幕間 ◇ 人生の一番が変わるとき(前編)
第五部(18話+幕間2話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
おまけの寄り道。
時は少し遡り、歌劇団の主演女優ナナリーとの邂逅の日の出来事です。
ラルダは全部、完璧だ。
クッソ頭いいとは思うけど、一周回って馬鹿だなって思うこともよくある。
クソ真面目が度を超してて、面白えなって思うこともよくある。
でも基本的には、いつだってラルダは完璧だ。
不満はない。あるはずがない。ラルダは完璧だから。
…………だからこそ、苦しくなる。
ラルダはいつだって俺に都合のいいことしか言ってくれない。
いつだって俺のことを完璧に尊重してくる。俺が不安になることは絶対にしない。
俺がラルダを傷付けても。
ラルダを一番にしてやれなくても。
俺の方がラルダのことをどんだけ不安にさせても。
ラルダはいつだって俺に、完璧に理解を示してくれる。
好かれてるって知りながら、ラルダを避けようとしてたあの頃も。
ユンの「嘘」の本当の理由を知って、宿屋で泣いちまったあのときも。
ラルダじゃなくて、ユンとサラを思い出して耐えらんなくなった……あの婚礼式典の当日も。
俺は目の前のラルダを悲しませ続けてるはずなのに、ラルダは悲しがらない。
絶対に俺に文句を言ってきたりしない。完璧に俺のことを見守って、そんで完璧に受け入れる。
俺はそれが、本当にキツい。
多分……っつーか絶対、今回もそうなるだろうな。
俺は怠いってよりは気が重い感じになりながら、王都劇場でアスレイとベインと別れて、王城にいるラルダのもとに向かった。
いきなり会ったナナリーの従姉。そいつと会うことの事前報告と……一応、許可を貰いに。
◇◇◇◇◇◇
「──ゼン?
早かったな。……もう解散してきたのか?」
今朝ラルダは「今日の午後は夜会の時間まで自室で書類仕事をする予定だ」っつってた。だから、俺は王城に行ってそのままラルダの部屋に行った。
俺が部屋に入ったら、デカい机いっぱいに書類を広げまくってなんか書いてるラルダがいた。そんで俺と入れ替わるように、侍女たちが静かに部屋を出てった。
……ラルダは完璧だから。
俺が使用人いんのが嫌いなのを知ってて、もうそうやって徹底してる。「ゼンが来ているときは、仕事を中断していいから退室していてくれ。」っつって。
ラルダは俺が来るなり嬉しそうに書類から顔を上げて、ペンを持ってる手を止めた。
普段のラルダは仕事中でも、俺との雑談くらいじゃ手を止めない。俺との話と同時並行で、ずっと作業を続けてる。
俺に向かって
「今日は本当に暖かいな。もうすっかり春になってきた。……しかし、これから多忙になると思うと、陽気とは逆に若干気分が落ち込むな。季節の公務ももちろん増えるが、それだけではない。雪解けの時期は魔物がよく人里に出現するからな。特に冬眠する種のものたちが。」
とか言いながら、同時にどっかの王族やら貴族やらを相手に
「雪解の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。先日お贈りいただきました貴国の創国記念の万年筆を手に、心浮き立ちながらこちらをしたためております。」
みてえな仰々しい手紙をスラスラ書いてくラルダは、正直すげえキモくて面白い。脳みそどうなってんだよと思う。そのくらいの両立は平気でしてる。
だから今、なんか書くのをやめたっつーことは……まあまあ頭使う仕事をしてたんだと思う。もちろんラルダ基準で。
俺は適当に、部屋の真ん中にあるテーブルの近くの、無駄に豪華な長椅子に座った。
「……いや。解散っつーか、俺だけ先に抜けてきた。」
「そうなのか?何故だ?
