藍沢と田中 其の六
次の日の朝
ICUの藍沢のもとを橘が訪れていた。
橘「調子はどうだ?」
藍沢「バイタルも安定してますし、喘息の発作もないです」
橘「そうか。今日から田中と同じ部屋に戻っていいぞ。ただし、病院休暇だからな」
藍沢「手が足りなかったら呼んでください。自分はピアノの練習をホールしてますんで」
橘「何で、ピアノの練習なんだ?」
藍沢「黒田先生から昨日、楽譜を渡されて次回の定期音楽会は田中、藍沢、上野未来だと」
橘「何を弾くんだ?」
藍沢「『ラ・カンパネラの主題による華麗なる大幻想曲 1832』です」
橘「難しそうな曲名だな」
藍沢「難しそうじゃなくて難しいです」
橘「ホントに弾くのか」
藍沢「えぇ」
橘「頑張れよ。藍沢」
藍沢「はい」
そして、橘と藍沢はICUを出た。
藍沢も橘も救命のユニフォームでスタッフルームにはいる。
朝が早いからか、この2人しかいない
藍沢「黒田先生か…懐かしいな」
橘「あの時みたいに怒られるなよ」
藍沢「はい」
橘「フッ」
藍沢「じゃあ、ホールに行ってきます」
橘「あぁ」
藍沢がホールに向かう。
そして、ドアを開けると、そこにはOnly Oneを弾く田中がいた。
藍沢が椅子に座ってそのピアノを聞いた。
演奏が終わると田中が藍沢に気がついた。
田中「おはよう、耕作」
藍沢「おはよう」
田中「どうだった?」
藍沢「旋律がしっかりしてた。タッチも丁度良かったと思う」
田中「そっか。ありがとう」
藍沢「初見、弾いてみるか」
そして、藍沢が弾き始める。
藍沢は初見にも関わらず、素晴らしい音色をピアノで奏でる。
もっと練習をすればやはり世界に名を連ねるピアニストと肩を並べるかそれ以上の演奏になるだろう。
そして、藍沢は初見の演奏を終えた。
ピアノ曲の最難関と呼ばれるこの『ラ・カンパネラの主題による華麗なる大幻想曲 1832』を弾ききったのだ
藍沢「まだまだ練習が沢山必要だな」
藍沢か田中を見ると、やっと声が出たと言うように田中が「凄い」と呟いた。
田中「…やっぱり凄いね」
藍沢「えっ…」
田中「初見なのに、テンポ通りだったし」
藍沢「ありがとう。でも、当日はもっといいのをお前に聞かせるから」
田中「楽しみにしとく」
藍沢「あぁ」
そして、田中がホールを出ていった。
それから藍沢の猛特訓が始まった。
音楽会は1週間後、このホールでだ。
藍沢はそれまでにピアノ曲の最難関『ラ・カンパネラの主題による華麗なる大幻想曲 1832』を完成させなければならない。
お昼時…
ご飯に藍沢を誘おうと田中、橘、緋山、藤川、大野がホールを訪れた。
完全防音、完全防火になっているホールのドアを開けると、ピアノ曲の最難関『ラ・カンパネラの主題による華麗なる大幻想曲 1832』の旋律が聞こえてくる。
それを演奏しているのはステージの上でピアノを弾いている藍沢だ。
5人はステージと入口の丁度真ん中あたりの席に静かに腰をおろしピアノを聴いた。
緋山「凄い…」
思わず緋山の口から声が漏れる。
しばらくして演奏が終わった。
5人から拍手が自然と出る。
藍沢が驚いて5人の方を見る。
藍沢「いつから、いました?」
田中「10小節ぐらい進んだときぐらいから」
藍沢「ほぼ全部じゃないか」
田中「朝より凄かった。あの後、ずっと練習してたの?」
藍沢「あぁ…ずっとって言ってもそんなに練習してないだろ?お前達、仕事しなくていいのか?」
緋山「今、昼休み」
藍沢「えっ」
藤川「ハハーン。藍沢、お前時間見てないな?」
藍沢「もう、昼なのか?」
田中「うん」
藍沢「マジか。朝ごはん食い損ねた」
田中「朝ごはん食べてなかったの!?」
