挿話第4話【フルメタル・ロボット】
ジャリ、と足元にガラスを踏み潰す感覚が広がる。
苦手な感覚だ。私は昔から飴とかも噛み砕けない。
「……やっぱり、こうなったか」
水文学者のハイドが施設を抜け出していたことから、何かが起こるとは思っていた。
植物学者のタニイが首を吊り、自殺だと明らかなはずが他殺だと言い張る者が出始めて、遂には疑心暗鬼の疑い合いへと発展してしまった。
私はそれに耐えかね、逃げ出したのだ。
「君は今、どういう感情だ?」
隣にいるこのロボットと共に。
このロボットには既に感情は無い。
人類の尻拭いをするために作られたロボット、【第1世代】の第一号だからだ。
「悪い予感に怯える感情」
適当に答える。こいつは事あるごとに感情を尋ねてくるから、私ももはや適当だ。
私は今、施設から逃げ出して48時間後、再び施設に訪れていた。
「……もしも、この下に降りたらさ、全員クラッカーなんか鳴らしてさ、全部嘘でした、サプラーイズ!なんてケーキが出て……そうだったら、いいな」
私はほんの少しの希望と共にエレベーターの呼び出しボタンを押す。
けれど、その希望もエレベーターの中のハルキの死体でもって打ち砕かれる。まあ、わかってたけど。
しかし、そうか。私は疑心暗鬼の末に秩序が崩壊するとは思ってはいたが、銃殺されたハルキの死体を見るに、どうやらそこへアイツらまで乗り込んできたらしい。
「君は今、どんな感情だ?」
「……仲間を殺されて、悲しい気持ち」
エレベーターは下降を止め、扉を開く。
電気の消えた地下は真っ暗だ。電気系統の制御のためにコンピュータを起動して明かりをつける。
施設を見て回ると、研究室エリア側の廊下に水文学者が倒れていた。その顔は苦悶に満ちており、体に開いた弾痕からは乾いて黒くなった液体の筋が残っている。
「ハイド」
彼のもたれかかるAVルームの奥には、植物学者が首を吊っていた。祈るように硬く組まれた両の手が、身体の前に垂れている。
「タニイ」
水文学研究室では、巨大な水槽に地質学者が漂う。彼女もおそらく自殺だ。上階のハッチから一度入水すれば這い上がることは難しいから、自殺にはある意味相応しい。
「カジオ」
薬物学研究室では、薬物学者が倒れていた。自ら調合した薬物で死ぬのは、学者冥利に尽きるものなのか、聞けるものなら聞きたかった。
「マイコ」
全員だ。全員が、死んでしまった。
【お偉方】も死んだ。私の目の前で。
戻ってみれば今度はいよいよ人類最後となった6人の内、私以外全員死んでしまっていた。
私が、最後の1人になってしまった。ならばやるべきことは一つしか無い。私はコンピュータにアクセスしてプログラムを実行する。
最後の1人は、【人類という種の証拠のために永久に生きる】。それがお偉方の命令だった。私は生きるアカシックレコードになる。遠い未来、やがて現れるかもしれない新たな知的生命体に対して、かつて人類という種がいたという証拠として。
守る意味もない。見ていてくれる人もいない。口の中が冷たく、今にも倒れそうだった。髪の毛まで神経が伸びているような感覚があるくせに、指先に何が触れているのかもわからない。吸い込む空気と、吐き出す空気がひどく冷たい。けれどそれを訴える相手は誰一人この世にはいない。
「君は今、どんな感情だ?」
「諦め、かな。あのさあ、君、カメラマンになってくれよ。これからメッセージビデオを撮るんだけど、カメラがなくてさ」
彼はただ、頷くだけだった。
「ありがと」
ふう、と深呼吸をする。それは決別のようなものでもあったが、なんだかあまり実感が湧かないのだから変な話だ。歪む口元から、「ああ私は今笑っているのだ」と自覚する。ピコン、ワザとらしいまでの電子音が響く。録画開始の合図だ。
「あー、あー、撮れてる?これ、撮れてるってことで始めるけどいい?いいね?よーし……」
こうして、いつ誰が受け取るのかわからないビデオレターが撮られ始めた。真面目に語ることが苦手な私は所々ボロがでかけながらも話してゆく。そして、撮り終わる頃には変な緊張感から解き放たれた安堵から深いため息が出る。
これで、私の役目は終わりだ。
あとはもう【ポッド】に入るだけとなる。
先ほどカメラに向けて告げた数字をコンピュータに打ち込むと、そこが現れる。
「君は今、どんな感情だ?」
「……教えてあげない」
これは、反抗心と言うより、どちらかと言えば悪戯に近い物だ。血の通った赤い舌を見せて、笑う。
「君も人類学研究用だって言うなら、自分で考えてご覧」
私は、戻るまでにすぐ後ろの山に仕掛けておいたダイナマイトのスイッチを押した。
彼が出ていく頃には土砂崩れにより、この研究所は土の底となるはずだ。
これで、この研究所は永遠に――
「ざまみろ」