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念いのかけら  作者: 奥田実紀
26/26

26 失恋

もうすぐ新学期が始まるという頃、須藤から誘われて清良は須藤の家に遊びに行った。病院に隣接して建っている一軒家。これみよがしの大豪邸ではない。和風の、落ち着いた二階建てで、控えめな須藤の家柄が感じ取れる品のよい家だ。祖父母と同居していて、妹も含めての六人家族。

中学になってやっと一人部屋をもらったのをきっかけに、須藤は部屋を洋風にかえてもらった。花柄の壁紙、無垢材の床。ベッドにはパッチワークキルトがかかっている。まるで赤毛のアンの部屋のようだ。紅茶とお菓子をお盆にのせて、須藤が部屋に入ってきて、二人でじゅうたんに座って向かい合う。

「この間ね、行ってきた…」

 谷崎の家に行ったことを話したいのだなということはわかっていた。清良は黙ってうなずく。

「お線香をあげさせてもらって…。写真の谷崎君、笑ってた。私と一緒にいる時とおんなじ笑顔…。須藤さん、って、声が聞こえた気がして…一瞬、死んじゃったことを忘れてしまった…。でも…黒い額縁が、谷崎君の死を私に思い出させるの…あの黒い額縁が…」

 須藤はその額縁をにらんでいたんじゃないかと、清良は思った。湧き上がる悲しみを怒りに変えなければ、やっていられないというように。


「お兄さんが、谷崎君のお部屋に連れて行ってくれて…。出かけて行ったその時のままにしてあるって。そして、何も言わずに部屋から出て行って、私を一人にしてくれたの。ありがたかった…。ずっとそばにいられたら、私、どうしたらいいかわからないもの。

 脱ぎっぱなしになっている洋服や…口があいたままのカバンや…。机の上に雑に置かれている教科書やノートや…。谷崎君が撮った写真が壁に何枚も貼ってあって…。缶ジュースも置いてあったよ…。そっと触ってみた…谷崎君がそれに触れていたって感じたくて…。私と一緒にいる時に飲んでたのと同じジュース…」

 須藤はこらえきれずに声をつまらせた。ポト、ポトっと、涙がほほをつたう。清良は黙っていた。余計なことは言うまい。話したくないなら話さなければそれでいい。私は、一緒にいる。すべてを受け止める。


「椅子に座ってみた…。ここに座って、ジュースを飲んで、何を考えていたのかなあ、って。教科書にまぎれて、『赤毛のアン』の本があったの。それみたら、もう、私、我慢できなくなって…泣いちゃった…。私が好きな本を買ってくれてたんだって、嬉しくて…。

 読んではくれたのかなって、どうしても、本を開いてみたくて…いけないって思ったけど…本を引き出して手に取ってしまったの…」

 自分もきっとそうしてしまうだろう、と清良は思った。「パラパラっとめくったら、写真がはさんであった…。私と…谷口君の写真が…」

「えっ!!」

 それじゃあ…。


「一緒に写真を撮ったことはなかった。私の写真は撮ってくれたことがあって…。その写真と、自分の写真を切り取って、テープで張りつけてあったんだ…」

 二人が並んで一緒に写真に写っているように、切り取って貼りつけた…。それって…やっぱり…キクのことが好きだったってことじゃない。

「私…本ごと抱きしめながら、わんわん泣いてしまった…止められなかった…。どうして…どうして…」

 どうして、好きって言ってくれなかったの。どうして、好きだって自分から言わなかったの。どうして、死んでしまったの。いろんな思いが交錯して抑えがきかなくなった。清良は須藤と一緒に泣いていて、須藤のそばに寄って抱きしめた。

「両想い…だったんだね…」

 清良は泣きながら須藤に話しかける。須藤は小さくうなずく。

「行って…よかったね…」

 何度も、何度も、須藤はうなずいた。


「泣いてたらね、私をふわっと包むあたたかい感じがして…。谷崎君が、いる、って…感じた…。感じたよ…」

 清良と須藤はしばらく抱き合ったまま、泣いた。

「私…清良…私…私…どうしてもその写真が欲しくて…と、取ってきてしまった…。私…いけないこと…してしまった…」

 須藤はそう言って、その写真を清良に見せた。切ったのがわからないくらい、きれいに切り取って上手に張りつけてある。二人とも、笑って肩を並べている。弟は谷崎に確かによく似ていた。好きだと言えなくて、一緒に撮ろうと言えなくて、精一杯できたことが、写真を貼り合わせること…。これは、二人の写真で…取ってきてしまったことはよくはないけど…その気持ちは痛いほどわかる。

「きっと…私がキクだったら…同じことしたよ…。キクが持ってていいと思う…」

 そう言っても、やはり胸はちくりと痛む。

「でも…黙っていれなくて…私…帰りに駅まで送ってくれたお兄さんに…別れ際、打ち明けたの…。そしたら、君以外の人が持ってるべき写真じゃないだろう、って言ってくれた…」

 谷崎がそう言ったのか…。そうだよね、それでいいんだよね。谷崎は、もし自分がこれを先に見つけてたら、須藤に渡したよ、とも言った。両親が見つけてたら、相手が誰かわからなくて、弟の気持ちを思ってもっと悲しんだと思う、と。

「盗んだと思って気がとがめたんだね、言ってくれてありがとう。君はやさしい子なんだね、弟が好きになったのがわかるよ、って、お兄さんが。慰めてくれただけだと思うけど、うれしかった…」