……どこか体調でも優れないのか?」
ラルダが不思議そうにしながら、真っ先に俺のことを心配してくる。
俺はそんなラルダに申し訳なく思いながら、王都劇場の主演女優に「このあと会って話したい」って言われたことを説明した。
◇◇◇◇◇◇
「──だから、このあと……まあ、一旦ユンに声掛けて、ユンも一緒に連れてく。
…………ラルダが『いい』っつったらだけど。」
俺が説明し終えると、ラルダは笑顔で即答した。
「『いい』に決まっているだろう。
しかし、ものすごい偶然もあるものだな。……例の歌劇団の主演女優か。実は私も噂を聞いたことはあるんだ。王女の私の耳に入るくらい、その歌姫【ナナリー】様は今、旬の歌手だということだ。
彼女は今、かなり多忙であろうな。この機を逃したら、二度と語らうことができなくなってしまうかもしれない。私に遠慮などせずに、行って楽しんでくるといい。」
……まあ、予想してた通りだったけど。
俺はそのまま「ありがとな。じゃ。」っつって行く気にはなれなかった。
自分でも引くくらいにテンション下がってる自覚がある。
…………別に、あの従姉自体に何か思ってる訳じゃねえけど。
自分でも引くくらい……まだ【ナナリー】に動揺してる自分がいた。
もう「死んだ」と思ってたから。全員。
これ以上、アイツの──ウェルナガルドの思い出が増えることなんてないと思ってた。
もう新しく誰かに出会って何かを知ることなんて……絶対にないと思ってた。
だから、ウェルナガルドの思い出を掘り返すことができんのは、ユンと俺自身だけ。
そんで……前にそのユンが、俺が思ってたよりも全然サラのことをちゃんと吹っ切ってて「もう俺らの初恋は終わってる」ってハッキリ言い切ってたのを聞いたときに──……俺は、ようやく安心できると思った。
……少なくとも、俺らの「初恋」に関しては。
俺はユンが心配だったから。
アイツは「サラ姉は本当にいい人だった」「俺の初恋だった」って、あの頃と同じ表情で堂々と口に出すから。俺は聞くたびに割と肝が冷えてた。……アイツは無自覚なだけで、まじで一途で激重な性格してっから。
っつか、もしユンが「サラと実は両思いだった」って知ったら、割と今でもヤバいと思う。多分、俺以上に撃沈して、要らねえことまで考えだして後悔しまくるに決まってる。だから、そのことはユンには一生教えない。……サラには悪いと思ってっけど。
だから……ユンが引き摺ってねえなら、それでもう俺らの初恋は「終わり」ってことにできると思ってた。
俺たちのウェルナガルドの記憶は、それで「全部」にできると思ってた。
ただ今日、ナナリーにまじで地声が似てる従姉がいきなり目の前に出てきて──……
……なんっつーか、まじでテンションが下がった。
そいつが嫌だったとかそういうんじゃない。
逆にその従姉に惚れたーとか、そういうのでもない。
ナナリーのことは俺もとっくに吹っ切れてるし、本気でもう恋愛感情がどうとかはない。っつーか、ナナリー本人はもう死んでるし。
ただ、ちゃんと「吹っ切れてる」っつっても……じゃあっつって笑ってその従姉とナナリーの話をガンガンできるかっていうと……それは正直、俺には無理だ。
俺の中でのナナリーは、そこまでどうでもいい存在じゃない。
自分でもよく分かんねえ感覚だけど、
俺は今さら……これ以上、増やしたくない。
ウェルナガルドの、ナナリーの──……アイツの、あの頃の思い出を。
新しい思い出話が増えると、なんかそいつが「生きてた」って感じがしてくるから。
俺の中ではもうアイツは「死んでる」で固定しときたい。アイツが「生きてた」話を、俺はこれ以上聞きたくない。
……自分でも何言ってるか分かんねえけど。
だから、変に後ろめたいことがあるってほどでもない。別にラルダを裏切ってるってほどじゃない。
……それでも、少なくとも今の俺に対して、ラルダがいい気はしねえだろうなってのも分かる。
この状況と、明らかになんかウェルナガルドのこと思い出して気にしてる──俺のこのテンションが。
誰が見ても一発で分かるくらいに、今の俺は微妙な顔してると思う。
劇場から王城に戻る間に何とか立て直しとこうと思ったけど……結局、上手く顔が取り繕えなかった。
「…………お前、なんか文句とか、ねえの。」
