交通誘導する俺の停止指示を無視して、道路工事で規制中の車線へムリヤリ車を侵入させたヤンキーの話。
「あ、ちょっと、止まってください!」
俺は赤い旗を振って必死に車を停止させていた。
その停止指示を無視した白いセダンが、俺を避けるように反対車線に進入すると俺の横に止まる。
「ウルセー! てめぇ! 何の権限があって俺らを止めてんだ! 従ってられるかよクソが!」
助手席の窓から半身を乗り出した金髪の男が、俺に向かってわめく。
奥にいる運転席の男も横から顔を出して、口元をゆがめながら俺に向かって中指を立てた。
ああ、これは面倒くさいやつだ。
ごく稀にこういったガラの悪い奴にカラまれる。
ここらの田舎は今でもこんなヤンキーがいる。
この場所は両側が田んぼに囲まれた国道。
片側一車線ずつの対面通行道路で工事の最中だ。
俺は警備員として道路工事の交通誘導をしている。
いつもは隣町の仕事だが、今日だけ俺の地元だ。
「道路工事中なんです」
「そんなの見りゃ分かんだよ!」
俺が車を止めているこの車線が道路工事中の車線。
反対車線は道路工事をしていない。
その反対車線を使って、向こうとこっちの車を交互に走行するよう誘導するのが俺の仕事だ。
「こっちの車線であと少し待ってもらえませんか」
「てめぇ、後ろの渋滞見やがれ。もうずっと待ってんだよ! お前らのせいで俺らがどんだけ時間無駄にしたと思ってんだ!」
そんなこと言われても俺だって困る。
警備員の仕事で交通誘導してるだけなんだから。
「でも、ほら工事区間長いんで無理に行くと……」
「知らねぇんだよッ! 馬鹿がッ!」
話していた助手席の男が俺に向かって唾を吐いた。
吐いた唾がべっとりと俺の警備服の上着につく。
「ぎゃはははは」
唾を吐いた金髪のヤンキーが汚れた上着を指さしてと笑うと、俺に向かって中指を立てた。
ヤンキーを乗せた車高の低い白セダンは、そのまま反対車線の走行を始める。
「ま、待って! 向こうから来るから!」
慌てる俺に対して助手席の金髪男が中指を立てたままで、車はゆっくりと通りすぎた。
俺はヤンキー車の後ろにいたタクシーに頭を下げて、絶対に後をついて行かないように運転手に頼む。
「今行ったらマズいんです。動かないでください」
「いやいや、後をついて行ったら自分が困るから絶対に動かないよ。それよりも早く行ってアイツらを何とかしてくれ。こっちはお客を乗せているんだ」
タクシーの後席には、ポロシャツを着た白髭の老人男性と、スーツを着た黒髪の若い女性が乗っている。
きっと近くにある名門ゴルフ場の客だろう。
本来ならこんなトラブルがあっても、後続車の誘導を優先して持ち場を離れないようにと言われている。
この仕事は始めて二か月、最近やっと慣れた。
隣町に引っ越してから、この会社で八つ目。
今度はできれば長く続けたいから、会社の指示に逆らいたくはない。
だがタクシー運転手の意見ももっともだと考え、一応赤いカラーコーンでタクシーの進路を塞いでから、ヤンキーどもが走り去った反対車線に出る。
前方にヤンキー車が見えた。
規制区間の半分、ここから五十メートルのあたりに車高の低い白のセダンが止まっている。
走ってその場所に着くと、何やら助手席の金髪男がわめいていた。
「てめぇ、クソが! さがりやがれ! ジャマだ!」
ヤンキー車の前方には、軽自動車が向かい合う形で停車している。
フロントガラスから、怯える母子の姿が見えた。
若い母親と小さな女の子だ。
けたたましい大音量でクラクションが鳴らされた。
ヤンキー車の運転手が、馬鹿みたいにクラクションを連打している。
音を出すホーン部分を改造しているのか、無駄にいい音が辺り一帯に鳴り響く。
その音に軽自動車の母娘はいっそう怯えて二人で抱き合っていた。
だが、怯えてこの状況を何とかしたいであろう母親は、何をするでもなくじっとしている。
それもそのはず、彼女の乗る軽自動車の後ろにはズラリと後続車が並んでいたからだ。
あれじゃ、どんなにヤンキーたちに怯えて言う通りにしたくても、車をバックさせることなどできない。
しびれを切らしたのか、助手席の金髪男が車外に出ると、ガニ股で軽自動車の運転席に近寄った。
「てめぇコラ! さがれって言ってんだろうがッ!」
大声で運転席の母親を怒鳴りつけると、運転席のドアを蹴りあげた。
マズい! このままでは母娘が!
