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むし  作者: 高杉 透
4/10

むし4

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。同時に、作業者た


ちは一斉に仕事に取り掛かり始めた。


「ねえ、あっちゃん。話は変わるんだけどさ、聞いてくれる? ウ


チの近所のアパートにね、最近になって若い夫婦が引っ越してきた


んだけどさあ」


 静香が話しかけてきたので、彼女は作業する手を止めて静香と向


きあう。話をする時の常識は相手の顔を見ること。これは常識であ


る。ましてや、会話しているのが部長の妻である静香であればなお


さらだ。


「世間知らずっていうか、なんてゆーか、ゴミの分別とかいまいち


分かってないみたいなのよ。ビールの空き缶とかが燃えるゴミの袋


に入って出してあったりして。ほら、燃えるゴミの袋って半透明だ


から中身が見えるじゃない? 見るつもりはないんだけど、つい見


えちゃって」


「まあ、本当に? 誰かが教えてあげた方がいいんじゃない? い


つまでもそんなんじゃ周りが迷惑するわよ」


 静香が目で合図をしたので会話を続けながら振り向けば、製品に


自分の工程を施した小柳が何とも言えない顔で彼女を見つめていた。


声には出していなかったが、その目が彼女を責めているようで、内


心に不快な感情を覚える。けれど、彼女も敢えて何も言わずに製品


を受け取った。


「だいたい最近の若い子って、常識がない子が多いのよ。まだ自分


が子供なのに早くから子供を産んだ挙げ句、寝返りもできない子供


を殴って殺すんでしょ?」


「それ、ニュースで見たわ」


 これから自分が話そうとしていた内容を、相手がすでに知ってい


ると分かり、彼女は多少、出鼻をくじかれた気分になる。しかし、


気にせずに話を続けた。


「可愛そうったらないわよね、ホント! 大人の真似して子供を作


る前に、もっと自分が大人になれって言いたいわ! 結婚だの出産


だの、そんなのは大人の仕事なんだから!」


 何気なく左隣にいる小柳に向けて言ったつもりだったが、どうや


ら自分の仕事に集中しているようで、彼女の嫌味には特に反応が無


かった。


(可愛げがないんだから、ホント! もうちょっと傷ついた顔くら


いしなさいよ!)


