3話:蛇と鳥
俺には夢がある。
突然何を言い出しているのかと、自分でも呆れてしまうが仕方がない。
大きくはないが小さくもない、そんな切実な夢があるのだ。
転生したことを理解してからは、前世ではできなかったことをしようと思った。
そして真っ先に思いついた願いがハーレムを作ることだった。
だが、それは今願っている夢じゃない。
当然だ。以前の世界ならいざ知らず、この世界はヤンデレが基本だ。
ヤンデレとハーレム、これ以上に混ぜるな危険な代物もない。
いくら死なないからといって、24時間常に命を危険にさらすような真似はしたくない。
恋愛とは相手の心臓を奪うことだと信じて疑わない彼女たちは、ハーレムなんて作ればドロドロの嫉妬で、見るも無残な光景を生み出してくれるだろう。
当然、この世界の価値観に染まり切っていない俺からすれば、そんなものはごめんだ。
というわけで、俺は普通に一人の女性を愛したいと思っている。
そして、それは―――俺を傷つけない普通の女性であって欲しいと、切実に願っている。
『あの、蛇島先輩……肋骨がミシミシ鳴って痛いので、尻尾を解いてもらえないでしょうか?』
「コマチ様って下の名前で呼んでくれたらいいわよ」
『どうかこの拘束を解いてください、コマチ様』
放課後、廊下を歩いているところを突如として尻尾で拘束され、命の危険にさらされた俺。
それが無茶苦茶痛いので、恥も外聞もなく、言われたとおりに様付けをして頼み込む。
そんな俺の姿を、腰まで伸ばした絹のように滑らかな黒髪を撫でながら、爬虫類らしい黄色い目で眺めてくる、蛇島コマチ先輩。
思わず息を呑んでしまうような美しさであるが、その下半身である蛇の尻尾で縛られている俺には当然そんな余裕はない。
と、ここまで言えばわかるだろうが蛇島先輩はラミアだ。
……何故か俺を縛り上げて窒息寸前にまで追い込むのが好きな。
「仕方がないわね。はい、これならいいでしょ」
『尻尾を解くと同時に手錠で俺を拘束しながら笑わないでください。拘束するのをやめてくださいと言っているんです』
「手錠まで否定するなんて……私のアイデンティティーの否定かしら?」
『もう少しマシなアイデンティティーにしてください』
思わず失礼な口調でツッコミを入れてしまうが、蛇島先輩は可愛らしく小首を傾げるだけだ。
そう、これは彼女にとってのコミュニケーションのようなものなのだ。
よって先輩には罪悪感なんて欠片もない。むしろ楽しんでやっている。
「蛇は獲物を捕らえる際に締め付けるのが普通よ」
『普通の蛇は手錠なんて使いません。いいから手錠も解いてください』
「相変わらずせっかちな子ね、もっと気楽にするべきよ、常識的に」
肋骨をへし折られたり、手錠で拘束されても気楽にできる奴は絶対におかしいだろう。
そう心の中で叫びながらも黙って手錠を解いてくれるのを待つ。
今ここで反抗しても、解放されるのが遅くなるだけだと経験から分かっているのだから。
『はぁ、やっと自由になった。全く毎度毎度俺を拘束して何が楽しいんですか?』
「好きな異性を束縛して自分だけのものにする独占感が堪らないわ」
『それで、いつも殺されそうになる俺の気持ちは無視ですか』
ジトッとした目で睨んでみるが、先輩はどこ吹く風で笑っている。
そう、この世界にとってはこの程度は常識的な恋愛観だから誰もおかしいと思わないのだ。
事実、この犯行現場は放課後の廊下という人目に付く場所であるにも関わらず、誰も気にもせずに通り過ぎて行っただけだ。渡る世間は鬼ばかりとはまさにこのことだ。
「でもしょうがないじゃない。あなたは殺しても死なない種族なんだからつい嬉しくなって力が入っちゃうのよ」
『死ななくても痛いものは痛いんですからね? 俺をどこかのドMと一緒にしないでください』
確かに俺の種族は殺しても死なない。
蘇生魔法があるこの世界においても、ほとんどそれにお世話にならないレベルだ。
だが、痛いものは痛い。なにより精神的にきつい。死なないことに越したことはないのだ。
『はぁ……それで、廊下を歩いているところをいきなり拘束してきた理由はなんですか?』
「私が私であるためよ」
『そうですか、それでは俺はここで』
話にならないと判断し踵を返して靴箱に向かう。
しかし、制服の襟をがっしり掴まれてしまいすぐ抱き留められてしまう。
