うん! まずいね!
狼に牙を突き立てられ、オークらしく脂肪がたっぷりとついた左腕に焼けるような熱と痛みが走る。
だが俺は振りほどくことなくむしろ逃がさないように右手で狼の首をつかみ抑え込んだ。
狼は逃れようとより一層力をいれて噛み、牙が腕の肉に食い込んでいく。離さないならこのまま腕を食い千切ってやろうといわんばかりの勢いだ。その痛さは我慢できず眼から涙が勝手に流れてくるほどだった。
それでも俺は狼をつかんだ右手を離そうとはしない。むしろ俺も右手により強い力を込めて首を絞め返す。すると首のあたりがぽきぽきと小気味のいい音を奏で始め、狼は聞いたことのないような悲鳴を上げる。しかし狼もさすがである。噛む力を緩めようとしなかった。
俺の左腕の肉が食いちぎられるのか先か、俺が狼の首の骨を折るのが先か。
一言でいえばそれが今の状況だった。
脳からアドレナリンが過剰に分泌されていき力が湧き痛みを感じなくなる反面、思考力が低下していき現実感がなくなっていく。まるで本当に自分がゲームのキャラを操作していくような気分だった。
どうしてこんなことになっているんだっけ?と絞める力を一切緩めないまま、ぼんやりと記憶をさかのぼる。
まず最初に思い出したのは、この世界に来てから二度目の眠りから目覚めて叫んだところだった。
※
おっしゃあああああああああああああ!
ガッツポーズをとり俺は叫ぶ。
なんでそんなにうれしいのかって?
説明しよう!
豚肉バーベキュー事件と命名したあのなんとも悲しい出来事の後すぐに、腹いっぱいになった俺に猛烈な眠気が襲ってきたのだ。そのままその場で倒れて寝そうになった俺であったが、このまま無防備寝るのはまずいと何とか耐えた。
前回は運よく寝ている間に喰われなかったが次もそうなるとは限らない。
そう思った俺はせめて見つかる可能性を少しでも減らすために大きな岩場の陰に隠れるように身を置いた。それから耐えるのにも限界が来て、死を半ば覚悟しつつ祈りながら俺は寝た。
そしてそれからどのくらい立ったのか定かではないが、俺は五体満足のまま目を覚ました。
そして俺は生きている喜びをかみしめながら叫んだのであった。
それからしばらく経って興奮が冷め冷静になった後、寝る前より少し自分の視線が高くまた体が重くなっていることに違和感を感じ、また自分の体がでかくなっていることに気づいた。
今は大体中学生くらいだろうか? ただ今回は背が高くなるだけでなく腹や腕に脂肪がたっぷりとついており縦にも横にも伸びている。俺の知るtheオークといった体型になっていた。人間からみたら今の俺は完全に不細工で醜悪な化け物に見えることだろう。もう人間に退治される未来しか見えない。
そして初回に比べれば緩やかではあるものの、それでも人間の頃に比べれば考えられないほどすさまじい成長のスピードである。きっとそれだけのスピードで大きくならなければこのダンジョンでは生きてはいけないのだろう。
しかし、前にも言ったかもしれんがこれだけの成長には当然それ相応のエネルギーがいる。寝る前はあれだけ満腹だったにも関わらずまたも空腹が俺を襲った。
・・・・・・もうここまで不遇過ぎる状況だと逆に笑えてくるぜ!
いつまでこの猛烈な成長はいつまで続くんだろうか?
このままずっと続けばおれば自分の成長スピードに殺されることになってしまう。なぜならここには俺が食えそうなものがほとんどないのだ。昨日みたいにバーベキューが都合よく準備されているわけがないだろうし、今日は一体何を喰えばいいんだと頭を抱える。
その時、俺の問いに答えるかのように頭上からポトリとゲジゲジ君が落ちてきた。うねうねと気持ち悪く動きをしながらこう尋ねているように見える。
――呼んだ?
呼んでません!
いらっとした俺は怒りに任せてゲジゲジを蹴り飛ばし先に進む。
ただ不幸中の幸いと言ってもいいのか、腹が減ったといっても寝る前にかなりの量を喰ったからか、それとも成長が初日ほどではなかったからか以前のように倒れそうになるほどでもない。昨日と違ってかなり余裕がある。なのでゆっくり探していこうと思った矢先、それは現れた。
「ガルルルルル!!」
そう唸るのは見覚えのある狼だった。
そう、俺が生まれたばかりの時にあわや生きたまま喰われかけたあのバカでかい狼である。
「ガウッ! ガウガウッ!!」
さっきから威嚇するように吠えるだけで襲ってくる気配はないが、それだけでもあの時の恐怖がよみがえって気分が悪くなる。完全にトラウマになっていた。
狼が襲ってこないうちに逃げようと踵を返す。しかし逃げようとする姿を見て俺を敵ではなく餌だと判断したのか、背を向けた瞬間狼に襲い掛かられた。
反応が遅れてよけきれず、そのまま左腕をかまれる。
痛えええええええ!
