第29話 不穏な忠告
沢山の人々からの謝罪合戦を、俺は何とか収め、人だかりから逃れてきた。
今までの行いを謝ってくれたのはとても嬉かった。けれど、皆が皆謝るものだから、キリがなかったのだ。
それに。理解してくれた――ただそれだけでも、俺は充分温かい気持ちで満たされた。
ようやく長い眠りから目が覚めたような解放感。
足首に吊るされていた重りが消え、足取りも軽くなっていた。
けれど……、本心から喜ぶべき時間なのにも関わらず、まだ俺の中では不穏なわだかまりが、渦巻いている気がした。
何故なら――決闘後、スチュワート侯爵がいなくなっていたからだ。
俺は決着がついたその瞬間に、彼が座っていたであろう貴族専用座席の一角を一瞥したのだ。
しかし、既にそこには彼の姿はなかった。まるで初めからそこにいなかったのではないかと、疑ってしまうほどその座席は寂しかった。
正確な理由は分からないが、観客の人々が差別という自身の”間違い”に気づいたのは、俺が懸命に戦っている姿と熱意に動かされたからだという。
もしスチュワート侯爵も同様に、俺の熱意の影響を受けていたのなら、何かしら一言くらいは俺に声を掛けても良いんじゃないだろうか。
あるいは、自身の立場が危うくなる前に、逃げ出したか……。
一応ではあるが、俺が決闘に勝った場合、彼はこれ以上、アリナ姉妹には手を出さないと約束してくれた。
信用は半々だが、約束をあっさりと破るような地位の男でもないだろう。
だが、絶対に安心できる訳ではない。
アリナ曰く、お姉さんのいる獣人族病院には既に侯爵に居場所が割れたと、連絡を入れているらしい。
現在警戒態勢にあると思われるが……、安否確認の為にも、俺たちもいち早く向かうべきだろうな。
やるべき事は多々ある。
しかし、折角決闘に勝利したのだ。今はその喜びをゆっくりと味わうべきだろう。
そう思いつつも、俺は――ギルド長の待つ応接室のドアをノックして、中に入るのだった。
非常に殺風景な部屋ではあったが、中で待つマッチョ男が原因となって、内部の空気は妙な威圧感で満たされている。
……別に来たくて、来たわけじゃないよ?
謝罪したギルド長ガリスから直接呼ばれた為に、足を運んだのだ。
本当なら、ハッピーな気持ちでアリナ達と収穫祭を楽しむ予定だったのだが、ギルド長直々のお呼び出しを無視するわけにもいかない。
それに昇格の直談判をするには丁度いい機会だったこともあり、俺は渋ることなくこの危険な匂いのする部屋へと入ったのだった。
「おお、来たか。すまないな、急に呼び出してしまって」
「いいえ、こちらも少しばかり用があったので……。それで、要件はなんですか?」
「……2つあるんじゃが、ともかく一旦そこの席に座ってくれ」
ガリスが指差す対面側の席に、俺は促されるまま腰を掛ける。
すると、既に準備をしてあったのか、ガリスは懐から小さなバッジを取り出したのだった。
銅色に輝くそのバッジ――それを、ゆっくりと俺の前に置くと、ガリスは男らしい微笑みを口元に浮かべて言う。
「貴方は鉄級ながらも、ゴブリンロード単独討伐、デッドオーク協力討伐を見事成功させ、更に侯爵様主催の決闘にて銀級四位相手に勝利を収めました。よって、銅級三位に昇格することを認めさせていただきます」
丁寧口調となったガリスの口から告げられた言葉は――昇格の知らせだった。
「え……、い、良いんですか?」
「当たり前じゃろうが! ここまでの功績を残しておいて、鉄級のまま放置しておくなど、ギルド長として失格じゃ。だがしかし、改めて詫びさせて欲しい。出張中、お主の力を信じずに、昇格を認めなかった事を……」
ゆっくりとガリスはごっつい身体を曲げて、頭を下げたのだった。
そっか……、やっぱりガリスさんは、俺の試合をしっかりと見ていてくれたんだな……。
何か、未だに直談判をしようとしていた自分が、恥ずかしくなってきたじゃないか。
それにしても、他の人に力を認められるって、こんなにも嬉しいものなんだな。
「……ありがとうございます。これからも、精一杯精進して参りたいと思います!」
「うむ、期待しておるぞ。冒険者証明書記載の等級更新は、そのバッジと一緒に受付嬢に渡せば、承ってくれるはずじゃ。くれぐれも忘れずにな!」
「はいっ、本当にありがとうございました!」
嬉しさからか、俺もつい頭を深々と下げて、ガリスに感謝の意を示した。
しかし銅級まで昇格できるとは、これっぽっちも想像していなかった。これで晴れて、俺もアリナと同じ等級という訳だ。
「さて……、嬉しい話の後にこんな事を言うのもなんじゃが、侯爵様の件――キエラから詳しく聞かせてもらった。何でも姉を人質に取り、アリナに奴隷となることを強要したそうじゃな」
「……はい」
