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念いのかけら  作者: 奥田実紀
11/26

11 アップルズ・ドリーム

 翌日もいい天気になった。マリーは子どもたち全員を連れて、ミリーの家へ行った。ミリーは目を覚ましていたが、もちろん起き上がることはできない。それでも、孫一人一人に抱きしめられキスされるたびに、顔に生気がわいていくようだった。

けれど彼らを抱える力は残されていない。言葉を返すのもやっとで、その数は昨日より減っているのがわかった。一日しかたっていないのに、驚くほど衰えていた。  清良には、ミリーが消えてしまいそうに見えた。

タイラーたち男の子に、いつものような元気さはなく、末っ子のゲールさえも、なにかよくないことが起こりそうだと、心もとない。そのぶんグレイスが明るくふるまっていた。

「ねえ、おばあちゃん、セーラは絵を描くのがとっても上手なんだよ」

 グレイスは、手招きして清良のスケッチブックをミリーに見えるように広げた。

「ねえ? きれいでしょう?」

 グレイスはミリーの顔にほほを寄せ、一緒にのぞき込んだ。ミリーは「まあ」と言ったみたいに見えた。口に笑みをうかべて、おだやかに絵を見つめていた。

「セーラ…」

 ミリーがふるえる手を懸命に清良のほうへのばそうとする。清良のほうから近づいてその手をそっと取った。

「すてきな絵…」

ミリーは弱弱しくほほえむ。自分がもう死ぬとわかっていて、こんなにやさしくほほえむことができるのか…清良は笑おうとするけれどうまくできなくて顔がゆがむ。ミリーは孫たちの顔をゆっくりと見回し、手をのばしてみんなの手を集め、自分の手を上に重ねた。

「神を信じて……自分を信じて……自分を愛してくれる人を信じなさい…」

 一語一語、確かめるように、言い聞かせるように、ゆっくりと。孫たち、そして清良の顔もちゃんと見て、そう告げた。これが最後のお別れみたいで、グレイスたちも、清良も、泣き顔になった。

「おばあちゃん…」

 孫たちがしゃくりあげる。

「泣かないの…神のみ許に…行くのだから…」

 ミリーはそう言って、小さくほほえんだ。清良がミリーの笑顔を見たのは、それが最後だった。


 部屋を出た子どもたちは、肩をおとし、悲しみにくれていた。誰も話そうとしなかった。家の中は、なんだかあわただしかった。ミリーの子ども十人と、その家族がその日勢ぞろいすることになっていたので、マリーたちは、その準備で朝から掃除や料理と、立ち働いていた。

子どもたちは無言のまま外に出て、うろうろした。何をしていいのかわからなかった。

「ねえ…りんごの夢(アップルズ・ドリーム)に行こうよ、セーラに教えてあげるって約束したじゃない」

 トッドが思い出したように口をひらいた。

「そうだったわ、あそこに行きましょ」

「また絵、描いてよ、セーラ」

「セーラも気に入るよ」

「こっちだよ!」

 元気を取り戻したグレイスたちは、もう駆け出していた。

「あたしも行くー」

 追いかけたゲールがつまずいて転んだ。清良はゲールを抱き起こし、「一緒に行こうね」と笑いかけ、手をつないで、ゲールの速さに合わせてあとを追いかけた。

 マリーの家を通り越し、舗装されていない赤い道をつっきり、防風林をくぐりぬけていく。海とは九十度ちがう方向。昨日、清良が描いた灯台の方向だ。

森を抜けると、白い小花が規則正しく並ぶ畑になっていた。じゃがいもの花だ。じゃがいものうねの、はるか向こうに、一本の木がたっている。グレイスたちはそこを目指して走っているようだ。ゲールも一生懸命走ってついていく。清良はゲールを見守るようにうしろから小走りした。


しばらくして、グレイスたちが、ここだよと、手を振っているのが見えた。だいぶ遅れて清良とゲールも到着。そばで見ると、木はかなり大きくて、子どもたちみんなが入れるほど大きな木陰をつくっていた。

