第七章 ラザフォード司教、契約者を捕縛する。
真っ白い天井。……ここ、どこだ?
全然知らないところだな。……俺、死んだか?
「気がつきましたか?! よかったぁぁぁ」
俺の顔を覗き込んでくるなり、おいおい泣きだすクリス。……うん、生きているようだ。そう簡単に死んでたまるかっての。
起きようと身動ぎするが、胸? 腹? とにかく、いったぁぁぁ!? 切れてんじゃね? 痛み止めくれ!!
「ダメっすよ、司教。動いちゃ! もう三週間近く意識不明だったんすよ?! まだ安静にしてるっす!」
三週間って。もうすぐ満月だな? だったら、あの契約者、悪魔化するんじゃ……。
微妙な顔をし出したクリス。なんだよ。言いたいことがあるなら、はっきり言え。
「……司教、落ち着いてくださいよ。――仕事のことは、今は忘れて。ケガを治すことだけに集中してて下さい」
クリス、何があった。吐け。……気になって安静にできねぇだろ!
そう言うと、渋々ではあったが、この三週間に起きたことをかいつまんで話してくれた。
なんでも、あの契約者は俺の体内に突起物を作り、胃だか腸だかの内臓を傷つけたんだと。そんなこんなで、そのどさくさに紛れてその契約者は逃げ出し、今も行方知らず。間違ってもおっちゃんやヴィルドさんに殺されていないと思いたいが。……どうなのかは分からないらしい。
その場で解呪させていたら、俺もそんなケガをせずにすんだのにっとクリスに目茶苦茶叱られた。
幸いなことに、悪魔ズの片割れがヴィルドさんを呼んでくれた。その初期手当てが的確だったようで、大事には至らなかったと。その後、きちんと施術してくれたらしいここの医系司教に言われたそうな。もう少し遅かったら、助からなかったとはっきり言われたそうだ。
ヴィルドさんを呼びに行ったの、相当勇気いっただろうな、と思えた。後で、みんなに感謝しねぇとな。
おっちゃんとヴィルドさんがタッグを組んで、その契約者をみつけ次第、殺そうって話も上がってるとか何とか。……やめて!!
あんな小物に足元をすくわれるなんて。俺も落ちたものだなぁと、ちょっとセンチになっちまうぜ。
かわるがわる日中、見舞いに来てくれる悪魔祓い師や悪魔達。だが、その中におっちゃんとヴィルドさんがいないのは不吉でしかない。見舞いに来てくれた者達の話によると、昼夜を問わず、あの二人は契約者探しをしているらしい。
謎の人影の目撃情報の原因は、おそらくあの二人だろうとみんな確信していた。
その甲斐あってか、悪魔憑きの数は減少して、今はほぼゼロに近いんだと。……嬉しいような悲しいような。
新月時に悪魔に転化するかと思って全員張っていたが、そんなこともなかったそうだ。やはり満月時だろうということだった。
夜……もう八時前か? 教会の鐘の音が、俺が正しければ八回鳴ったからな。ちらりと猫を伴って顔を見せてくれたおっちゃん。契約者を殺さないって約束してくれたが、生きていることを後悔させてやるって言い、極悪な笑顔を見せていた。
……本当にケンカを売ってはいけねぇ人にケンカ売ったな。その契約者。
深夜。……おそらく、零時は過ぎていたと思う。十二回の鐘はとっくに鳴り、たぶん、二時とか三時くらいだろう。西区の治療院にいて、西向きにある窓からは丸くなった月が見えていた。
そんな月をバックに従えて、部屋にいる俺に気づかれねぇように。その人は、悠然と立っていた。いつ入ったんだとか。どこから入ったんだとか。そんな気配をまるで感知させねぇで。
灰色の修道士服を着たヴィルドさんは、窓の側から離れず、ただ静かに俺の方を見ていた。
「……ヴィルドさん。来て、くれたんだな」
ヴィルドさんは、俺が起きていたことに気づいていたようで、コクリと頷いた。
「―――ラザフォード司教も、お元気そうで」
すんごい嫌味だな。おかげ様で。
「あんがと、ヴィルドさん。おかげで、命拾いしたってさ」
……ヴィルドさんがいなかったら、俺死んでたよ。
だがヴィルドさんは「いいえ」と否定された。
……あれ?
「ラザフォード司教の目を気にして、止めを刺さなかった私の落ち度です。申し訳ありませんでした」
あぁ、この三週間、そのことを気にしていたな。ヴィルドさん、そんなの気にしなくていいのに。
「殺しちゃダメだって言っただろ? ヴィルドさんはベストの仕事をしてくれたさ。俺がドジッただけさ」
あの場で解呪しろってクリスにも叱られたが。アンジェいなかったし。解呪してたら、あの契約者もどうなってたか未知数で、できなかったからな。契約者でなくなったら、あいつが体内に呪術式を描くなんて芸当、できるはずねぇし。
「それでも、私が大聖堂まで運ぶべきでした」
体内に描かれた呪術式へのアプローチができるのも、ここじゃあヴィルドさんだけだから。俺も、両手さえふさいでおけば大丈夫なんて思ってたが、甘かったよ。
「ヴィルドさんが運ぶって。……首だけ運んじゃダメですよ?」
ヴィルドさんの場合やりかねねぇが。両手をふさいでも呪術式が描けるようなら、気絶させての護送になるだろう。体格差を鑑みて、全身は難しそうだからな。……もちろん、ブラックジョークのつもりだ。
「……いけませんか」
「ダメです。絶対」
冗談が通じませんね! やっぱり殺る気かよ。そこは身体ごと運んでくださいよ!
