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突然見た光景を、誰にも言わず、夏休みを過ごした。
夏休みを終え、健人とは学校で少し会話を交わし、たまにラインのやり取りをする仲になっていた。
クラスメートの女子の中では、この時期に学校見学に行く者もあった。優柔不断なようである。
由梨花は学校見学に付き合ったりしながら、帰りにカフェでパフェやケーキを食べることに楽しみを見つけた。
ある日、S高受験を悩んでいるクラスメートの莉子に、S高見学を付き合わされた。
莉子と学校見学に行くのは3度目だった。私立の女子高2校と、今回のS高だ。
S高と聞き、なぜか胸が高鳴った。
由梨花には手の届かない学校であり、健人はそこを受験する。
S高は由梨花達の住まいから片道1時間半かかる場所にある。
東京の武蔵野の台地を思わせる立地にあった。
莉子は見学を終えると、駅前の洒落たカフェに由梨花を誘った。
受験するともしないとも言わない。由梨花も追及しなかった。
「S高は止めておこうと思う」
コーヒーが運ばれてくると、莉子は口を開いた。
莉子も成績が悪いわけではないが、S高にはいまひとつであることを理解しながらも、今まで吹っ切れないものがあったのであろう。
学校見学をして吹っ切れたのであれば、それは一つの答えを見つけたことである。
「それより、由梨花」
「何?」
「最近、健人と話す機会、増えてない?」
ドキンとした。莉子は好きな男子はいないようだが、莉子に、健人とラインをしてることなどは話していなかった。
「増えてるかもね」
「なんで?」
莉子は親友と呼べるほどの付き合いはしてない。発達障害のグレーゾーンとして生きてきた由梨花には、由梨花だけかもしれないが、友達作りというものがよくわからない。
本能的に、女子とは当たり障りなく付き合ったほうがいいと思っていただけだ。
莉子に健人の話をするためには、誠の話からしなくてはならない。
「わかんない」
そう呟くので精一杯だった。
「健人はモテるから、気をつけたほうがいいよ?村八分とかいやじゃん?」
「うん。それはわかってる」
「由梨花のことが好きなのかな?」
「まさか」
「だって急にだよ?」
誠の話から話そうかとも思ったが、智恵美のこともある。
赤くうつむいていた智恵美を、傷つけるような気がした。
「告白されたら教えてね?」
莉子はもうそれ以上、聞いてこなかった。莉子にとっては、受験校を決めるのが先決だった。
「あっ、そうだ。由梨花が受けるK女子は、健人のお母さんもそこ出てるみたい。ママが言ってた。短大もK女子」
初耳だった。
と、同時にテーブルの上に置いていたスマホが何度も鳴った。ラインの着信だ。
「ちょっとごめん」
ことわって、ラインを見た。
『模試でS高の判定が下がった』
『すげーショック』
『塾行かないとこうなるよな、やっぱ』
『何かのせいにはしたくないけど、やっぱり、ショックだよ』
健人と話がしたかった。
『あとで話せる?』
すぐに返事が来た。
『心配かけたな』
『気にしないでくれ』
半分くらい残っているコーヒーを、一気に飲み干した。
「ごめん、お母さんに早く帰ってきなさいと言われて」
嘘をついた。真に受けた莉子も急いでコーヒーを飲み干してくれた。
自宅の最寄駅で別れ、健人に会いに行きたかったが、どうすればいいかわからず、とりあえず電話をかけた。
「おお、どうした?」
思いの外、元気そうな声だった。
「莉子とS高に学校見学で要ってきたの。今帰り」
「そうか。ま、あいつの成績ではS高は厳しいだろうな。俺も厳しくなったが」
と、自嘲気味に言っていた。
「今から、会えないかな?」
「うーん。俺、今、海に来てる。来る?」
「行く!今、駅だから、ちょっと待ってて!」
「わかった」
駅から海までは15分位だ。由梨花は小走りした。
まず、アウレットの建物が見えてくる。
そこで電話をしようとスマホを出したところで、喫煙所に私服姿の健人が立っているのが見えた。
「健人!」
由梨花は走って健人のもとへ向かった。
「タバコ、吸うんだ?」
「がっかりした?」
首を横に振った。
そのあと、何を話していいかわからず、咄嗟に、莉子から聞いた健人の母親の話をした。
「健人のお母さんも、K女子なの?莉子から聞いて」
「そうだよ。短大時代に婚約してた男捨てられて、その時には俺を妊娠してた、というわけ」
言葉が出なかった。
「だから、俺は結婚しないと決めている」
海風が二人の頬をなでた。
「S高なんて、どうでもいいさ。その下のR高だってあるしな。親が期待したから。母親がな」
「行けるなら行ってよ!3年間、頑張ってきたじゃん!」
お前に何がわかるんだよと呟きながら、健人は次のタバコに火をつけた。
「莉子が受験を諦めたのは正解だと思うよ?でも莉子は今日まで迷ってた。やっと今日、学校見学をして、踏ん切りをつけた。時間をかけたことに無駄は無いんだよ?」
もう一度、海風が二人の頬をなでた。
その瞬間だった。
健人が
「あっ!」
と、言った。
健人の持つタバコから、火が散ったのだ。
星屑のような火花は、由梨花の顔に当たりそうになった。
火花を振り払う健人の大きな手が、由梨花の顔を覆った。
タバコを灰皿に捨てようとしたが、慌てたようで、体勢を崩した健人の顔が近付いた。
二人とも無言になった。
健人の手で顔は隠されてるものの、健人のシャープな口は、手の甲に当たっていた。
「ごめん!」
何も言えなかった。
健人の手を通して感じた温もりは、間違いなく異性を意識させる温もりだった。