 自分のことを言われているのだと分かって多少なりとも顔色を変


えるならば、彼女としても態度を改めてやらないでもない。しかし


ながら、こうまで「聞こえていないフリ」をされるとこちらの苛立


ちが募るばかりで、ひたすらおもしろくない。


「そう言えば、ウチの近所にもいるのよ。新しく越してきた若い夫


婦が」


「へえ、どんな子?」


 気を取り直して、彼女は今朝ゴミ捨て場で出会った顔を思い出す。


せっかく仕入れた情報を、まだ公開していないことにようやく思い


至ったのだ。


「相沢さんっていうんだけどね、旦那さんと奥さんは27歳で、今


年の3月に息子さんが生まれたみたいなのよ。もともと奥さんは四


国の出身で、大学時代から付き合いはあったみたいなんだけどね、


なかなか結婚まで辿り着かなかったみたいなのよ。それが、結婚す


るより先に子供ができちゃって! おろすよりは結婚しようってこ


とで結婚したらしいわよ」


「今、流行りの“できちゃった婚”ってヤツ?」


 静香の顔を見ながら話を続けていると、後ろから小柳に小さな声


で名前を呼ばれた。振り向けば、やはりそこか責めるような目つき


をした小柳が自分に向って製品を差し出している。気にせず、彼女


は静香の方を見ながらシートを受け取って話を続けた。


「そうそう! そうなのよ! 順番が逆よ、ホント! でもあの奥


さん、子供が生まれてからしばらくは実家に帰ってたしねえ、こっ


ちに戻って来たと思ったら子供を預けてコンビニでバイトよ! 正


社員でもあるまいし、どうしてそんなムリしてまで働かないといけ


ないのって思うでしょ?」


「まあねえ。ローンとかあるんじゃないの?」


「あるとしたら車かしらね。あそこの家、奥さんも旦那さんも随分、


大きな車に乗ってたもの。子供が生まれる3か月前に車は2台とも


手放して、軽自動車を買ったようだけど。でも、あの軽自動車、中


古よ? そんなにお金がかかるとは思えないわ。新しい型でもない


し。そう言えば旦那さん、パチンコ屋に出入りしているみたいだか


ら、もしかしたら消費者金融から借金でもしてるのかも」


「最近の消費者金融って誰でも借りれるんでしょ? それ、ありえ


るわよ!」


 静香から同意の言葉をもらい、彼女は自分が立てた仮説が妙に真


実味を帯び始めた気がした。何だか探偵にでもなったようで気分が


いい。


「でも、それだけじゃないのよね。あの奥さん、やたらケータイの


通話料金が高いのよ。もしかしたら男でもいるんじゃないかしら。


チャラチャラした人だし」


「ホントに!?」


「ありえない話じゃないわよ。それに、子供。ホントに旦那さんの


子供なのかしら。あの二人が付き合ってることは知ってたけど、子


供ができてから結婚までが急展開すぎる気がするのよね。別の男の


子供を育ててるんじゃないかしら。正社員でもないのに働くなんて


それしか考えられないわ」


「うわ~」


 静香が溜め息交じりに呟いた時のことだった。ふと視線を上げた


先に、白く蠢くウジ虫の姿が目に入った。


「ちょっと、やだ!!」


 彼女は作業途中の製品を放り投げ、思わず後ずさりしていた。ウ


ジ虫は作業台のアルミ製の棚に、3匹いる。それぞれ身を寄せ合う


ように、小さな体を必死に曲げ伸ばししながら上へ上へと登ってい


た。


「どうしたのよ、あっちゃん!」


「ウジ! またウジがいるわ!!」


「ええ?」


 ラインが止まる。隣の静香と小柳がウジ虫という言葉に、嫌悪感


が滲む表情で彼女の視線を追いかけた。


「ウジなんていないわよ」


「ウソ! いるじゃない!」


「いませんよ。どこにも」


 二人の視線はひたすら作業台と彼女を行き来している。しかし、一


向にウジ虫を見つけられた様子はない。静香と小柳が、次第にいぶか


しげな顔になっていく。


「ちょっと。どうしたのよ、あっちゃん。ウジなんてどこにもいない


じゃない」


「そんなことないわ! そこにいるんだから!!」


「どこですか?」


 彼女は思わず二人の顔を交互に見た。そして再びウジ虫がいた場


所に視線を向ける。すると、白い幼虫は影も形もなくなっていた。


「……いない」


 唖然とした顔で、彼女は先ほどまでウジ虫が這っていた場所を凝


視してしまう。


「そんなはず、ないわ……」


 絶対に見間違えなどではない。食堂の件があったので、今度はき


っちり、その姿を確認したのだ。


「見間違いですよ、安倍さん。きっとグリース(潤滑剤)か何かで


す。しっかりしてくださいよ」


 小柳が呆れたような口調で言ってくる。その瞬間、彼女は目の前


が赤くなるほどの怒りを覚えた。


(こんなヤツに……!)


 弱みを握られた。嫌いな人間に弱みを握られることほど腹立たし


いことはない。最早、ウジ虫が「消えた」ことなど、どうでもいい。


問題はこの小娘だ。


(ただの社員のくせに! 私は主任の妻なのよ!? 今に見てなさ


い! 博文が工場長に出世したら、あんたみたいなバカは即効でク


ビにしてもらうんだから!)