「ここが、りんごの夢でございます」

 グレイスが、昔の貴族のように、腰をかがめておじぎをした。

「これはこれは、お招きいただき、光栄でござります」

清良も笑っておじぎを返した。タイラーは、

「おばあちゃんのお気に入りの場所なんだよ」

 とうれしそうに言った。

「この木、りんごの木なんだ」

「秋には実がなって、ぼくたちのおやつになるんだ」

 トラヴィスとトッドがぴょんぴょんはねた。「すっぱいけどね」。


 清良は木を見上げ、周りの景色を見渡した。じゃがいも畑は海に向かってゆるやかに下っている。くぼ地も丘のつらなりもなく、岬までまっすぐに見通すことができた。岬は指を立てたように細く長く突き出ていて、その真ん中に筆で描いたような赤い道が一本、のびている。

赤い道を追っていた先には、昨日の灯台が、紺碧の海に浮かぶように、くっきりと建っていた。岬の反対側の海の向こうに、小舟が点のように見えた。家も、林もなく、空と大地と海のつなぎめに、白い灯台がひとつ。手をつないでつながっているようだった。昨日と同じ灯台を、違った角度から見ているだけなのに、表情はまったく違った。


「わあ! 本当にきれいだ…」

 清良は海風を受けながら、足元から、またあのぞくぞくがやってくるのを感じた。

「気に入った?」

 グレイスの問いに、清良は大きくうなずいた。

「ここで、ときどきピクニックするんだ」

 トラヴィスが言うと、すかさずゲールが「ピクニック、したい! ねえ、しようよー」とグレイスのTシャツをひっぱった。

「そうねえ…清良もいることだし…母さんに頼んでみよっか」


 ピクニックの許可がおり、清良たちはお昼をりんごの夢でとった。マリーたちは夜のごちそうを作るのに忙しく、用意してくれたものはサンドイッチ、チーズ、リンゴ、クッキー、ジュースと簡単だったが、食べる場所が家の中と外とでは、まったく雰囲気がちがう。木の根元にチェックの敷き物を広げ、みんなで輪になって座る。もうそれだけで、秘密の匂いがしてうきうきした。

キュウリとクリームチーズのサンドイッチが気に入った清良に、グレイスが自分の分も差し出す。喜んだ清良は、お礼にと、自分の分のツナサンドをあげた。こういう何気ないふれあいが、胸にきゅんとくる。きょうだいがいるって、いいなあ。清良は一人っ子の自分を寂しく感じた。

甘酸っぱいジュースは、マリー手作りのラズベリー水。『赤毛のアン』で、アンは親友のダイアナに、ラズベリー水を出したつもりが、同じ色をしたワインを間違って出してしまう。ダイアナは、酔っ払って帰り、ダイアナの母親はかんかんに怒って、アンとのつきあいを禁止してしまうのだ。

これがそのラズベリー水か…。清良は、ガラスに注がれたラズベリー水をもちあげ、おひさまに透かしてみた。日光を受けたラズベリーの赤は、宝石みたいにキラキラしている。もう、それだけでおいしそうだった。みんなで乾杯して、清良は、ゆっくりと、味わって飲んだ。うん、これは炭酸水で割ったらもっとさわやかだ…。


「ねえ、どうしてここは、りんごの夢っていうの?」

 清良はデザートのりんごに手をのばしながら、

「すてきな名前だわ」

 とたずねた。アン並みの想像力だと感心していた。

「ちいさいときからずっとそう聞いてきたから…ええと…」

 グレイスが考えていると、

「おばあちゃんがつけたんだと思うよ」

 とタイラーが言った。

「春に、白い花をつけたこのりんごの木は、夢を見ている少女みたいだって、言ってた」

「すてき…なんだか私まですてきな夢を見られそう!」

清良は、アンのように、うっとりした。

「おねんねしないと、夢は見れないよ」

ゲールがりんごを口いっぱいほおばりながら言った。

「おねんねの夢とは違う夢よ。大きくなったらこういうふうになりたいなあ、とか、こういうことが起きたらすてきだなあ、とか、考えること」

グレイスがやさしくさとす。

「ふうん…じゃあ、この木も、大きくなったらなにになろうかって、考えている?」

ゲールはりんごの木を見上げた。

「そうだね、きっとね」

みんな、りんごの木を仰ぎ見て、こもれ日に目を細めた。


「おばあちゃん、こう言ってた。この木は、だれもそばにいないさびしさにも負けない、強い木なんだよって。たった一人で、夢を見続けていくには、自分を信じる強い心が必要だって。だからお前も、自分を信じて夢を見続けるんだよって…」

