9 どうして父の写真が?
階段を下りたところは客間になっていて、その奥が台所だった。食器がふれあう音や、ゲールがジーンに話しかける声が聞こえる。清良は一人では入っていきにくくて、客間にたたずんでいた。
ふかふかのじゅうたん、花柄の壁紙。大きなテレビ、ソファ、足置き台、カップボード。横長の大きなソファには、太い毛糸で編んだカバーと、同じ毛糸のカバーがかけられたクッションが置いてある。テレビの前にはロッキングチェア。清良は、ミリーがその椅子に座って、テレビを観たり、ソファに座る子どもや孫たちと会話を交わす姿を思い浮かべた。
カップボードの上には、ミリーをめぐる家族写真が、大小さまざまなフォトフレームに入ってたくさん飾られていた。マリーの家族はすぐにわかったが、他にもたくさんの子どもたち、大人たちが写っていた。大家族である。
その中に、和紙でできたフォトフレームがあった。そこに写っているのが、清良の母だということはすぐわかった。背中ごしにミリーの家が写っている。母の横には男性がいて、男性は小さな女の子を抱いていた。その女の子は…小さいときの清良だった!
ということは、この男性は父だ。おぼろげな記憶だが、父だということはわかった。そして、私はこの島に小さいころに両親と来た…この写真がそれを証明している。清良は写真を手に取り、食い入るように見つめた。
父と母は、清良が五歳の時に離婚している。以来、父とは会っていない。生きているのは確かだが、どこにいるかはわからない。お父さんはどこにいったのと、小さいころに聞いたことがある。母は「遠いところ」とだけ答え、「でも、いつか帰ってくるわ」と答えた。
今になってみれば、父を恋しがっている清良に、気休めを言ったのだとわかる。それなのに清良は無邪気に「お父さん、帰ってこないねー」を何回言ったことだろう。そのたびに母の顔がくもるので、清良はだんだんと口にしなくなった。「いつか帰ってくる」ということは「もう帰ってこない」を意味するのかもしれないということも、だんだんわかってきた。
清良は、両親に何があって、どちらが悪くて離婚になったのか、知らないので、恨みもない。ただ、本当はいるはずの人が家にいないという、どうにもしようのない、ぶつけようのない寂しさ、むなしさ、いらだちは、たえがたかった。そんな気持ちで私がいたこと、お母さんは何となくは気づいていただろうけれど、当のお父さんにわかるはずもないね…。清良は笑顔でほほえむ、写真の父に訴えた。
「あら…その写真…」
気づくと、マリーが下りてきていた。
「セーラは三歳だったかしら、このとき。覚えてる?」
清良は首をふった。
「そうよねえ…三歳ですものねえ…」
マリーはそう言って、清良を台所へうながした。テーブルにはティーポットとティーカップの他に、サンドイッチやケーキ、クッキーなどが置いてあった。ゲールはもう、クッキーをうれしそうにほおばっていた。
「さあ、どうぞ」
ジーンがお茶をカップに注いでくれる。
「ありがとうございます」
清良が席につくと、勝手口から大柄で赤ら顔の男性が「よお!」と入ってきた。Tシャツに、作業用のズボン。土がついて汚れている。清良に目をとめ、
「おお、噂のセーラだね! ツキノかと思ったよ、それにしちゃあ若いなと思った、はっは! ツキノは元気かい」
と元気よく言った。清良は立ち上がって、「はじめまして。母は元気です」と握手した。日に焼けて、皮が厚くてかたくて、清良の二倍もあるかのような大きな手だった。
「そんなにかしこまらんでいいさ。とってくわんから」
そういって豪快に笑い、「どうだ?」と小声でマリーたちに尋ねたあと、階段をあがっていった。
「私たちの兄のタイソンよ。交代で母さんの様子を見ているの」
マリーが説明してくれる。ミリーには子どもがなんと十人もいる。男六人、女が四人。マリーは九番目、ジーンさんは五番目だ。近くに住むきょうだいたちは、交代でミリーの付き添いをしてきた。長男、次男は、カナダのトロント、アメリカのボストンと、島を出ているが、死期が近い知らせを受けて帰ってきていた。
ジーンは清良に気を使って、清良の母の話をしてくれた。清良の母が会社をやめてこの島に来て、英語を勉強していたこと…その時はシャーロットタウンに住んでいたが田舎に住みたいとステイ先を探していたこと…英語を教えていた先生がミリーの娘で、その縁でこの家に住むことになったこと…子どもがみな巣立ったあと、夫が亡くなり、一人暮らししていた母ミリーは、清良の母を実の娘のようにかわいがったこと。一年間この家に住んで家族の一員と見なされていたこと…。
「そうそう、よくショーも連れてきたわ。セーラのお父さんよ。ショーはキャヴェンディッシュの観光案内所で働いていて、そこでツキノと知り合ったのよね」
「車を持ってなかったから、いつも自転車で来てたわね」
「日に焼けて、真っ黒だったわね」
ショー。清良の父、彰一のことだ。父が、この島で働いていたなんて。そして、ここで母と知り合ったなんて…。
小さいころ自分がこの島に来ていたことといい、父と母の出会いといい、初めて知ることばかりだ。父も、母も、そして自分も、やはり、この島でつながっていた。清良は急にいろいろな情報が入ってきて混乱してしまい、何も考えられなかった。
あんなに知りたかったことなのに、時々、あいづちを打つのがやっとだった。こんなに一気に教えてくれなくなっていいじゃないか。待って、待って…一度整理させて…!
ゲールが客間でテレビを観ようと誘ってくれたのがうれしかった。清良はついていき、アニメ…それも日本生まれのポケモンだった…をぼんやりと見ていた。
「ショーは、まだ帰ってこないの…」
「ええ…。ツキノもつらいわね…」
「あんなことが…」
「もう、払い終わったんじゃ…」
マリーたちはテレビの音で聞こえないと思ったのかもしれないが、清良にその会話は聞こえていた。帰ってこないの、ってどういうこと? 二人は離婚したのだから、帰ってくるはずはないのだ。でも…小さいころ母が言ったように、父はやはりいつか帰ってくるのだろうか。あんなこと…払い終わる…って、やっぱり別れた原因はお金なんだろうか。
清良の頭はずきずきした。一人になりたい…。清良は、丘の向こうの海まで散歩にいってもいいか、マリーにたずね、外に出た。