俺の体はとっさに動いていた。
体を張って、金髪男と軽自動車の間に割って入る。
決していざこざには首を突っ込むなと、黙って警察に通報しろと、警備員の交通誘導はあくまで単なる誘導で警察官の誘導のような法的拘束力はないと、あれほど指導されていたのに。
自分から問題に首を突っ込んでしまった。
しかも、今日に限って地元の仕事。
これが問題になればまた過去がバレる。
この仕事もここまでか。
いや、そんなことより母娘を守らねば。
失職の二文字が浮かんだが、己の都合は無視した。
手を使わずに体で軽自動車から金髪男を遠ざける。
「てめぇ、さっきのクソ警備!」
「見たら分かるでしょう! 車が走れるのはこの車線しかないんです。こっちは後ろに車が連なってるじゃないですか! 軽自動車はさがれないですよ!」
「そんなこと知るか! 俺らは前に進めりゃいいんだよ! チクショウ! すべてこのクソ工事のせいだ」
金髪男の怒りが俺に向かい、胸ぐらを掴まれた。
「道路工事で不便があるのは悪いと思ってます」
「じゃあ、てめぇが責任とって何とかしろや!」
「でも、この状況じゃあなたがたにさがってもらうしか……」
「んだとぉ? おいコラ! カス野郎! みんなに迷惑かけるゴミの分際で俺らに逆らう気か?」
ブチッ。
自分の中で何かが切れる音がした。
「いい加減にしろ! できないことをいつまでも要求してくんじゃねぇ!」
「お⁉ てめぇいい度胸じゃねぇか! 俺に逆らったこと後悔させてやる!」
金髪男は俺の胸ぐらを左手に掴みかえると、そのまま俺の顔面に向けて右ストレートを放った。
あまりに大きなモーションで繰り出されるパンチ。
馬鹿でも予測できるこぶしの軌道。
俺は後悔した。
とっさのことで顔を逸らし、大きなモーションのパンチを避けてしまったのだ。
奴のパンチは見事に空を切った。
胸ぐらを掴んでの攻撃。
まさに必中の状況で外した。
状況を理解した金髪男の顔がみるみる赤くなる。
「てんめぇッ!! 避けてんじゃねぇええ!!」
今の一発、大人しく受けておけばよかった。
どうせ大したことなかった。
食らっておけばこいつは満足したかもしれない。
俺が一発もらえばこの場が収まったのに。
後悔したが時すでに遅く、金髪男が怒りに任せてもう一度大きく振りかぶった。
「死ねゴラぁああ!!」
さっきよりは痛そうな一発。
でも死ねるほどの一撃には程遠そうだ。
仕方ない、次は食らうか。
俺からはもう人に手を出さないと誓ったんだ。
大人しく食らってやるよ。
大きなモーションで、見た目だけ派手なパンチが俺の頬に当たった。
当たる瞬間に首を少し回してダメージを逃がす。
「しゃっあ! クリーンヒットォ!」
衝撃に合わせて大きく首を動かしたので、ダメージが入ったと錯覚したようだ。
「ああー、痛いー。も、もう勘弁してくださいー」
「あれ? あんま痛そうじゃねぇな?」
「あ、いや、効いてますよ! ほら! もうふらふら。だからそろそろ車をバックしてもらえます?」
「てめぇ! 痛がるフリとか舐めやがって!」
しまった。
俺は嘘をつくとすぐばれるんだった。
痛くないのに痛がるのは本当に難しい。
「こ、殺す! お前は絶対に殺す!」
金髪男が怒りで目を血走らせて、震えながらポケットに手を入れる。
折り畳みナイフの刃を出して俺に向けた。
さすがにこれを食らうのはマズい。
仕方ない、反撃するか。
