現実逃避からの逃避
土曜日
土曜の夜。俺はStormの門前に立っていた。
昨日の朝、あのメッセージを受けてからというもの、動揺して仕事も上の空で、気がつけば仕事が終わって帰宅していたと言う有り様だった。いつもの中華屋で何を食ったかすら覚えていない。
アルベルトからもサキトからも、返事は無しのつぶて。例のメッセージを送ってきた匿名野郎は、とりあえず運営に通報しておいた。まあ、どうせ捨て垢だろうし、HPLのモロパクリの一行だけの文章じゃあ、脅迫にも中傷にもなりはしないが。
おそらくは、九玄太か、ヤツの取り巻きの嫌がらせだろう。俺がクトゥルフ神話がらみのホラーゲームにハマってるのを知ってて、あんなメッセージを寄越したに違いない。とことん陰険な奴等だ。
そう思う一方で、このままコズミック・ラビリンスを続ける気にもなれなかった。あの体験を全て、只の幻覚や気のせいで片付ける事が出来ない。その一方で、やはりあんな体験をしたと言う確信が持てない。何よりも証拠が無い。
何か調べてみると言ったアルベルトは音信不通。たった一~二日とは言え、あんな体験をした後では……したよな? ……やはり不安が募る。
結局、昨夜は葛藤を抱えたまま大酒を呑んで、久しぶりに酔いつぶれて寝てしまった。ロータスの香炉も点けていなかったので、久しぶりに悪夢を見てしまった。内容は、例のゲームの夢。
九玄太やアルベルト、サキトの顔をした喰屍鬼共に追い回されて、行き止まりに追い詰められた挙げ句……いや、その先は思い出したくもない。
で、土日の休みを迎えた物の、二日酔いも手伝ってVRゲームに手を付ける気になれずに、貴重な土曜の日中を床の中で過ごしてしまった。ゲームすらしない、ただ無為に過ごす休日のなんと味気の無い事か。
ゴロゴロしたり、酒を飲みながらネットで動画を観たりしていると、いつの間にか日が暮れていた。アルベルト達からは相変わらず返事がない。昨日から何件もメッセージを送ったのに、気が付かない何て事があるか?
これ以上、一人で無為に時を過ごす事に耐えきれず、気がつくとVRヘッドセットを被って、Stormにログインしていた。我ながら、絵に描いた様なVR中毒っぷりだ。
「お帰りなさいませガリンペイロ様。先日購入されたコズミック・ラビリンスは如何でしたか?」
ドアボーイ姿のオートマトンに不意に声を掛けられて、一瞬ギクリとしたが、例のデータ取りのアンケートか。鬱陶しいので無視して通り過ぎようとしたが、考え直して、出来るだけ慎重に台詞を選んで返答してみた。
「レビューにも書いたが、これは全く素晴らしい画期的なVRゲームだ。まだ途中までしかプレイして無いが、現状の規制下では全く信じられない様な体験をしている。これは普通のホラーゲームでは無いし、単なる脳力開発ゲームの域に留まらない意図が隠されている様に思われるね。ゲームマスコミ志望のレビュアーとして、そしてラヴクラフティアンの端くれとしても、是非ともこのゲームのスタッフに、このゲームの製作意図を聞いてみたい所だが、どうだろう? ……もしも叶わないなら、今までの体験を全てありのままに、追加レビューに書き加えるだけで我慢するがね」
「承りました。それでは楽しい一時をお楽しみ下さいませ」
我ながら、よく咄嗟にペラペラと言葉が出たものだ。自分なりに挑発を仕掛けてみたつもりだが、俺は何を期待しているのだろう? こんな程度で陰謀の黒幕が……居るとして……現れるとでも? 思わず苦笑しながら玄関を潜り、ラウンジへ向かう。
週末の夜なので、ラウンジにも疎らに人が居るが、誰も話しかけてこない。まるで俺を警戒してるみたいだ。まあ、ついこないだ九玄太との一件があったばかりだしな。
そう言えば、遠くのソファーセットにたむろしてる、五~六人程の明治時代の文士みたいなアバターの男女が、特に敵意を露にして俺を睨んでるが、あれは九玄太の取り巻き連中だな。
ふん。所詮は九玄太のネームバリューを自分の実力と取り違えている、金魚の糞みたいなスノッブ共だ。精々、睨ませておけばいい。
遠巻きにしている常連共を無視して、半ば俺達の特等席と化していた奥のソファーセットに一人で陣取る。マティーニを注文して一口舐めたが、今日は何の味もしない。
……思えば、三人でここでこのマティーニを飲みながらVRゲームへの不満を並べ、教授からVRゲームの歴史の講義を拝聴し、そしてあのゲームを見つけたのが、ちょうど一週間前の土曜の夜か。もう随分と前の事みたいな気分になる。
「どうしたね、ガリンペイロ? 愉しくて然るべき土曜の夜に、こんな所で一人酒とはお寂しい限りだね」
不意に背後から声を掛けられて、驚いて振り向くと、そこにはセバスチャン教授がおどけたポーズで立っていた。先週と全く同じ。
「まあウンザリする程、他人の事は言えないのだがね。見たところ、待ち人来たらず……と言った所かな? もし、お邪魔で無ければ、お相手が来るまでボッチ同士で茶飲み話と行こうではないか」
返事を待たずに俺の対面に座った教授は、即座にウェイターに紅茶を注文する。相変わらずのマイペースぶりに、思わず安堵の笑みが浮かんでしまう。
「最近はどうかね? 何やら九玄太君とトラブルがあったと小耳に挟んだのだが」
流石はStormの重鎮、もう九玄太との一件は耳に入っていた様だ。まあ、脳力開発肯定派の筆頭とも言える教授に、一方的に対抗意識を燃やしていた九玄太のバカは、陰でネチネチと教授を攻撃していたらしいからな。
……そうだ。ここは教授に例のゲームについて質問してみよう。ひょっとして何か知っているかもしれない。そう思った俺は教授に、この一週間で起きた出来事を詳細に話してみた。
「……ふむ。興味深い話だね。それで、君はいつもの仲間と落ち合うべく、ここで待ってたと言う訳だ」
「はい。正直ここの所、不可解な事が続いて消耗しています。最初は、偶然やイタズラも考えたのですが、それだけでは説明が付かない。……セバスチャン、本当にこの世に呪われたゲームなんてモノが存在すると思いますか?」
俺はあえてストレートに質問する事で、教授に笑って否定され、そうする事で逆に安心を得たかったのだと思う。だが、教授から帰って来たのは全く正反対の答えだった。
「結論から言えば……イエスだ」
予想外の答えに呆然とする俺を他所に、教授は話を続ける。
「二十世紀後半から存在したとされる、映画やビデオテープ、それに投稿動画やゲーム等が媒体の、それを視たりプレイしたりすると、実際にユーザーが死ぬとされる、いわゆる“呪いのメディア”。これまでフィクションや都市伝説の類いに過ぎなかった、それらを現実のモノに出来る唯一の存在。それがゲームを初めとした、フルダイブ型のVRメディアだ。……と言うのが私の持論だ」