「やはり……、そうなんじゃな? 黒い噂の耐えない領主じゃったが、本当に手を染めてしまっているとは」
ガリスは悩んだ後に、静かに頷いて話を続けた。
「一先ず……、帝国上層部とその他の機関にはワシらが匿名で伝えておこう。もっとも、あそこまで権力があると、もみ消されてしまうだろうがな……。それとアリナの姉さんについてだが、あの近辺にあるギルド派出所の長を務めるワシの知り合いに、護衛を頼んでおいた。余程のことがない限りは大丈夫じゃろう」
「そ……、そこまでやってくださるんですか!? 何か、とても申し訳ない気が……」
「構わぬ。国から独立した組織として、冒険者を保護するのも、ワシらの役目。アリナにも宜しく伝えておいてやってくれ。それと……、侯爵の動向には暫く注意したほうが良いぞ。決闘の後、バーゼルを連れてどこかに消えてしまったみたいだが、何を考えているか検討もつかん」
「その通りですね……。でも、今回の決闘で侯爵は動きづらくはなったとは、思います。何せ、配下の決闘とは言え、負けてしまったんですから」
「あぁ、メンツは丸潰れだろうな。だがそれでも、力が衰えないのが権力者じゃ。注意しておけ。……奴隷制の証拠品でも差し押さえて、新聞社に持ち込めば、一発なんだがなぁ。ともかく、今の内は我慢するんじゃな」
「はい……、ご忠告ありがとうございます」
再び頭を下げると、ガリスはおもむろに立ち上がり、にこやかに了解の意を示してくれたのだった。
「ワシからの要件は以上だが……、先程何か用があると聞いたな。何かあったのか?」
「あ……っ、いや、もう大丈夫です。全てガリスさんに、先手を打たれてしまいました」
「ふっ……、そうか。時間取って悪かったな、早く守るべき大切な人の所に行ってやれ!」
その表面上だけ優しい言葉に俺は一瞬、「はい」と頷きかけた。
しかし、ガリスの気味悪い表情を見て、その真意を悟った俺は直ぐ様、首を横に激しく振った。
「いや、別にそんな関係じゃ……!」
「否定せんでもいいぞ! お主ら、中々に良いコンビじゃったからな!」
口角を吊り上げ、ニヤけたガリスは、俺の否定を遮り、呵々と大声で笑うのだった。
☆ ☆ ☆
応接室を後にした俺はロビーで待つ、アリナとキエラの元へと向かった。
ガリスの手回しのおかげで、危険性は大幅に低下したし、俺たちも比較的行動がしやすくなった。
キエラが褒め称えていただけはあるな……、感謝してもしきれないよ。
「ありがとう……、ございます」
誰もいないはずの廊下で、一人そう呟いた――その時だった。
壁際から妙な気配が感じられたのは。
とても薄っすらとした気配、だがそこに誰かがいるのは間違いはなかった。
「誰だ……ッ!? 誰かそこにいるのか?」
俺は目を凝らして、壁を注視する。
すると、そこには――僅かな気配を漂わせた青髪の青年が腕を組んで、壁に寄りかかっていたのだ。
気配が薄すぎて、いるかどうかすらもハッキリと分からないだと……?
奥義のおかげで何とか見抜けたみたいだが、あそこまで気配を消せるとは相当な隠密能力だ。
「……どうやら、気づかれてしまったみたいだね」
不意にその青年の気配が濃くなった。
ようやく目視できるほどの気配に達し、俺はソイツが何者なのかを確かめる。
顔は妙な形をした仮面で隠されており、正体までは把握できなかった。だが騎士めいた黒い服装と、膨大な魔力からして、剣豪または剣聖クラスの強者であることは、ひと目で判別できたのだった。
「ノーム君だね? さっきの試合、拝見させてもらったよ。回避に徹底した戦闘スタイル、とても興味深かった」
「……あ、ありがとう。それで……、アンタは俺に何の用だ? まさか侯爵の手先かなにかか?」
「いや、違うよ。僕は君の敵じゃない、寧ろ君の味方をしにここまで来たんだ。まだ戦いは終わっていないからね」
するとその青髪の青年は、仄かに甘い香りを漂わせながら、とても色白で綺麗な手で俺に一枚の紙を手渡した。
そこには”A5”と繊細な文字で、書き綴られていたのだった。
「A5……? どういう意味だ?」
「もし困難にぶつかったら、パンフレットの地図を頼ることをオススメするよ。それじゃ、またどこかで――」
「あ……っ、お、おいっ!!」
俺とすれ違ったその青年を追いかけようと、後ろを振り向くが既にそこに彼の姿はなく、辺りには彼の残り香だけが淡く漂っていたのだった。
あまりにも薄すぎて、視覚すら出来なくなるなんてな……。
とんでもない奴もいたものだ。
「……A5って、何の暗号だよ」
――考えるだけ無駄だな。
これ以上アリナ達を待たせる訳にもいかないし、暗号解読は後でも何とかなるはずだ。
俺は怪訝そうに眉をひそめると、ギルドのロビーへと駆けていったのだった。