あっさり笑顔で主演女優に会う許可を出してきたラルダに、俺は理不尽だと分かっていながら、面倒くさく絡んだ。
言えよ。間違ってることを。俺が謝りたくなるようなことを。
お願いだから、少しくらい責めてくれ。……こんな上手くできてない俺を。
もう死んでるナナリーでも、初対面の主演女優でもない。俺はラルダを大切にしたいと思ってる。
ラルダを大切にしなきゃいけないと思ってる。
ラルダを一番に考えなきゃいけないって、分かってるし、本心でもずっとそう思ってる。
けど、俺はいつも肝心のラルダの前で──……一番、ラルダに見せるべきじゃない顔ばっかり見せてる。
…………毎回、その自覚はある。
俺のもはや八つ当たりに近い声を聞いて、ラルダは目を丸くして驚いたような顔をした。
俺がそんなウザ絡みをしてくるとは思ってなかったらしい。
で、それからラルダは完璧に、俺が言いたいことを質問の形にして返してきた。
「ふむ。……そうか。
ゼンは私に何か言ってほしいのか。」
「………………。」
「なあ、ゼン。
お前の表情からすると──その従姉様が名前を借りているウェルナガルドの【ナナリー】は、ゼンにとってはただの友人ではなかった──ということか?」
「………………。」
「………………。」
自分で話振っといたくせに、いざラルダから質問にされて返されたら、まじで自分が情けなくなった。
俺はそんな自分に嫌気が差しながら、ラルダの質問に答えた。
今までずっと思ってたことを──ユンにも言ったことなかったやつを、初めてラルダの前で喋った。
「俺は、ウェルナガルドにいた頃……ずっとナナリーが好きだった。
そんで、アイツも……ナナリーも、俺のことが好きだった。俺はそのことを知ってた。
──そんで俺は、あの日に、アイツと……次の日に会う約束をして別れた。
それから何も変わってない。
付き合ってたわけじゃねえけど、振られてもない。別に、嫌いにもなってない。
俺はアイツのことが好きなまま──アイツが死んで終わった。
だから、俺はずっとナナリーに……多分、失恋しそびれてる。
別に『引き摺ってる』とかじゃねえとは思うけど……アイツを置いて、ラルダと結婚して──……それが勝手になんか……ずっとアイツを、裏切ってるような気になる。
せめてアイツに一言、『俺は他の奴と結婚する』って、報告だけでもしときたかったっつーか……多分、そういう気持ち悪さがある。」
「………………そうか。」
俺は「……悪い。」っつって、ラルダに沈んだ声で謝った。
自分で言い出したくせに。わざわざラルダに質問させたくせに。
俺は自分からわざわざラルダを傷付けにいって、そんで謝るきっかけをもらいにいった。
わざわざラルダの前で言うことじゃない。
でもこんな顔しててラルダに何も言わねえのも、それはそれで酷えと思った。
……どっちにしろ駄目だった。だけど今回は、言いたくなった。
いつもは俺は何も言わねえで、察してるラルダに我慢させてばっかだから。
ナナリーの話を初めて俺から聞いたラルダは、手に持ってたペンを置いて、本格的に仕事を中断した。
それから少しの間無言になって……そんで、ラルダなりの感想を呟いた。
「なるほど。……お前にはやはり、私より前にも、大切な恋があったのか。
一途で誠実なお前のことだ。ゼンはあの悲劇さえなければ、その彼女と──【ナナリー】と結ばれていたのだろうな。
今でも思いを呼び起こせるくらいには、大きな存在だったのだろう?」
そう言ってラルダは、俺の返事は待たずに、息を吐いて目を伏せた。
「そうか。……私は、彼女からも、ゼンを奪ったのだな。
私は亡くなったナナリーから、ゼンを横取りしたのか。」
…………何でそこで、お前が「奪った」ってことになんだよ。
「……んなことはねえだろ。
別に、ナナリーはラルダには関係ねえよ。」
俺はそう言ったけど、ラルダは首を振って否定した。
「違うな。私が言いたいのはそういった表面的な話ではないのだ。
私は、その亡くなった彼女と──そして、ゼン。誰よりもお前に謝りたい。」
「…………は?」
俺は自分が謝りたくて、ラルダにナナリーのことを話したはずだった。
けどラルダは、俺の意図を完璧に察した上で、全然違えことを言ってきた。
「ゼン。お前は私に申し訳なく思って、私に謝りたくてナナリーの話を打ち明けてくれたのだろう?