藍沢「食べる前に初見で1回だけ弾いとこうと思ったんだが、ここをもう少しこうしたいってのが練習すればするほど出てきてずっとやってた」
橘「お前らしいな」
藍沢「そうですか?」
大野「倒れられると困るんでご飯、行きましょう」
行こうとした時、田中の電話がなった。亜依の父親からだった。亜依が皆に言う。
田中「ごめん!お父さんからの電話だから話してくる。みんなでご飯いって来て!間に合ったら急ぐけど間に合わ無かったら、簡単に食べて私は済ませるから」
そして、田中は中庭に走っていった。
残された5人は一緒に昼ごはんを食べた。
藍沢は野菜炒め定食を食べた。
しばらく5人で待っていたが田中はなかなか来なかった。
そして、ご飯を食べ終えて藍沢はまたホールに戻った。
集中してピアノを弾き続ける
電話がなった。
藍沢が演奏を止めて電話に出る。
藍沢「はい」
橘「藍沢、すぐに来れるか?」
藍沢「…はい」
藍沢は病院休暇中とはいえフライトドクターとして次は冷静に橘に言った。
藍沢「わかりました。すぐに行きます」
藍沢は答えながら救命に向かって走った。
初療室に藍沢が到着したのは1分後だった。
橘「藍沢」
藍沢が頷く。
橘「呼吸が苦しいと言って救命にきた」
藍沢「わかりました。」
藍沢が治療に加わる。
「大丈夫ですか?わかりますか?ってえっ…」
藍沢は患者を見て驚いた。
救命のユニフォーム、左手の指輪、顔…
田中だ。
橘「アナフィラキシーだ。蕎麦を昼に食べたからそれが原因だと思うって言ってた」
藍沢「わかりました…。田中、挿管するぞ」
藍沢は田中にそう言った。
田中は苦しそうに呼吸しながらも小さく頷いた。
藍沢と橘の素早い治療のお陰で田中は意識不明に至らずにすんだ。
数時間後…【午後4時】
藍沢と橘は田中のもとを訪れた。
藍沢「大丈夫か?」
田中「うん」
橘「田中、お前が言ってた通り蕎麦が原因だ」
田中「蕎麦アレルギー…か」
藍沢「あぁ」
田中「わかった。ありがとうございました」
橘「じゃあ、俺はこれで」
藍沢「はい」
橘が部屋を出ていこうとする。そこに藍沢が声をかけた。
藍沢「橘先生」
橘「どおした」
藍沢「田中の当直の代わりは自分がはいるので橘先生は優輔君のところに行ってあげてください」
橘「フッ。わかった。当直頼むな。」
藍沢「はい」
橘「何かあったら田中を使う前に連絡してこい」
藍沢「はい」
そして、藍沢と田中は橘の後ろ姿を見送った。
田中「蕎麦はもう食べれないのか」
藍沢「そうだな」
田中「あのさぁ」
藍沢「ん?」
田中「耕作の病院休暇が終わったら、私の家にある蕎麦と蕎麦粉を処分しておいてくれない?」
藍沢「わかった。やっとく」
田中「ありがとう」
藍沢「今日は、休めよ。当直は代わるから」
田中「うん。そうする…。」
藍沢「明日は俺が休みだ。何かあったら、橘先生から電話が来るはずだ。今日みたいに」
田中「そっか。耕作みたいにピアノ、練習しようかな」
藍沢「明日の朝、一緒に弾きに行くか?」
田中「えっ?良いの?」
藍沢「行かないのか?」
田中「行きたいです」
藍沢「じゃあ、明日行こう」
田中「今日は?」
藍沢「えっ…」
田中「耕作が弾いてるの見たいな」
藍沢「…」
田中「今から行かない?」
藍沢「何故?」
田中「練習の途中だったんでしょ?楽譜は?」
藍沢「はぁ。わかった。行こう。ただし、成功しても失敗しても今日は1回しか弾かない。いいな」
田中「聞ければ良いから大丈夫」
藍沢はその言葉を聞いて、すぐに歩き出した。
そして、ホールにピアノの音が鳴り響いた。
明日はもっと鳴り響くのだろう。