3 アルバイト
父さんは地球総国で仕事をしている、言わばお役人だ。家に帰って来た時は昨日のような調子だが、仕事となると文字通りスイッチが切り替わったかのような働きっぷりだという。そんな姿勢が評価されて今や一部署のトップだ。僕もいつかは父さんのように、と思っているのはまだ誰にも話したことのない秘密だ。将来、僕が父さんに追いつける日は来るのだろうか。
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父さんの話をしたとたん宮島さんはものすごく驚いて何処かへ行ってしまった。入れ替わりで入ってきた教授がその様子にやや驚いていたが、僕自体は関係ないだろうと思って知らん顔をしたまま授業を終えた。
次の授業はゼミだ。僕の所属するゼミの教授は小此木忍。最近頭頂部の防御力がやや落ちてきているおっさん教授でおっとりとした目とややふくよかなおなかがトレードマークだ。地球外生命体のスペシャリストで、その界隈では知らない人はいないらしい。最も僕たちの前ではいつもだるそうにしていたり、とうの昔に無くなったはずの携帯端末をいじくっていたりとただの変わり者のおじさんにしか見えないのだが。
「ほいじゃあ今日も適当に任せるわ~」
小此木先生のゼミは毎回この一言から始まる。一応指定の教科書があり、十数人のメンバーでそれを読んだりしていくのだが、せっかく来ているのならばスペシャリスト直々にご教授願いたいと思うのは僕だけだろうか。ともあれそんな僕の高尚な望みは今日も絶たれ、やる気があるともないとも言えない学生の声をただ聞き続けることになりそうだ。そう思っていた。ところが。
「ああ、そうだ。鷹谷くん。ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
ふと思い出したように小此木先生が僕に向かってちょいちょい、と手招きをした。少なくともまともに出ていた前期の頃には一度もなかったことだ。ましてや僕だけを呼び出すというのは一体どういう風の吹き回しなのか。ひょっとして最近大学をさぼり気味だったことがばれたのだろうか。だとしてもこの人が叱る、なんてイメージは全く浮かばない。
「僕ですか? ……わかりました」
僕は頭にクエスチョンマークを浮かべながら先生と共に廊下へ出た。普段あまりしゃべらない人と二人きりというのはなかなか緊張する。相手が眠たそうな顔をしているおっさんだったことが救いではあるが。いや、むしろ罰ゲームかもしれない。そんなことを一人で考えていると、先生の方から口を開いた。
「さて。急に呼び出してしまってすまないね」
「いえ、大丈夫です。それより用事っていったい何です?」
「うむ。それなんだがね、ちょっとしたアルバイトをしてみないかい?」
小此木先生がおっとりとした顔でにやりと笑った。この人が笑っているところなんて初めて見た、というか笑い方下手で気持ち悪いな。
「アルバイト、ですか?」
「そう、アルバイト。お給金もそれなりだけどどう?」
「どう、と言われましても……。具体的に何をするバイトなんですか?」
「なに、そんなに難しいことじゃないさ。カシェット、知ってるよね。それを飲んでもらう、それだけさ」
あの小此木先生からの直々の以来だから一体どんな内容かと思ったら、カシェットを飲むだけ、とは……。そもそも今現在も飲んでいるのだが。
「カシェットを飲むだけって、それだけですか? でも僕今も飲んでますよ」
「まあ聞きたまえよ。君が今飲んでいるカシェットはライブラテック社の一般流通品だろう?」
「はい、そうですけど……。それ以外ないですし」
現在広く飲まれているカシェットはライブラテック社という世界で唯一のカシェット販売会社のものだ。それ以外には存在しない。つまりライブラテック社の独壇場である。そもそもカシェットの味覚による情報提供システム自体が謎に包まれており、ライブラテック社はこの技術をひた隠しにしている。そのため模倣をしようにもできず、結果この様な独占市場が完成してしまったのだ。各国政府及び地球総国としてもカシェットの販売が始まった頃はまさかここまで普及するとは思っていなかったらしい。近頃になってようやくカシェット販売を公営化しようという意見が出たため、価格高騰は免れるだろう。カシェット代を払っているのは父さんだから僕にはあまり関係のないことだが。
「私が君に飲んで欲しいカシェットはライブラテック社のものではない。これだよ」
そう言うと小此木先生はベージュ色の上着の内側に手を入れて透明な袋を取り出した。はたから見たらその様子はさながら重要な証拠品を取り出す中年刑事だが、取り出した人物の雰囲気がそれを否定している。袋の中には薄灰色の小さな立方体が入っていた。色や形こそ普通のカシェットとは違うが、これもカシェットだ、といわれればなんとなく納得もできそうな見た目だ。
「カシェットってライブラテック社以外でも開発できたんですか? というかなんで先生が?」
「ごめんな、そこらへんはちょっと秘密なんだ。得体のしれないものを飲むなんてあまり気は進まないかもしれないがどうだろう、やってはくれないか? もちろん報酬もちゃんと用意済みだ」
先生は少し声を静めて僕に報酬額を伝えた。その額は大学生にしては少し多すぎる額だった。