IF~もしあのとき○○だったら~
もしもルシフェルが正しい道を進んでいたら……
If①もし殿下が冤罪だと信じていたら
「私はやっておりません」
「うん、そうだよね。ごめんね、疑うみたいなこと言って。でも形だけでも聞いておかないと周囲が煩いんだ」
ルシフェル様は安心させるように私に微笑みかけた。
そして、ルシフェル様はその日、食堂で大声で言った。
「オリヴィアがそんな稚拙なことをする訳がないだろう。そもそも考えてみろ、オリヴィアは公爵令嬢、メロディ嬢は男爵令嬢だ。プリムローズ男爵家を潰すなんてオリヴィアにとって簡単だ。オリヴィアは王家に入る人間だ、この婚約とて王命によるもの。それ以上囀るようなら王家に対する不敬と取るがよいな」
その日から、私が犯人だと噂する人は消えた。
それでもメロディ嬢への嫌がらせは続き、言葉こそかけないものの私への疑念は再び強くなったようで、それは私への視線に表れる。
ここで態度を変えては真犯人の思う壺だ、と私は背筋を伸ばす。
「オリヴィア。私はちゃんと分かってる。私は絶対にオリヴィア、君の味方だ」
「ルシフェル様……」
ルシフェル様に抱き締められる。
安心してしまって、いつの間にか私の頬に温かいものが伝っていた。
「カールトン様。私も、カールトン様がそんなことをしないってきちんと分かっています。カールトン様が嫌がらせするならもっと辛辣なやり方だって知ってますから」
「それ貶しているの?」
「まさか!!」
プリムローズ嬢もそう言ってくれる。
この二人の態度があって、私が犯人だという空気はどんどん薄れていった。
オリヴィア・カールトンに罪をなすりつけようとしている犯人は誰なのか。
犯人捜しが始まった。
そしてある生徒が、遂に証拠をつかんだのだ。
その生徒はその証拠を私とルシフェル様、プリムローズ嬢以外には共有しなかった。正しい判断だ。
私達は信頼できる生徒たちに証拠の裏付けを手伝ってもらい、他にもいくつか証拠を見つけた。
そして、遂に犯行現場を押さえたのだ。
「ペラーズ公爵令嬢。そこで何を?」
ひっ、という声とともに首を竦めたのは、ペラーズ公爵令嬢。
「ぁ、これは、その、」
「それは、メロディ嬢のものだよね?どうして君がそんなことをしているの?」
「ち、違」
慌てふためくその姿に、次代の王国で二番目に立派な淑女と言われた女性の面影はない。
「他にもね、色々と証拠が出ているんだよ。言いたいことは分かるね?」
「そ、そんな!」
顔を真っ青にしたペラーズ公爵令嬢は、膝から崩れ落ちた。
王子に虚偽の弁明をするのは流石に不味いときちんと理解しているらしい。彼女はぐっと唇を引き結んで俯いた。
「君がやったことは、低位貴族の令嬢への嫌がらせ。それだけなら罪は軽かっただろう。でも、それだけではないよね。オリヴィアに、罪を擦り付けようとしたね?」
「それは違いますっ!!」
ばっとペラーズ公爵令嬢が勢いよく顔を上げる。
「プリムローズ嬢に嫌がらせをしたことは、認めます。ですがカールトン様に罪を擦り付けようとは一切しておりません!ペラーズの名にかけて!」
自らの姓に誓うのは、命を懸けるようなもの。
そうでなくとも王族に虚偽の申告は罪になる。
きっと嘘ではないのだろう。
「私が犯人ではないかという噂はどこから?」
「それは分かりません。カールトン様が犯人ではないかという噂がどこからか立ったとき、私が否定しなかったことは事実ですが、自ら広めることは断じてしておりません」
「そうですか……」
まあ、プリムローズ嬢に嫉妬したというのは割とあり得そうな動機だから仕方ないのかもしれない。
「とにかく。今この時をもってプリムローズ嬢への嫌がらせを一切やめるように。これ以上続けるようなら、分かるね?」
「し、承知致しましたっ!プリムローズ嬢、今までごめんなさい」