……だが、それは間違っているんだ。
ナナリーという亡き彼女の存在を知った今、謝るべきは私だ。
むしろ私が、お前を苦しめ続けていることを……認めて、謝るべきなのだ。」
◇◇◇◇◇◇
ラルダは俺より頭がいい。
馬鹿がつくほどクソ真面目で、誰よりも真っ当に性格がいい。
……だからかどうかは分かんねえけど、俺にはラルダの言ってることが、微塵も理解できなかった。
「何でお前が俺に謝んだよ。お前は何もしてねえだろ。」
俺が思ったままのことを言ったら、ラルダは長々と言い返してきた。
「そんなことはない。
亡き彼女ナナリーの立場になって考えてみるとよく分かるぞ。
…………どうだ?非道だと思わないか?
私は例の『ウェルナガルドの悲劇』を止めることができなかった王家の人間でありながら、図々しくゼンに横恋慕をしたのだ。
ゼンが今まで、彼女のことを口にしなかったのをいいことに。私は、ゼンの故郷にそのような人がいた事実すら知らずに、厚かましく恋をした。
そうしてゼンと結婚した。
互いの身分差を覆す、王国一の無理を押し通して。己の役目を放棄して。
そして今、こうしてゼンとの幸せな日々に浸っている。ゼンに罪悪感を植え付けながら。
私はずっと、ゼンが苦しんでいるのを知りながら……敢えて知らぬ振りをしてきたのだ。」
…………………。
お前が俺と知り合う前に、ナナリーはすでに死んでただろ。
全部お前からしたら、どうしようもねえじゃん。
俺はそう思ったけど、ラルダは全然そうは思ってないらしかった。
ラルダは俺の微妙な表情を見ながら、
「何も恋愛に限ったことではない。先ほども言っただろう?私はそんな表面的なことを言っているわけではないんだ。
要するに私は……ゼン、お前という存在を自らの『夫』にしたことで、お前と、お前の故郷のウェルナガルドのすべての人々に、とても残酷な仕打ちをしてしまったのだ。」
っつってきた。
「……ゼン。私はもう、今は理解できている。
お前と結婚する前のような、無知な綺麗事はもう言えないんだ。
──私は、ユンから兄を奪った。
──亡きナナリーからも、想い人を奪った。
それは紛れもない事実だ。
そして、私は……ゼンからも同様に奪っている。
私は、ゼン──お前から、弟と亡き彼女への想いを奪っている。
ゼンに『お前が一番大切にすべきなのは、妻である私なのだ。』と、言外に求め続けている。
私はお前をそうして、一生苦しめようとしているんだ。」
◇◇◇◇◇◇
ラルダはいきなりそんなことを言って、俺を見ながら自嘲した。
「ゼン、お前は覚えているだろう?
私が初めてユンに会った──お前が宿屋で泣いた日のことだ。
……あのときの私は酷かった。初対面の弟のユンに向かって、傲慢にも程があった。
『私にはユンの代わりはできない』などと、我ながらよく言えたものだ。
『弟としてずっとゼンの一番でいてやってくれ』などと、よく宣えたものだな。
お前もそうは思わないか?