「うん」

「それでね、もしおれに彼女がいなかったら、君のこと好きになっちゃうかもなあ、って、冗談めかして笑わせてくれた。いい人だよね…弟思いの、本当にいい人…」

 須藤は写真をいとおしそうに指でさすった。


そのあと須藤が何か言ったようだったが、清良の耳には聞こえていなかった。景色がぼんやりとしてきて…かすんでいく…。あ、あれ…。私、どうしたんだろう…。清良は硬直して動けなかった。

「どうしたの?? 清良? なんで泣いてるの??」

 須藤が困惑した顔で清良に話しかける。泣いてる?? あ、私、泣いてる…。なんで心臓が痛いんだろう。“もしおれに彼女がいなかったら…”。ああ、谷崎には彼女がいたんだ…。また心臓が激しく動く。そうか…私…谷崎のことが好きだったんだ――。


 須藤の家でさんざん泣いて、清良は泣き疲れて家路についた。母が珍しく、夜ご飯を作っていた。仕事が早く終わったのだろう。おかえり、と、元気よく清良を迎える。

「たいしたもの作ってないけど…ま、いつものことか。そうめん、具だけはたくさん切っておいたよ」

 清良は力なく、椅子に座り込んだ。頭の中は真っ白だ。泣きはらした目で、放心状態の清良に母はびっくりした。「どうしたの??」

 慌てて駆け寄る母に、清良は我慢できずに気持ちをぶちまけた。

「失恋…しちゃった…」

 そう言って、またわんわん泣いた。初めて聞いた恋バナ。こんなに取り乱した清良は見たことがない。母はおろおろした。奥手だと思っていたが、清良もちゃんと好きな人がいたんだな…。母はすぐに気持ちを切り替え、清良を抱きしめた。思いはためないで出し切ることだ。


 しゃくりが収まり、清良がやっと顔をあげた。母は清良の頭をぽんぽんとやさしくたたき、そうめん食べよ、と言った。清良は母と二人でそうめんを食べ、悲しい時でもおなかはすくんだなと心で思った。

食べ終わると、母が「裸の王様」に行こう、と清良を誘った。裸の王様というのは、近くを走る高速道路にかかる高架橋だ。車の騒音で隣りを歩く人の声も聞こえないほどだから、そこで大声を張り上げても、誰にも文句を言われない。母はうっぷんがたまると、時々ここへ行って、大声で汚い言葉を叫んだり、歌を歌ったりしてストレスを発散していた。

 二人は黙って「裸の王様」まで歩き、ゴウゴウという車の排気音の中に立つ。

「ばかやろうーーーー!」

 母がおもむろに大声で叫ぶ。いつもならそんな声を出さない母だが、ここに来る時は何に気兼ねをしなくていい。すごい大声なのだろうが、車の騒音にまぎれてちっとも気にならない。すっきりした顔になった母は大きく伸びをして、清良の背中をぽんと押した。

「ばかやろうーーー!」

 清良も母に続く。「ばかーーーばかーーーばかーーー!」

 清良は声を限りに叫んだ。ばか、と叫んでいるのは自分に対してだ。谷崎は何も悪くない。谷崎に彼女がいるってわかって、好きだったことに気づくなんてどんだけ自分は鈍感なのか。笑える、情けない、そして最後に、思いが叶わない悲しさが襲ってくる。

清良はまた大声で泣いて、叫んた。それで全部が吹っ切れるわけではないのはわかっていても、夢中で泣いて、叫んだ。

母は「大丈夫、大丈夫…」そう言って、清良を抱きしめた。失恋のひとつやふたつ、みっつやよっつ、みんなあってそれを乗り越えて大人になるんだよ、なんてことは言ったところで意味はない。胸の痛みはすぐには消えない。大丈夫、なんとかなる。いつかきっと、思いが届く人が現れる。今は、我慢しないで感情を出す。それだけでいい。


 清良はその夜、眠れずに、ベッドで丸くなっていた。目の前の壁に、文化祭で描いた絵が飾ってあった。「りんごの夢」。りんごの白い花が咲き乱れる木の下で、老女と少女が手をつなぎ、遠く青い海と灯台を見つめている。後ろ姿であっても、二人が笑っているのがわかる。二人は幸せだ。

まばたきをすると、絵の中の少女が、走り出したように見えた。海へ向かって、振り返らずにかけていく。追いかけていきたい…。私も、海へと走っていきたい。


――この木は、だれもそばにいないさびしさにも負けない、強い木なんだよ。たった一人で、夢を見続けていくには、自分を信じる強い心が必要なんだ。だからあなたも、自分を信じて夢を見続けるんだよ――


 そう孫に話したミリーは、もうこの世にはいないが、(おも)いのかけらを残していった。私もそれを受け取った一人。かけらを受け取ったのなら、そこにとどまっていてはだめだ。

 絵の中の少女は――私。つないでいた手をほどいて、歩き始める。老女との別れはつらい。でも、行かなくてはならないとわかっている。歩みは、だんだん早くなり、走っていることに気づく。悲しくて泣きながらでも、走りをやめることはできない。

走って、走って、何かをつかむんだ。もちろん、今は前向きになんて、なれないけど、それでも前へ。念いのかけらをしっかりと握っていくのだ。


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