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念いのかけら  作者: 奥田実紀
3/26

3 訳者が違うと…

「それで…お母さんはなんて?」

「なにを言ってるの、ちゃんと第二赤毛のアンって書いてあるわ。書いた人も、ルーシー・モンゴメリ、って、おんなじ人じゃないの、って。そればっかり。

仕方がないから、私、学校の図書の先生に聞きに行ったの。赤毛のアンの続きって書いてあるけど、なんだか違うみたいだ、私のアンじゃない、って。私が知ってるアンは、このアンなんです、って、自分が持ってる『赤毛のアン』も持っていって見せたの。

 先生は二冊を見比べて、あなたのアンはこっちかもしれないわね、って、『アンの青春』を探して持ってきてくれた。それは私が持ってる『赤毛のアン』と同じ大きさで、挿絵を描いた人も同じ人だったの。

先生が、同じ訳者の本だから、って。それで訳者がいるってわかって、その本の訳者が瀬川さんのお母さんだってことがわかって…。あ、その時は瀬川さんのお母さんだなんて当然知らなかったわけだけど…」

 須藤が清良に笑いかけ、清良も笑った。同じ本が、違う出版社から、違う翻訳家の訳で出版されるのはよくあること。小学生低学年、高学年、中学生と、対象年齢が違えば、表現に使う言葉も変わるのは当然だ。清良は母から「この言葉、わかる?」とよくたずねられたものだ。

「まさか、須藤さんのお母さん、大人向けのアンを買ってきたとか?」

 と清良がきくと、須藤は「いくら私が幼いからって、それに気づかないほどのバカじゃないわよ」と声をたてて笑った。弾んだ声だった。

「ちゃんと、小学生向けの本だったわよ。でも、違ったの。先生が貸してくれた『アンの青春』は、私のアンだったんだもの。びっくりしちゃったよ、新しく別の話を読んでいるかと思っちゃった。それくらい、雰囲気も、言葉遣いも、違ってたってことよね。大人になったアンが、私が思っていたアンが、その本にはちゃんといたんだよ」


 清良も、さまざまな出版社から出ている同じ物語を読んではきた。母が仕事柄、あえて揃えていたからだ。しかし、翻訳者が違うからといって、物語全体の印象がまるで違うという経験はなかった。いや、気にしていなかっただけなのかもしれない。須藤の話はとても新鮮で、清良はへえーっと、何度もあいづちを打った。


「だからね、瀬川さんのお母さんは、ただ訳しているんじゃないって思うんだよね…他の人が書いた小説なんだけど、誰が訳しても同じじゃないと思うの。実際、私は違う小説に感じたわけだし…瀬川さんのお母さんじゃない訳の『アンの青春』を気に入らなかったわけだし…うまくいえないんだけど…翻訳って、つまらないお仕事じゃないと思うよ…」

 須藤は一生懸命説明していた。清良はそれを素直に受け入れた。気の強い清良は何か言われるとすぐに反抗的になってしまうのだが、須藤の言いたいことは伝わったし、そうかもしれないと確かに思えた。


「考えてみれば…私、はたから見てるだけで、自分で翻訳なんてやったことないんだよねー。偉そうなこといえないよねー。自分でやってから批判せよ、だよね?」

 清良はぺろっと舌を出してみせた。須藤はうなずきながら、目を細めた。

「瀬川さんって、どこかアンに似てるかも…」

「えー?! アンって、かわいくなくて、おしゃべりなんでしょ。やだー」

 読んだことはないが、おおまかなあらすじくらいは知っていた。

「確かにおしゃべりだけど、すごくいい子だよ。前向きで、元気なの。それに、かわいくないわけじゃないよ、見る人によってはアンのこと美人だっていう人もいるし。瀬川さんは、アンみたいに元気で明るいよ。うらやましいくらい」

 須藤はふっと暗いまなざしになった。うらやましい? 私が? 

「やだなー、冗談ばっかり。美人で、やさしい須藤さんからそんなこと言われると嫌みに聞こえちゃうよ」

 清良は須藤をこづいた。もちろん、嫌みになんて聞こえてはいないのだが、照れ隠しだ。


「美人より、元気なほうがいい」

須藤はつぶやいた。

「病気なんかより…」

くちびるをかみしめる須藤。病気…? もしかして、この間の貧血? 貧血って、病気なの? 答えあぐねている清良に、須藤は静かに話し始めた。

「私ね、溶血性貧血っていう病気なの。先天性。お薬ももらってるし、入院しなきゃいけないほど重くはないんだけどね…でも、時々学校で倒れたりなんかすると、情けなくて…自分でどうすることもできないんだもの…」

溶血性貧血。ただの貧血じゃなくて、病気なんだ…。それでわざわざお母さんがこの間迎えに来たんだ…。全然知らなかった…。知ったからといって自分がどうこうできることでもないのだが。


「こんなこと聞いて、瀬川さん、困っちゃうよね。ごめんね。同情してもらいたいんじゃないのよ。ただ、知っててほしかったの。知っててくれればそれでいいんだ。

――ね、これからも本の話、してくれる?」

 須藤はぱっと明るい話題に切り替えた。清良はもちろん、須藤ともっと仲よくなりたかったから、「もちろん!」と顔を輝かせた。

「じゃあ、記念にこれ、貸してあげる」

 須藤はカバンから『赤毛のアン』を取り出した。

「読んだことないなら…読んでみてほしいんだ」

 母が訳した『赤毛のアン』。今日までそのことを知らなかった私。なぜか、家の書棚にない『赤毛のアン』。清良が少しためらっていると、「いや…?」と、須藤が心配そうに清良をうかがう。

「ううん! でも、大事な本でしょ…」

「いいの。瀬川さんになら」

そのとき「きくー」と、遠くから、ジャージ姿の女の子が呼んだ。須藤の演劇部の友だちだった。

「いつでもいいから」

 須藤はそう言って本を清良に渡すと、軽やかにかけていった。


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