 タイラーはまたおばあちゃんのことを思い出して、押し黙った。しんみりした空気が流れた。自分を信じて…さっき、ミリーは同じことを言ってた。自分を信じる…か。私は、自分のことを信じているだろうか。信じるって、どういうことか、考えたこともなかったから、よくわからないというのが正直なところだ。


「私、また絵を描いてもいいかな? みんなも描かない?」

 清良は気分を変えるために、明るく呼びかけた。

「描くー!」

 ゲールが大喜びで手をあげる。タイラーはじめ、男の子たちはちょっとしぶった。何を描いていいのかわからない…下手だから笑われる…という。グレイスも私も同じよ、と同調した。大きくなるにつれて、絵の上手い下手を気にして絵を描かなくのは、絵が大好きな清良にとってはとても悲しいことだった。

「好きなもの描けばいいのよ。見えるものだけじゃなくて、想像したものでもいいし。ただ色を塗るだけでもいいの。こうじゃなきゃいけない、とか、下手とかうまいとか、そういうのはいっさいないの。誰に見せるわけでもないし、点数をつけられるわけでもないし…ね、そうでしょ?」

清良に説得されて、みんな、しぶしぶだが紙に向かう。青を塗りたくって海を描いているのは、トッド。ゲールはくねくねとした線。トラヴィスは長い棒を持って走っている自分…ホッケーをしている姿だそうだ。ホッケーはカナダの国民的スポーツ。男の子ならホッケーを習うのは当たり前だと、ギャリーが言っていた。ギャリーは大人の地元ホッケーチームの一員。ホッケーシーズンの冬になると、ギャリーをはじめとする男たちはホッケー三昧(ざんまい)の日々を過ごす。

グレイスはりんごの木。タイラーは家族みんなの顔を描いていた。ミリーがまんなかにいる。

清良は、りんごの木を手前に、遠くに岬と灯台が見える構図でスケッチした。りんごの木は、白い花が満開で、散っていく花びらも描いた。今は花は咲いていないけれど…ミリーが言ったような、夢を見ているりんごの木を想像して描いてみたのだった。りんごの花を日本で見たことがないので、よくわからなかったが、桜を思い浮かべた。ピンクのソメイヨシノが有名だけれど、清良は白い桜の花のほうが好きだった。りんごの花もあんな可憐(かれん)な花だろう。


清良はミリーにその絵を見せることができなかった。その日はミリーの子どもや孫たちが入れ替わり立ち替わりミリーを見舞いにやってきていたからだ。遠いところに住む家族が長い時間ミリーの部屋にこもっていた。初めて会う人の名前を教えてもらっても、清良には覚えきれない。顔もみんな似ていたし(家族だから当たり前なのだが)、日本人の清良にとっては外国人の名前はつまるところ似たり寄ったりで、昨日話をしたジーン以外は、誰一人記憶にとどめることができなかった。

夜は集まった三十人ちかくの親族親戚たちが二部屋に分かれて夕食をとる。マホガニーの細長い大きな客間のテーブルの上には、クリスマスのような、雑誌でしか見たことのない、丸ごとのローストチキンや、山盛りのマッシュポテト、こんがり焼きあがったホームメイドのパンなどが並んでいた。

子どもたちは台所で食事だ。マリーの他のきょうだいも子どもが多く、もう、誰が誰の子どもなのか、名前はなにか、清良にはお手上げだった。子どもたち同士は久しぶりに会ったこともあって大はしゃぎで、清良もその興奮の中にすっぽりおさまっていた。

階下でこんなに賑わっている一方で、二階の奥の部屋ではミリーの命がもうすぐ尽きようとしている。清良はどこか、後ろめたい気持ちがして、こんなでいいのかな、と思っていたが、そんなこと、誰にも言えるはずはなかった。


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