第25話 決闘直前
「とうとうこの日が来たわね……」
地平線の彼方で登りゆく陽の光を、アリナは険しい表情で静かに眺めていた。
久しぶりにベッドで疲れを癒やしていた俺は、ゆるゆると起き上がり、軽く体操をしてから準備を始める。
「決闘当日なのに、随分と気楽なのね」
「だって、一週間でやれるだけの事全てをやり尽くしたからな。これで勝てないなら、潔く諦めてやるよ」
皮肉の籠もった笑みを薄っすらと浮かべ、俺はキエラに調達してもらった白シャツと黒いコートを身につける。
若干コンプレックスのある白髮を整え、イザラギを腰に装着すると、先に支度を済ませていたアリナと共に家の外へ足を踏み出すのだった。
――街は朝っぱらから、既にお祭りムードである。
商店街には様々な露店が立ち並び、収穫祭を仕切る委員会の人たちが忙しそうに、駆け回っている。
空は雲ひとつとない青空で、絶好のお祭り日和である。
街中でも人々の喧騒に紛れて、小鳥のさえずりが響き、花壇に並ぶ花は綺麗に咲き乱れている。
まさか、こんな穏やかな日に決闘をしなくてはならないとはな――
「そういえば、キエラは?」
「闘技場の整備で、朝早くギルドに向かったわ。ノーム君の晴れ舞台だからって、凄い気合い入れてたわよ」
「そうか……。まだ勝つって、分かった訳でもないのにな」
冗談半分でそう言うと、不意に彼女は俺の前に立ち塞がった。
そして、潤んだ瞳で俺を真剣に見つめつつ、俺の両手をギュッと握りしめた。
「絶対に……、死なないでね」
「……分かってる。最後の瞬間まで、舞台に立ってやるから」
お人好しと言われている俺が言うのもなんだが、アリナの優しさは相当なものだった。
何せ、此の期に及んでも彼女は、絶対に勝てという言葉を口にしないのだから。
俺が負ければ……、アリナはアイツの奴隷になってしまうというのに。
しかし、命に代えてでもそんな事にはさせない。
俺はただ勝つ事だけを考えて、死ぬ気でこの一週間を過ごしてきた。
何がなんでも、あのバーゼルに勝ってみせる。
それが今まで協力してくれた、彼女やキエラへのせめてもの恩返しだ。
☆ ☆ ☆
既にピーク時を過ぎているのにも関わらず、ギルドの手前は凄まじい賑わいを見せていた。
それは収穫祭という一大イベントの影響もあるが、それ以上にスチュワート侯爵主催の決闘が行われる事で、多くの見物客が集まっているのだろう。
「……あれが、スチュワート侯爵に喧嘩売った奴か?」
「異端者なのに、中々の度胸だよな」
「身の程知らずなだけだろ。最弱職風情が」
「舞台でボコボコにされると思うと、異端者でも可哀想ね……」
何か周りが物凄くしょうもない話をしているが、俺は一切耳を傾けなかった。
恥ずかしくなんてない、悔しくなんてない。俺はここにいる奴ら全員を、唖然とさせるほどの力を身に着けてきたのだから。
憐れみの目線が突き刺さるのが、今ではどこかくすぐったく思え、無意識にほくそ笑んでいた。
「あーもぅ! 何か、凄く焦れったいわね……。今すぐにでも、力見せてやっても良いんじゃないの?」
「バーカ。そんな事したら、バーゼルの意表を突けなくなるだろうが」
ギルドには既にあのバーゼルとスチュワート侯爵が待機していた。
沸々と煮えたぎる闘争心を包めて、冷静を保ちつつも、俺とアリナは二人の元へと向かった。
「来てくれたんだね。てっきり、街から逃げ出したものだと、思っていたけど……」
「当たり前だろうが。それにしても、随分とセコい手を使ってくれたじゃないか。羨ましいもんだね、貴族ってのはさ」
「……こちらも、必死なんでね。それじゃ、僕は君とバーゼルの戦いを、楽しく見物しているとするよ。精々頑張るんだね、【異端者】君」
スチュワート侯爵は冷たい笑みを浮かべ、マントを翻すと闘技場の客席へと向かって歩き出したのだった。
本当に何から何までいけ好かない奴だ。ただ、周りと一線を画する威圧感だけは、本物の貴族と言えるだろう。
