ショッピング 2
「天乃さーん、できましたかー?」
「うん、今開けるねー」
直方体のボックスの一面を占めるカーテンが、速いとも遅いとも言えない微妙な速度で開いて行く。カーテンの奥の景色が徐々に明らかになるにつれ、それに比例したかのように俺のテンションも上昇する。そしてついに、カーテンが全て開かれる、その時が来た――
「ど、どうかな〜?」
「お、おお……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「さすが天乃さん、可愛いです!」
「そう? ありがとー!」
更衣室の中には、水着姿の橋立天乃がいた。
うおっ、眩しい! こいつもしや、天使なのか!? と思ってしまうほど橋立の水着姿は、何というか……グッドだった。
濃いめのイエローを基調としたビキニは、橋立の健康的な白い肌をより際立たせ、ひらひらのフリルがついたトップスはオフショルダーとやらで綺麗な肩のラインが露出されている。
ボトムの方にもフリルが付いており、ミニスカートのようになっている。そこから伸びる白い脚には思わず目が惹きつけられてしまう。
俺は思わずこの水着をチョイスした紐時すすきに、親指を立てグッドサインを送った。それに気付いた紐時も、こっそりとグッドサインを送り返してくる。
「わたりくん、どうかな……」
橋立がてれてれしながら聞いてくる。俺としては、良いところ一つ一つを熱く解説したいところだが、そんなことをしたら変態だと誤解されかねないので、一言にまとめることにしよう。そう思ったのだが――
「に、似合ってる……と思う」
俺は橋立から目を逸らし、なおかつ不鮮明な答えを返してしまった。こんな時、堂々と褒める事ができない自分が情けない。しかし、橋立はそんな事を気にもせず、心から嬉しそうに言った。
「ほんと? えへへ、嬉しいな」
橋立から笑顔を向けられる。こんな時、できる男なら優しく笑い返したりするのだろうが、男としてのスキルを何一つ持ち合わせていない俺は、再び視線を傾けてしまった。
紐時と俺は、橋立の水着を、「必ず褒める」という約束をしていた。紐時は、俺の反応にギリギリOKを出したのか、そっと胸を撫で下ろした。
◆
橋立は先程試着した水着を買いと決めたらしく、早々に会計を済ませた。次は俺の服の番だ。
水着コーナーから離れ、衣服のコーナーに移動する。水着コーナー同様、様々な種類の服が揃っていた。値段も手頃なものもある。
「わたりくんにはどんな服が似合うんだろうね」
「ま、派手なもの以外ってのは明白だな」
「そうかなー、意外とピンクとか似合ったりして」
「リアルでやめてくれ……」
紐時はピンクという言葉に反応し、心から嫌そうに言った。
「うわぁ、想像するとゾッとしますね。ボディビルダーが服を着て歩いているようなものです」
「ボディビルダーは服着ちゃダメなのかよ……。てかお前、例え下手だよな。前も俺のこと、弥勒菩薩とか言ってたし」
そう口に出すと、紐時は「ふっ……」と短く溜息を吐き、俺を明らかに見下しながら言った。
「これだから低脳は……」
「がっつり嫌なこと言うな」
「良いですか? これは比喩表現というのです。詩人や小説家しかできない、高度な技術なのです」
紐時は低脳な俺にも分かりやすく、比喩表現について教えてくれた。そして「例をあげましょう」と言って俺のことを指差した。
「ここに、まるで虫のような月橋さんがいます」
「ちょっと待て、誰が何のようだって?」
「あ、間違えました。ここに、まるで月橋さんのような虫がいます」
「誰が虫だっ!」
「いや、本当にここに小虫が」
紐時が指差す先には、確かに小さな虫が飛んでいた。
「ほ、本当だ……すまん」
「気にしないでください。誰にでも勘違いはあります。あ、これ月橋さんじゃなくて虫でした」
「お前、わざとやってるよな?」
かなりのハイペースでボケてくる紐時。それになんとか対応する俺。そんな俺たちを見て、橋立はくすくす笑いながら、「もう仲良くなったんだね」なんて言っている。いや、そんなんじゃないからほんと。
「すーちゃん、そろそろわたりくんに似合う服、探してあげて?」
「あ、そうでした」
紐時は俺の全身をじーっと観察し、顎に手を当てて観察の結果を報告した。
「月橋さんは、制服が似合っていますね」
「え? そうか?」
今着ている制服は、グレーを基調としたズボンに、シンプルな白の半袖ワイシャツという夏仕様だ。別に何の特徴もない地味な制服だが……俺、似合ってるらしい。
「言われてみれば……わたりくん、制服似合ってるよ! やっぱ地味だね!」
さらっと傷付けてくる橋立さん。むしろ紐時より辛い。
「地味と言うか……黒やグレーが似合うのかも知れないです」
「お、おお。なるほど」
つまり、俺は地味なんかではなく、黒の剣士タイプだったということ。スターをバーストしてストリームするべき存在だったということ。決して地味なんかではなかったのだ。
橋立が残念なものを見る視線を俺に向けているが、無視無視。
「とは言え、服は着たいものを着るのが一番です。まずは月橋さんが着たいものを選んでください。ピンクとか」
「そうだな。ピンクはねーけど」
ということで、着たい服を探すことになった。
着たい服、ねぇ……。かっこいいTシャツとかオシャレなパーカーとか色々目に入るが、値段だったり俺には似合わなそうだったりと、なかなか決められない。
話は逸れるが、俺の私服はやがて文奈の部屋着になる。
その容姿故に、どんなに地味な服だろうと着こなしてしまう妹だが、兄としてはもう少し女子っぽい服を着てほしい。そうそう、こんな感じのワンピースとか。
俺は薄いピンクのワンピースを手に取った。その時、パサっと何かが落ちる音がした。見ると、そこには鞄を落として、呆然と俺を見ている橋立天乃がいた。
「わ、わたりくん……そのワンピース……」
最悪なタイミングで鉢合わせしてしまった。明らかに誤解している!