「……よかったです。ラザフォード司教が目覚めて下さって」
それは、どういう意味かなぁ? 死んでたら、その契約者、この世にいないって? それとも、その契約者を追い詰めるのに、俺がいてくれた方がいいってこと?
「ラザフォード司教がおられない時に終わらせても、意味がないですから」
何を終わらせる気だ! 契約者の息の根とか言っちゃいけませんよ!
この方ならやる。殺ってしまう! それはあかんですよ!
「残念ながら、それはしません。……まだ」
まだって……いつかは殺る気なのね?! 小さく付け加えても、俺には聞こえてますよ!
「……最後にラザフォード司教と話せてよかったです。私がやりたいこと……みつけました」
「ありがとうございます」とそう一礼して、ヴィルドさんは消えた。窓から出て行くとかでもなく、霧か霞かのようにフッと。
俺は、夢でも見ていたのだろうかと思うほど、ヴィルドさんの気配がまるでなくて。不安になった。
ヴィルドさんのやりたいことって何だ?
――最後ってどういう意味だ?
契約者殺したら―――修道士やめるってことか?
意味深な言葉残して、どっか行かないでくれや!
★
昨夜、そんなこともあってあんまり眠れなかった。で、なんで俺の世話係みたくクリスは来るんだろうな? 確かに、俺付きの補佐ではあるが。
顔とか俺、一人で洗えるけどな。腹とかもう痛くねぇし。
痛み止めが効いてるからかな? なんて思ったんだが。クリスいわく「え? そんなもの使ってないですよ?」とのこと。……使えよ?!
「痛くないから大丈夫ー。なんて言って、また町を歩かれても困りますからね」
……いや、歩こうと思ってましたが。だって、ヴィルドさんの言葉、めっちゃ気になるし。
「内臓のケガ、なめんでください。向こう一カ月、絶対安静です」
「また開いても知りませんよ」と言われ、叱られた。怖いわー、おかん。
コンコンとノックされる扉。誰だろ? また部下達かな? 仕事しろよ。
クリスも「どうぞー」と軽く言っているし。知り合いか?
「失礼します」とどこぞで聞いた声。入ってきたのは、枢機卿の補佐。俺とクリスに目礼して、なんか周囲の確認してるし。やっべ。俺、今白い寝間着しか着てねぇ。
思わずベッドに腰かけちまうじゃねぇかよ。クリスも知らなかったのか、目を丸くして固まってる。
「――いやいや、ここラザフォード司教の病室だし。大丈夫でしょ」
なんて言いながら、補佐をいなし、ズカズカ入り込むじじい。……目立たないように、今日は俺やクリスが着ているような黒の略装の法衣だった。その代わり、赤い布を腰に巻いているが。
いやいや! 何しに来てんのあんた! そういうことしてる場合じゃねぇだろ!?
「ラザフォード司教、大怪我したって聞いたけど。元気そうね?」
「……えぇ、おかげさまで」
痛くねぇからかもしんねぇけどね。決してズルして休んでるわけじゃねぇし。休む暇があるなら、契約者探しに行くわ!
「うんうん、分かってるって」
俺に破顔しつつ、手を縦にヒラヒラと振るじじい。
じじい付きの補佐はそれだけで分かったのか、じじいに一礼し、ついでに俺にも一礼して、この部屋から出て行った。もう、扉もきちんと閉めてさ。
クリスも出て行こうとするが、じじいは「クリス司教補佐はいてくれてもいいよー」と軽かった。クリスはどうしようと泣きそうに俺を振り返ったので「ドアの前で待っといてや」と言ってやった。クリスとて、じじいと一緒では落ち着かんと思ってな。
あからさまホッとして、俺とじじいに一礼してクリスも出て行った。
「別に、本当によかったんだよ? 聞かれても、困る話じゃないし?」
じじいはそう言うが、そんなわけにもいかんだろ。なんだ、普通に見舞いに来てくれたのか。
「……ここの司教にも、あの子からも聞いたけど、本当に大丈夫かい? 下手したら、死んでたって」
「平気ですよ。昨日まで痛かったけど、もう痛くないですし」
ちょっと体力が落ちているのが気になるくらいで。
「本当かい? 無理だけはしないでくれよ? 僕、ソフィアに泣きつかれたよ? うちの子を殺す気かって。エドワードもさー。貴族に戻れなんて言わないけど、もう少し安全な所に勤める気ない?」
「……母さんからそう言われても、やめる気はありませんよ。……っというより、名前呼ばないでください、伯父さん」
枢機卿の年の離れた実妹が俺の母親で、枢機卿とは近い親戚だ。だからこそ、気安いところも多々ある。
孤児院でエドガーがエドって呼ばれるのを聞いて固まったのも、俺の昔の愛称だっただけに、な。
「仕方ないじゃん。ソフィアだって、長男のアルバートを五年前に亡くして、跡取りいないーとか、僕に言ってくるし? 僕が、エドワードを盗ったんだなんて、言いがかりつけてくるんだよ? ちょっとは実家の愚痴くらい聞いてよ」
実家の跡取りだった兄のアルバート。あんま、そりの合わない人だった。北部で四年前に大飢饉がピークとなる一年前に中央で黒死病にかかり、命を落としている。原発は中央で、そこから疎開してきた人の波と同時に北部に来たんだよ。その流れに乗って、一緒に元凶の悪魔も来たが。
「知りませんよ。枢機卿の御力で何とかしてください」
俺がやめる気がないと分かって、説得を諦めたのか、ため息をつくじじい。「告解という名の愚痴くらい聞いてよー」と駄々をこね出した。……かわいくねぇよ。
「……まぁね。僕だって、今さらソフィアがなんて言っても、無理だと思ってたけどさ。ちょっとは体、気をつけてね? ……ヴィルド、自分のせいだって言って、ちょっと不吉なこと言ってたからさ」
じじいにも? ヴィルドさん、本当に何やらかす気だ?