あの2年前のクゼーレ・ダイン。あの場での私の言葉たちは所詮、浅はかな建前でしかなかったのだ。
……いや。私は当時は本心のつもりだったがな。
あの残酷な発言を本心としてしまえるほど、私が浅はかだった──と言うべきか。
あれを私に言われたユンは……どれほど心を抉られたのだろうな。
唯一の肉親である兄のゼンを奪われるというのに、その奪う張本人の私から、反論し難い綺麗事まで平然と押し付けられてしまったのだ。
ユンの目には私が、さぞかし醜悪な女に映ったことだろう。
ユンは記憶を捨て去る『嘘』までついて、必死にお前を守ってきたというのに。
そこまで大切な唯一の兄を、私は恋心一つで横から掠め取っておきながら──……あろうことか私は、ユンに説教まで垂れたのだ。
『私はゼンの妻になるが、ユンはゼンから離れるな。』と。」
そこまで言って、ラルダは静かにひと息ついた。
「私が愚かだったのだ。
ゼンと実際に結婚するまで、気付くことができなかったんだ。
──『そんな綺麗事は、無理に決まっている』ということに。
……何故、気付けなかったのだろうな。
当たり前のことではないか。結婚してひとたび新たな家族を築いたら、その築いた新たな家族こそが、絶対に『一番』になってしまうのだ。
そしてそれまでの元の家族たちは、徐々に離れてゆくしかない。……そうせざるを得ないのだ。
私の兄上もそうではないか。兄上は私の唯一の血縁の兄だが、いま兄上が一番に守るべきなのは、妻のフィリア様と二人のお子たち。妹の私ではないだろう?
そして、私の父上と母上も。二人は自らの子である私と兄上とともに、日々王城で暮らしている。……兄弟である叔父上や叔母上と離れて。我ら家族と、一番長く共にいてくれている。
そんなのは……当たり前ではないか。
無理なのだ。どうしても。
想いの強さなど関係ない。感情の大きさの問題ではない。
私の夫である以上、ゼンは私を一番に守り、私に永遠の愛を誓っている。……それが『結婚』という制度。『夫婦』という形態だ。
お前の思い出の中に誰がいようと。お前が弟を誰よりも大切にしてきていようとも。
私はお前に強制している。『妻を一番に優先する』という行動を。
──彼女への罪悪感に塗れさせながら、私だけを愛せと求めている。
──弟のユンを差し置いて、私の側に居ろと望んでいる。
まさに、今のようにな。
現にお前は弟のユンのもとではなく、真っ先に私のもとに来て、こうして報告してくれているだろう?……私はそれを強いているも同然なのだ。」
………………。
「お前はそんなんじゃねえだろ。
俺はお前に夫婦をやらされてるわけじゃねえっつの。お前に何も強制はされてねえよ。
……ユンもそんくらい分かってるだろ。」
俺がそう言ったら、ラルダは
「そうだな。たしかに、私には悪意はなかった。ユンは聡く受け入れてくれていた。
……だが、『ゼンと結婚する』という行為自体が、どうしようもなく残酷な面を持ってしまうのだ。
結婚によって二人の結びつきが強くなるというのならば……当然、その周辺の人間関係にも、変動は起きるということだ。
私の幸福と引き換えに、必ず犠牲になるものもある。それを避けることはできぬというだけだ。」
っつって、またややこしいまとめをしてきた。
「なあ、ゼン。私はもう、薄々感じてはいるんだ。
きっと私は今後一生をかけても、ゼンの心の一番にはなれないだろうと。
──お前の人生に於いて、真の『一番』は、ユンだ。
実際のところ、お前の本心ではそうだろう?
……お前が私と交際し始めてからもう6年が経ったか。そして結婚して1年が経った。
だが、今でも。お前は何かあれば弟のユンを、私よりも一番に、どうしても考えてしまうだろう?
