12 ミリーの死
翌日は日曜日で、一同は正装をして教会の礼拝へ出かけていった。マリーがミリーのそばに残り、清良もマリーと一緒にいることにした。キリスト教信者ではないので、なんとなく行くのがはばかられた。
ミリーは大勢の家族と会った疲れが出たのか、ずっと眠っていた。あまりにも静かなので、もしかしたら亡くなっているのではないかと清良は心配になってそばに顔をちかづける。かすかな息遣いを聞き取って、ほっとするのだった。時々、苦しそうにうめくこともあって、マリーはそのたびに十字をきる。ミリーの手や顔をやさしくなでて、安心させてあげている。
教会からみんなが帰ってきたころから、ミリーのうめきは途切れることなく続くようになった。牧師がやってきた。部屋に入りきれないほどの家族に見守られる中、牧師が祈りをささげた。清良はいちばん後ろで、手を合わせていた。ミリーは何か言ったようだったが、清良までは聞こえなかった。
ミリーはそれからほどなくして息を引き取った。家族の「おお!」という嘆きと、すすり泣きが聞こえ、清良はそのときが来たのを知った。
棺に横たわったミリーの周りは、白い花でうめつくされた。眠っているようにしか見えないくらい、おだやかな表情をしていた。だが、もう寝息は聞こえない。身体は冷たい亡骸となってしまった。もう、ミリーは苦しむことはない。病院で死を迎える人がほとんどの中で、ミリーはみんなに見守られて自宅で息を引き取った、それは幸せだったといえるだろう。映画に出てくるような、理想的な最期だ。
そう、ミリーは、もういない。死んでしまった。頭ではわかっていても、いざその瞬間に立ち会い、死に顔を目にしても、清良は死を受け入れることができなかった。
ほんの数日だったけれど、清良はミリーと言葉をかわし、ほほえみあい、同じ時を過ごした。ほんのちょっと前まで。それが、一瞬で切れてしまった衝撃に、頭が真っ白になった。母のことさえ、浮かんでこなかった。
その夜、マリーに「お母さんに電話しておいたから」と言われて、やっと気がついたのだった。母は、電話口で大声で泣いたそうだ。間に合わなかったことに、仕事を終えられなかったことに、自分の無力さに。
「こっちに来れるのは水曜日ですって」
マリーは清良の手を握った。清良の目に涙があふれた。あたたかい涙がほほを流れ落ちる。やっと感情が戻ってきた。悲しみ、せつなさ、やるせなさ。いろんな思いがわいてきて、清良はマリーの胸の中で泣いた。ぬくもりが、自分が“生きている”ということに気づかせてくれる。そして、ミリーが永遠に去っていってしまったという事実をますます確かなものにする。部屋の中は、お悔やみに届けられた花々の香りでむせるほどだった。
葬儀は、翌日、教会で執り行われた。ミリーはたくさんの人びとに見送られた。清良はお葬式というものに参列したのも、初めてだった。今回のカナダ行きは、なにもかもが初めてのことばかりである。
テレビで観るような、暗くてどんよりした雰囲気のお葬式ではなかったことに驚いた。黒一色の服を着ている人は少なく、葬儀には似つかわしくないだろうと清良には感じられる明るい色のドレスを着ている人がほとんどである。ミリーが天寿を全うしたということもあるのだろうが、参列者の表情もどこかふっきれている感じで、涙よりも笑顔のほうが多かった。聖書を読み上げ、賛美歌を歌い…と、いつもの礼拝と同じように、葬儀が終わった。
火葬ではなく、伝統的な土葬で埋葬された。清良はただマリーたちのあとをついていくだけだった。言葉も文化も違う国でのお葬式には戸惑うことばかりだった。どうしていいのかわからない。家に戻った時には精神的に疲れてしまった。
「ねえ、セーラ。棺の前で祈ってたでしょう。どうして?」
その夜、マリーに聞かれて、困った。清良だけが、棺に向かって両手を合わせて目を閉じてお祈りしていた姿が気になったのだろう。どうしてと聞かれても、答えようがない。冥福って、英語でなんていうんだっけ? 魂をなぐさめるって、どんな言い方…? わかんないよー。清良は考え、考え、ゆっくり言った。
「その…えっと…ミリーが迷わずにまっすぐに天国に行けるようにって…そのう…家族とか家とかが気になってこの世に思いを残さないように…とか…お会いできてうれしかった…とか…。日本ではみんな、最後のお別れの言葉を言うものだから…いけなかった…ですか…?」
マリーさんは、首を振って、いけないことではないのよ、と言い、
「大丈夫、母さんはちゃんと天国に行ったわ。神を信じる者は、死んだら神のもとへ行くのは決まっているの。迷ったり、思いを残すなんてことはないのよ。神のもとへ召されるのは、幸せで、喜ばしいことなの。だから、亡くなった人に向かって祈るよりも、天国へ導いてくださる神へ向かって祈るの」
清良にもわかりやすい説明をしてくれた。なんとなくわかった。キリスト教では神を中心に、日本では亡くなった人を中心に葬儀をとりおこなっているのだ。
「日本は仏教だろ? 仏教は違うのかい?」
ソファでお茶を飲んでいたギャリーさんが聞いてきたが、清良は違いを説明できるほど仏教のこともキリスト教のことも学んでいない。
「わかりません…ただ、死を喜ぶことはないですね…暗くて、悲しいものですね…」
「そりゃあ、悲しいわ、愛する人が亡くなるんですもの、つらい気持ちは同じよ。だけど、私たちのそういう悲しみも、神がなぐさめ、いやしてくださるのよ」
そこまで一心に神を信じて、祈れることが、愛する人が亡くなった時でも、神に向かって祈れることが、清良はすごいと思った。清良も神様はいるとは思っている。だが、漠然と信じているだけで、神のお導き、とか、おぼしめし、とか、考えたことはなかった。マリーたちのように信じ切れたら、どんなに救われるだろう。
ミリーの安らかな死に顔が浮かんだ。泣かないで…神のみ許にいくのだから…。ミリーはそう言っていたではないか。
清良はその時、亡くなる直前にミリーが何か言っていたことを思い出した。今なら聞けそうだった。
「もし…よかったら教えてほしいんです。ミリーは、最期に何て言ったんですか…」
マリーは気を悪くした様子もなく、とがめるでもなく、やさしく言った。
「セーラにも言っていたじゃない…神を信じ、自分を信じ、自分を愛してくれる人を信じます、って」
あの言葉を…。清良は心の中で何度も繰り返した。
「ミリーが神を信じて、喜んで天国へ行ったのだから…いつまでも悲しんでいたらだめですよね……」
清良が自分に言い聞かせるようにつぶやくと、
「そうよ。神ははげましてくださる。悲しみを乗り越える力を与えてくださるの。ありがたいことよ」
マリーはうなずいた。やりばのない悲しみを受け止めて、はげましてくださるのが神…。思いをぶつけられるところがあるのはありがたいことだ。ありがたい、というよりも、なんだろう、安心、といったらいいか。自分はキリスト教徒ではないけれど、マリーの言葉を聞いて、沈んでいた気持ちが少し軽くなったのは事実だった。