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迷宮の奥へ

前回の台風の名前を変更しました。

 結局、終業まで疲れが取れないまま、重い足取りで退社した。


 同僚の話だと明日か明後日には、先日辞めた移民達の代わりが補充されるらしい。今の人数でも作業には何の支障も無いが、閑散とした食堂が人で埋まるなら、それはそれで有り難い。

 移民達の喧騒に慣れきってた自分には、今の食堂はガランとしすぎて却って不気味な位だし、そのせいか軽く寝ぼけて、モニターのニュース番組に名前を呼ばれる幻聴まで聞いてしまうくらいだしな。


 さて、晩飯でも……って、あの中華屋は潰れたんだっけか。……寄り道して飯を食いに行く時間が惜しいし、買い物ついでに何か食い物も一緒に買うか。


 職場の近くのドラッグストアで、パーソフォンのリストを片手に必要なアイテムを買い込む。例のゲームもおそらく後半に入って、大分敵の攻撃やイベントが厳しくなってきている。この先を少ないミス……出来ればノーミスで潜り抜けるには、ゲーム内だけでなく現実世界でも“装備”を整える必要があるだろう。


 ……よし、これで要る物は全部だ。後はカップメンやカロリーブロックにエナドリ……今や一番のお気に入りになったミードゴールド……等を買い集める。このゲームを解くまでは無用の寄り道を避けて、自宅で飯を簡単に済ませる方針で行く為だ。


 会計を済ませて店を出る。……思ったよりも高くついたな。こりゃ、無事にゲームを解けても、しばらくはロクにゲームも買えないな。

 苦笑しながら、店の前でさっそくミードゴールドを一本開けた。ジワジワと眠気と疲労感が軽くなってくのを感じるが、まだ本調子じゃないな。本番は帰宅後だ。空のペットボトルをゴミ箱に投げ込んで、改めて重い荷物を両手に下げて帰路へ着く。お家が一番。お家が一番。


 季節柄、暗くなるのも早い。わが鳥小屋団地に向かう小路に入った頃には、辺りはすっかり暗くなってしまった。


 ……昨夜はここであの魔犬に遭遇したんだっけ。VR空間での体験を挟んだせいか、つい昨日の出来事が結構昔の事の様に感じられる。今夜も雨こそ降ってないが空は雲が掛かっていて、まばらな街頭以外に明かりが無い。路面も幾つかの水溜まりを残すのみで、完全に乾いている。あの雨の夜の出来事がまるでウソみたいに……


 ヒタッ


 ……来たな。背後に聞こえた足音に振り返り、街灯の間の暗がりに眼を凝らす。


 いる……


 暗闇に覆われて全く姿は見えないが、それでも大きな獣の息づかいに、わずかに漂う獣の臭いにカビと湿った土の臭いが混ざった悪臭。そして、邪悪な殺意と嗜虐心に満ちた視線と気配を、ありありと感じ取れた。


 昨日の俺なら、また無様な悲鳴を上げて自宅までダッシュで逃げ出した事だろう。いや実際、今もそうして逃げ出したい恐怖に駆られかけている。だが、根拠は薄いが俺には一つの確信があった。逃げるのはそれを試してみてからでも


 ヒタッ


 ヤツがまた一歩踏み出したので、本能的に身体が後ずさる。相手は翼を持った大型の獣、本気を出されれば逃げても逃げ切れないだろう。昨夜のは単に運が良かっただけだ。


 だが、もし、違う理由で逃げ切れたのだとしたら……


 ヒタッ


 また一歩近づいてくる。もう完全にヤツの間合いだ。それでも襲ってこないのは、余裕を見せつけてるのか……いや、多分俺の予想が当たっているんだと思う。


 もうこうなったら、一か八かだ。俺は暗闇の中の気配に向かって……大見得を切ったつもりが声が震えてるのが自分でも判る……言ってやった。


「もういい! 俺はもう、あのゲームから逃げない! 絶対にあのゲームを解いて、お前達の……何を企んでるのか知らないが……その企みを暴いてやるつもりだ! だから、もう、こんな脅かし役の“送り狼”は必要無い! さっさと引っ込めろ!」