隠さなくていい。否定もしなくていい。何も悪いことではないからな。
お前を見ていれば分かる。お前の心の中の『一番』は、ずっとウェルナガルドに在るんだ。
そしてそれは、ウェルナガルドの町が亡くなった日に──……ユンとお前だけが生き残ったあの日に……きっともう、決まってしまっていたんだ。」
さっきまでよりも少し声を弱くして、静かにラルダはそう言った。
そしてラルダは涙は出さないまま、泣き笑いみてえな辛そうな顔をした。
「それでも私は、奪った。
ゼンからも、ユンからも……ウェルナガルドの亡きナナリーからも。
ゼンと結婚し『妻』となって。お前を私の『夫』にして。結婚という制度を利用して。
──……私はお前の『一番』を、お前たちの心を無視して、強引に私に置き換えてしまったんだ。
そして、それを私は譲る気がない。
ゼンの良心を搾り取りながら。……ユンのあれほどの愛情深い献身を知りながら。亡きナナリーの存在を知っても。
私はそれでも一生、『妻』という肩書きを振り翳して、ゼンからの愛を一番に貰い続けるんだ。」
◇◇◇◇◇◇
一連の話をし終えて、ラルダはしんどい感情を逃すように一呼吸置いた。
そんでそれから俺に向かって、
「どうだろうか。……私の考えは、上手く伝わっただろうか。」
って聞いてきた。
ラルダはたまにこう聞いてくる。
俺に「自分が言ったこと、伝わったか?」って、そういう聞き方をしてくる。
俺を馬鹿にしてるとかじゃねえと思う。別に馬鹿にされてるとも思ってない。
ラルダは事あるごとによく「ゼンは賢い」「頭がいい」っつってくるから。
……まあ、ラルダじゃねえ奴にそれを言われたら「馬鹿にしてんだろ」って言いたくなるけど。
でも、ラルダの場合は疑うだけ無駄だ。ラルダはそういう嫌味を言うような性格はしてねえから。だからラルダは本気で、俺を「賢い」「頭いい」っつって褒めてきてると思う。
ただ、あまりにも使う言葉が違いすぎて。
考えることっつーか、持ってる価値観や今まで見てきたものが違いすぎて。
そういう意味で、ラルダは俺に「話が伝わんねえな」って思うことがあるらしい。
……俺も思ってっから、それは「お互い様」ってやつだけど。
で、今の話に関しては……
「まあ……大体。伝わったっちゃ、伝わった。
あんま納得はしてねえけど。
要はお前は『自分に悪気はねえけど、俺やユンやナナリーに申し訳ねえことしてるとは思ってる。』っつったんだろ。
…… 俺と結婚したっつーだけで、お前が俺の『一番』になるから。」
俺がそう答えると、ラルダは「ああ。言ってしまえば、そういうことだな。」っつってフッと笑った。
「そうか。……しかし、ゼンは納得はできていないのか。」
「当たり前だろ。何でお前が謝んだよ。
んなこと言ったら、俺はお前の家族と国民全員に謝んなきゃいけねえじゃん。俺は結婚してお前を独占してんだから。」
俺のこの返しがズレてる自覚は、まあまあ、ある。
ラルダは多分、ウェルナガルドのことを大前提にして、俺に「辛いだろ」って言ってきてるから。
ユンは『ただの弟』なんかじゃねえだろって。
死んじまったナナリーは、『ただの両片思いの思い出』とは違えだろって。
わざわざラルダを傷付けに行った俺のこの感情は、仕方ねえことなんだ──って。
でもそれを俺が「そうだ」っつってラルダの前で認めて、ラルダに「だからお前は俺の本当の『一番』じゃない」なんて言うのは間違ってる。
ってか、俺はそんなことは、まじで全然思ってない。
だから俺は、あえて自覚したまま若干ズレた返しをした。
そうしたらラルダは、俺の返しを聞いて目を丸くして、それから「……そうか。そうかもしれないな。」っつって適当な相槌を打ちながら、何かを考え始めた。
そんで、それからしばらくして、ラルダは今度は俺の望みを完璧に察してきた。
「…………ゼン。」
「何だよ。」
「私は先ほど、話し始めの方で言ったな?