は、離せええええええええ!!
今まで感じたことのないほどの痛みを覚えた俺は、なんとか逃げようとするが狼はしっかりと脂肪のついた腕を噛んで離そうとしない。牙は時間がたつごとに深く食い込みますます痛みは増す。
その瞬間、人間だったころの楽しかった記憶が一斉に頭の中に流れた。
これってあれだ。人間が死ぬ前に見る走馬燈ってやつだ。
・・・・・・「死ぬ」?
俺が・・・・・・死ぬのか?
狼に喰われて死ぬ?
なんだ、その三下みたいな死に方は? そんな死に方するのか? この俺が?
・・・・・・ありえねえだろ!
そんな怒りが心の中に広がっていき、徐々に恐怖を侵食していく。
ふざけんな! なんで何も悪いことをしてないのにこんな風に死ななきゃならんのだ!
ぶっ殺してやる! 誰をだって? もちろん俺をこんな目に合わせた張本人だ! だがその前にお前だ! なに狼の分際で俺を喰おうとしてんだよ! 身の程をしれ!
確かに赤ん坊の時は俺よりはるかにでっかく見えたが、あれから俺も成長して今は立場は逆転している。今なら普通に戦えば十分に勝機はある。狼とかゲームじゃ雑魚キャラである。もう何匹ぶっ殺してきたかわからない。ぶっ殺して素材をはぎ取ってやんよ!
そう自分をふるい立たせ、俺は狼の首を右手でつかんで力を入れたのだった。
そして冒頭に戻る。
・・・・・・ああ、そうか。だからこんなことになってんのか。
回想を終えすべてを思い出した俺は、ぼんやりとした頭でただそうとだけ思った。
そして偶然にも回想が終わったのと同時に戦いにも終止符がつくことになる。
何かが盛大に折れたような音が聞こえたと思うと、狼の首がありえない方向に曲がっており、左腕にかかる力が一気になくなった。それから少し遅れて狼の首が折れたのだと理解する。
俺は勝った! 腕に大きな傷を残しつつも、トラウマを乗り越えリベンジを果たしたのだった。
まあ、こいつはあれとは別の個体だろうけど。それを言うのはやぼってもんだろ!
そんなことを考えながら、嬉々として俺は戦利品を早速喰うことにした。
※
さて、ここで狼の肉という貴重な食材を手に入れ、当然食べようと思った俺であったがここで初めてある大変重要なことに気づく。
・・・・・・火がねえと焼けないじゃん!
なぜ今までこんな当たり前のことに気づかなかったのだろうか。
オーク肉の時は冒険者たちが魔法か何かで焼き尽くしてくれていたから気にしなかったが、当然ここには肉を調理する設備などあるはずがない。何とか肉を焼くために火だけでも手に入れられないか考えたが、周りにはゲジゲジと岩くらいしかなく、枝一本すらない。これでは小指の先ほどのの火を灯すのすら不可能である。
調理は不可能。かといってそのまま捨てるのはあまりに勿体ない。恐る恐る足の一部を齧ってみると、オークの頑丈な歯は特に問題なく狼の足をかみ砕いた。
まずは血の味が口いっぱいに広がり人間の頃なら問答無用で吐き出していたのだろうが、オークになって味覚が変化したのかそれほど嫌な気分にならない。ただそれは食べれるというだけでうまいというわけでなく、むしろ・・・・・・
・・・・・・まずっ!
不味かった。
これだけ頑張って手に入れた成果がこれだと思うと泣けてくる。だが食べられないほどまずいというわけでもなく、捨ててしまえるほど余裕があるわけでもない。我慢してひたすら無心で食べ続けた。
さすがに頭や内臓といった部分は食べる気が起きず残したが、それ以外はもったいない精神でなんとか食べきった。
腹が少し落ち着いた俺はさっきから痛む左腕を見た。腕にきれいに狼の歯形が残っていてそこからどくどくと血が流れている。
当然であるが、動物に噛まれるというのはとても危険なことだ。
日本の飼い犬でさえ口の中には多くの雑菌が存在し、噛まれると傷深くに細菌が入り込み感染症を起こし死ぬこともあり得るのだ。ここの狼が日本の犬よりも清潔なんてことはありえないだろう。むしろとんでもない菌を大量に持っていそうだ。
むろん自分も今はモンスターですし、その程度で感染症を起こして死ぬなんてことはないだろう。
しかしこんなことをずっと続けていたらいずれそうなってもおかしくはない。
素手はまずい。なにか武器が必要だな・・・・・・。
そう心の底から思いながら、とりあえず狼に噛まれた傷口から流れ出る自身の血をなめとった。
うん! まずいね!