 ……睨み合う事しばし。次第にヤツの気配が薄れて行くのを感じた。俺の予想が当たっていたか。ならばと完全にヤツの気配が消える前に、暗闇に向かって言い放つ。


「……教授によろしく言っといてくれ! そして俺があのゲームを解く事が出来たら、是非とも種明かし(ネタばらし)を頼むぜってな!」


 返事は無く、ヤツの気配は完全に消え失せた。安堵の溜め息を吐いて、思わず路面に座り込んだ。


 思った通りだ。ヤツは恐らく、このゲームから逃げようとするプレイヤーに対して、警告を発し……そしてそれでも逃げようとする者を始末する“監視役”だ。


 昨夜、俺は必死でヤツから逃げた物の、運動不足のゲームオタクの脚力と体力では、超常の存在である魔犬はおろか、その辺の野良犬にも簡単に追い付かれて喰い殺されてしまうだろうし、B級ホラーじゃあるまいし、自室に逃げ込めただけで追跡を諦めるってのも、おかしな話だ。

 単に追い詰めて殺すのが目的なら、そのまま扉をブチ破って入ってくればいい。あの鳥小屋のチャチな薄いドア位なら、余裕で破壊できるだろう。


 つまり、ヤツは俺がゲームから逃げない程度に脅かしをかける役割を追った怪物なんだろう。……まあ、それならそれで、もっと大きな疑問点が出て来るのだが。だか、その疑問点を詮索するには、現時点では余りにも情報が不足している。あるいは、その疑問はゲームをクリアすれば明らかになるのだろうか?


 きっと、そうだろう。こないだ教授も言ってたじゃないか。“迷宮は誰かに解かれる事を期待しているのかもしれない”と。


 なら恐らく、このゲームも俺によって“解かれたがって”いるのだ。……何故かは解らないが。


 ……とりあえず無事に帰宅出来た。カロリーブロックとペットボトルのお茶による、極めて簡単な食事とシャワーを済ませてから、本格的な“戦闘準備”に入る。

 電気香炉に今まで入っていたリラクゼーション用のピンク・ロータスのアロマリキッド・カートリッジを、感覚作用増強効果と興奮作用を(あわ)せ持つ、ブルー&パープル・ロータスのカートリッジ“ヘヴンズゲート”に入れ換えた。これは本来はセックスライフを充実させる為のアロマなのだが、VR体感効果を増幅させる効果もあるらしい。

 そして香炉のアロマが満ちるまでに、集中力を増幅させる効果を持つホワイト・ロータスに、数種類の“ハーブ”と“スパイス”を加えたアロマリキッド“チャクラ・ブースター”を、煙管(キセル)を模した形状の電子吸引器(ヴェポライザー)で直接体内に取り込んだ。



 吹かさずに、肺に溜めて……リラックス……アロマが肺から全身に循環して……次第に頭頂部と丹田に蓄積するイメージを描いて……


 ……ウハッ! これは今までに無い強烈な効き目だ。全身を清涼感を伴った気が駆け抜けて、さっきまでの疲労感や倦怠感がウソみたいに抜けて行く。その一方で頭の中を微細な電流が駆け巡り、感覚がクールに冴え渡って行くのが実感出来た。


 少々値が張ったが、以前サキトが送ってくれたサプリのリストの中で、これが最強の組み合わせだろう。今までのリラクゼーション作用のみのアロマが“回復重視”なら、今回のアロマのブレンドは、正に“攻撃特化”と言えるだろう。


 かつて無い程の高揚感と、それに相反する集中力に包まれた俺は、この効果が薄れない内に急いでゲームにログインした。

 これまでのログイン体験とは比べ物にならない位の、ナチュラルでシームレスな……まるで瞬き一つで世界が変わるかの様な自然なログイン体験を体感しながら、VR空間へと没入して行った。


 ……


 ……


 ……その一方で、二度と戻れない選択をしてしまったと言う後悔に似た不安を、俺は心の片隅でうっすらとではあるが、確かに感じていた。

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