「ようやく立ち直ってくれて、やりたいこともみつけたようだったのに。無茶しそうでね? お見舞いついでに警告かな? あの子、今日中に何かやらかすよ? 明日が期限だからね」
そうか、明日が約束の一カ月か。そして、今夜が満月前夜……。一カ月に一度の祭りの前の日。あの意味深な言葉はそれか? ……いや、それだけじゃあねぇな。
「……明日の夜じゃあ、ダメなんですか? 今追っているやつがおそらく、片付くんですが」
「いいや、あの子は絶対に待たない。仕掛けるなら、今日しかないよ」
断言しきるな。やっぱり、自称育ての親だけに、か?
「そりゃあ、ラザフォード司教に手柄立てさせたいって思ってるからね。だから、契約者もキミに預けたんだよ?」
それなのに、俺はその契約者に返り討ちに遭いましたけどね。どんくせぇやつって、ヴィルドさん呆れてねぇかな?
「……だったら、別に今日でなくても」
機会は明日でも来月でもあるだろう? ヴィルドさんが、俺のところで働きたいって言ってくれたら。
「きっとあの子は言わないね。一人でやった方が、何倍も効率がいいもの」
じじいー。ちょっとは慰めてよ。そりゃあ、俺が足引っ張りまくってるけどー。司教らしいこと、まるでしてないけどー。
「まぁ、情報交換くらいはしてくれるよ。手柄もいらないってはっきり明言しているし。悪魔祓いができるなら、それでいいっていう子だから」
ヴィルドさん、俺泣きそうだよ。俺も、手柄や名声が欲しくてこの仕事をやってるわけじゃねぇよ。住民を助けたいからだよ。
「もちろん、ラザフォード司教だって、そういうのが目的じゃないってあの子も僕も知ってるよ。大聖堂内にそういう人がいてくれるってだけで、僕は嬉しいね」
風船みたく、自分自身の保身とかのために動いているやつも少なくないからな。じじいの気苦労も半端ないのだろう。
「―――というわけで、くれぐれも気をつけてね?」
言いたいことだけ言って、じじいは去っていった。全く、相変わらず勝手だ。
★
じじいに言われたことを、クリスにも一応伝えた。
そしてゴソゴソとベッドから降りて、帰り支度をした。
……医師であるここの司教からは、もう一日くらい、安静にしていた方がいいって言われたが。――そうも言ってられんからな。
開腹したようで、糸の痕が。「抜糸っていつするの?」って聞いたら、一週間後と言われた。素人目で申し訳ないが、もう皮膚つながってねぇ? 切った跡が分からねぇんだけど。ここの医系の司教、切るのもくっつけるのもうめぇなと内心思っていた。
噂では、腕は普通っていう評価で、北の大聖堂にいる司教の方がいいって言われていたが。噂はあてにならんなとしみじみ思った。
略装の法衣を羽織るだけだが、やっぱり違うな。ずっと寝てるだけっていうのは、性に合わねぇ。
西区の教会から中央区へ歩くと、何か知らんが妙に話しかけられた。「もう歩いて大丈夫なのですか?」とか。「くれぐれも無理はなさらないで下さい」とか。……住民からも、慕われてんのね、俺。
無論、大聖堂内を歩いて、宿舎に帰っても同様のことが起きたが。……大丈夫だから歩いてるんだろ。やっぱ、ちゃんとふさがってるんじゃねぇ? 逆に糸がすれて痛いんだが。チクチクするぞ。
ちょうど夕方の交代の時間だったようで、ほとんど広間に勢ぞろいしていた。しかし、じじいに警告されていたヴィルドさんの姿が見えなくて、すごく不安になった。
「……ただいま~。なぁ、ヴィルドさん知らねぇ? 今日……なんか無茶やらかしそうなんだが」
そう告げると、一様に黙り込むみんな。同じ沈黙でも、知らなくてのものではなく、何か知ってて気まずくてのものに近いんだが。
……おい、なんだよ。知ってるなら、吐けや。
「ラザフォードちゃん。なんか、そう思う根拠とかあるん?」
ニコニコ笑ってるが、おっちゃん。俺は知ってる。そういう聞き方をするときは、何かあるってこと。
「……おっちゃんこそ、何か知ってるな? ヴィルドさんはどこに」
いるんだ? そう聞く前に、クリスが「バルトさん!」と言ってバタバタ走ってきた。何よ。今いいとこなのに。しかも、俺じゃなくて、おっちゃんかよ。
「バルトさん、来ました。これ!」
クリスが手に持っているのは小さな紙切れの端。何を待っていたのやら。
紙に書かれていたのは、短かった。
『中央区 三番通り 空家』
それにその横に縦に一本線が付け加えられていた。
……おい、これ、契約者からの予告状か? ヴィルドさんがそこに捕まってるっていう。
「あ、ラザフォード司教?!」
クリスが呼びかけるのも無視して、俺は飛び出していた。
★
あのメモが正しければ、大聖堂からのメインストリートで三番目に曲がる、いわゆる三番通り沿いの空家にいるはず。だが、北の町自体古いとあってメインストリートを外れるだけで、かなり建物も入り組んでおり、複雑怪奇だ。
日も完全に沈み……その残光があるだけだ。一体、どこに。
上を見ながら走っていると、見知った影が。……というか猫?