「ち、違うぞ!? これは……あれだ! 妹が――」
「私は気にしないから! 何も見てないからーっ!」
俺が事情を説明する前に、橋立は走り去ってしまった。
「最……悪……だ……」
最悪の誤解をされた。女装が趣味の変態野郎と思われたに違いない。ああ、死にてぇ……。
ひざから崩れ落ちた俺の肩を、誰かがぽんと叩いた。振り向くと、相変わらずの無表情、紐時すすきがいた。
「月橋さん、私はちゃんと分かっていますよ」
「ひ、紐時……」
紐時はまるで、俺の全てを理解したようにゆっくりと頷いた。不思議と俺の心から、先程の絶望感がすーっと消えていった。
なんて優しいお方だ……今まで毒舌キャラだと勘違いしていた……。
「本当は、ピンクの服が着たかったのですね」
「誤解だぁぁぁぁっ!」
不覚にも女神のように見えた紐時は、ただ追い打ちをかけにきただけだった。
◆
橋立と紐時から誤解を解き、俺には選べないということで紐時に服選びを任せることにした。
「全く、自分の着たい服すら選べないなんて、情けないですね」
「仰る通りです……」
「もうあのピンクのワンピースでいいじゃないですか。あれ着てたら影なんてすぐ濃くなりますよ」
「うるせぇ……」
変な目立ち方をするくらいなら、目立たないほうがよっぽど良い。これが俺のポリシー。男女比率1:2ということで男女問わず冷たい視線を受けている今、言えることじゃないが。
「まぁ、任されたからには選んであげますけど」
「すーちゃんの本気モードだ! わたりくん、期待していいよ!」
「お、おう」
数分後
紐時がチョイスした服を持ち、試着室へ入る。とりあえず、ワンピースではなく普通の服を持ってきたことに安心した。
着替えを済まし、鏡を見る。似合っているか俺には分からないが、違和感は無い。……と思う。
外では橋立と紐時の話し声が聞こえてくる。この状況でカーテンを開くのは緊張する。まさか私服の試着を、知り合いの女子二人に見られるなんてな……。
「開けるぞー」
「あ、うん」
シャーっとカーテンを開く。すると橋立が興味津々に、紐時は無表情だが少しわくわくしながら、俺の登場を待っていた。
「おー! わたりくんがかっこよく見える!」
「そ、そうか?」
「へぇ……。意外と良いですね」
「いやお前が選んだんだろ」
紐時がチョイスした服は、紺のハーフパンツに白と黒のボーダーが入ったTシャツ。その上から羽織るグレーの薄いアウターの3つだ。通気性も良いので、意外と暑くない。
「でもなんか、俺がこういうオシャレな服着てると違和感ないか?」
「全然ないよ! むしろ自然な感じ」
「そうか。そりゃ願っても無いぜ」
違和感さえ無ければいい。というのはクリア。着心地も良いし、値段もそれほど高くはない。完璧なチョイスだ。
「さすがだな、紐時。これ買うよ」
「そうですか。ワンピースは試着しなくて良いのですか?」
「しなくていいわ!」
嫌なネタを掴まれてしまったが、服を選んでくれたのでまぁ良しとしよう。
会計を済ませ、イトーヨーカイドーから出た時には、既に茜色の空が広がっていた。
「ふー、いい買い物ができたね!」
「そーだな」
「これで夏のお出かけはバッチリだね!」
「そーだな」
適当に返事をしていた時、橋立の携帯が鳴った。
「はいもしもしー?」
『もしもしー。あまのっちー?』
どうやら友達のようだ。遊びに出かけるのだろう。どこに行くのとか、何時に集合だとか、あれ持ってきてだとか、そんな声が聞こえる。
『三人だと寂しいからさ、もう二人くらい誘ってよ』
携帯からそんな声が聞こえた時だった。橋立は俺と紐時の方にぱっと振り返り、キラキラと輝く瞳を向けてきた。それはまるで、小さな子供が大好物のお菓子を見つけた時のような、ワクワク感を帯びた瞳だった。
何事かと思い、俺と紐時は目を見合わせた。そんな俺たちを他所に、橋立は携帯に向かって「おっけー!」なんて元気よく喋っている。
これは……かなり嫌な予感がするぞ……。