嵐の夜の殺戮
連中が襲ってくるよりも早く、店を飛び出して必死で逃げた。
傘を強風に奪われ、たちまち雨でずぶ濡れになったが命には換えられない。背後から風雨の音に混ざって聞こえる怒号を無視して、必死に鳥小屋まで走る。どう言う事だ? なんで俺はリアルで深きものどもに追われてる? 確かに俺は、さっきこの世界がクソゲーだなんてネットに書き込んだが、そんな意味で言った訳では……
そんな事を毒づきながら、帰路を外れた細い路地に入って連中をまこうとしたが、運動不足が祟ってすぐに息が上がってきた。幸い、連中は土地勘が無いみたいで、すぐには追い付いてこなかった。だが、このままでは時間の問題だろう。
どうしよう? 必死に逃げているうちに、鳥小屋からは遠ざかってしまっていた。なら、このまま大通りに戻って交番(ほぼ無人だが)に、一か八かで駆け込んだ方が良さそうだ。
……
酷くなる雨の中、どうにか大通りに出た。幸運にも、交番のすぐ近くだ。 頼む! どうか警官がいてくれ……いた! 交番に灯りが点いている。助かった! 俺は明かりに惹かれる蛾の様に、一目散で交番に駆け出し……次の瞬間、あのゲームで感じる様な、交番に何かが潜んでいる嫌な気配を感じて、本能的に交番の手前の細い小路に姿を隠した。
その直後に奇妙な模様のシャツを着た三人の男が、緩慢な動作で交番から出てきた。交番の明かりで照らされた顔は、間違いなくインスマス面だ。三人とも、強く吹き付ける風雨を気にする事もなく、むしろ心地良さそうに全身で雨を浴びている。
その手には、めいめい大振りのナイフに、手斧に、ナタを持っていて、その刃に付いた何か赤黒いモノが雨で洗われて行く。よく見ると、シャツの奇妙な模様に見えたモノは、赤黒い返り血であると気付き……
俺がわずかに漏らした息を呑む声を、奴等は耳ざとく聞き付けてこっちを睨んだ。同時に背後からも、ずっと追ってきた奴等の足音が聞こえて来たので、この暗い小路を後も見ずに逃げる事になった。
……
ずいぶんと走った挙げ句に、ようやく、鳥小屋の手前の小路にたどり着いた。信じられないが、どうやら連中は撒く事に成功したらしい。助かった。何が起きたかは解らないが、とにかく早く部屋に戻ってシャワーでも……。そのあとは警察に通報しよう。もう、これは俺の手に終える事件じゃ無い。
だが、そんな俺の希望を打ち砕くかの様に、鳥小屋団地の入り口の前に、棍棒や大振りの刃物を手にした数人の魚人どもが、ゾロゾロと立ちふさがった。
待ち伏せされてた!? 魚人共とはさっき偶然遭遇したはずだったが、連中の狙いは最初から俺だったのか? 振り返って逃げようとしたが、退路もここまで追ってきた魚人達が塞いでしまった。連中の最後尾にいる魚人は、俺を見ながらパーソフォンで何処かと話している。
思えば、この小路では先日も魔犬に出くわしたが、この魚人共はあの犬よりも明確な殺意に溢れている。なんだ? コズミック・ラビリンスを作った連中は、俺にあの迷宮を解いて欲しいんじゃなかったのか? あの推測は単なる俺の一人合点だったのか? それとも、これもゲームのイベントの一つのなのか……?
ああもう、訳がわかんねえ。俺の戸惑いを他所に、連中はゆっくりと包囲を狭めてくる。これは昨夜のゲームみたいに、規制とか関係無しに一斉に襲って来そうな雰囲気だ。もしも運良く自分の部屋に逃げ延びても、連中の手斧や棍棒は、鳥小屋の安っぽい扉を難なく破壊出来るだろう。そうしたら、後は……
じゃあ、あれか? 俺はここで御仕舞いなのか? 俺はきっと泣きそうな表情をしていたんだろう。連中から嘲る様な笑い声が上がる。そして、一気にケリをつける事にしたのか、一斉に武器を振り上げて
「「「いあ、くとぅるふ=ふたぐん」」」
お馴染みの呪い文句を叫びながら、俺に向けて殺到してきた。
……これで俺の人生も終わりか!
……
……と思った次の瞬間、鳥小屋側から殺到してきた魚人の内の一人の頭が、水風船みたいに弾け飛んだ。
予想外の展開に、俺も魚人共も動きが凍りついたが、次いで二人の魚人が象か何かに踏み潰されたかの様に、相次いでひしゃげて路上に貼り付いた。それでいて、この殺戮を行った物の姿は暗闇に隠れていて全く見えない。
「シャー!」
パーソフォンを持っていた魚人が何か大声で命じると、ヤツの側にいた魚人共が一斉にこっちに向けて殺到してきた。
殺される! そう思って両手で頭を覆って路上にうずくまったが、連中はそんな俺を無視して通りすぎ、見えざる殺戮の主に向かって殺到していった。
そんな俺の周囲で、雨風に混ざって時折聞こえる怒号と悲鳴……何かが砕け、喰い千切られる音……何か粘り気のある液体や、湿った重い物体が撒き散らされる音……獣の唸り……生臭い悪臭に血の臭い……それに混ざって漂うどこか馴染みのある獣臭……
……気がつくと、俺は無人の路上で独りうずくまったまま、風雨に晒されていた。
こわごわと立ち上がって周囲を見渡したが、予想に反して死体どころか撒き散らされた肉片や臓物も、眼を閉じている間に起きたハズの殺戮を示す証拠は何一つ無かった。
何だ? あれは幻覚だったってのか? そう思いながら団地の入り口に入った時、何か固い小さな物を蹴飛ばした。街灯に照らされたそれは、何か大きな脚で踏み潰された様に破損したパーソフォンだった。
……たしか、魚人の一人が持っていた……ディスプレイは粉々に砕けて、雨に洗い流されつつあるが、赤黒い血と、緑色の粘液にまみれて……
そして頭上で風の音に紛れて、遠ざかりつつある翼の音を確かに聞いたとき、俺は悲鳴を上げて鳥小屋の自分の部屋に駆け込んだ。そのままドアを閉じて、鍵を架ける。そして恐る恐る部屋の明かりを点けて……そこに何もいない事を確認すると、全身から力が抜けて、ドアを背に崩れ落ちた。
なんだ? 何がどうなってる? 魚人に襲われて、散々逃げ回った挙げ句に捕まって殺されそうになった所を、あの魔犬が救ってくれた……? 奴等は俺をどうしたいんだ? ゲームを解いて欲しいのか? 殺したいのか? それとも、ただ弄んで楽しんでるだけなのか? それとも……
不意に尻ポケットのパーソフォンがメッセージの着信音を発したので、俺は変な悲鳴を挙げると、震える手でパーソフォンを取り出した。今度は何だ? ここまでの目に遭わされたんだ。今さら、ちょっとやそっとの事では驚きも……
……
From:アルベルト
件名:生存報告
……
……俺は、驚きのあまりに、思わずパーソフォンを取り落としてしまった。