『お前は私に申し訳なく思って、私に謝りたくてナナリーの話を打ち明けてくれたのだろうが、それは間違っているのだ。』と。」
「……言ったな。」
「私は今回の件に関しても、いま話した通り、謝るべきは私の方だと思っている。
だが……たしかに。ゼンの気持ちも理解はできるな。『妻』に申し訳なく思ってしまう、お前の今の心理も。」
ラルダはそうやって仰々しい前振りを終えて、若干悪戯っぽい笑い方をしながら、俺にこう言ってきた。
「……なあ。私が今『ナナリーの従姉様に会ってくる』という話を聞いて、何を思っているか言おうか?
ゼン。私は今、こう思っているぞ。
──『この従姉様との語り合いをもって、ゼンが亡き彼女との思い出を、完全に昇華してはくれないだろうか。』
ナナリーの代わりに従姉様に『他の者と結婚した』と報告をすることで、長年の罪悪感を拭い去り──これからは心置きなく、私だけを愛してくれないだろうか。」
「……………………。」
「そして次点で……そうだな。
──『ゼンを信頼していないわけではないが、従姉様に亡きナナリーの面影を感じて、不倫でもされては堪らないな。従姉様に魅力がないことを願おう。』
こんなところだろうか。」
……………………。
多分、ラルダが言ってた「表面的なこと」がこれなんだと思う。
普通の「妻」が嫉妬しそうなこと。
よくある「ただの夫婦」なら思いそうなこと。
ゼンはそれを申し訳なく思っているんだろう?──って。
…………お前も、普通に思えばいいだろ。
みっともなく13歳の頃の思い出に動揺してる馬鹿な俺に、「いつまで覚えてんだよ気持ち悪いな。」くらい思っとけよ。
「いい加減結婚してんだから、自分以外の女の名前を出してきてんじゃねえよ。」っつって、俺に呆れるくらいしろよ。
自分が一番じゃねえことを怒れよ。
「いつになったら夫の『一番』になれるんだ」っつって、俺の前で不安になって泣いてくれよ。
…………そんで、もっと俺のことを責めてくれよ。
俺を「間違ってる」っつってくれよ。
そうじゃないと、俺は上手く捨てられない。
ナナリーが、ユンが……サラが……ウェルナガルドのアイツら全員が。
──ラルダとは違う「特別」が。
いつまで経っても、消せないんだ。
…………………………。
本当は早く消して、楽になりたい。
ナナリーとのあの日の約束を忘れて、サラのあの死体も記憶から消して……
ユンに……アイツに吐かせた酷え「嘘」も、全部ぜんぶ無かったことにして、俺の中から消し去って……
そうやって早く楽になって、「ラルダだけを見てればいい」って。俺だって、早くそうなりたい。
ラルダを傷付けてる原因を消しちまう方が、よっぽど楽な気がするんだ。
ラルダにブチ切れられて責められて頭真っ白になれた方が、よっぽど楽だ。その方が早く死ねるから。
…………そうだ。
もうさっさと、この感情を全部殺したい。
──【ナナリー】とか、もう死んじまったから、どんな奴だったか忘れた。
──【サラ】とか、まじムカつく奴だったから、あんなん死んで清々した。
──……【ユン】はたまたま二人で生き延びただけで……普通に、アイツはただのクソ生意気な弟だ。
一度でいいから、そう思ってみたい。
そう思えたら絶対、俺はすぐに楽になれる。馬鹿みてえにラルダだけを単純に好きでいられる。
こんな感情抱えてたって、ラルダも……ユンも、二人をずっと傷付けまくってるだけだから。
生きてなきゃいけねえっつーなら、せめて心だけでも死んでたい。辛い感情を殺したい。
…………でも、無理だ。
ラルダがそれを望んでねえから。
……ラルダが、俺を全部許してくるから。
俺はラルダを傷付けてんのに、こいつは完璧に救ってきて、俺のこの感情を毎回相殺してくれるから。
…………………………。
「…………分かったよ。……ありがとな、ラルダ。」
