春梟
テーマ(3)参加作品です。
イラスト:幻邏さま
「ねえ、おばあちゃん、ハルフクロウのお話して?」
孫の美結といっしょに庭でお茶をしているとキラキラした目でそう言われた。
「またかい? 本当にあの話が好きだね」
「うん、大好き!」
そんな風に言われて話さないわけにはいかない。
私は紅茶を一口飲むとひとつ咳払いをして話し始めた。
昔々、とある森のお話。
桜の森と言われるたくさんの桜が咲く森があった。
それはすべて春の妖精のおかげ。
毎年春になると春の妖精は森の桜を花開かせる。
それが彼女のお仕事だった。
100年、200年、300年。
長い長い間、彼女は仕事をしてきた。
桜を咲かせるとヒトも森の動物もとても喜んでくれた。
誰もが桜を見上げて綺麗だと言ってくれた。
でも、誰も春の妖精をほめてくれるものはいなかった。
みんな、春の妖精がそこにいることは知っていた。
ただ、桜にしか興味がなかった。
春の妖精は慣れてはいたが、さびしく思った。
誰かこっちを見てはくれないか。
ふわふわの腰まである桜色の髪の毛に白いワンピース。そこからのぞく白い足をゆらゆら揺らしながら桜の木に座ってそんなことを思っていた。
夜桜の綺麗な日だった。
一匹の梟がこちらに向かって飛んできた。
緑色の変わった色の梟だった。
その梟は泣きながら桜の花を通り抜け、桜の花びらにまみれながら春の妖精の胸に飛び込んできた。
その後を茶色の梟が3匹追いかけてくる。キョロキョロと探すように辺りを見回す。
緑の梟は震えていた。
春の妖精は見つからないようにそっと抱きしめて隠してあげた。
3匹の梟はしばらく探していたが諦めたようにどこかに去って行った。
「もう大丈夫だよ」
そう言うと緑の梟は顔をあげた。
まだ小さな子どもの梟だった。
春の妖精をじっと見ると「ありがとう」とにっこり笑った。
それは春の妖精にとって初めての誰かとの会話であり感謝だった。
春の妖精はうれしくなって、もっとこの子と話をしたいと思った。
「どうして追いかけられていたの?」
「ぼくが緑色だから」
「緑色だから?」
「うん、他の子とちがうからいやなんだって」
そう言ってしょんぼりする緑の梟を春の妖精はじっと見た。
全体的に淡い緑で羽の半分だけ色が違う。エメラルドグリーンと言うのだろうか。そこに桜の花びらが散っている。
確かに変わってはいるが──。
「こんなに綺麗なのに……」
そう言ってそっと羽に触れると緑の梟の顔が輝いた。
「ほんとうに? ぼくの羽、きれい?」
春の妖精はひとつまばたきをすると微笑んだ。
「ええ、とっても綺麗よ」
緑の梟はうれしそうにぱたぱたと小さく羽をはばたかせる。
「わー、ありがとう。はじめてほめられた。お姉さんはだあれ?」
「私は春の妖精よ」
「春の妖精?」
「そう、この森の桜を咲かせるお仕事をしているの」
「この森の桜を? わー、すごい。お姉さん、とってもすごいんだね」
「私がすごい?」
「うん、ぼくね、この森の桜、大好きだよ。お姉さんのおかげでこんなにきれいにさいているんだね」
「私のおかげ……」
そんな風に言ってもらえたのは初めてだった。春に桜が咲くのは当たり前のことだったから。
「いつもありがとう」
ニコニコ笑ってそう言われ、春の妖精の頬が桜色に染まる。
「こちらこそ、ありがとう……」
春の妖精の心に温かいものが積もり、この梟を大切にしたいと思った。
その日から緑の梟はそこで暮らし始める。
春の妖精の横で眠り、起き、日々を過ごす。
桜が花開く頃になると桜の木の上でうれしそうに鳴く。
緑の梟が鳴くと桜が咲く。
そんな噂が広まった。
いつしか緑の梟は春を知らせる梟として「春梟」と呼ばれるようになった。
春の妖精は春梟のおかげで仕事がとても楽しくなった。
花開かせれば喜んでくれる。
きれいきれいとほめてくれる。
それがとてもとてもうれしかった。
春梟は春の妖精の横で成長していき、そして──年老いていった。
どうしてだろう。
生き物が死んでしまうことは知っていた。
森で生きる中でいくつもの死を目にしてきた。
それなのにどうして忘れていたのか。
初めて出会ってから50年の月日が過ぎていた。
春梟は子どもから青年、青年から老人へと変わっていく。
次第に眠る時間が増えていった。
春の妖精は少し不思議に思ったが、それ以上は考えなかった。
