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溶けかけのアイス、明日に投げてみれば

作者: 独りっ子

長年敬愛する友人へ捧げる

「あー、今日あちー」


 実りの秋が過ぎた十一月初旬。郡菖蒲(こおりあやめ)はジメジメする部屋の中で、ぐでーんと身を横たえていた。半分に折りたたまれていた布団の上で、彼女の纏う服はベロンとめくれ、真っ白なお腹が部屋中央の豆電球に照らされている。くすんだ夕焼けのようなそれと、彼女の視線の先に寝かされたタブレットのモニターのみがこの部屋の光源であった。

 どうやら彼女は寝転がって動画視聴をしていたらしい。しかし、次の動画が始まるかと思うとおもむろに画面を遮ったのは広告だった。あー、と無気力極まりない腑抜けた環境音を口からほっぽり出して寝返りをうつ。視線の先の閉め切られたカーテンに、乾かしっぱなしの洗濯物が干されている。そこにあるのはネグリジェばかりで、色も無彩色ばかりだった。部屋の闇に同化するのではないかと心配するほど、光を吸収する黒に、煤けたような白。モニターの人工的な光に照らされるそれらは、ぐにゃりと歪んで見えた。


「髪短くしとけばよかった」


 そう言いつつも半年ほどは手の加えられていないミッドナイトブルーの髪を邪魔そうに見つめる。毛先は枝毛が多いが、髪質はさらさらしていて、暗がりの部屋の中でも彼女の美しさを引き立てていた。

 気だるげに目をしばたかせて、部屋の壁を観察する。


「あれベージュか……いやクリームか?」


 わかんねー、と諦めて菖蒲は天井を仰いだ。視界を占領するのは、年季の入った夕焼け。見慣れすぎて嫌いになってきた。大の字になって品のいいネグリジェの下のパンツを晒す。着まわしているような服とは違って下着は新品のようで、純白の絹だった。

 きゃんこれ!

 マットレスの上に伏せられていたタブレットから、耳によく残る年若そうな少女の声が聞こえた。その声に反応して、菖蒲は再びタブレットに半身を向き直した。


「62口径……放物線を描いて飛んでいくと考えると、飛距離はこんくらいか」


 画面では鉢巻を巻いたアニメチックな少女が両腰横から砲撃を繰り返している。菖蒲はその砲身を見てぶつぶつとつぶやいていた。時折宙に指を走らせ、脳内で計算をしていた。

 数十秒で、その動画は終わった。再び動画に全く関係のない動画が流れ始める。そこでは肌が驚くほど白くなる、なんて言ってビフォーアフターを紹介していたが、綺麗になったとされるサンプルの肌より、ポリポリ頬をかいている菖蒲の肌の方が白磁の陶器がごとく透き通っていた。


「ツイートすっか」


 しばらくぽっかり口を開けたままだった菖蒲だったが、身体を180度回転させて先ほどまで足元にあったスマホを手に入れる。ロックのかかっていないそれを起動して、すらすらどこかに文字列を入力していく。何度か文字数が規定を超えるも、そのたびに計算式のようなものを簡略化していき、ついには既定の七割ほどまで文字を削った文章群が出来上がった。

 その文章をインターネットのどこかに放り投げると、またタブレットに目を向けた。


「ふああぁ」


 彼女の瞼が、少し長く下りていた。もう一度目を開き、布団を眺める。布団はロマンチックなピンク色で、枕は耽美な紫だった。乱雑に広げられていた毛布の中から、黄色い薄手のものだけ掴むと、半分に折りたたまれていた布団を元に戻し、その上に敷いた。枕を布団に配置し、厚手の掛布団はカーテン下に追い込む。少しでも暑さから逃げようとして逆に、汗をかいていた。

 たったこれだけ動いただけだったが、菖蒲はぜえぜえと肩で息をしていた。額の浮いてもいない汗をぬぐい、疲れ切ったサラリーマンのような表情を浮かべる。数分かけて呼吸を整え、表情も気だるげなものに戻ると、のっそりと寝床に潜り込んだ。まるで冬眠を始める草食動物のようだった。そして豆電球とモニターが照らす部屋で菖蒲は、眠りについた。


 少女が目を開いたのはまた、同じ暗闇の中だった。うえ、と口端からよだれを垂らして枕から頭を浮かした。椅子に乗った懐中時計を細目で見やると、示された時刻は朝の七時だった。確かにカーテンの隙間からはかすかに朝日が差している。