ひょいひょいと身軽に家と家の間を跳んで、ある建物の窓前でお座りの姿勢でじっとしている。そして、コツコツと二回その窓を叩いていた。
それだけで、ほんの少し隙間が空き、中へ入っていった。
ものの一分もしないうちに出てきて、きちんと窓を閉めた。そして、また大聖堂の方へと走り去っていく猫。……あそこか?
扉の前に立ち、周囲に人気がないのを念のため確認した。どこかにまた、使い魔がいるかもしれねぇからな。どうやら、何もなさそうだと俺は判断を下し、扉のほんの隙間から中をうかがった。
薄暗くてあんまり見えないが、前見た罠系の呪術式はなさそうだった。仮に、契約者のアジトなら、負用心極まりねぇな。反対に、そんなのが張っていたら見回りに来ているやつらの目に留まるか。
猫みたく、するりと中に入り、扉も音をたてないように閉めた。土足のまま入り込み、まずは一階から散策するか。
人が長いこと住んでいるのか、廊下の端に埃もなく、空家ではねぇよなと思った。
扉の向こう側に人の気配がないか確認して開けるが、ねぇな。どこにも人いねぇし。
部屋には本や紙の山ができていたり、壁や床に変な呪術式が描かれていたりするだけだ。この呪術式、悪魔を召喚したり、使い魔を作ったりするものではねぇな。……『門』を召喚する気か? 細部が結構、間違ってるけどな。
だから、この場所ではなく、違う場所か?
やっぱり二階……おそらく天窓があるところ。月の光が入る部屋。いるならそこか。
なるべく階段の音が響かないよう、きしまないよう歩いた……つもりだ。こういう時、おっちゃんやヴィルドさんのスキルがうらやましい。下手に呪術式を使ってばれたら、元も子もねぇからな。人質にとられているヴィルドさんの身に何かあってからじゃ、遅いぜ。
かなり神経を使い、十分時間もとって上がり、慎重に三つある扉のうち、一つの前に立った。さっき猫が入ったところ。ここには誰もいねぇだろう。おそらく、その隣。かすかだが、人の気配がする。俺と同じ……契約者?
その扉の前に立つ、なんてうかつなことはせず、その扉が開いても陰になるところに立った。外開きの扉なんて、珍しいな。普通逆だろ。
突然、扉の外にいても聞こえる笑い声が上がった。……中にいるやつはバカでなかろうかと一瞬思ったのは内緒だ。
「そこにいるのは分かっておりますよ、ラザフォード司教。そんなコソコソせず、入ってこられてはいかがですか?」
前にきいたおっさんの声。……バカは俺でしたか。ばればれなのかよ。俺、こういう隠密行動とかには向かねぇみたいだな。少しでも感知系の才があるやつなら、ばれるものね。やっぱり、俺も契約者だし。
わざと丁寧な口調で話しかけてくるなんて、どう考えても挑発だろ。その挑発に乗るのもどうかと思いながらも、これといって危険な呪術式もなさそうなので、こっそり開けた。そもそも『門』をこれから召喚するというのに派手な呪術式を使ってくることはないだろう。呪術力の無駄遣いだ。
しかし、前にも痛い目に遭ったし。屋外でもその手の呪術式を使えるなら、屋内の方が雰囲気かかりやすそうだからな。空気感染タイプなら、なおさらな。それに、完全に相手のペースだし。この上なく、慎重に。
するりと中に入り込むと、床と壁に大きく描かれた呪術式。こっちは本格的に『門』を召喚するためのものか。
その呪術式のほぼ中央にいる契約者の男。その脇には、ぐったりと目をつぶったまま、縄で椅子に縛りつけられているヴィルドさん。こうして目をつぶっていると年相応に見えるな。
おそらく、薬か呪術式で眠らされているだけで。意識を失っているだけで。まだ殺してないだろう。殺したら、『門』も開けられねぇからな。
こいつにとって、ヴィルドさんは―――大事な生贄だから。
「てっきり死んだかと思ったけど、まだ生きていたのだな。つくづく、悪運がいい」
男がにやにやと笑っていた。言葉遣いもさっきまでの丁寧なものからかなり粗野なものになってるし。こっちが素なんだろうけどな。俺も近づこうと呪術式の中へ入ろうとするが、ヴィルドさんの首筋に、ナイフを当てていて固まった。さすがのヴィルドさんとて人間である以上、首の動脈なんかを切られては、生きてはいられないから。
その場で即手当てができるクリスもいねぇし。いたとしても助かる見込みなんてまずないからな。首の動脈を深く切られて即手当てをしても、相当腕がいい人でも助かる確率は五分以下だとクリスも言っていた。
「呪術式の中には入らないでもらおうか、ラザフォード司教。贄にするなら、あなたより、この子供の方が断然いいからな」
