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中学生の恋愛を、掌編として書いてみました。
幼稚園の頃から知ってる健人は、家は貧しいが、学年でトップクラスの成績をおさめている。
健人の母親は、離婚前、モデルをしていた。
母親の血を引き継いだ健人の顔は、端正で、背も高く、女子にもてないわけがない。
中1から理科部に所属し、決して派手に騒ぐタイプでもない。中学に入ってからの3年間も、顔と成績で、所謂、女子には困らないタイプだ。
幼稚園、小、中と共に進んできた由梨花にとっては、健人は、幼なじみというよりは単なる同級生であった。
由梨花には発達障害のグレーゾーンという診断が出ている。それが原因かはわからないが、由梨花は両親に反して少し小柄であった。
また、病気のことは教師やごく一部の者しか知らない。日常生活に支障があまり出ていないのだ。
幼い時から薬を手放せない由梨花の心の安らぎは、最近では陸上部のキャプテンをつとめる誠を見つめることだ。
中学から一緒になった、甘いマスクを持つ誠にも複雑な家庭環境がある。小学生の時に、兄弟が生き別れになっていた。
由梨花が誠の存在を忘れるのは、花を活けてる時だけだった。
由梨花の母親は、父親の出資で、自宅でフラワーアレンジメントの教室を開いている。華道教室を開きたかったようだが、フラワーアレンジメントのほうが集客があると伯母に言われたようだ。
由梨花にはフラワーアレンジメントも楽しいが、それよりも、剣山に花茎を刺しながら、バランスよくまとめる華道のほうが好きだった。
花を活けてる時以外は、誠のことが頭から離れない。
高校受験前ではあるが、母の出身校であるK女子高に行く予想はあった。縁故入学も多いようだ。
中学3年生の夏休みの華道部の活動は少ない。
それでもこの夏、何回かは部活がある。
由梨花は部活のある日、登校し、華道の本を借りに、図書室へ向かった。
校内は静寂に包まれ、グラウンドからの歓声が微かに聞こえてくる程度だった。
図書室の窓からは、真っ青な空が見え、雲一つ無かった。
そっと図書室へ入り、書棚を見上げた。
その時だった。
ハッと離れる人影を感じた。
二つの、立っている姿勢が、明らかに離れた様子だった。
それは誠と隣のクラスの智恵美だった。
誠は陸上部の上着に短パン、智恵美はテニス部のスコートを履いていた。
今まで嗅いだことのない匂いを感じた。
花の香りでもなければ、本の匂いでもなく、勿論、汗の匂いでもない。
それは秘密を知ってしまった、嗅覚ではなく、第六感を刺激する匂いだった。
「あっ」
誠は智恵美の肩にそっと手を置き、すぐ離して、さらに智恵美から少しだけ離れた。
智恵美は顔を赤くしてうつむいた。
静寂の中に、もう一つの静寂が出来たようだ。
何の音か始めは気付かなかったが、それが心臓の音であることはすぐにわかった。
由梨花は無言でその場を立ち去った。
図書室を出る時に、健人とすれ違い、肩が軽くぶつかった。
「あっ、ごめん」
健人のほうから、テノール声で謝ってきた。
「ううん」
声が掠れているのを自分でも感じたが、「ううん」と言うのが精一杯だった。
入道雲が広がるように、何かが心の中に広がった。
華道部の部室として使っている教室へ戻った。
行き場はそこしか無かった。
無言で花を乱雑に扱いながら、剣山にブスブス刺していく様は、顧問の女教師の目にも奇異に映ったようだ。
「どうしたのかしら、急に。お薬は飲んだの?」
教室には二人しかおらず、顧問は病気のことを知っていた。
「先生」
と、言い、薬は飲んでます、と続けたかったが、言葉が出なかった。
代わりに、涙が溢れ出てきた。
「どうしたの!?」
「先生、私、今日はもう帰ります」
「体は大丈夫なの?辛くない?」
答えられなかった。大丈夫なわけがない。辛くないわけがない。
かろうじて後片付けを始めると、女教師は手で制し、
「今日はいいから。早く帰って、休みなさい」
と、言ってきた。
由梨花は言われるがままに、鞄を手に取り、教師をあとにした。