 朝日を煙たげにねめつけて、菖蒲はカーテンに背を向ける。転がっていたタブレットの電源をつけようとすると、充電は切れていた。その場に端末を放置して、今度はスマホに触れる。スマホは残り11%で、電池は赤色だった。特に気にすることもなく、寝る前に垂れ流したつぶやきの時刻を確認する。


「12時間寝てたか」


 おそらく一度も目覚めることなく半日眠るというのは常人にとって日常事ではないが、彼女はたいして意識していなかった。

 んー、と伸びをしてすっくと布団から起き上がる。机の横にぶら下げられた小学校にあるような温度計を覗き見る。そこには21度と気温が提示されていて、そこそこ過ごしやすいものだと菖蒲は感じた。過ぎ去った秋がちらりと顔を覗かせたのかもしれない、なんて考えもした。


「あ、なんか走りたいかも」


 きりっと瞳をきらめかせて、菖蒲は部屋から運動ができそうな服を探し始める。普段運動なんてしない彼女の部屋にそんな服はないかと思われたが、運よく彼女はベージュのスポーツウェアのようなものを見つけ出した。おそらく妹のものだとわかってはいたが、気づかないフリをしてそれを着る。


「朝七時にランニングとか健康的すぎー、早起きは100円のとく~」


 ふんふふんとうきうきしながら、楽し気に歩き出す。じめっとした部屋に廊下からひんやりとした空気が侵入してきた。その風を受けながら、菖蒲は廊下を抜けて冷蔵庫からドクターペッパーの缶を取り出し、開封する。ちょびっとだけ口に含んで、玄関までストレッチしながらゆっくりたどり着いた。

 がらら、と年季の入った扉を開け、植物の生い茂った庭を抜け、アスファルトをスニーカーで軽快に蹴り飛ばした。

 マイペースながらも順調に走り続けているかと思ったが、突如菖蒲は立ち止まる。


「う……おぇ」


 放送規制のかかりそうな絵面が朝っぱらから繰り出されるかと思いきや、何とか菖蒲は耐えきって口を抑えて岐路についた。よろよろと千鳥足で鋼色のアスファルトをこすりつけるように歩く。途中ですれ違うおばあちゃんに声をかけられるが、あははと苦笑いをして、家すぐそこなのでと何とか躱した。

 食虫植物が菖蒲を出迎えた。


「髪おっも……」


 植物に髪が引っかかるなどしていらいらゲージがわずかにたまった。クリーム色の玄関まで到着し、がららと扉を開く。

 菖蒲の妹が小鳥たちに餌をやっていた。ぴいぴい鳴く小鳥たちに妹は口角を釣り上げて笑っていた。目はあまり、笑っていなかった。


「アイス食うか」


 ポツリと自分に語り掛けるようにつぶやいて、リビングに寄る。無機質なグレーの冷蔵庫をピッと開けて中から五本アイス棒を取り出す。五本それぞれ色が異なり、青色だけは形も異なっていた。ぺたぺたと裸足で自分の部屋に向かう。廊下のラックには機関銃のモデルが飾られていた。そこには『62口径 ―こおり あやめ―』とメダルが添えられていた。メダルに刻まれた年代から逆算して考えると、菖蒲が受賞したのは幼稚園の頃だったようだ。

 部屋に戻ってまた、ぐてーんと横たわる。枕に首を乗せ、カーテンの下を見る。先ほどより、光が差し込んでいた。


「やべ、布団汚れる」


 その服はあまり汚れてはいないと思うが、案外綺麗好きというか潔癖というか。菖蒲はネグリジェに着替えた。そして、赤、黄、緑、オレンジの棒アイスを食べた。

 そのまま青色の棒アイスも食べようとしたところで、とあることに気づいた。


「あ、これ、昨日溶けかけてたやつか」


 それは、昨日溶けていたためもう一度冷凍庫に突っ込んでいたアイスであった。


「なんか変な形」


 あちこちがとがっていて、固まりなおしたそれを観察して、何となく何かに似ているように感じた。


「アイス、溶かして固めてを繰り返したらどうなるんだろ」


 多分、いびつな形であれども固まるんだろうな。

 郡菖蒲は、そう思った。

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