活発に動き出したのは、それが理由か。しかし、よく捕まえられたな、という気持ちも何割かある。
「……お前、悪魔化するつもりか? よせよせ。お前くらいなんて、いいとこ猫男爵どまりだ。悪かったら、魔獣だぞ? いいことなんて、ありはしねぇぞ」
自称悪魔の研究家なら、それくらい知ってるはずだろ。自分だけ特別なんて考えるなよ。
「そのための贄だろうが。この子供は、おそらく悪魔の子だろう。身体能力の高さと多岐に渡る邪法呪術式の造詣の深さでわかろうもの」
元は人間だった魔獣が、そこらにいるネズミと交配し、子孫を残すことが可能だと言い切ったヴィルドさん。実際に黒死病菌と思われるものを持っていた子孫もみつかったそうだから。ネズミの駆除が終わったら、次はノミ駆除だと話していた。そのネズミの血を吸ったノミが人へ広める危険性もあるんだと。
そういうことができるのなら、元は人間である悪魔と人間が子供を残すことも、決してできなくないだろう。
ヴィルドさんが苛烈なまでに悪魔を嫌い、自身を人間だと言い張ったのは、そのためなのかもしれない。十分すぎるほど、重いものを抱えているよ。
「本人に確認したわけでもあるまいし。ただ、その手の実験体になっただけかもしれんだろう」
それでも、十分気分の悪くなる話だがな。
「どちらでも構わんさ。贄に適している。それだけで理由としては十分だ。まもなく、月が天頂に上がる。その時に『門』を召喚する。……それまで、手出し無用」
天頂って。……あぁ、呪術式の真ん中の上。天窓があるのね。ここ、窓が一つしかなくて。そこしか、外界の情報が得られんのな。悪魔化の基本だな。
満月と新月を挟んで三日間、教会、ならびに大聖堂は日が暮れると鐘の音が鳴らない。祭りの前夜、当夜、後夜、というのもある。しかし、悪魔志願者の時間間隔を狂わせるっていう狙いもある。
確かに、天窓の下、月の光を浴びて『門』を召喚するっていうのは基本だ。だが、おっちゃんいわく、窓の真下にいるって、殺してくださいって言ってるのと同じだよなと笑ってたっけ? おっちゃんにとっては、出入り口だもんな、そこ。
すでに窓には月がかかっていて、もう数刻で中央に来そうだ。いつの間にそんな時間経ってるんだ? 俺が一階の調査と階段でぐずぐずしてたからか。
「『門』を召喚する。……それでもお前には難しいんじゃねぇのか?」
時間稼ぎのために話をするが、鼻で笑っていた。
「この呪術式に不備があるとでも?」
いや呪術式には問題ないけど、お前さんの呪術力の方に問題があるといいたいが。
より確実性をあげるなら、壁四面と床じゃなくて、壁四面と天井と床を挟む感じの方がいいんだがな。その代わり、月の助力がねぇけどな。
「……呪術式に不備はねぇって言ってやりたいが。気になる点はいくつかあるな」
……今気づいたんだが、この呪術式、悪魔化するにはちょっと違うような……?
「悪魔化などと、ちんけな物にはならん。わしは、悪魔を超えた存在になるわ」
この国を守護する天空神も今ある王家の流れの人間だ。……いや、逆か。天空神が神となったから、今の王家があるといっていいか。
大地神も元は北のこの地に根づいた人間だったらしいが、そしてその親類が王家を名乗ったと。……だが、その王家も今はなく、裏稼業に身を落としたという噂だが。
このことを知っているっていうのも驚くがな。これ、トップシークレットだぜ? 一部の枢機卿と巫子、そして一部の王族と一部の悪魔祓い師くらいだぜ? もちろん、俺も知っているが。だからこそ、中央の連中は狂信じみているっていう言葉は間違いじゃねぇ。
しかし、この男が神ねぇ。……ここまで来るとイタイ妄想男としかいいようがない。はっきり言います。無理です。不相応も大概にせぇよ?
「……魔王にでもなるって? その称号がふさわしいのはお前じゃねぇよ」
ヴィルドさんだよって言いたいところをぐっと我慢した。間違っても本人を前にしては言えねぇ。いくら気絶しているとはいえ、本人も気にしているだろうからな。
「魔王……それもいいかもしれんな」
クククと喉奥で笑う契約者。いや、今から魔王感を出そうとしても小物感しかでない不思議。
どっちにしろ、無理だって。それにふさわしい方がおられるから。……今、この場にな。
しかし、そう難易度の高い呪術式、よくみつけたな。自力で発見したと思いたくねぇ。この呪術式、確かウェスタが使ってたのか?
ウェスタは確かにそれなりに実力もあったよ。他の戦闘系みたく髪の色とか瞳の色が変わったとかもなく。ロベルトとオメガみたく、青髪にショッキングピンク色っていうのか蛍光ピンク色っていうのか知らんが。そんな髪色って普通はいないだろう?
