紐時すすき
夏休みが始まってから数日が経ったある日。
それまで孤独に浸っていた俺に、橋立から待ちに待ったメッセージが来た。
【明日の朝10時、学校に来てください】
【学校? 何でわざわざ学校なんだ?】
【他にいい場所が思いつかなかったから!】
【そうですか……】
【あと、お金がたっぷり入ったお財布を持ってきてください】
【たっぷりは入ってないけど、了解】
ふー、こういうメッセージとかのやり取りって意外と緊張するな。にしても、久し振りに人と関わった気がする。って、俺の夏休み寂しすぎだろ。もうやつなすみって感じだ。……文奈のアホが移ったかもしれない。
次の日、約束の10時に間に合うよう学校に向かった。
校門の前に、体育教師の筋肉ムキムキ中山先生がいた。
「おう! おはよう!」
うるせぇ……。こういう脳みそまで筋肉みたいなやつに限って俺のことすぐ認知するんだよな。
「……ぉざす」
かなり暑かったので、俺は中山先生のテンションについて行けず適当に返事をした。
「ん? 無視かい?」
「え? いやちゃんと言いましたよ」
「全く聞こえなかったな。はいもう一回!」
はぁ? ちゃんとしただろ。と言うより、そもそも挨拶ってものはだな、半分が礼儀や常識。もう半分は相手の状態を確認するためのものだ。と、俺は勝手に思っている。
ぼっちは観察力に優れている。わざわざ言葉を交わさなくても、多少の目線を配るだけで相手の状態など確認できてしまう。これで挨拶の半分はこなしたと言えよう。ならば後は簡単。残りの半分、礼儀だの常識だのを取っ払って、10割相手の状態確認に徹してしまえばいい。これなら人とすれ違う時、チラッと目線を配るだけで挨拶をしていると言える。どうだ? 違うか?
「違うでしょ」
「イテっ」
後ろから頭頂部をチョップされた。後ろを振り返ると、そこには制服姿の橋立天乃、そして紐時すすきがいた。こうして見ると紐時は結構背が小さいな。そんな事を思っていると、橋立が首を捻りながら聞いてきた。
「何で礼儀と常識を取っ払っちゃうの?」
「そりゃあれだ、俺は常識なんかに囚われない男だからだ」
それを聞いた橋立は呆れたように溜息をついた。紐時は無表情でじーっと見つめてくる。な、何だよ。
「おはようございまーす」
「おはよございます」
「おう! おはよう!」
橋立と紐時は、中山先生と挨拶をする。
「挨拶もロクにできないのですね。このヒモ男は」
「誰がヒモだっ!」
「あ、いたんですね。月橋さん」
「……お前は誰と話してたんだ?」
「……? 誰かと話すのに、相手がいりますか?」
「むしろ必要不可欠だよ!」
そんなやり取りをしていた俺たちの背中を、橋立はグイグイ押して行く。
「まーまー、こんな所ではあれですから、どうぞ中へ中へ」
「お前はどんな立場なんだ……」
◆
やって来たのは校内の空き教室。橋立は、机を一つ、その両側に椅子を一つずつ置いた。
「ささ、すーちゃん」
「ど、どうも」
「ささ、わたりくんも」
「お、おう」
案内された通りに座ると、必然的に俺と紐時が向かい合うような形になった。相変わらず無表情で俺を見つめてくる。改めて見ると、紐時はとても整った顔立ちをしている。
サラサラな黒髪のサイドポニー、きめ細やかな白い肌。吸い込まれそうなほど大きな瞳に、ピンク色の小さな唇。それになんと言っても、小顔だ。
「どう? すーちゃん、可愛いでしょ?」
「え? い、いや別に……」
「素直になりなよー」
いやまぁ、確かに紐時の容姿は、可愛いとか綺麗とかそういう部類に入るとは思うが、本人の前でそんなこと言えるわけない。
「なんの話をしているのですか?」
「わたりくんがすーちゃんのこと」
「ああぁぁぁーっ! お空に蝶がぁぁーつ!」
「うるさいですね、近所迷惑も考えてください」
「す、すいません」
は、橋立め、余計な事言いやがってっ! 俺は軽く橋立を睨む。すると、ぺろっと舌を見せて誤魔化して来た。
「えー、今日はですね、二人に友達になってもらおうと思いまーす!」
「ま、そんな事だろうと思ってたよ」
「ええ。天乃さんの事ですから」
「えぇ……もっとリアクションしてよ……」
橋立はしょぼんとして俺たちを交互に見る。
「気を取り直して……まずは自己紹介から!」
「じゃあ俺から行こう。2年1組、月橋渡だ。分かると思うがすごく影が薄い」
「薄いなんて、自信持ちすぎじゃ無いですか? 月橋さんに影なんてありませんよ」
「ぐふっ……」
こ、こいつ、超毒舌だ……。しかも無表情で言うから冗談なのか本音なのか分からない。怖ぇ……。
「次は私ですね、紐時すすきです。天乃さんとは生き別れの姉妹です」
「え!? マジ!?」
「ち、違うよ!」
橋立が焦ってツッコミを入れる。思わず信じてしまうところだった。
「冗談です。私は天乃さんの親友、そしてボディガードなのです」
「それも冗談だろ?」
「本当です! 天乃さんの貞操は私が守るのです。というより、あなたは一体何なのですか? 夜に公園で天乃さんと二人きりなんて、私が許すとでも?」
紐時は無表情のまま威嚇してくる。無表情なのに明白な敵意が向けられているのが怖い。というか貞操を守るってボディガードの仕事じゃないだろ……。
「まあまあ落ち着いて、わたりくんは優しい人だから大丈夫だよ」
「……天乃さんがそう言うなら……。月橋さん、天乃さんに変なことしたら許しませんから!」
「し、しないからそんな事!」
俺は両手を振って必死に否定する。そんな俺を見て紐時は安心したのか、そっと息を吐いた。しかし橋立は「むぅ……」とか言いながら頭を叩いてきた。え、なんですか?
