18 自分を信じる
つらい時に、幸せだった時期を思い出したくないという母の気持ちは、清良にはわからなかった。
「…だからって…だからって、私に全部隠すことないじゃない…。私が…どんなに寂しかったか…わかる…? 何にも話してもらえなくて…どんなに嫌だったか…」
清良は自分の思いを母にぶつけた。母は驚きを隠せなかった。
「だって…清良はまだ小さかったし…いつか、時期がきたら…話そうと…」
「時期っていつ? 小さくたって、ちゃんとわかるんだ。それに私、もう十五歳だよ!」
清良は泣きそうになるのを必死でおさえた。手がふるえている。母は清良の手にそっと自分の手を置いた。
「ごめんね…お母さん…清良のこと…わかってなかった……」
仕事に夢中で、娘の気持ちに、娘の変化に気づかず、見過ごしてきてしまった。しっかりしている清良に甘え、なんでもわかってくれると思い込んで放ってしまった。自分のことにいっぱいいっぱいでも、許されることではない。
「謝っても…取り返しがつくことじゃないけど…ごめんなさい……。つらい思いをするのは自分だけでいいと思ったの…でも、結局は清良につらい思いをさせてたのね…だめな母親ね…」
母のほほを、涙がつたって落ちた。だめな母親だなんて清良は思ってはいない。ただ、何でも隠さず言ってほしかった。それが、いいことであれ、悪いことであれ、母との間に壁がなくなって、つながっていたかった。他に誰もいない家の中で、つながりという安心感がほしかっただけ。
「これからは…話してよ…二人しかいないんだから…水くさいのは嫌だ、それだけ…それだけだよ」
清良は自分を責めている母に、一生懸命自分の気持ちを伝える。
「お母さんががんばってるの、わかってるよ…お母さんのこと…好きだよ…だから、よけい、隠し事は嫌だったんだ、のけものみたいな気がして」
母は清良の顔をやさしいまなざしで見つめた。言葉は出なくて、何度もうなずく。清良が心なしか、大人びて見えた。清良がほほえむと、母もやっと笑顔になる。
そのあとは、ミリーの話をした。ミリーは翻訳家になりたいという母の夢を応援してくれたそうだ。諦めずにまずはやってみなさい、と。自分を信じて努力してみなさい、と。やってみてもしだめだったら、諦めがつくでしょ。やらないで怖がってたら進めないわよ…。
父が友人の借金を背負い、家を出て行ったときも、父を信じて待ちなさいと励ましてくれた。ミリーは母のことを気にかけ、見守っていてくれた。遠くはなれていても、いつも思っている、信じているからと。ミリーの最後の言葉を、母はわかっていた。
「きっとその言葉を言って亡くなると思ってた…ミリーの信条だったもの…みんなに言っていたわ…最後まで彼女はその言葉のまま生きたのね…強い人だわ…そして――もう――いないのね…」
ミリーを思い出しながら、母はうるんだ目で空を仰いだ。この空を、昔、何度も見上げた。いつから空を見上げなくなってしまったのだろう。九年という歳月の重みを感じる。
「いなくなっても…残ってると思うよ、念いの…かけらが……」
母はびっくりして清良を見たが、意味をすぐに理解した。念いのかけら。やさしい念いのかけらは、消えずに残っていて、それを感じ取ってくれる人に渡っていくのだろう。
須藤菊子様
島に来てからもう一週間が過ぎてしまいました。なんて早いんだろうと驚いています。クラス新聞のこと、私の代わりにやってくれてありがとう。お母さんが、すごく楽しかったって言ってました。お礼のお土産、ちゃんと買ってあるからね! もち、アン人形! ダイアナのもあったよ、だから一緒に買っちゃいました。とってもかわいいので、私も同じもの、おそろいで買ったよ。
昨日から島の子どもたちはみんな夏休みに入りました。ここは海が目の前なので、毎日のように、海で泳ぐそうです。私も一緒に行ったけど、海の水が冷たすぎて、心臓が止まりそうだったわ(まじで)。こっちの人は平気で泳いでいたけど、やっぱり北国の人は寒さに強いのね。
それよりもなによりも! とうとうグリーン・ゲイブルズに行ったの!!!! もー、感動だったー。アンの部屋はちゃんと東向きだったし、茶色のグロリアのパフスリーブのドレスも、ダイアナとの合図に使ったろうそくも、授業で取った鳥の巣も、ギルバートの頭をたたいて壊れた石盤も、飾ってあったよ! マシュウの部屋はちゃんと一階にあるし、マリラの部屋にはあの、紫水晶のブローチもあったわ。他の、居間も客間も台所も…全部、物語の世界そのままだった! 当時の古い家具を集めて、嘘がないよう細心の注意をもって家全体を整えたそうよ。テーマパークっていうよりも、歴史的な建物なの。
それだけじゃないの、アンが、アンが現れたの、私の目の前に!! もちろん、アンの格好をした女の子なんだけど…あとから聞いたら大学生が夏の間アルバイトで扮しているんだっていうのでちょっとがっかりしたけど…。でもね、やせててそばかすがあって、赤毛で、アンそっくり(本物がどんなかわからないけどさ)なんだもの、興奮しちゃった、わかるでしょ。
外に出れば、恋人の小道の先に森の中の遊歩道があって、小川が流れてて、木の橋がかかってて、小さな花がいっぱい咲いてて…本当にすてきな森よ。おばけの森とは別の、こわくない森のほうよ、もちろん。おばけの森は、薄暗くって、昼間でも確かに気味悪かったわ。アンでなくても一人じゃ通れない。
あー、とにかく、須藤さんも一緒だったら、どんなに楽しいだろうって、思った。いつか、一緒に行こうね!
昨日はカナダデー(建国記念日)で、お祭りがあったの。シャーロットタウンまで車でみんなででかけたんだ。すごい人だった!!こんなに大勢の人がこの島にいたんだ、って、びっくりしちゃった。だって、いつも家の周りで会う人の数なんて数人だもの。ステイ先が田舎だってこともあるんだけどね。カナダの国旗のケーキをもらったし(すごく甘かった!)、カナダの国旗のバッチや旗ももらったよ。須藤さんのぶんももらったからね! ゲームやったり乗り物に乗ったり、コンサート聴いたり。夜は花火があがって、とってもきれいだったよ。
いろいろ話すことがいっぱいあって、書ききれない。帰ってからゆっくり話すしかないね。(お母さんから、ミリーおばあちゃんが亡くなったことは聞いてるわよね。そのことはとても手紙では言えません)
私だけ、一足早く、日本に帰ることになったの。もっと島で遊びたいけど、文化祭が、気になって気になって。お母さんはまだ当分、島でゆっくりしたいんだって。一人で帰りなさいって、冷たくない? 一人じゃ寂しいから、須藤さんがうちに泊まりにきてくれたらうれしいな。残念ながら飛び込めるベッドはないし、ベッドがあったとしても大声を張り上げるお客さんは寝てないから大丈夫よ(このジョークが通じないはずはないけど、もしもの場合は『赤毛のアン』第十九章をすぐに読むこと!)。
じゃあね! アンにどっぷりはまっている清良より。
追伸 手紙の消印を見て。グリーン・ゲイブルズの消印よ! これでこの手紙は永久保存ね!