俺が重苦しい気分のまま溜め息をついてそう言うと、ラルダは「ははっ」と声を出して笑った。
「はぁー…………お前な。
別に、そこまで言えとは言ってねえよ。思ってもいねえこと言うなよ。無理すんなよ。」
普通に座ってた姿勢を崩して、無駄に豪華な長椅子に寝そべりながら感想を漏らすと、ラルダはそんな俺を見て苦笑した。
「別に無理などしていない。いま話したものはすべて、私が本当に感じていることだ。
従姉様への期待と不安も。
お前が従姉様に移り気しないか、割と本気で心配だ。……歌劇団の看板女優ということは、相当な美女だろうからな。
お前に惚れたりせずに、お前の思い出だけを上手く昇華してくれる。そんな私にとって都合のいい人格者であってほしいと願っている。
そして、私がお前たちに申し訳なく感じているという、先ほど語った思いもな。あれは紛うことなき本心だ。
私は間違いなくユンに、不可能な綺麗事を押し付けたのだ。
……だから、ゼン。お前も、今から覚悟をしておいた方がいいぞ。」
「…………何が?」
ラルダの言う「覚悟」が何のことか分かんなかったからそう訊いたら、ラルダは俺を気遣うように声を和らげながら、でもはっきりと予告してきた。
「私がユンにした残酷な仕打ちを、これからセレンディーナ嬢はお前にするぞ。
──セレンディーナ嬢は、これからお前の一番大切な弟を、お前から無慈悲に奪うんだ。
人生を懸けて守り育ててきた、ずっと支え合ってきた、たった一人のお前の家族を。
そしてきっと、私と同じようにお前に向かって、浅はかにこう宣う。
──『二人の深い兄弟愛には、自分は一生敵わない。ユンにとってお義兄様は、誰よりも特別な存在だ。』と。
そんな分かったようなことを言っておきながら、堂々とお前からユンを横取りする。
これからお前よりも長くユンの側にいて、ユンの『一番』を名乗り始める。……『妻』という大義名分のもとに、な。
ゼン。きっとそのときが来れば、お前は納得し共感するだろう。
私が先ほど言っていた話に。
ユンが彼女と『結婚』して、ユンの『一番』が彼女に縛られてしまったとき──……お前の目にはセレンディーナ嬢が、誰よりも醜悪な存在に映るだろう。
……私も、きっとそうだった。
ユンから見た私は、誰よりも非道な人間だ。」
……………………。
何も言い返せなくなってる俺のことを、ラルダは視線だけ動かして確認してきた。
そんで、それからまたラルダはもう一度自嘲するように軽く笑って、
「──ところで、ゼン。
お前はその従姉様にこれから会いに行くのではないのか?ユンのところに寄って、二人で王都劇場に戻るのだろう?」
っつって訊いてきた。
「…………まだいい。お前、夜会だか何だかの時間まで、ここで仕事してんだろ。
だったらそれまで俺もここで、適当に暇潰してる。」
俺がそう返したら、ラルダは嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。……ありがとう。ゼン。」
どうせ二人で何かするわけでもない。俺はただ、ここで勝手に休んでくだけだ。ラルダは普通に仕事してっから。
でも、とりあえず今はここに居ようと思った。
自分は「一番」じゃねえっつって、ユンと従姉相手に無理してるラルダのところに、ギリギリまで居てやろうと思った。
……何の足しにもなんねえけど。
俺はまたラルダを傷付けた。
だからその分、せめて形だけでも、今だけはユンよりもナナリーよりも、ラルダのことを優先してやりたいと思った。
ラルダは別にこっちに来るでも話し掛けてくるでもなく、また手元に視線を落として、黙々と書類に何かを書き始めた。
だから俺は靴を脱いで長椅子に寝そべったまま、全然眠れないって分かっていながら、目だけを閉じて時間を潰した。