「いえ」
遥かに格上の令嬢に謝罪されてはプリムローズ嬢は許すしかない。
「プリムローズ嬢、犯人がペラーズ様だと公表したい?」
「いえ、いいです」
「ならば名前は出さずに犯人が見つかったとだけ言おう。ペラーズ嬢、いいよね?」
「……はい」
恐らくルシフェル様は、犯人はペラーズ嬢だったという噂を流すつもりだ。そしてペラーズ様も多分それに気付いている。彼女の唇が強く噛み締められているから。
ただ、ペラーズ嬢は私の次に素晴らしい淑女だと言われる女性。噂が消えるのも早いだろう。
それにてプリムローズ嬢への嫌がらせは幕を閉じ。
プリムローズ嬢が私達と行動をともにすることもなくなった。
「ルシフェル様。もう一度問います。ルシフェル様は、プリムローズ嬢を側妃に迎えるおつもりですか」
「……メロディ嬢が、頷いてくれるなら。でもオリヴィア、勘違いしないで。君への気持ちがなくなった訳じゃない。君のことは愛しているよ。愛する相手が二人になっただけ。そして、一番は絶対に君だ、それが揺らぐことはない」
ルシフェル様が私の頬を撫でる。
「では今のうちに教育を始めておきますね。メロディ嬢にはルシフェル様からお話して下さい」
私はくるりと踵を返す。
「、オリヴィア」
「貴方の唯一でいたかった」
その呟きは、予鈴にかき消されて誰にも聞こえることはなかった。
それは、オリヴィアがいない場でのこと。
「え?……申し訳ありません、もう一度仰って頂いても宜しいですか?」
「信じられないよね。私が王太子になれたら、君を側妃にしたい。拒否権はあるよ」
「本当に拒否しても大丈夫ですか?不敬になりません?」
「ならないけれど……」
「でしたら、お断りしたいです」
きっぱりとしたメロディの拒否に、ルシフェルが目を瞬かせる。
「ええと、理由を聞いてもいい?」
「プリムローズは息子がおりません。なので私が跡継ぎです。二人妹がおりますが、二人とも平民の婚約者がいます。跡継ぎになれるのは私だけ。学院で婿を探すつもりです」
「そっか……」
ルシフェルは苦笑した。
「分かった。折角ならば私が斡旋しようか?」
「本当ですか!ありがとうございます!」
側妃の話を持ち掛けたときは変な顔をしていたのに、ルシフェルがそう言った途端メロディは満面の笑みを浮かべた。
「いい男を探しておくよ」
「宜しくお願いします!」
「うん、任せておいて」
ひらりと手を振って、ルシフェルはメロディの元を立ち去る。
その表情はすっきりしたように明るく、僅かに安堵も混じっていた。
「振られてしまったよ」
ルシフェル様は苦笑いしながら私に告げた。
私は少し驚く。
「そうなのですか?どうして?」
「跡継ぎなのだそうだよ。……でも、正直少しほっとしたんだ」
「え?」
「私には、唯一人を愛する方が向いてると思うから」
そう言ってルシフェル様は私の髪を撫でる。
「もう他の女性に目を向けることはないって約束する。だから、オリヴィア、私を赦してくれないかな?」
そう言われてようやく、私がルシフェル様に怒っていたことに気付いた。
私に愛していると言った口で他の女性を愛していると言わないで欲しかった。
「絶対?」
「絶対」
「……今回だけ、許します。私だってルシフェル様を愛しているんです。独占欲くらいあります」
「うん」
唇を尖らせてみせると、ルシフェル様は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、オリヴィア」
その言葉の通り、王太子となり国王となったルシフェル様は一切他の女性に目を向けることなく私を愛してくれた。――ただ一人を除いて。
「私以外の女性に目は向けないんじゃなかったの?」
私がちくりと言うと、ルシフェル様はその女性に頬ずりする。
「娘は別でしょ?君にそっくりだし。それを言うなら君も他の男に目を向けてるじゃないか」
