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念いのかけら  作者: 奥田実紀
22/26

22 父、帰る

清良は父に、その日、自分と一緒に母のもとに行くのを約束させた。父はいったん仕事に戻り、約束通り、待ち合わせ時刻に校門へ現れた。母よりも先に、いろいろ聞きだすのはよくないと思い、一番知りたいことだけを父に聞いてみた。本当に、これから一緒にずっと住むのか、と。

父は目を伏せ、ゆっくりと言った。

「もし、月野が許してくれるなら…」

「許すもなにも、お母さん、ずっと待ってたんだから」

「…。長く待たせちゃったからな…」

 お父さんの声には元気がない。とにかく、お母さんと会ってほしい、話してほしい。今までのことも、これからのことも。大事なのは、これからのこと。


 玄関を開けて中に入る。入るのをためらっている父を後ろから押して中に入れる。スリッパを出し、電気がついているリビングへと父をひっぱっていった。母はいつも通り、自分の部屋で仕事をしているのだろう。清良は母の部屋をノックして中に入ったが、母の姿はなかった。

「ただいまー」

 スーパーの袋を下げて、母が帰ってきた。そして、リビングに立っている父とはちあわせした。清良が急いでリビングへ向かうと、父と母は無言のまま、見つめ合っていた。バサッ。母の手から買い物袋が落ちる。そして、全身の力が抜けたように、しゃがみこんだ。父がかけよって、肩を抱く。

「ほ、ほ、本当に…」

 母が涙をためた目で父を見る。うん、うんと、父がうなずく。

「ごめんな…ずっと…ずっと…」

 父はぎゅっと母を抱きしめた。「本当に…ごめん…」。


母が落ち着くまで、二人はそのまま座り込んでいた。母が落ち着いたところで、父がゆっくりと土下座し、

「月野…長い間、申し訳なかった」

 と、頭を床にこすりつけて言った。「許してほしい…なんて虫がよすぎるかもしれないが…許してほしい…」。

 母はゆっくりと父の腕を取って父を起こして、しっかりと顔を見つめた。

「ばか。約束したじゃない。待ってるって」

 父の顔はくしゃくしゃになった。「あ、あり…がと…」父の目にも涙が光っていた。


 黙ってそばで見ていた清良に母が気づいた。恥ずかしそうな顔で、「お父さん…が…」と清良に話しかける。

「うん。一緒に来たんだ。今日、文化祭に来てくれて、そこで会ったの」

「え?え?そうなの?」


 その日のことは、テーブルに座って、話した。清良に会うつもりで文化祭に行ったわけではないが、自分の名前が呼ばれたので振り返ったら、騒動が起きていたこと。清良の学校の文化祭には毎年こっそりと来ていたこと。すでに借金は返済済みだったが、申し訳なくてなかなか連絡できなかったこと。今は事務機器メーカーでサラリーマンとして働いていること。二つ隣りの駅のそばのアパートに住んでいること。

 母からは、今まで父親のことを隠してきたこと、ついこの間、それがわかって、別居の理由を全部話したこと。プリンス・エドワード島のミリーが亡くなって、清良も島に行ったこと。間に食事をはさみながら、三人は少しずつ、話した。


「そうか…ミリーは天に召されたんだね…」

 父は当時を懐かしむ目で、ミリーの話を胸に刻み込んでいた。もう一度会いたかった…。

「あの絵…清良はあのりんごの夢に、実際に行ったんだね。とてもいい絵だった…」

 父にほめられ、清良は照れくさかった。三年間、内緒で文化祭に来てくれていた父。自分が毎年展示していた絵を見てきて、最後の文化祭ということで、意を決してあの感想を書いてくれたのだろう。おせじでもうれしかった。母は、明日、見に行くと言った。


「将来は、美術の方へ進むつもりなのかい」

 はっとした。先のことなど、考えたこともなかった。母も、驚きの表情をした。そうだ、そろそろ、進学のことを――将来のことを真剣に考えなければならない。夏休み明けには、進路希望を出さなくてはならなかった。

「全然、考えてなかった…」

 と言う清良に、父は、将来のことは大事なことだからしっかり考えないといけないね、と言った。みんなが行くから行く、みんなが普通科だから普通科に行く、っていうのは賛成しないな…高校は義務教育じゃないからね…。清良は母と顔を見合わせた。確かに、そうはそうなのだが。


 終電の時間が迫っていた。父は名残惜しそうに立ち上がった。泊まって行ったら、という言葉は母の口からは出なかった。突然だったので、部屋が散らかっている。母娘がやっと暮らせるだけの部屋数しかなかった。それは父にもわかっていただろう。それに、父の方に、泊まっていけない理由があった。

 とにかく、このアパートは三人で暮らすには狭すぎる。この先どうするか。それは翌日の夜にまた話し合うことになった。


 連絡先を交換していた両親は、少し電話で話し合ったようで、翌日の夜にはだいたいの方向性は決まっていた。父のアパートも三人で住むには狭いので、新しく住む場所を探さなくてはならない。清良がこれから受験になるので、引っ越すのは高校が決まってから、来年の三月頃がいいのではないか、ということだった。もちろん、清良の意見を聞いて、いやなら変えるから、と母。自分たちだけで決めていないよ、ということをしっかりと清良に伝えた。

 すぐに三人で暮らせると思っていた清良は、少しがっかりした。父は、ちょくちょくここに来るし、清良さえよければ、自分のアパートに泊まってくれても構わない、と言ってくれた。

「ぼくがここに泊まることはできないから…。その…大事な家族がいるから…」

「え?」

 大事な家族?? 母と清良のけげんな顔に、父はあわててつけ足した。

「あ、犬だよ、犬。犬を飼っているんだ。捨て犬を見捨てられなくてね…」

 犬! ずっと飼いたいと思っていた。このアパートはペット不可なので、ずっと母には黙っていたけれど…。清良は猫よりも、犬派だった。

須藤は猫派で、家に猫を二匹飼っている。名前は「ダスティ」と「ミラー」。『アンの愛情』に出てくる猫の名前をふたつに分けたのだという。清良は島から帰国後、アン・シリーズはまだ二巻目の『アンの青春』までしか読めていなかった。清良が犬派だというと、犬も出てくるわよと教えてくれた。アンが母親になってからのお話だが、マンディという忠犬が出てくると聞いて、早く続きを読みたくてたまらなかった。

「なに犬?」

 清良が聞くと、捨て犬だからね、雑種だよ、と父。名前は――マンディ。

「マンディ!」

 清良が喜びの声をあげる。

「『アンの娘リラ』に出てくるマンディから取ったんだ。月野、犬を飼うならマンディって名前にしたい、って言ってたよね」

 父は、母に笑いかけた。


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