この人、ラミアのせいか普通に俺より力が強くて困る。
後、大きなおっぱいが当たって気持ちが良い。
「今のは冗談……じゃないけど、ちゃんと呼び止めた理由はあるわよ」
『へぇ、なんですか?』
「ペッ…あなたのために首輪を買ってきたんだけど―――」
『すいません! 急用を思い出しました!』
反射的に自分の肩を外すことで先輩の腕の中から脱出して逃げ出す。
後ろで何か声が聞こえてくるが無視して、靴箱まで全力ダッシュをする。
俺をペットとして飼おうとしている人の言うことなど聞けない。
『はあ…はぁ……ここまでくれば大丈夫か』
「先輩、何をされているんですか?」
『うわッ……て、なんだ白鳥か。何でもないよ、ちょっと走っただけさ』
声をかけられて思わずビクリとするが、相手の顔を見て胸を撫で下ろす。
相手の名前は白鳥キズナ、俺の1年生で俺の後輩だ。
小柄な体躯で銀色の髪をツインテールにまとめ、手からは翼と羽が生えている見た目だ。
見たまんまの鳥人間でもある。
「そうですか……何か困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね」
『ああ、ありがとう。心配してくれてありがとう』
「当然です。なぜなら私と先輩は―――」
人懐っこい笑顔を浮かべながら、俺の心配をしてくれる白鳥。
こいつは俺の周りの女性の中でも数少ない、直接的に被害を与えないタイプだ。
なのでこいつといる時に肉体的損傷を気にする必要は無い。
もっとも―――
「夫婦ですからね」
『おっと、まだ結婚した覚えはないんだがな。というか年齢的に無理だろ』
―――極度の妄想癖があって精神的にはきついのだが。
「…? 先輩が私と結婚するために総理大臣を脅して法律を改善してくれたじゃありませんか?」
『そんな何を当たり前のことを、みたいな顔をしないでくれ。というか、総理を脅すとか完全にテロリストだな』
「私は忘れません。先輩が愛のためなら世界すら壊して見せると言ったことを……」
『忘れる以前にそんな事実は存在しねーよ』
軽く白鳥の頭を小突いて現実に引き戻してやる。
全く、こいつの中での俺はどんな完璧超人になっているんだ。
俺はこいつが倒れたときに保健室に連れて行ってやったことがあるだけなのに、どうしてここまで狂信的な感情を向けられるのかが分からない。
いや、正直に言うと分かりたくもないが。
「すみません。授業中は先輩と会えないので、想像の中の先輩と一緒になっていました。そうですよね、先輩ならテロなんてやらずに自分が世界征服をして世界を変えてくれますよね」
『テロを起こす方が余程現実的な気がしてきたな』
どこぞの国の総理は、自分が同性愛者だから同棲での結婚を可能にした聞いたことはある。
しかし、俺はそこまでしていと思わないし、なによりそんな才能はない。
学校のテストだって中の中なんだ、世界どころか国のトップにも立てるわけがない。
「あ、先輩! そう言えば大切なことを忘れていました」
『……嫌な予感がするが一応聞いておこう』
「今度生まれる赤ちゃんの名前を決めたいんですけど―――」
『俺は童貞だ。だから既成事実を作ろうとしても無駄だ!』
思わず声を大きくして言い切ってしまう。
それぐらいに慌てていたのだ。冗談でも言っていいことと悪いことがある。
しかし、俺の慌てぶりをよそに白鳥はキョトンとした顔で俺を見つめるだけだ。
……なにやら様子がおかしいような。
「ああ…! 赤ちゃんというのは私達の子どもじゃなくて家で飼っている猫のことですよ?」
『穴があったら入りたい……』
どうやら俺は墓穴を掘ってしまったようだ。
こいつのことだから、どうせそういう話だろうと思い込んだ完全なる自業自得だ。
これじゃあ俺が常日頃からそういうことを考えている変態みたいじゃないか。
正直、クスクスと笑う白鳥から今すぐに逃げたいが、そうすると余計に面倒なことになりそうなのでなんとか耐えきる。
『すまん、変なことを言ったな。もう疑わんから許してくれ』
「うふふ、本当ですよ。だって―――私達の子どもならもうスズって名付けたじゃないですか?」
『やっぱ、前言を撤回する』
再び白鳥の頭を小突いて現実に引き戻し、俺は心の中で悲痛な思いで叫ぶ。
可愛くなくていいから普通の女の子と出会いたい、と。
取り合えずヒロイン登場完了。まだ増えるかもしれんけど。