人間だった時の記憶もちゃんとあるし。優秀なやつだったんだけどな。あいつは。
もっとも、ウェスタは神になる気なんてさらさらなく。人を超えた存在になるのが願望だったからなんだがな。
神になって人民を助けたいっていうのが、天空神しかり、大地神の願いだったそうだから。その成りたちからして違うのだろう。
「時間稼ぎはそろそろ終わりにしようか」
天頂に来た月を見上げ、にやりと笑う契約者。
呪術式に集中して、俺には攻撃してこねぇと思っていたが、やっぱりこねぇな。
仕かけるなら、『門』を呼んだ瞬間か? 何が何でも、ヴィルドさんを贄に差し出す前に何とかしねぇとな。
周囲を注意深く見るが、見れば見るほど、ウェスタが悪魔化した時と状況が似ているな。呪術式しかり、贄しかり。
もっとも、あいつはもっと賢かったから、住人の命を完全に盗らず、生命力の一部を利用して『門』を召喚し、開いたんだっけな。悪魔化の後、その住人を自分専用の悪魔憑きにしていたが。
そのせいで、発見が遅れたんだがな。やり方としては賢かったぜ。
悪魔化を未然に防ぐっていうのは、悪魔祓い師にとってはマレだ。言っちゃ悪いが、悪魔になってからの対応くらいしかできねぇからな。未然に防げるもんなら防ぎてぇな。
壁と床に描かれた全ての呪術式が、月の力を借りて、怪しく不気味に光った。そう、あえて言うなら、黒に近い紫色。
「わしの前に現れるがいいわ」
フハハハハと笑う契約者。…猫男爵とキャラが被るな、なんて場違いなことを思った。
一気に、この部屋の空気が変わった。背筋に冷たい物が流れるのを感じた。
一時、ヴィルドさんに感じた物と同質でも、その何倍も激しいもの。……いっそ、生理的な嫌悪感といってもいいものを感じた。全身が、それを拒絶して、肌が粟立っているのが分かった。
時代がかった二本の柱に支えられた白亜の巨大な門。こんな稼業をやってて長いけど、もう十年は経つんだけど、さ。俺、『門』を見るのは初めてなんだわ。威圧感、半端ない。こんなん呼び出して、開けるとか、頭おかしいとしか思えねぇよ。
「―――今こそ、その門を開くといいわ!」
ギラリと白い光を反射するナイフ。……それを大きく振りかざしていた。
この重圧感で、よく動けるな、なんて感心したが、違うがなっ!! ナイフの向う先は、ヴィルドさんで……。
「やめろぉぉぉ!!」
呪術式を踏み、静止させようとするが、法衣を踏んでこけた。クッソ、なんでこんな時に、ドジ踏むかなぁ、俺!
契約者の手にあるナイフは、ヴィルドさんの胸に吸い込まれた。ドスリと鈍い音がして、刺さっていた。
ヴィルドさんも、それには目が覚めたのか、目を見開き、刺さったナイフを凝視していた。
契約者がナイフを抜くと、そこから血がどばっと出ていた。……ナイフは血を吸って赤くなっていた。
ヴィルドさんも血を吐き、身体が痙攣したように震えた。その瞳も焦点が定まらなくなっていた。そして、力尽きたように目を閉じた。
ピクリとも動かないヴィルドさん。
……ウソ、だろ?
ヴィルドさんはこんなところで死んじゃうような、人じゃねぇだろ?
呪術式の、かろうじて内側。……俺は、しばらくこけたまま立てなかった。散々、かばってもらったり、助けてもらったりした人を助けられなかった。みすみす小物と思ってたやつに死なせてしまった。
……ようやく、やりたいことみつけたって言ってたのに。これからだったんじゃねぇのか? 俺の半分くらいの年月しか生きてないような、ほんの子供だったんだぜ? それなのに……。
かすかにきしんだ音を立てて、こちら側に向かって開く扉。ほんの数センチばかり開いただけで、この世界とは別の世界のものとわかる空気がなだれ込んできた。その空気は、こちら側の人間にとって、完全に異物で。嫌悪と拒絶しか俺には感じられなかった。
契約者は開いたことに感激したのか「おぉ、開いた」とか感想を言っていた。だが、その契約者も二の足を踏んでいるのか、くぐる勇気はないようだった。
その数センチ開いた『門』から、紫色の二、三センチほどの触手のようなものが何本も這い出てきていた。そして、その触手は、ヴィルドさんに絡みついた。
贄であったヴィルドさんの体が目的なのか、椅子に縛られたまま、『門』へと引きずり込んでいた。
せめて、ヴィルドさんの肉体だけでも、こちら側で何とかしてやりたいよ。たとえ、こっちで死んでしまっても、あの『門』をくぐったら、生き返ることができたとしても。ヴィルドさんは絶対に、それを望んだりしないから。
触手を断ち切るよう、雷の呪術式を描き、発動させた。だが、その触手の何本かしか切れなかった。しかも、その触手は切ったところから分裂して再生し、より『門』の向こう側へと引きずり込もうとしていた。
だったら、力ずくでと思って走ったが、その触手も引きずり込む速度を増していた。クッソ、間に合わねぇ。
バリンと天窓が破れ、ナイフが飛んできた。ヴィルドさんの体に巻きつく触手の全てを断ち切っていた。床に刺さったそのナイフの刃には、アンチ悪魔の呪術式が描かれていた。
天窓の縁には、おっちゃんが立っていて、ニヤッと笑って、俺に手を振っていた。
空に上がっている月も呪術式で作られたまがい物。
触手もさすがにそれには諦めたのか、門の内側に引っこんだ。それと同時に……『門』が閉まりかけていた。
契約者は情けなく「し、閉まるなぁぁぁ!!」と叫び、慌てて入り込もうとしていた。だが、無情にも『門』は閉まり、一瞬で消えた。
ヒィヒィ言いながら転げ回る契約者。……あぁ、右の二の腕の半分以上、下から向こう側に行ったのか。バカなやつだ。
どやどやと部屋に入り込む、クリスや悪魔たちを始めとした見知った面々。
……こいつら、また俺に黙って罠張ってたんだな。
……でも、そのせいで。
「……あぁ、くぐれなかったんだ、あいつ」
「さっさとくぐればいいものを」
「バカなやつだなぁ」
なんて囁き合い、恐ろしいものでも見るように、契約者を見ていた悪魔トリオ。マジでお前ら、後で報告しろよ?
