15 人の痛み
先に頭を下げたのは、谷崎のほうだった。
「あのさ…昨日は、ごめん」
え、なんで?
「おれ、興奮しちゃって…初めて会った子に怒鳴ったりして…悪かった」
「そ、そんな…。あ、謝るのは私のほうだよ…谷崎さんは何も悪くない…。とめるのも聞かずに勝手にのぼって…落っこちて…私っていつも、考えなし。みんなに迷惑かけて…ばかだった…」
清良は、ごめんなさい…と小さくつぶやいてふかぶかと頭を下げた。
「お…おい」
「あんなに怒られて…怒ったまま日本に帰られちゃったら、私、立ち直れない…」
清良はうるんだ目で谷崎を見つめた。気が強いところしか見えなかった子がこんなふうに泣くと戸惑う…谷崎は、マリーの目を気にしながら、
「ちょ、ちょっと歩かない…?」
と清良を外に誘った。「うん…」清良は素直に谷崎についていった。
「へえ…ここからは海が見えるんだな…きれいだな、この眺めも」
谷崎は歩きながら深呼吸をする。清良はこくんとうなずいた。
「あのさ…こんな話、いやかもしれないけど、おれがなんであんなに取り乱したかを話しておいたほうがいいと思う…。さっき瀬川さんも、あんなに怒られて、って言ってただろ。普通ならあんなにならない」
谷崎はそこでいったん言葉を切り、まゆをひそめた。
「すごくプライベートな話で…おれとしては話したくはない。よく知らない君が聞いて、動揺すると思う。だから…やっぱり…」
やめておく…と、谷崎は気持ちを変えた。
清良は知りたくなった。母も、ロバートも、隠しごとをしていた。どうしてみんな、言ってくれない?短気で向こう見ずだけど、子どもではない。ここに来るまでも動揺しっぱなしだったが、一生懸命、理解することはできた。
「…私…聞きたい…。誰にも言わないから…」
清良は体に力を込めて、谷崎を見つめた。谷崎はしばらく黙っていて…ゆっくりと話し始めた。
「おれ…弟を交通事故で亡くしたんだ…この春。友だちと映画観にいくって出かけて、それっきり帰ってこなかった…。酔っ払い運転の車が、信号無視してつっこんできたんだ…即死だった…」
清良の息が止まった。そ、そんなこと…。
「おやじとおふくろの様子といったら…もう、見ていられなかった…狂ったみたいに泣き叫んで…血まみれの弟にいつまでもしがみついてさ…」
谷崎はそこで黙ってしまった。聞きたいと言ったけれど、清良には受け止めきれない重さだった。弟って、きっと私くらい?そんな若さで、自動車事故で死んだなんて…。全身の血がさがっていくようだった。
自分が産んだ子どもが、自分より先に死ぬのが、どんなにつらいか、どんなに苦しいか…。谷崎は、そう言って怒鳴った。清良が落ちる瞬間を目にし、気絶して横たわっている自分と、弟が重なったにちがいない。
ミリーの場合は、高齢で、長い寝たきりの状態があったので、みんなが心の準備ができた。最後のお別れも言えた。だが、谷崎の弟は、ついさっきまで生きていて、笑っていて、そして突然に逝ってしまった。なにも悪いことをしていないのに――。
ふるえる悲しさと怒りが、同時にこみあげてきた。両親や谷崎の、引き裂かれるような心。想像しかできないが、清良は谷崎の心の痛みを少しでもわかろうと思った。悲しみが癒えていない中で、自分がどれほどショックを与えたかに気づき、清良は、恥ずかしくて、情けなくて、泣くしかなかった。
どのくらいたったのだろう。しゃくりあげる清良が落ち着くまで、谷崎は何も言わずにずっとそばに立っていた。そして、ぽつりとつぶやいた。
「……一人で生きてるんじゃないんだからさ……」
清良は目をごしっとこすった。
「向こう見ずも、ほどほどにしろよ…」
「う…ん…」
清良は深く、うなずいた。
「なーんて…説教するほどおれ立派じゃないんだった。ごめんな、えらそうに」
おちゃらけて、場の雰囲気をなごます谷崎。
「ううん…私が悪いんだもん…。ほんとに…」
清良は心の底から、反省していた。