「貴方にとっても可愛い息子じゃない」
その一人は、私とルシフェル様の娘。
一男一女に恵まれた私たちは、お互いと子供達以外に目を向けることなく幸せな日々を過ごしている。
⁑*⁑*⁑
If②もし殿下が彼女に惚れなかったら
「も、申し訳ございません!」
銀の髪が美しいその令嬢は、日替わり定食をのせたトレイを近くのテーブルに置き、だらだらと汗、多分冷や汗を流しながら跪いて謝罪した。
彼女が私と共にいたルシフェル様にぶつかり、ルシフェル様のコーヒーが割と大胆に零れてしまったのだ。幸いトレイの中で収まり制服が茶色になることはなかったが。
「気にしないで。それにここは学院で全て平等なのだからそんなに真っ青になる必要はないよ」
「あっありがとうございます」
「うん。学院じゃコーヒーは飲み放題だし気にしないで」
彼女こそが、小説のヒロイン、メロディ・プリムローズ。
そして、忘れていた出会いイベント、それがルシフェル様とぶつかるこのシーン。
「今度から気をつけてね」
「はいっすみませんでした!」
ルシフェル様は、ひとつにこりと微笑むとそのまま歩みを進める。
「ごめん、そう次のデート先の話だったね」
「え、あ、彼女はもう良いのですか?」
「え?」
私が問うと、ルシフェル様はきょとんとした。
「彼女って……さっきの、えーと、あー、確か、プリムローズ男爵の長女だっけ?名前はなんて言ったかな……あー、アリア嬢?は、次女か。長女だから、メロディ嬢?」
「恐らく、はい」
「彼女が何?」
「え、っと」
ルシフェル様は何のことか全く分からないという顔をする。
私もどう答えていいか迷った。
「いえ、何もないならいいのです」
「何もないけれど……」
私はあっさりと首を振るが、ルシフェル様は怪訝そうに私を凝視する。
どうやら本当に何もないようで、私は心から安堵した。
「ルシフェル様にしてはお話が長かったので」
「え、私はいつもそんなに冷たいかな?」
「ご令嬢に対してはさっさと話を終わらせたいという感じです」
「もしかしてそれはご令嬢にバレてたり……」
「気付いている方は気付いているのではないでしょうか」
いつもの席にトレイを置き、ルシフェル様は苦笑した。
「今度から気をつけるよ。まあ、今回は彼女にとっては大失態だっただろうし、フォローはしておいてあげた方がいいでしょ」
「確かにそれはそうですね」
テーブルに大量に置かれている布巾でルシフェル様がトレイに零れたコーヒーを拭き取る。
こういうときに私がそれをしようとするとルシフェル様は嫌がるので、私は口を出さずにそれを眺めた。
「よし、それじゃ食べようか。そうそう、次のデート先の話だよ。ちょっと遠出してみない?」
そう話すルシフェル様はいつも通りだ。
最初は彼女への隠れた気持ちを疑っていた私だが、話を進めるにつれて疑いを消していった。
ルシフェル様が卒業するまで一年間、学年が違うプリムローズ嬢との接触は全くなかった。小説とは全く違う道を歩んでいるのだ。
しばらくプリムローズ嬢の動向を注視していたら、ルシフェル様が卒業し学年が上がった頃に彼女に恋人ができていた。同い年の子爵家の次男で、婿入りの条件も満たしており、見る限り人格にも問題はない。
私は学院を卒業してすぐルシフェル様と結婚し、その一年後、プリムローズ嬢とその恋人も結婚した。
ルシフェル様は王太子となり王となったが、生涯側妃を取ることなく、私だけを愛してくれた。
小説はあくまで小説。ここは現実世界。
もしかしたらこの世界は、小説と同じ世界じゃなかったのかもしれない。
酷似しているだけの、別の世界だったのかもしれない。
そんな考えても意味のないことをぼんやりと考えながら、今日も私はルシフェル様の腕枕で眠りについた。
こういう未来になっていたのに。