床の呪術式のほぼ縁。小さな小さな……十センチ足らずの白亜の門が現れた。
さっきの門と違い、威圧感もまるでなく、普通の空気と変わらなかった。
その門から這い出てきた右手と腕。……物体の法則やらを完全に無視した形でずるずると。
その手と腕だけのものは、契約者の首をつかみ、門の向こう側へと戻ろうとしていた。契約者もその手を引きはがそうと残った手で応戦しているが……。その手は何倍も力があるのか、まるで外れる気配も見せなかった。
……契約者の顔が赤から青く変わってきていた。
反射的に俺は、契約者の腕だったものを悪魔や魔獣消滅用の呪術式で消し去っていた。後ろで「あ……」とかいう失望とどこか恐怖が混ざった声が上がっていたが。
魔獣と化した腕も消したから、小さな『門』も砂の城が風にさらわれるようにして消えた。
契約者に「おい、平気か?」と近づき、聞いてしまった。
……わかっているさ。半端なく、甘いってことは。俺もこいつには殺されかけたし、実際、俺の目の前で人が一人殺された。
それでも……そんなやつでもむざむざ死なせるようなことはしたくなかった。
「アンジェ、いるか? 契約解除すっから、ちょい来てくれ」
アンジェの契約を解除されれば、契約者として学び、使っていた呪術式はすべて忘れる。それでもやったことそのものの記憶が消えるわけではないがな。
アンジェにとって、相当不利な契約のようだが、無事解除、と。……体内に契約仕込んでるってことはねぇよな?
「本当にいんすか、司教? このまま無罪放免ってわけには」
「しねぇよ。夜な夜な……自分がした罪の大きさにさいなまれる夢でも見せるか」
司教っていうのは、各悪魔絡みに関する量刑も決定する権限があるんだぜ。……一応、上であるじじいにも、おうかがいは立てるがな?
「その程度で堪えるとは思えませんね。狂った方がマシだと。生きていることそのものを後悔させるくらいでなければ」
「おいおい。ずいぶん過激だな? ……確かに、一人死んでるが」
思わず目を伏せてしまった。亡くなるには早すぎるよな。ヴィルドさんよー。
「全くです。危うくラザフォード司教も亡くなりそうになる上、贄を用意するなど。……言語道断です」
……ちょっと待て。今、俺、誰としゃべってるんだ?
ぎいー、と首を後ろ。……呪術式の中心に目を向けた。そこには、椅子に縛りつけられていたヴィルドさん……はいなかった。
自分で縄を解いて、おっちゃんに平気だと、さっきはありがとうとばかりに手を挙げているヴィルドさんがいた。
―――死んだんじゃねぇのかよっ?! 生きてんのかよ!!
「呼び込んでおきながらくぐれない等、どれだけ遅いのですか」
悪魔化してからトラウマ植え付けて、消滅させたいっていうのが本音かよ。あれ、贄のふりをしてたのね。ひょっとしたら、この人が『門』を呼び込んだのかも? あれだけの威圧感のある『門』、小物契約者に召喚できるとは思えんし。
後ろの悪魔達は怯えてるよ。「やっぱり生きてた」って。聞こえてるよー。
「ずいぶんリアル感のある芝居だったからなぁ。本当に死んだのかとおいちゃんも思ったよー」
ヘラヘラ笑うおっちゃん。ヴィルドさんも「おかげさまで」と挨拶していた。
「せっかく死んだふりまでしたのに、悪魔化しにゃかったから。相当ご立腹にゃ」
おっちゃんの肩の上で、ペタンペタンって尻尾倒して冷静な猫。……いや、お前がいたから俺もここに来られたんだけどね?
