも。
昔の古い感情なんて、すっかり忘れちゃってるつもりでも。
──でもその「過去」はちゃんと……ずっと消えずに、たしかに「その人を形作る一部」になってるんだ。
慣れない王都の夜道。
私を歌劇団の宿泊場所まで送り届けてくださったゼンさんとユンさんのお二人。
この一日限りの出会いに改めて感謝をして、お互いに「今日はありがとうございました」って笑顔で挨拶を交わしたとき。
そのお二人の別れ際の笑顔は、たとえ一流の役者であっても、絶対に真似できないと思ったから。
それはお二人のこれまでの人生が詰まった、とっても格好良くて哀しい──……憧れの町ウェルナガルドを思わせる、優しい笑顔だった。