正当防衛ではあるが、前科のある俺が主張しても分が悪いだろう。
真っ当に生きるって難しいな。
金髪男がナイフを振りかぶる。
奴を迎え撃とう構えたところで、金髪男の腕を誰かが掴んだ。
「お前、もうやめろ」
そのまま奴の手首がひねられてナイフが落ちる。
金色の腕時計をした黒スーツの男、この男を俺は知っていた。
「あ、兄貴!」
俺がよく見知った男性だった。
舎弟になったガキの頃から世話になった兄貴。
下っ端で何もできない俺に物事を教えてくれた。
組を抜けるときもたくさん迷惑をかけた。
そんな兄貴が俺の隣にいた。
「なんだオッサン! ジャマすんじゃねぇ!」
俺の胸ぐらを離した金髪男が兄貴に殴りかかった。
とっさに俺が間へ入り、奴のこぶしを食らう。
威力のないパンチを受けた俺は、ひるむことなく金髪男を怒鳴りつける。
「おい、ガキ! この人に手を出すな!」
「クソが! オッサン二人に負けっかよ!」
頭に血が上った金髪男が兄貴に掴みかかる。
「察しろ! 馬鹿者! 軽の後ろの車を見やがれ!」
俺は必死だった。
兄貴たちは法律が厳しくて表立って手を出せない。
だがだからといって、こんなバカなガキにいいようにやられたとあっては本職のメンツ丸つぶれ。
つまり、もし金髪男が彼らに手を出したら、人目のないところで消されることになる。
俺があまり必死に叫ぶので、金髪男も気になったのか軽自動車の後ろを確認する。
「や、やべぇ……」
金髪男は少し固まった後、視線を泳がせてガタガタと震え出した。
セダンタイプの高級外車。
色は艶やかに光り輝く深い黒。
フロントグリルに銀色のシンボル。
そして、フロントも含めた全てのガラスに黒フィルムが張られたフルスモーク仕様。
この田舎で違反を気にせず、こんな車を所有する組織はあまりに有名。
兄貴の顔を見ても分からなかった金髪男は、車を見てようやく相手が何者なのか気がついた。
「サ、ササササ、サーセンしたぁ!」
ヤンキー車の運転手も大急ぎで金髪男の横に並ぶと、兄貴に向かって九十度に腰を曲げる謝罪を見せた。
「違うな」
「え⁉ ち、ちちちち、違うとは⁉」
首をひねった兄貴に対して、彼らが腰を九十度に曲げたまま顔だけ上げてお伺いをたてた。
「謝るなら体を張って交通誘導をする、この警備員の男に対してだろうが」
「へ、あ、ハイ! す、すみませんしたッ!」
「違うだろ」
「あ、ああああ、あの、ち、違うとは⁉」
「お前、この男に何をした?」
「え? えと、指示を無視して? 唾かけて? 殴って?」
「そうやって真面目にやってる仕事を妨害したと」
「そ、そそそそ、そうっす!」
「そうならよう?」
「ハイ?」
「お前ッ! なら、どうやって詫びいれんだコラ!」
「ど、どどどど、どうもすみませんしたッッ!!」
小便を漏らすんじゃないかと思うほど震えあがったヤンキー二人は、俺の前で綺麗な土下座をキメた。
「じゃあ、すいませんがバックしてもらえますか」
俺が口調を元に戻して金髪男たちに促すと、彼らはぶんぶんと首を上下に動かした。
この長いやり取りで、軽自動車の後ろに並ぶ車からクラクションが鳴りだす。
「何やってんだよッ! こっち側が行く番だろ?」
「こうなるって分かんだろが!」
「馬鹿なの? ねえ馬鹿なの?」
鳴り響くクラクションと罵倒が一斉にヤンキーたちへ降りそそいだ。
苛立つ運転手たちの我慢が限界を超えたのだ。