話さなくても、動かなくても、ただ隣にいるだけで幸せだったから。
夜桜の綺麗な日だった。
その日も春梟は春の妖精の横で眠っていた。
ただ少しだけいつもより呼吸が荒い気がした。
「大丈夫?」
そう言って春の妖精が触れると春梟は目を開けた。
その目はぼんやりとしている。
いつもと様子が違う。
そこで初めて異常に気付く。
触れた身体が傾き、木から落ちそうになる。
春の妖精はあわててその身体を支えた。
「春梟!」
呼びながら抱きしめると春梟は小さな声で言った。
「お別れの時が来たのかもしれない。ありがとう。出会ってから今まで、長い長い間、君といられて僕は幸せだったよ」
「なんで、なんでそんなことを言うの? まだたった50年じゃない」
春の妖精にとっては50年なんてわずかな時間でしかなかった。それなのに、どうして、この子はいなくなってしまうのか。
春梟はひとつ微笑むと力を振り絞って身体を起こした。自身の羽に顔を埋めた。顔を上げた時、その嘴には一つの羽根がくわえられていた。
エメラルドグリーンの羽根だ。
それを春の妖精に差し出した。
春の妖精は震える手でそれを受け取った。
綺麗だった。とてもとても綺麗だった。
「今の僕の一番綺麗な羽根を君にあげる」
そう言って春梟はこの世界からいなくなってしまう。
春の妖精の腕の中、その身体はからっぽになった。
50年ともに過ごしてきたものではなく、ただの容れ物でしかなくなった。
温かかった春梟の身体が冷たくなっていく。
「いやだ……」
春の妖精は泣いた。
「いやだ、いやだ、いやだ……」
春の妖精の涙は桜の花びら。
春梟は花びらにまみれていく。
春の妖精の悲しみに応えるように綺麗だった夜桜は次々と散っていく。
森の動物たちは驚き、初めて春の妖精に話しかける。
「春の妖精やめてくれ! このままでは森の全ての桜が散ってしまう!」
そう言われても春の妖精は悲しみを止めることが出来ない。
どうしようと思った時、森が光に包まれた。
目を開けた時、春の妖精は真っ暗な空間にいた。
その中でぼんやりと光るものがあった。
神様だった。
そこには困った顔をした神様が立っていた。
「なんと言うことだ。お前は春の妖精失格だ。このままではここで消えてもらうことになる。また桜を咲かせると言うのなら元の世界に戻してやろう」
ここで消える……。
春の妖精は神様の言葉を心で繰り返して理解する。
その膝には自分の涙、桜の花びらにまみれた春梟がいた。
手の中には梟がくれた羽根がある。
綺麗な綺麗な羽根がある。
春の妖精は首を横に振った。
「帰ったところでこの子はいない。私はこんなに長い命は欲しくない。私は短い命が欲しい。この梟と一緒に終えることが出来る命が欲しい」
神様は少し悲しそうな顔をするとひとつため息を吐き、春の妖精を消した。
春梟とともに。
その後の話をしよう。
桜の森には別の春の妖精が現れて今も綺麗に花を咲かせている。
春の妖精と春梟?
さあね、どうなったものか。
ただ、どこかで聞いた話ではヒトに生まれ変わったとか。
今頃、春梟と一緒にどこかで幸せに暮らしているんじゃないかね。
「はい、お話はおしまい。面白かったかい?」
「うん、ありがとう、おばあちゃん」
話し終わると家の中からおじいさんの声がした。
「お~い、クッキーが焼けましたよ。取りに来てください」
「は~い」
美結は元気に返事をして走って行く。
その姿を見送って私は胸元のネックレスを取り出す。
そこには小さなエメラルドの宝石があった。
おじいさんから婚約指輪の代わりにもらったもの。私の宝物だった。
小さく笑って立ち上がるとおじいさんが迎えに来た。
「また春梟の話をしてたのかい?」
「ええ、あの子、大好きみたいで」
「ああ、僕も好きだよ。そう言えば、君はどこであの話を知ったんだい?」
「さあ、どこだったか。あ、そうだ。おじいさん、今度、桜の森に行かないかい? 今、満開だそうだよ」
「ああ、いいね。僕はあそこの桜がとても好きなんだ」
私はクスリと笑う。
おじいさんは微笑む。
「どうしたんだい? 何か楽しいことがあったのかい?」
「いいえ、幸せだなと思っただけよ」
「おじいちゃん、おばあちゃん、はやく! 美結だけじゃこんなに持てないよ!」
美結の声がする。
私たちは顔を見合わせると2人手を繋いで我が家へと歩いて行った。