14 気を失う
「まったく…ねえ…」
お茶をごちそうになり、清良はアンドリューの家から帰ろうとしているところだった。思わず、谷崎に対するグチが出てしまう。のこのこやってきて抗議をした自分もばかだが、谷崎はもっとまぬけに思えた。
「悪かったよ…ごめん」
谷崎は決まり悪そうに言った。清良はまだむくれている。
「でもさ、おれ、頼んでないぜ。瀬川さんが勝手に来たんじゃないか」
なんですって、人がせっかく親切にしてあげたのに…という言葉がでかかったが、清良は確かに自分が言い出したことを思い出して、すんでのところでおさえた。じゃがいもの件は、そう、自分が勝手に出しゃばったのだ。
「でも、ま、瀬川さんのおかげで誤解がとけたんだし…ぎくしゃくしてたのがとれて素直に打ち解けられた気がするよ…ありがとな」
谷崎はぺこりと頭をさげ、
「女の子に二度も助けてもらって、情けないな、おれ」
と自分の頭を自分で殴ってから、笑った。面と向かってお礼を言われると、気恥ずかしい。
清良は、納屋のそばの草原が、早くも刈り取られていることに気がついた。刈り取られた草は、切り分けたロールケーキのように固められ、天日干ししてあった。干草塚だ。ここへ走ってくる途中にも、いくつも並んでいた。清良は干草塚を目にするたびに、あの上に立ったら眺めがいいだろうな、気持ちいいだろうな、と想像していた。
「ねえ、あの干草塚にのぼってみてもいい?」
清良が突然言い出す。
「え、なんだよ、急に。あれは遊ぶものじゃないぜ」
軽く受け流す谷崎に、「わかってる。でも一度のぼってみたかったの。気持ちよさそうじゃない?」と、清良は一向にひるまない。
「ちょっとだけ。すぐにおりるから、ね」
そう言って、納屋にたてかけてあったはしごを取って、干草塚にわたした。
「おれだってのぼったことないよ。危ないって」
谷崎が止めるのを聞かずに、清良はずんずんはしごをのぼっていった。
干草塚は思ったより安定していた。草をぎゅうぎゅうに固めてあるので土のようにがっしりしていて、清良が乗っても、へこまず、ぐらつきもしなかった。高さもあって、その見晴らしのよさは、思っていた通りだった。
「わおー、気持ちいいよー」
清良は自分を見上げている谷崎に向かって手を振った。そして、三百六十度回転しながら、美しい景色のパノラマを味わった。
「谷崎さんものぼってみなよー」
そう言って、もう一度下を見た瞬間、強い横風が吹いてきた。清良の髪の毛が顔にかかり、視界がさえぎられた。平衡感覚を失って、体がぐらつく。足は、丸みをおびた干草塚のへりにかかり、すべってそのまま――清良は干草塚から落下した。
谷崎が叫ぶ顔が見えて…思い切り体を打って…そのあとのことはわからない。清良は意識を失っていた。
気がつくと、谷崎の青い顔が、それからアンドリューとリタの顔が現れた。清良はアンドリュー家のソファに横たわっていた。
「ああ、よかった…目を覚ました…」
谷崎は泣きそうな声で言った。清良は体を起こそうとしたが…体にビリビリと激痛が走った。頭も割れるように痛い。
「いたっ! なにこれ…」
清良は叫んだ。リタが氷をつめた袋を清良の後頭部に入れながら、なだめるように言った。
「よかった…しゃべれるわね…。もう、こっちが死ぬかと思ったわ」
「まったくだ。寿命が十年縮まったね。干草塚から落ちたんだよ、覚えてるかい。気絶しちまって…死んじまったのかと思ってあわてたのなんの。すぐに医者に電話して……ソファに運んで…ボブんちに電話して…。もうすぐボブたちが医者連れて来るはずだ」
アンドリューは安心して、聞こえるほど大きく息を吸った。
清良の頭は少しずつはっきりしてきた。風が吹いて、ぐらついて、干草塚から落ちたんだっけ。清良はずきずき傷む体をさすった。谷崎がとめるのをふりきって干草塚にのぼって、落ちた。ほんの軽い気持ちだったのに、みんなに…見ず知らずの人に迷惑をかけてしまった…。清良は自分のしたことを後悔し始めた。
谷崎に目を向けると、
「おまえは…おまえは…」
谷崎はふるえながら清良をにらみつけ、大声で怒鳴った。
「死んだらどうするつもりだ! おまえが死んだら、親がどんなに悲しむか、わかってんのかよ! 自分が産んだ子どもが、自分より先に死ぬのが、どんなにつらいか、どんなにくるしいか、おまえは…おまえは…!」
谷崎の取り乱しようは、こわいぐらいだった。怒りすぎて、それ以上言葉が続かない。ぶるぶるふるえ、そして、目には涙をためていた…。アンドリューとリタも、そんな谷崎に驚き、黙ったまま見つめていた。清良は、なぜ谷崎が泣いているのかわからない。自分を心配してくれて泣いているのか。今日初めて会っただけの私なのに?こうして元気だったんだからいいじゃない…。
谷崎のゆがんだ顔はそういうことを言っているんじゃない、と訴えているようだった。あまりの迫力に、清良は、「ごめん…なさい…」というのがやっとだった。谷崎は何も答えず、外へ飛び出していってしまった。
ボブとマリーはそれからすぐに車でかけつけ、アンドリューたちに何度もお詫びをした。清良は医者に打撲と診断された。入院の必要は今のところはないが、急変することもあるので安静にしているようにとの指示だった。からだじゅうに湿布薬を貼ってもらい、清良は自転車とともに、車で家に運ばれた。谷崎は清良たちの前に現れなかった。
ギャリーも、グレイスたちも心配してくれて、ベッドに寝ている清良を気遣ってくれた。清良はやさしくされればされるほど、自分がばかなことをしてしまったという情けなさにうちのめされた。体の痛みよりも、心の痛みのほうが大きかった。我慢すれば起きあがることもできたのだが、みんなに合わせる顔がなくて、ベッドにもぐりこんでいた。目をつぶると、谷崎の泣き顔が浮かんでくる。よくはわからないが泣かすほどのショックを自分は与えたのだ。胸がちくちく痛んだ。
ちゃんと謝りたい。でも、谷崎は、自分に会わずにこのまま日本に帰ってしまうだろう、私に怒ったまま。そう思うと、苦しくなって、布団の中ですすり泣いた。
体の痛みは翌日にはほとんどなくなり、清良は普通に動くことができた。今日の夜には、母が島に到着する。昨日母からマリーに、今日着くと電話が入ったそうだ。干草塚から落ちたことも、マリーは母に話しただろう。当然、会ったらこっぴどく叱られる…。母は口うるさいほうではなく、温厚な性格だが、怒った時は別人のように激しい。
だが、清良は母に怒られることよりも、谷崎のことが気になって落ち着かず、部屋を行ったり来たりして、部屋の窓から外を何度も眺めた。アンドリューさんの家へ行こうか…。
「セーラ、昨日の子が来たわよ」
階下から、マリーの呼ぶ声がした。昨日の子…谷崎だ! 清良は急いで階段を駆け下りた。が、まだ体の痛みが残っていて、動きが鈍い。よろけながら玄関に降りてきた清良を見て、谷崎は顔をゆるめた。また怒られるのではないかとびくびくしていた清良は、少しほっとする。