水溜まりの足音
月曜日
……週明けの職場の昼休み。俺はいつもの様に食堂の片隅で、いつもと同じ自販で買ったパンを食いながら、モニタに流れるニュース番組をボンヤリ眺めていた。
結局、その後もアルベルト達からは何の便りも無く、何の進展も無いまま、あのゲームを続ける気にはなれなかった。かと言って他に何の対策も取りようも無いので、結局何もしないままに貴重な日曜を酒と惰眠で潰してしまった。
一方で、一昨日の教授との対話は、結構俺にとって助けとなった。たしかに教授の言う通り、もしもあのゲームに、実際に人を殺す様な仕掛けが隠されていたとしても、所詮はダウンロード式のオフゲーなんだ。警察なりが被害者のゲームハードに残ってるゲームのプログラムを解析すれば、いつかは事件は明るみに出る。
目的は何にせよ、殺人の証拠をそんな判りやすい形で残したりするほど、事件の黒幕は(居るとして)バカでは無いだろう。そう考えると、教授に話すまでに抱いていた自分の不安がとても馬鹿らしく思えてくる。
その一方で、やはり拭いがたい不安が、胸中の一角を占めているのも否定できない。それは理屈では払拭出来ない、オカルト的な妄想……つまり……それでも、呪いか何かが存在するのでは無いかと言う、漠然とした不安。
馬鹿馬鹿しい、とは自分でも思ってはいる。だが、それでも、あのゲームの中で体験した出来事を完全に否定する気にはなれない。
チャプター2で聞いた九玄太の悲鳴。チャプター3で遭遇した九玄太ネズミに、アルベルトの幻。VR空間での出来事とは言え、あれらの体験を全て只の“仮想体験”で切り捨てる事が出来ない。教授の言う通り、合理的な説明がつかない。
本当に、あれは教授が言うようなロータスの副作用による幻覚なのだろうか? わからない。だが、目に見える証拠が無い以上、これ以上騒いでもどうにもならないのも解っている。
それに、俺たちは元より親密な付き合いだった訳でもない。連絡が数週間開くのも珍しくは無かった。それを考えると、いささか慌て過ぎだったのかもしれない。なら、彼らの連絡を待ってから対応を考えても遅くは無いだろう。
そう考えると、いくらか気が楽になって、周囲に気を配る余裕も出てきた。……そう言えば、今日は何時もより静かだな。
それもその筈。普段は食堂の大半を占めている、移民や出稼ぎの外国人の皆様は半分以上がその姿が無く、残った人たちも、何やら神妙な面持ちでモニタのニュースを無言で眺めていたからだった。
ニュースによると例の中央アジアで勃発した紛争は、案の定、周囲に飛び火して拡大の一途を辿り、国連事務総長が「このままでは、世界大戦に繋がりかねない」と発言した事が、更なる国際的な不安を招いている……との事だった。
後から同僚に聞いた話だと、このニュースをいち早く入手した出稼ぎ達は、祖国が不安で帰国する為に相次いで退職したらしい。
まあ、俺たち人間が担当しているラインは、前にも言った様に雇用創出の為だけに作られた、重要度が無いにも等しい位に低い部所だ。
ここで作られた部品は、結局何にも使用される事なく、出荷する端から廃棄されている……なんてウワサもあるくらいだ。そんな部所で人員がいきなり激減しても何の支障も無く、今日もつつがなく定時で退社する事が出来た。
タイムカードを押して工場を出ると、雨が降っていた。今日は朝からどんよりと曇っていたが、とうとう降り始めたか。余計な出費だが、近くのコンビニでビニール傘を買う。ついでに弁当でも買って帰ろうかと思ったが、どれも量に比べて割高に感じる。やっぱり、いつもの中華屋で食って帰るか。
……そう思って、わざわざ寄ったのに馴染みの中華屋は潰れていて、明かりの消えた店先には、日本語と中国語で書かれた閉店を告げる張り紙だけが残っていた。
マジかよ……。先週の金曜まで営業してたのに、前触れが無いにも程があるだろ……。あれか? 例の大戦のウワサで、ここの店主まで帰国したってか?
油っこくて大味で、大して美味くも無い店だったが、安くて盛りが良く、何よりも帰り道の途中にあって便利が良かっただけに、急な閉店が惜しまれる。
それにしても、今夜の飯はどうしよう? ちょっと寄り道すればコンビニや牛丼屋もあるが、雨の降りが強くなって来てる。それも横殴りだ。この分だと変に寄り道して帰ったら、帰宅する頃にはずぶ濡れになってるかもしれない。
仕方ない。今夜は買い置きのカップメンとカロリーブロックで飢えをしのぐか。そう考えて、麗しの我が鳥小屋へと家路を急ぐ。程無くして雨足は益々強まり、結構な大雨になってしまった。
寄り道しないで正解だったな。そう思いながら濡れた歩道を走る。俺の住んでる鳥小屋団地は、大通りの裏側にある。だから、そこまでは自動車がすれ違うのがやっとの狭い道をしばらく進まなければならない。
ここは車の行き来も少なく、街灯もまばらだ。今までは何事も無く歩いて来た道なのに、今夜に限ってこの暗い細道が、どこか恐ろしく感じてしまう。
……馬鹿馬鹿しい、考えすぎだ。そう自分に言い聞かせて一気にこの道を駆け抜けようとしたその時、頭上を何か大きな鳥が横切るかの様な羽ばたきの音が聞こえ、次いで頭上から吹き付けた風圧に吹き飛ばされる様に、濡れた路面に叩きつけられた。
びしょ濡れになった体を起こして、慌てて空を見上げても、雨粒が降り注ぐ暗い夜空が見えるだけで、何者も見当たらない。それでも、ただならぬ恐怖心に駆られた俺は、風圧でひしゃげた傘を拾うこともせずに、とにかく一目散に我が鳥小屋へ逃げ込もうとしていた。
ピシャッ……
だが、不意に背後に響いた足音に、俺は思わず振り向いた。
ピシャッ……
街灯が照らす、雨に濡れた無人の道路。その水溜まりの上に、今、確かに、何かが脚を踏み入れた。だが、その姿は全く見えない。ただ、水溜まりに浮かぶ足跡と足音だけが、その存在が確かに実在する事を示している。
ピシャッ……ピシャッ、ピシャッ。
続けて、水溜まりに同時に複数現れる足跡。これは人間の歩き方じゃない。それに……脚ももっと大きい。これは……まるで四足獣か何かの……。
……俺は、きっと、コイツの正体を知っている。雨音に混ざって聞こえる低い唸り声。濡れたアスファルトの匂いに混ざって漂う獣の臭い。さっき聞こえた羽ばたきの音。確証は無いが、きっとコイツは
ピシャッ……ピシャッ、ピシャッピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャピシャ……バシャシャシャシャシャシャシャ!
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
コイツが何であれ、きっと捕まったら終わりだ。そう直感した俺は、コイツが駆け出した音を耳にするよりも早く、我ながら無様な悲鳴をあげながら、鳥小屋の自室を目指して後も見ずに全力で駆け出していた。




