第16話 特訓開始
「ねぇ……、何であんな事言ったの?」
侯爵が去った後に裏路地から連れ出し、宿屋まで送っている最中、ずっと無言でいたアリナが突然口を開いた。
俺は重たい足取りを止めて振り返り、道端で立ち止まった彼女の弱々しい姿を見る。
デッドオークに捕らわれていた時よりも生気を失っていた彼女は、何も映していない虚ろな目を俺に向けた。
「何で決闘なんて受けたの……? 貴方は全く関係ないのに、何でそこまで私を庇ったの?」
ふと潤んだ瞳から、ひとつの透明な水滴が零れ落ちた。
それを合図に彼女の目からは大粒の涙が溢れ出し、頬を伝い出す。
「貴方、バーゼルがどれだけ強いのか分かってるの? アイツは銀級四位なのよ、とても勝てる相手じゃない……。きっと、侯爵は祭りの日に貴方を闘技場で殺して、皆の見世物にしようとしている……。それを分かってるの?」
「そんなこと分かってる。だけど、勝てるか勝てないかなんてやってみなきゃ、分からないじゃないか」
「でも……、ノーム君がそこまでする必要はないはずよ。だってこれは私の問題――私が何とかするべきなのに……、なのに何で?」
何でって……、そんなの決まってるじゃないかよ。
嗚咽を漏らしながら尋ねたアリナに、俺は心底呆れたように肩を竦めて溜め息を吐き出すと、面と向かって言い放った。
「そんなの、どうでもいいじゃないかよ」
「えっ…………?」
「今日君に言われたことをそっくりそのままお返しするけど、大事なのは、相手にどんな思いを持って接するか……、じゃないのか? 俺は涙を流してまで困り果てている君のことを助けたい! 庇う理由なんてそれだけで充分だろ?」
暗闇を数本の魔法灯がオレンジ色に照らす中、俺はゆっくりと彼女に近づくと頭一つ分背が低いアリナの頭に、優しく手を載せて撫でた。
驚いたのか三角の獣耳がピクリと動き、アリナは見開いた目で俺を見つめていた。
「無理して笑って、無理して楽しそうに振る舞って……、そんな作った様な愉快を苦しそうに演じていたら、放っておけるものも、放っておけなくなるだろうが!」
俺はそのまま頭を撫でていた手を少し上げると、勢いよく彼女の頭を叩いた。
「いてっ」と間の抜けた声を上げたアリナは、涙で濡れた瞳をパチクリさせて、目を見張っていた。
「その代り……、協力しろよ?」
「協力って、何に?」
「自分の問題って自覚あるんだろ? だったら、特訓に付き合え。情けで与えられた1週間で、アイツを超えるまで強くなってやる!」
あのサーベルを受けた時、感じた凄まじい怒気と、手のヒリヒリするような感覚。
正直なところ、正攻法で立ち向かっても勝てる気がしなかった。今の俺では――
もしレベル10毎にSPが100貰えると仮定した場合、最低でもレベル30は欲しい所だ。
でないと、そもそも奴の攻撃を躱すことすら出来なさそうだった。
「本当に戦うの……? 逃げたりしないの?」
「当たり前だろうが。第一逃げたら、君の妹さんが殺されちまうじゃないかよ」
「貴方のこと、信じてもいい……? 貴方が勝つ可能性を夢見てもいい?」
「ああ、絶対に全力で戦ってやるから、大船に乗った気分でいろよ」
半分本気、半分冗談で俺は自慢げにそう言ってみせた。
すると、彼女は半べそをかきながら、クスリと笑ってくれたのだった。
「分かった……。じゃあ、私も全力で協力する。貴方がバーゼルに勝てるように……!」
「最初っからそれでいいんだよ。よし、今日はさっさと寝て、明日から本気でやるぞ。打倒銀級四位のバーゼルを目指して……!」
俺は決意を胸に彼女の手前に拳を突き出した。
少し怪訝そうに首を傾げたアリナだったが、恐る恐る右手を上げると、俺の拳に優しく当ててくれたのだ。
その彼女の笑顔は――どこか吹っ切れたように爽やかだった。
☆ ☆ ☆
翌日の朝、急いで支度を済ませ宿を出ようとすると、既に入り口には少し不安気な表情のアリナが居た。
集合場所を指定したのは俺なのにも関わらず、どうやら遅れてしまったようだ……。
「遅いっ、特訓初日に遅刻するなんてあり得ないわよ!?」
「ごめんって……! 昨日色々と作戦練ってたら、寝るの遅くなっちゃって」
「その様子だと、朝ご飯まだなんでしょ?」
「……はい」
アリナは肩を落として長い溜め息を吐き出すと、俺の腕を掴んで歩き始めた。
「ちょっ、おい……っ」
「食事処紹介してあげるから、さっさと食べて、作戦会議するわよ」
「……あぁ、了解だ!」
こうして俺はアリナに半強制的に連れられ、定食屋へとやって来た。
そこで卵焼きご飯という最もシンプルで美味しい朝食を食べつつ、俺はアリナと向かい合って今日の打ち合わせを始める。
「それで……、特訓ってどこでするつもりなの?」
「むぐむぐ……っ、アリナが行ける場所で、最も強い魔物が出てくる所はどこだ?」
「最も強い魔物が出てくる所!? そんな大雑把な事聞かれても……。えーと、例えばダンジョンとか」
「ダンジョン……?」
聞いたことはあるが意味の分からない単語に首を傾げた所、アリナは目をパチクリさせて俺の姿を見た。
「もしかして、知らないの……? ダンジョンって言うのはね、独特な魔の瘴気で覆われた空間で、普通とは違った特性を持つ魔物が多数生息する迷宮の事よ。この世の理を逸脱した別次元とも言われていて、生態系は地上世界とは似ても似つかない故に、非常に危険な場所と言われているの」
「へぇ……。そんなにも危険な場所なのか?」
「そうよ。それにダンジョンには希少素材や魔道具、武器、財宝が多く眠っている。それを見つけられれば、更に有利に事を進められるかもしれないわ」
なるほど、そこで魔物を狩れば容易にレベル上げできるというわけか……。
どれほどの強さを持つ魔物が出てくるかは想像できないが、それでも話を聞くに効率は良さそうだった。
「この街から一番近い未踏破ダンジョンだと、銅級の私でも、潜れるのは第1階層から第5階層くらいまで……。パーティーで入る場合、銅級冒険者が半分以上でないとそもそも入れないほど危険な場所だから、覚悟しておいてね」
「分かった……! じゃあ、朝食を食べ終わったら早速行こう――と言いたい所だが、その前に1つだけ君に頼みたいことがある」
「何かしら? 私のできる範囲なら、協力してあげられるけど……」
アリナは愛嬌の良い笑顔を浮かべ、話を促した。
こんなにも可愛らしい少女が使うような技術ではないと思うが、恐らく行使ぐらいならできるはずだ。
「アリナって、魔法は得意だよな?」
「う、うん。人並み程度にはね……」
「なら――毒魔法は使えるか?」
俺の言葉を聞いた瞬間、彼女の頭の上でクエスチョンマークが飛び交い始める。
「い、一応使えるとは思うけど……。急にどうして?」
「どうしても何も、毒魔法を教えて欲しいからだよッ!」
「え……、えぇっ!?」
驚愕で顔を染め上げ、彼女は素っ頓狂な声を朝一番に上げたのだった。
魔法習得により、得意不得意は関係なしに、魔法を手軽に取得できるようになった今、俺の思い描いた剣豪の【異端者】に辿り着くまで、そう遠くないだろう。