ヴィルドさんも捕まっていたのにわかっているのか、猫への目が冷てぇ。だって、あれ、中にいるヴィルドさんとの打ち合わせだったんだろ? 無事に、悪魔祓い師たちにメモを届けましたよ、的なやつ。そういえば、あのメモ、字がとても奇麗で。一度、俺たち当てに残した、家出します的な、あれと同じ筆跡だったもんな。
「……ま、邪魔したのがラザフォードちゃんだから仕方ねぇけどな。ラザフォードちゃんがいいって言うんだからなぁ」
おっちゃんも、ちょい殺意がにじんでますけどね。……やっぱ不服なんね。今回の決定。
「普通の子供なら死んでいましたね。何人もの住人を悪魔憑きにした凶悪性も鑑みての判断なのでしょうか?」
ヴィルドさんの目が、元契約者に向けられた。……ものすご~く冷たい、冷た~い視線。おっちゃんが投げたナイフ並みだよ。未然に防げたからよかったものの、そうじゃなかったら、確実に死んでたってな。
「……じゃあ、仮に。ヴィルドさんならどうするんよ、これ。もちろんじじいにも報告するけどさ」
俺も見とくぜ、もちろんな。
チラッとおっちゃんと目配せするヴィルドさん。……この二人、恐ろしすぎるよな? やめてちょうだいね!
「ここは穏便に拷問用の呪術式を体に刻みますか」
「却下っ!!」
全然穏便じゃねぇよ! 不穏すぎますよ?!
「気持ちはわかるがなぁ。……体内に描くぐらいでとどめておけ?」
「どっちもダメですよ?!」
何、おっちゃんたきつけてるの?! できる御人だからって勧めないで!
完全に悪魔達どん引きだよ! 「悪魔になってた方が、まだよかったのに……」なんて同情されとる?!
こんなきな臭い話になるだろうから、アンジェを筆頭に気の弱そうなのは先に宿舎に帰したが。いなくて、本当によかったよ!
「……では仕方がありません。ラザフォード司教の案を一部採用しましょう。同じ悪夢でも、痛みを与える類のものにします」
不承不承に提案するヴィルドさん。あぁ、それなら平和的。
「その痛みって現実にもするようにしねぇの? しねぇと意味なくね?」
おっちゃん、黙って! ヴィルドさんも心得ているとばかりにおっちゃんに向かって瞬きしない! 元暗部に通じている者同士の会話って怖いねっ!
「……なんでおっちゃんもヴィルドさんもそんな怒ってるんよ? 確かに住人に酷いことしたが」
被害は未然に止めれたし。そこまで怒らんでも。
「ラザフォードちゃんを殺しかけたからに決まってるだろ? 許しとけるか」
おっちゃん殺意にじんでるよ! 落ち着いて!?
「そうそ。じゃなきゃ、こんな危険なことしませんよ」
あぁ、クリスまで。悪魔祓い師における良心がいなくなったよ。ちなみに、この計画の立案って誰よ。
……いや、大体想像できっけどな。とても残念なことに。
「もちろん、バルトさんとヴィルドくんだよ? 本当に司教、愛されてますねぇ」
いや、クリス。お前も止めろよ。たとえ、お前もご立腹だったとしても!
……っていうか、この御二方、悪魔化したら私刑だろうと消滅させてもいいってことだからな。人間ならやめてって言っただけで、俺もそこまで言及しなかったし。悪知恵働くよね。おたくら。
「……そのようなことより、ラザフォード司教は歩かれてもよろしいのですね」
あれ、ヴィルドさん契約者、全無視? いや、忘れてくれたんならいいけどね。
「おう。もうへっちゃらだ」
「一週間後、抜糸をさせて下さるそうなので、楽しみです」
ヴィルドさんがするの?! 医療系の司教にしてもらいてぇ!!
「二級の資格をとるために、研修も必要だといわれましたので」
えー、医療系受けちゃうの? 悪魔祓い師受けろよー。確かに、医療系しかり薬物系しかり人気高いもんなぁ。
「……私、幼少の頃より医術の心得もございますので、ご安心を」
「人間を壊すのも治すのも表裏一体だかんな」
おっちゃん、そこでガハハって豪快に笑わない! 恐ろしすぎるよ!!
……何、ヴィルドさん。また下から俺を見上げて。悪魔達ではないが、さっきのもあって怖いなぁ。
「それだけ動けますなら、治さなくてもよかったです」
……ヴィルドさん、もしかしなくても、昨夜、こっそり来た時、治療してくれた……? だったら、痛くないのも納得だ。すげぇな、医療系の技術って。
「もちろん、邪法呪術式の応用ですが」
「人を実験体にしないでください!」
ちゃんと落とすところは落とすね、この人!!
★
結局、あの場は元契約者の身を宿舎に連れ帰った。俺の最初に提案したのが採用という運びになった。そんで、警邏隊に引き渡した。一応、悪魔祓い師としての罪の追及と罰を下したけど、違う方面での余罪があるようだったからな。
何だかんだ言いつつ、利き腕を失っているだけに。ヴィルドさんの譲歩案はかわいそう過ぎるからな。
もちろん、ヴィルドさんもおっちゃんもちょっと、甘すぎじゃないの? なんて言いたげな目で見ていたが。
もちろん、あの空家に描かれていた呪術式並びに資料その他もろもろは廃棄したがな。これも悪魔祓い師の仕事だからな。ほとんど間違っているものや発動させてもたいして効果のないものばかりだったが。アプローチの仕方自体、間違ってるぜ。
悪魔達は本人(?)には聞こえないように「あの空家で死んだと思った化物が生き返って襲いかかってきたら、十分怖いよな」と言っていたが。えぇ、全くですね。恐ろしいですね。怖いですね。ホラーですね。俺もそんな悪夢みたくねぇな。襲撃者ヴィルドさんは、マジで恐ろしかった。悪魔達も、あんな経験したんだなって思うと同情を禁じえねぇよ。
次でラストです。