ヤンキーどもは屈辱に口をゆがめたが、先程のように怒鳴り散らすこともできずただ震えている。
「なんだお前ら? 不満なのか?」
「め、めっそうもございませんっ」
「じゃあ、早くさがれ!」
兄貴が低い声で急ぐように促すと、慌てに慌てたヤンキーどもがバタバタと車に乗り込んで、物凄いスピードでバックを始めた。
だが、慌てすぎたのか斜めにバックしてしまい、後輪が縁石に乗り上げて車が大きくバウンド。
その勢いであろうことかヤンキー車は、小さく放物線を描いて後ろから脇の田んぼに落ちた。
あっ! ……あ~あ。
派手な水しぶきの後に、綺麗に田んぼへ突き刺さる白いセダンがあらわれた。
宙に浮いた前輪がむなしく空回りしている。
馬鹿だ、あいつら……。
これから渋滞を解消するために忙しくなる。
悪いが奴らはしばらく放置だな。
「兄貴、迷惑かけました」
「フン、お前なんぞ知らねぇよ」
兄貴は最後まで俺とは無関係を貫いた。
だが背を向けた去り際、声をかけてくれた。
「がんばれよ」
「はい!」
俺は大急ぎで持ち場まで走った。
戻る途中で俺の横を母娘の軽自動車が通りすぎる。
その後に続いて、黒く光る高級外車が走り去った。
さすがにこの騒ぎじゃ、マエがバレて失職だ。
新しい仕事を探すか……。
息を切らせて持ち場まで戻ると、タクシーの前にはスーツを着た女性が立っていた。
タクシーの後席に老人と乗っていた黒髪の女性だ。
綺麗な女だな。
組でケツモチしてた店の女の誰よりも上玉。
いや見た目も凄いが、それ以上に突出した高い能力をオーラで感じる。
修羅場くぐってんな?
「おつかれさまでした」
「あ、いや仕事ですから」
「ここから見ていましたが、手を出さずに問題解決する手腕、見事でした」
「いえ、偶然知り合いがいて解決できたんですよ」
「最後はそうかもしれません。でも驚きました。あなたの秘めた実力に、打たれ強さに、そして経験に裏打ちされた冷静さに。なのに今のお仕事は少しミスマッチな気がします」
この女、何が言いたい。
「……あの、そろそろ反対車線の車を止めてこっちを進めるんで、タクシーに乗ってください」
「今日のお仕事が終わったら連絡をください」
彼女は俺の手に紙を握らせた。
名刺の裏に手書きで携帯番号が書かれている。
「いや、俺そういうのは……」
「特別な仕事があります。あなたにとっても私たちの会社にとっても、いいお話ができると思います」
それだけ言うと彼女はすぐタクシーへ乗り込んだ。
勘違いに赤面した俺は、溜まりに溜まった車列を解消すべく、急いで先頭のタクシーから順に反対車線へ誘導を始めた。
ひと段落してから、彼女に渡された名刺を見る。
表面に男性の名前が印刷されていた。
この名刺は同乗していた老人のものなのだろう。
会社名は誰もが知る流通系の巨大グループ企業。
肩書は代表取締役副社長だった。
了
※このお話に反社会的組織、反社会的勢力を擁護する意図はありません。
※このお話に車の違法改造を勧める意図はありません。
※フロントガラス、運転席、助手席のガラスは、スモークフィルムなどを用いた改造により透過率が規定を下回ると違法になります。
最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。
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