「ふん、逃げずに来るとは、度胸は本物だったという訳か」
先程まで黙りこくっていたバーゼルに俺は鋭い一瞥を送ると、何故か奴は笑い始めた。
「こっちも大衆の面前での戦闘は本職じゃねぇが、侯爵様の命令だ。手加減はしねぇから……、精一杯抗ってみせろ。その小娘を守りたいならな」
「初めからそのつもりだ」
「へっ、相変わらず気に食わねぇ、野郎だ。ほらよ、会場はこっちだから付いてこい」
俺は無言でうなずくと、カウンターの奥へと入っていく直前に、やり取りをずっと見守っていたアリナに手を振った。
声にならない言葉で「絶対に帰ってくる」と伝えて……。
☆ ☆ ☆
「……いよいよですね」
ノームの背中をジッと見つめていた私は、不意に背後から声を掛けられた。
聞き覚えるある口調に振り返ると、そこにはキエラがしみじみとした雰囲気を醸し出して、佇んでいた。
「ええ、そうね……」
「……大丈夫です。きっと彼なら、勝ってくれますよ」
決闘のルール上、この場で対戦者が死んでしまったとしても、余程のことがない限り相手が罪に問われることはない。
恐らくスチュワート侯爵は、それを狙っている。そうでなかったとしても、異端者を甚振る図を大衆に見せつけるのが、彼の目的だろう。
――そうよね。あれだけ特訓したんだもの、ノーム君が負けるわけがない。
詰まる思いをギュッと抑えて、私は彼の背中を静かに見送ったのだった。
「……ったく、収穫祭の朝だっちゅうのに、人騒がせな奴らじゃな」
そんな雰囲気を破壊するかの如く、その巨漢は現れた。
ガッシリとした体躯、私たちよりも数倍は太いであろう腕。如何にもな男臭を漂わせつつも、彼は屈託ない男らしい笑いを口元に浮かべ、キエラに近づいてきたのだ。
「ガリスさん! 舞台の最終確認はもう済んだのですか?」
「おうよ! 久しぶりに強力な結界を起動させたりと、一肌脱がせてもらったわ! ガッハッハッハ!!」
高々と笑ったその巨漢は、私を一目見るや否や、少し神妙な顔つきとなった。
「ほぅ。その娘が例のアリナっちゅう奴か?」
「はいっ、……と紹介が遅れましたね。こちらの顔が怖い人が、このギルドのマスターを務めるガリスさんです」
「ハッハッハ、如何にもワシがガリスじゃ!」
「マ……、マスターさんだったんですね。そ、その、今日は……、宜しくおねがいします」
私はギルドマスター、ガリスの凄まじい気迫に少し身体を身震いしながらも、深々と頭を下げた。
「ええんじゃ、ええんじゃ。仕掛けてきたのはあやつらの方じゃろ? 君は何も悪くない。……それと、折角関係者が2人もいるんじゃ、この際聞いておくが」
ガリスはカウンターの奥で微かに見えるノームの姿を一瞥し、戦慄を感じたかのごとく、咥えていた煙草の煙を吸って、吐き出した。
「あの少年が、例の異端者で間違いないんじゃな?」
「は、はいっ! 一週間前に、ゴブリンロードとデッドオークを討伐した彼で間違いありません」
「そうか……。何というか、恐ろしいな。まさか、こんな奴が存在しようとは……」
恐れと称賛の意を含めた言葉を投げかけつつ、ガリスは向き直り、今度はジッと私の姿を細い目で熟視する。
「君も1つ持っておるじゃろ?」
「え……っ。その、見えるんですか?」
その言葉に私は心底動揺した。
たった今、ガリスは一切の魔法を使わずして、その力の有無を判別した。
鑑定魔法ですらも、簡単に見抜けるものではないというのに……。
「あぁ。十数年前辺りから、色の付いたオーラみたいな物が見えるようなったんじゃ。長年の感覚というやつじゃな」
「……という事は」
「勿論見えておる。だから恐ろしいと言ったんじゃ――」
ガリスは冷や汗をにじませつつも、ゆっくりと溜めて言い放ったのだった。
「――あの少年、オーラを2つも纏ってやがる」
まだ判明していない物で、アリナが1つだけ持って、ノームが2つ持つ力とは……?




