生きとし生けるものへ祝福在れ
悪魔A君の敵はチートすぎる其処らの坊主さん
プロローグのプロローグー言わば前書き
霊山。
そこは法師や僧侶などが修行の為集う。滝行や山籠りの瞑想など修行方は様々だが、それらを大きく二つに分けるとなれば、仏を信ずるものと、否と。
此処霊仙寺はかの弘法大師も留まった霊山である。
下には村もあり、小さくはあるが、皆が笑顔を忘れず「和」の雰囲気に包まれている。
仏に仕え、悟りを開く為瞑想を菩薩心を養う者、他所多様の理由で法力を強める者。
様々な人生、命が絡まり、解け、過去、現在、未来に変わりゆく中で此処は当然「この世らしい」処であるが、同時に超越をしていたりする。
しかし、此の様に仏に使える者が力を授かり恵徳することはとある者達にとって、もの凄く不都合なのだ。
それもそうだ。この世は決して確かな物ではない。森羅万象、他がなければ成り立たない。
一つの事は、正しく見えてもまた違う目からは間違って見える。
そして、その考えは正しかろうが間違っていようが、その者の、ある存在に対しての理解は真実であろう。
そして、この考えが「正しく」変ればその過去の存在も変わろう。逆も然りとあり得る。
話が逸れた. . .
法師や僧侶等が修行を行い力や真理を会得することを嫌う者も少なくはない。
例を挙げるならば「幽霊」。一般な地縛霊や餓鬼等だ。
この者達は力は有ったり、無かったり。人に取り憑き生命エネルギーを吸い依存することや、脅かし己の存在を気付かさせる事が出来る。
僧侶は普通彼らを救おうとする。優しく接する。が、法師は違ったりもある。
「祓い屋」等が有名であろう。祓い屋は仕事で幽霊、餓鬼、地縛霊を救うでなく退散させる。
この行為は家を訪れた喪家を相手せず追い出す様な状況である。
しかし、これも致し方ないと言えよう。
確かに人道には反するやも知れんが、そもそも幽霊等は人間に非ず、人道とは関係ない。
あと、祓い屋にとって物怪の類を祓うのが仕事。方法は酷いが言葉が通じぬ相手とはコミュニケーションがとりづらい。
そしてそもそも理解不能な事柄こそ恐ろしいし怖い。と言う訳で僧侶など仏教を信ずる者達は「理解不能な物が怖いのなら、理解し、受け入れてしまえば良いではないか」と名案し、彼らは一切衆生を救う事を決意した。
まぁ、様々な派閥なども仏教には存在するが一番高度で難しいとされる密教はこうだ。
が、仏に仕え、仏お力を振るう僧侶が気に食わん者もまた然りと存在する。
悪魔。
人、畜生、物怪、餓鬼、幽霊ましては高級霊や神仏でさえ悟りを開いてなくばその心には悪魔が存在し、乗っ取ろうと依存し続けている。
その心が支配権を握り、物凄い力を得た者を悪魔という。
悪魔は他の人、畜生、餓鬼、幽霊など万有万物の悪しき感情を贄とする悍しいな存在。
一般的に実態は大抵悪感情で溢れている地獄でしか存在出来ないものである。
しかし、悪魔は依代と成れる衆生か悪感情を発する者が居れば、それに惹かれ、また其の感情の持ち主も悪魔に惹かれる。
そもそも、地獄とは低い魂の寄り集まりであり、現世と地獄とは共通し共に依存する点も存在する。
が、悪魔もまたこの世の理、業に引かれ、業により変わり、業を作る。
仏と対象的な存在である悪魔は勿論僧侶等を邪魔したい。しかし僧侶は悪魔も救おうとし、悪魔を愛し、我が子同然に育まなければいけないのだ。
と言うか、それが正しい答えであり、本当の目的で有る。
つまり、悪魔はテストで修行中の僧侶に間違えた答えを差し出す。悪魔は僧侶を嵌めようとしているのか、真に答えを信じているのかは分からぬ。
しかし、僧侶の良きは微塵と思っていない。故に悪魔で有る。
しかし此処で僧侶は邪魔する悪魔に怒っては、絶望しては駄目である。怒りや絶望の業に嵌って「アウト!」である。
無論間違えた答えを取ってはも駄目。
常に悪魔を救わなければいけない。そして、多分悪魔も本意ではないが僧侶を殺そうとするだろう。
これはバッドエンドに成る可能性は有るが成らない可能性も当然存在する。
死ぬとき、悪魔の為を思い、悪魔に祈りを捧げ、来世こそは其の悪魔を救おうと強い覚悟を決めれば多分可成りの「グッドエンド」。
だけれど、今さっき急に自分の人生に終わりを告げさせた悪魔にそこまで思うのは中々難易度が高かろう。
動物ピースの「同化してるぜ」で最も難しい問題よりも何分と難しいであろう。
そして相手は優しく愛らしい動物じゃあない。斉木楠雄が出会う動物等「可愛い」の一言に尽きる様な恐ろしい存在ー悪魔。
人が死のうが、人を殺そうが、親族を殺めようが、拷問しようがされようが表情一つ崩さない
邪悪な笑顔を浮かべる。
何処から来たのかは知らんが浮かべるのは無慈悲な笑みと、顔はイケメン。
この「悪魔=イケメン」はドラキュラから来たのだろうか?
否、ドラキュラのベースイメージで有るヴラド三世は可成りの親爺顔だ。
ではなぜ?この世はいつでも謎だらけ。
が、分かることは在る。例えば悪魔と僧侶との戦いは「無理ゲー」であり、其のゲームをクリアする者は間違いなくチート野郎(女性なら女郎)、だとの事。
そしてこの話はチート坊主とちょっとショボい悪魔との対決談だと言うこと。
因みに今回のは余談であり、プロローグのプロローグであり、作者の戯言で在る為、退屈でも本作は面白い。
ぜひぜひ読んでください。