北条 雅子と御前 静香
「ねぇ……」
唐突に口を開いたのは雅子だった。
「何さぁ?」
「なぜあなたは私にここまでしてくれるの?」
「はっ、自惚れんなよ? 奥様の温情とボスの頼みだからに決まってんだろ?」
「そう……それならいいの。世話をかけたわね」
車内に充満する沈黙。
「ちっ、あんたみてぇな不器用な馬鹿をマネージメントできる奴が私以外にいるとでも思うか?」
「え? マネージメント? それって……」
「ふん……腐っても政財界で知らぬ者なき名家、北条家の令嬢が最底辺まで落ちたんだ。喜んでる奴ぁ多いだろうさ。」
「そう……ね……」
「だからこそ、次の映画は面白くなるんだとさぁ?」
「そう、なの?」
雅子に映画のことなど分からない。ローマの休日や風と共に去りぬなど古い映画しか見たことがないからだ。
「まあ余計なこたぁ考えなくていいさぁ。面倒なこったが、あんたの身ぁ私が面倒見てやんよ。」
「そう……あ、ありが……と……」
「けっ、その顔で言われても気持ち悪ぃんだよ! ほぉら着いた。ここが静香の家だ。車を降りたらあんたは口ぃ開くな。分かったな?」
「分かってるし……」
その家は雅子の主観によると、人生の大半を過ごした実家よりかなり立派に見えた。値段を付けたなら雅子の実家の方が数十倍も高いのは間違いない。敷地面積も広く、純和風の建物は歴史の生き証人とも言えるほどなのだから。
だが静香の家は高い塀に囲まれており、あちこちに防犯カメラや正体不明の機械が見え隠れしている。実際のところ目に見える機械は全てダミーであり、本当の防犯カメラなどは見えないように超小型の物が使われている。
そのような事情が雅子に分かるはずもないのだが……
分からなくても雅子の心には静香に対する敗北感が充満していく。
成績でも、殺し合いでも、財産でも、そして美貌でも。もはや何一つ静香に勝てるものがない現実をじっくりと再確認していた。
そして、朝比奈に言われるまでもなく、門の前で……
靴を脱ぎ、自然と膝を着き……
土下座をしていた。
額を地面に打ち付けて……
「へぇ。いい心がけだねぇ。そのまま動かず待ってなぁ。」
もはや雅子には朝比奈の声すら聞こえていない。ただ、この心のままに身を任せるだけだ。
朝比奈が玄関横の呼び鈴を鳴らす。
「ああ、静香かい? ちょいと玄関先まで出ておいでぇ。」
突然の訪問、突然の物言いだが、二十秒もしないうちに静香は出てきた。
「朝比奈さんどうし、っ……」
「こういうことさぁ。こいつぁ今日出てきたのさぁ。どうする静香ぁ? このまま殺してもいいんだよぉ? なぁに心配するな。死体なんざ私がきっちり処理してやるさぁ。」
土下座する雅子の頭を踏みつけながら朝比奈は言う。
そして静香は、何も言わない。
「いいのかぁい? 奥様からも言いつかってんのさぁ。こいつは殺してもいいってさぁ。もうすぐ卒業だろぉ? ここいらでスカッとしときなぃ?」
それでも無言を貫く静香。微動だにしない雅子。
「いいんだね? これが最後のチャンスだよぉ? 何も言わないってこたぁ……このクソ女を許したと見做す。いいんだねぇ?」
ゆっくりと首を縦に振る静香。
「へっ、とんだ甘ちゃんだねぇ。静香らしくていいけどさぁ。じゃあまたな。卒業式には迎えに行くからな。」
そう言って雅子の襟首を掴み引っ張り上げた朝比奈。
ほんの一瞬だけ、静香と雅子の視線が交差する。その時お互いが何を思ったのか……余人に窺い知れることではなかった。
何より、この二人の人生がこの先交わることなど二度とないのだから。