 憤りを感じながらも作業に戻ろうとした時、今度は作業途中の製


品の上にウジ虫を見つけた。


「きゃあああああ!!」


「あっちゃん?」


 まただ。またウジ虫がいる。


「誰よ、こんなイタズラしたのは!」


「何よ。今度はどうしたの!?」


 同じだった。静香たちには見えていないらしい。傍にいる二人に


はいぶかしげな表情しか浮かんでいない。


「ウジがいる! ウジがいるのよ! 見間違いじゃないわ!」


「どこにもいないじゃない!」


「いるわよ、ここに!! どうして分からないの!?」


 そう言って再び視線を向けた時には、確かにいたはずのウジ虫は


どこにもいなかった。  


「阿倍さん、どうしちゃったんですか? 大丈夫です?」


 小柳が心配そうに覗き込んで来る。


「大丈夫じゃないわ! どうしていないの!? 確かについさっき


までいたのよ! ウソじゃないんだから!」


 小柳への怒りが薄れ、彼女の頭の中はウジ虫に占領された。あま


りの出来事に我を忘れて叫んでしまったので、思いのほか、その声


は工場内に反響する。他のラインで働いていた作業者たちも、何事


かと注目し始めていた。


「どうしたんだ?」 

 

 騒ぎを聞きつけてやってきたのは、森田主任だった。


「何かあったのか?」


 彼は尋常でない様子の彼女と、状況が全く理解できないという顔


をしている静香と小柳を交互に見比べる。


「あっちゃんが……」


 静香が珍しく言葉に詰まった様子で彼女の顔を見る。彼女の顔は、


蒼白になっていた。


「具合でも悪いのか?」 


 森田主任は、心配そうな顔で彼女の傍へ歩み寄って来る。そんな


主任の顔を、彼女は勢いよく見上げた。いつもの、見慣れた森田主


任の顔が、そこにある。どこで焼いてくるのか知らないが、やたら


日焼けした肌に、日本人離れした高い鼻、大きな目。どこからどう


見ても“イケメン”ではないが、彼は入社したばかりの若い女の子


たちから、定年間際の男性まで、幅広く人気がある人物だ。


「阿倍、どうしたんだ」


 もともとこの工場では、主任クラスと言えば、事務所で“書類整


理という名の給料ドロボー”が定番だったのだが、森田主任は残業


も厭わないし、面倒な作業でも率先して行う。仕事も丁寧だし、教


え方も実に分かりやすい。おまけに自分の役職を鼻にかけるところ


がないうえ、やたら話しやすい。ついでに、いろいろと融通が利く


役職でもある。


「ウジ! ウジがいたんですよ! ここに!」


 彼女は叫ぶように訴えた。しかし、彼は軽く片眉を上げただけで、


彼女が求める反応はしてくれない。


「ウジ? 別にいいじゃないか、ウジくらい。不景気で仕事がな


いからウチの工場に見学に来たんだろ? 好きなだけ見せてやれ


よ。人件費がかかるわけじゃあるまいし」


 森田主任にしてみれば、たかがウジ虫ごときで騒ぎ立てたのが


バカバカしいのだろう。大きなトラブルでないと分かってほっと


しているのが、手に取るように分かる。しかし、彼女にしてみれ


ばそれどころではなかった。


「そういう問題じゃないんです! 私が見た時には確かにいたん


です! でも静香さんと小柳さんには見えなくて! もう一回、


見た時にはもういなくなってて!」


「ふ~ん。そりゃあ新種だな。もしかしたら擬態能力を身に付け


たのかもしれん。捕獲してマスコミに発表してみたらいい。きっ


と世界中からメディアが集まるぞ」


 森田主任はこれ以上ないほどマジメな顔でそう言った。途端に、


堪え切れなかったらしく静香と小柳が笑い崩れる。


「メディアが集まったらウチの工場、儲かりますよね? その時


にはお給料のアップをよろしくお願いします“しにん”!」


「誰が死人かー!!」


 さっそく森田主任のジョークに便乗する小柳。更にそれに乗っ


たのは静香だった。


「メディアが取材に来るならちゃんとメイクしとかないと! 明


日からちゃんとしよう!」


「ああ、そうしろ、そうしろ。旦那が喜ぶぞ」


「“しにん”の家の奥さんはちゃんと化粧してるの?」


「死人、じゃない。主任だ、主任!」


「はいはい。しにんね、しにん!」


「わしゃあ、まだ死んどらんわ!」


 渦中の彼女を無視して、森田主任と静香、そして小柳が楽しそ


うに冗談を交わしていた。


(なによ……! 他人事だと思って……!)


 彼女は無意識に、握りしめた拳に力を込める。

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