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2 カシェット

 翌朝、僕が目を覚ますとリビングで大いびきをかいて眠っていたはずの父さんは既に出かけた後だった。うっすらと漂うアルコール臭に鼻を少しゆがめながら、朝食の準備を始める。始めるといっても僕がやることはほとんどない。食事は食事袋、といわれる袋のつまみを指示通りひねるだけで完成するから、コップに緑茶を注いで飲み物を用意するくらいだ。ちなみに今日の朝食メニューはカレー、らしい。らしい、というのは僕が毎朝袋を取り出すときはあえて中身を見ないようにしているからだ。初めはあまり考えずにやっていたが最近ではこの結果がひょっとして占いにでもなるんじゃないだろうかと思い始めた。占いを信じるタイプではないので関係はないのだが。

 料理が出来上がるまでは少し時間がかかるため、その時間を使って僕はニュースの確認をすることにした。昔は新聞やらテレビやらの媒体を使って調べていたらしいが、今はもはやそんなアナログな時代ではない。


 カシェット、という。


 はるか昔、日本で用いられていた計算機である算盤の球のような形、大きさを持つ錠剤のようなもの。これが現在の人間が情報を取得するために用いるツールである。使い方は簡単。噛まずに飲み込む。ただそれだけ。カシェットはかつてのように視覚や聴覚を通じて情報を受け取る方式とはまるで違う。味覚。そう、カシェットは味覚を通じて情報を知ることができるツールだ。噛まずに飲み込むことでカシェットは胃液では溶かされず、味覚情報を唾液に交えて伝え続ける。効果は丁度24時間。毎朝各家庭に届けられるカシェットを服用することで、朝のニュースはもちろん、臨時ニュースまでも簡単に受け取ることが可能だ。昨晩の勝利宣言もカシェットによってもたらされた。

 こうしてカシェットによって朝のニュースを一通り確認していると、ちょうどジリリリ、というやや不快な音が鳴り響いた。料理の完成だ。ほんのりとスパイスの利いたおいしそうな香りがアルコール臭をかき消して広がっていく。当然味覚同士がぶつかりあうと情報はかすれるため僕はいったんニュースの確認をやめて食事を始めた。


「あ、そういえば今日はゼミの日か」


 ふと僕は昨晩の父さんが言っていた新しい曜日表記を思い出して気が付いた。水曜日、となると父さんは一体なんと表現するのだろうか。水面が美しく輝く日か、或いは水のせせらぎが身に染みる日か。どちらにせよ面倒な呼び名であることには変わりはないのだが、なんとなく父さんの回答も気になる。今日帰ってきたら聞いてみようと僕は思った。

 話を戻すと僕、鷹谷秋吾は現在父さんと二人で日本州東京地区に住む大学一年生だ。地球が人類同士の対立をやめて以来、かつての国、という単位は全て州となり、日本において都道府県は地区、という名で統一された。僕は正直なところ名前なんてどうでもいいのではないかと思うが、父さん曰く世界規模で統一した方がなにかと都合がいいらしい。

 ちなみに現在、地球のトップはどの国が行っているかというと、どこの国でもない。だが、正確に言うならば地球総国、という名の新しい国が主な舵取りを行っている。地球総国とは地球において唯一領土を持たずして国として認められた国家であり、その国民は領土を有する各国の代表者や優秀な人材からなる。あえていうならば領土を持たない究極の多民族国家だ。地球総国の国民は領土を持たないがゆえに、自らの国の利益を考えない。というより考える必要がない。そのため旧時代の国連などという見てくれだけの国際機関とは大きく異なり、今のところは安定して世界は統治されている。


「……って、やばいやばい。そろそろ出かける準備をしなくちゃ」


 僕は残り二口分ほどにうまいバランスで残ったカレーライスを急いでかき込み片づけを始めた。



 ――――――



 僕の通う大学は、東京天文大学という割と新しい大学だ。その名の通り天文学を主に教えている。まだ見ぬ宇宙に対する希望を抱いて入学したわけだが、正直なところあまり面白い授業もないし、何より近年、自分の中での宇宙に対する興味がやや衰えてきたこともあってか後期に入ってからはさぼり気味だった。


「あれ、鷹谷くん?」


 久々に訪れた講義室の一席におとなしく座っていた僕のもとに、一人の女性が声をかけてきた。宮島さん。僕と同じ語学クラスのクラスメートで席が近かったためにそこそこ仲のいい子だ。明るめの茶色に染めた髪をポニーテールにしており、目はくりっとしている。見るからに明るそうな雰囲気の漂う子で、顔もかなり整っているため男子にも人気が高い。


「久しぶりだね! この授業取ってたんだ~。となり、いい?」


「ああ、うん、いいよ」


 僕が返事をするよりも前に宮島さんは僕の隣に座った。ふわりと、芳香剤や香水では絶対に出すことのできない、いい香りが僕の鼻をくすぐる。


「それにしても、鷹谷くん前期はあんなにちゃんと来てたのにね」


 宮島さんは決して攻めるような口調ではなく、あくまで世間話として僕のことを話した。


「なんだか最近やる気が出なくてね。季節外れの五月病かも」


 冗談交じりで自虐的に笑う僕に対して、宮島さんはなぜかえ?、という反応を示した。


「五月病……って?」


 正直驚いた。明るい性格でありながらもまじめで勉強熱心な宮島さんのことだ。五月病という言葉がいくら旧時代のものだとは言え、さすがに知っていると思ったが……。僕は驚きつつも五月病について宮島さんに簡単な説明をした。


「へえ~! 鷹谷くんってけっこういろんな言葉知ってるよね。すごいねえ~」


「いや、そんなことないよ。みんな父さんから教えてもらったことだしね」


「そうなんだ! ……ねえねえ、鷹谷くんのお父さんってすごい物知りみたいだけど何の仕事をしてる人なの?」


「ああ、僕の父さんはね。地球総国の文化保存省で大臣をやってるんだ」

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