「そこまで必死にならなくてもいいじゃん……」
「え? なんて?」
「なんでもない!」
せっかく紐時の機嫌をとったと思ったら、今度は何故か橋立がご立腹のようだ。なんかよく分からんなぁ。
それにしても、紐時の無表情っぷりには驚いた。表情からは全く感情が読めないし、何を考えているのか全く分からない。こんな不思議ちゃんとまともに付き合っていけるのは、心を読める橋立くらいだろう。紐時がやたらと橋立を守ろうとするのも納得だ。唯一の友達だもんな。……いやまぁ、知らんけど。
「二人とも、ババ抜きしよ?」
「あ、いいですね」
しばらくして、橋立がトランプを掲げる。おい待て、ババ抜きって橋立が圧倒的有利じゃねえか。と言おうと思ったが、紐時が妙にやる気だったのでやめた。
橋立は自分の椅子を持ってきて座る。そしてカードを取り出してシャッフルをしようとしたが、盛大にばら撒いた。
「いや下手かよ」
「こ、これだけはなんかできないんだよね……」
「私にお任せを」
紐時は橋立から受け取ったカードをシュッシュし始めたが、どんどんカードが落ちていっている。
「お前もかい」
「あれ、おかしいですね。このトランプ、何か細工がされているようです」
「トランプのせいにするな。貸してみろ」
俺は受け取ったトランプを華麗に切っていく。
「おおー」
橋立が感嘆の声を上げた。無理もない。プロ顔負けのシャッフルだ! クラスに一人はいる、マジックとシャッフルが無駄に上手いやつ。それこそがこの俺だ。中学生の頃、誰に見せるわけでもないのに、マジックを猛勉強していたのがこんなところで活きるとは。人生分からない。
「誰にでも取り柄はあるものですね?」
「なんで疑問形なんだよ……」
こんなものを取り柄にしたくはないが……。
カードがよく混ざった所で、それぞれに配っていく。全て配り終え、自分の手札に目を通す。お、意外と揃ってるな。
じゃんけんの結果、橋立、紐時、俺の順番でカードを引く事に。
橋立が紐時からカードを引く。次に紐時が俺から引く。そして最後に俺が橋立から。その流れを繰り返していく。
橋立は意外な事に苦戦していた。序盤こそ「わーいそろったー」とか声を上げていたが、中盤になるにつれて唸り声の方が多くなっている。心を読めるのだから、てっきりバンバン揃えまくって余裕で一抜けするものだとばかり思っていたが、手加減でもしているのか?
紐時はポーカーフェイスを貫いており、カードが揃っても声一つ上げない。こいつはババ抜き最強かもしれない。
一向にジョーカーは回ってこない。俺の予想だと、多分紐時が持っているんだよな。心を読める橋立がジョーカーを引くとは思えないし。
そう思った矢先だった。
「いやぁぁぁっ!」
紐時からカードを引いた途端、橋立が叫びを上げた。嘘でしょ? 引いちゃったの? 分かりやすいな……。
そのまま流れで、紐時はあっという間に一抜けしてしまった。まさかとは思ったが、今は自分の戦いに集中しなければ。
橋立との一騎打ち。手加減しているのか不調なのか知らないが、今なら勝てるかもしれない。
そう思ったのだが、俺はあっさりと敗北した。
「わたりくん見え見え〜」
いや、本来勝てる訳ないから。だってあなた、心読めるんですから。
しかし何故、紐時は橋立に勝てたのだろうか。謎は深まるばかりだ。
今回の事と言い昨日感じた違和感と言い、なんか不自然なんだよな。じゃあどこが不自然なんだと言われれば、上手く答える自信は無いけど。
ただ何というか、紐時すすきは、一体何者なのだろうか。